不倫して別れた彼との間に2回妊娠し、初めての子は二ヶ月で中絶し、2回目は流産でした。いけない関係と分かっていながら、この世に生命が生まれたものの、私たちの都合で中絶した悪い母親です。彼と別れてすぐ、ふと、水子ちゃんが『お母ちゃん頑張って』と、舞い降りて来た気がしたので、名前をつけて供養に行って来ました。で、お坊さんにお聞きしたいのですが、水子の父親は、彼女が出来て、雨天調になってる気がするのです。水子ちゃんにはその事は分かってるのでしょうか?もし分かっていても、父親に対して何も思ってないのでしょうか?彼は、仏教に熱心なんだけど、別れ話の時は顔は豹変し、人の話を全く聞かず、一方的に別れると言い、それを言ったとで、私がどんなに傷ついたか傷つけたか、全く分かってません。それで、仏教の教えを信じてるのが不思議でなりません。もっと人の心や、自分が言ったことで、相手が傷つかない様もっと勉強して欲しいです彼はもう42歳の大人なんだから、言っていいこと悪いことくらい分からないのか?この世に生まれてこれなかった水子ちゃんも、こんな父親で良かったのか?恥ずかしいです
こんにちは。初めまして。私は30代のニートです。ニートになったのにはわけがあって、小中と暴力を含めたいじめを受けたからです。就職活動もあまり勉強が出来なかったので入社試験をあきらめて数社うけて辞めちゃいました。 ですが、大学時代から続けていた国会議員のボランティアは、大学卒業後も続けていました。しかし、ある時ボランティアしていた議員さんが離党して新党を立ち上げて選挙に突入。 議員さんは優しかったのですが、その先生の地元の事務所のお局みたいな人に、「先生は離党してあなたのは、違う党なのだからお手伝いに来なくていい」みたいに冷たくされるようになりました。あるときは、せっかく事務所に行ったのに「若い人が来る場所じゃないから帰りなさい」と追い返されたことも。 議員さんに助けを求めても対処されず、むなしい思いで当選まで応援しました。何故か心理的パワハラから逃げられなかったのです。もう何年前か忘れたくらい前のことなのにフラッシュバック! そして、最近急性ストレス障害を患ってから必要もなくこの事がフラッシュバックするように。あんなことなら応援しないで出ていけばよかった。ほかの人を応援すれば嫌な思いをしなくて済んだのにバカだった。 あんなやつ、「死ねばいいのに」と、ブツブツ言うほどに悪化。ほかにもそういうことはあって、自殺するか相手を殺して復讐するかという究極の選択を毎日自分に迫られているように思えてなりません。 そんなことしたくないのですが、どうしたらいいですか?お坊さん?辞めなさいと心のどこかで言われたいのです!<急性ストレスはいろんなことをがフラッシュバックする病気でそろそろ精神科に入院します>。
こんにちは。 タイトルの通り、人生のうち最も若くて美しい時期をもったいなく過ごす女です。 私は理系の大学院出身で、周りを男性ばかりに囲まれる中、なんのアプローチも受けずに20代前半を終わらせてしまいました。会社員になってからも、技術職なので周りは圧倒的に男性が多い中、なんのアプローチもされません。学生時代に勉強に集中していたことが報われ、現在、高校生の頃から夢見ていた仕事に就けており毎日仕事が楽しいことだけが今の支えです。 見た目は悪くないと思います。笑顔が可愛いと男性女性問わず言われます。身長も高く、よくスラッとしてると言われます。意識して愛想もよくしておりはきはきした態度に努めています、『彼氏いるでしょ?』と言われることが大変多いです。 人生で一番輝かしい今を独りで過ごしていることに焦りを感じています。若い今しか出来ないような、心ときめく恋愛がしたい。 ですが、自分からはなかなか好きだと思える人に出会えません。彼氏いない3年半=恋愛していない3年半なのです。一度だけ恋心を抱いた人がいますが、奥さんがいると知ってすぐに気持ちを諦めました。 焦りばかりが募り、でも恋愛感情ってどんなのだっけ?と思い、そしてまた焦る。。その繰り返しです。 周りの同世代女性にはパートナーがいない人はいません。みんな彼氏or旦那さんがいて、私だけ独り。みんなパートナー持ちのため、休日に気軽に誘える女友達もいません。 こんな、毎日堂々巡りの考えばかり巡らせている私に、お坊さんからのお言葉をいただけないでしょうか? 本当に毎日悩んでいます。キラキラの『今』を無駄にしたくないです。
外国人です、今日本語と唯識を勉強しています。成唯識論は第七巻まで読みました。横山紘一さんの本もたくさん買いました。 でもわからない部分があります。 1 あるお坊さんは『縁起論は無因論でもなく、宿命論でもないです。選択によって世界は変わるんです』と言いました。 なら、偶然論と必然論のほかは、第三の論がありますか?第三の論はありませんよね?偶然論以外は必然論、必然論以外は偶然論でしょう? 選択によって世界は変わるって、選択自体は必然ですか?偶然ですか? 2 横山さんの本には『一人一宇宙』『一人ひとり各人の世界はその人の阿頼耶識が作り出したものであり、各別である』と書いてあります。 もし一人一宇宙なら、どうして他人は自分の宇宙にいますか?どうして他人と交流できるのですか? 他人は自分の宇宙にいるなら、他人と交流できるなら、世界は一人一宇宙ではなく、多人一宇宙になってしまうんですよね? 私の考えには間違いがありますか?間違いを教えてください、よろしくお願いいたします!
こんにちは。 仏教を勉強するうちに今まで誤解していた色々なことが明らかになって、例えば、今は無我もちょっとだけ納得できるようになりました。だいぶ落ち着いてきたのですが、実は因果応報について気になっていることがあるんです。よかったら、お暇な時に教えてください。 因果応報とは、良い事も悪い事も自分がやった事の結果が出て来るということなのですね。親や祖父祖母、そのまた上のご先祖様の代の因縁を自分が背負うなどということはあるのでしょうか。 借金など明らかなものではなくて、例えば何代も前の先祖の行いが悪くて人を泣かせていたから今度は子孫が泣かされるめぐり合わせになるとかそういうことです。そういうのは何代も前になれば事実関係を確かめられなくなっていきますし、気にしないで自分がしっかりしていれば大丈夫だ!と思うようにしてはいるけれど....でも、いかにも血のつながりで受け継がれていきそうな気がしないでもないんですよね。お坊さんのような人で先祖の因縁の話をする人がいたので、今でも時々ちょっと気になります。 因縁が受け継がれて子孫に因果応報が出て来るということはあるのでしょうか。 追伸 因縁を断ち切るお祓い数十万円とかいきなり言われたらさすがに怪しいと思うのですが、仏教の話もちょこちょこ入ってくるともっともらしく見えたりもするから....人の心って、もう大丈夫だと一度は思ったつもりでも迷ったりする頼りにならないものですね。自分で自分のあやふやさに笑ってしまいました。
現在22歳で同い年の彼と2年程お付き合いしています。 お互い実家に住んでいるので同棲する為に一緒に貯金をしています。 同棲をしたらいずれは結婚をするという話もしていました。 ですが最近結婚後の生活などを考えているうちに、金銭面でとても不安になってきました。 彼のお給料が低いのですが、資格を取ると資格手当がでます。(2万円ほど) 少しでも収入を増やす為に資格を取ってほしいと思っています。 その話を彼にしたところ、学校に通わないと取れない。と言っていたので 一緒に貯めている貯金から学費を出しても良いから取ってほしいと伝えたところ、 んー、、。 一回では受からない。 などマイナスな考えであまり乗り気ではない返事でした。 合格する自身がないのもありますが、勉強をしたくないのも一つの理由だと思います。 (ちなみに貯金はどちらがどれだけ入れているのか記入しているので、 彼の貯金した分から学費を出そうと思っています。) 彼のことは大好きですが、結婚相手として考えると本当にこの人でいいのかな。 この人は家庭を守ってくれるのかな。 と不安になり、このまま交際を続けていてもいいのかと迷ってきてしまいました。 お坊さんのお考えを聞かせて頂けますか? また、どのように伝えると彼は資格を取る気になるのでしょうか。
いつもお世話になっております。 くだらないんですが、ずっと気になっています。 私は今の祈願寺に落ち着く前は、色んなお寺に行って 勉強していました。 どのお寺にも必ず、やたらとご信徒さんや観光のお客様に 絡んで迷惑かけるドアホ、変質者がいました。男女問わずです。 「若いのに偉い」という理由で突然接近してきて、 家が荒れてるんだよ〜とか愚痴ってきたり、 そんな姿勢じゃあいけないとか言いがかりつけてきたり、 目についたご信徒さんの悪口に勤しむバカもいたし、 坊さんと話していると断片的な仏教用語に反応するふりを して、「おねえさん、それ@@@のことですか!?」 とか絡んできたりする野郎もいたし、 別のご信徒さんに近づいて私のことを聞き出そうとした ストーカージジイもいました。そのご信徒さんは、 「知らない、知らない。僕も初めて会ったんですよ」 と言って守ってくれましたが。 ちなみに余談ですが、今の祈願寺は、非常に防災、防犯に 力を注いでいるので安心して修行することができています。 そう言う人も比較的少ないかな、と言った印象です。 本当にくだらない質問で申し訳ない。3年来の疑問です。
はじめまして、拝見ありがとうございます。私は、1週間ほど前に自殺未遂をしました。理由は、最愛の恋人にフラれたからです。 私はなぜか、以前から恋人に異常に依存します。ですが、友達にはあまり依存しません。 フラれた事で、生きる意味がないと思い自殺未遂をしましたが、失敗してしまい結局生きてしまいました。 今は、親がわざわざ県外から駆けつけてくれて、私がまたしないように傍にいてくれます。 1週間ほど経ち、私の考えは、「愛する人がいなくなったから生きる意味がない」、というよりは「生きる事、感情を持つことに疲れた」に変わりました。終わりが見えない未来を生きる余裕は私にはありません。 それなら周りの人達の為に生きて、と言われました。しかし、それをする勇気も強さも私にはありません。まだまだ人生長いと思うと、正気ではいられません。 なので無意識に自己防衛をしたのでしょうか。私はふと、3月に死のうと考えました。 すると、凄く気が楽になりました。もう死ぬので今やれる事をやろう、やり残した事はないか。と考えて、テスト勉強にも力が入ります。 先の短い人生なので、それならこの短期間くらいなら頑張れる、そう思います。 私は、生きることから逃げて嫌な事に目を背けて、とても弱い人間です。 こんな所に書き込んで、私は誰かに止めてほしいのでしょうか。無意識に生きたいと思っているのでしょうか。それすらも分かりません。 ただ、お坊さんにお話を聞いて欲しいです。アドバイスがありましたらぜひ欲しいです。 長文失礼致しました。
たまたま仏教の起こりについて簡単に知る機会があり、葬式でよく読まれている身近なお経でもある、般若心経について興味が沸きました。 そこで、このお経が何を伝えようとしているのかインターネットで調べていたのですが、サイトによって解釈が微妙に異なる様で、本来の意味を理解出来たのか自信がありません。 以下が現時点での私の解釈となりますが、間違いがあればご指摘いただけませんでしょうか? •自分自身も、他人も、世界そのものも空(実体の無いもの)である •よって、苦しみや生、死も実在しないものであり、状態が移り変わる過程でしかない •そう考えれば、思い悩む必要など無い ※現時点でディティールまでの正確な理解は求めておらず、まず、ざっくりとした意味を理解したいと考えています もし上記の解釈が概ね合っていると仮定すると、葬式で読まれる般若心経は、故人に対してではなく、遺族に対して読まれているものなのでしょうか? オリジナルの仏教では死後の世界には言及していないと認識しており、故人に対して読まれるというのは違和感があり、上記の発想に至りました。 専門書等を読んでみようかと思いましたが、その道のプロであるお坊さんに聞くのが一番正確かと思い、質問させていただきました。 勉強不足な点は多々あるかと存じますが、可能であればご教示いただけると幸いです。
前回のご回答ありがとうございました。 違うジャンルの悩みですが、もし良ければ聞いてい頂けたら幸いです。よろしくお願いします。 私は生まれてから今まで恋人ができたことがありません。 最近になってこのままでいいのかわからなくなっていまして、焦りのようなものがあります。 好きな人ができたことはありますが、好きな人の前では自信のなさが出て焦ってしまうのか本来の自分ではない感じになってしまいすべて片思い止まりでした。それも学生時代の話でここ数年は好きな人もできず恋する気持ちが遠ざかりかけています(汗) 周りが恋人がいるから自分も。という焦りではなく人と付き合えていないさびしさと恋愛への憧れが強くなってしまったと思います。 私はこれから自分で叶えていきたいことや進みたい道がありまして、頑張りたいと思っています。これまでも自分への投資や勉強、仕事に力を使ってきました。20代前半なので頑張るべきだと思う反面人恋しさや寂しさで時折苦しくなります。 周りがマッチングアプリを使っていたりして実際に勧められたのですが、今の私には恋愛することが前提で相手を探すということに抵抗感や違和感を持ってしまい心がついていかないという感じでして、なかなか難しそうです。 ハスノハのお坊さんの方々は長年恋愛経験がないことに対してはどうお考えになりますか?あまり良くないことだとお考えでしょうか? これからのためにやるべきことと恋愛のこと、うまく折り合いをつけることはできるのでしょうか… 未熟な質問ですみません。
本題から逸れますが、夢ができました。 個人でゲームや同人誌などを創ることです。 以前、hasunohaの皆さんから回答を頂いたおかげで心身ともに健康になり、夢ができました。ありがとうございます。 できるだけhasunohaの皆様には頼らないようにしようと、サイトにもアクセスしないよう心がけてきましたが、今回はどうしようもなく躓いてしまったので、お坊さん方の力を貸していただきたく戻って参りました。 さて、本題に入りますが、継続についてです。全てのことに関して長続きすることができなくなってしまいました。以前、私はここで勉強したくないと書き込みましたが、今は好きなことでも長続きすることができなくなってしまいました。せいぜい1時間が精一杯です。何かをやろうとしても、その情熱が2日も続かず、すぐに辞めてしまいます。何かをする時に無気力感が襲ってきてしまうのです。現在、夢を実現しようと思えば可能である環境にありますが、驚くほどやる気が湧いてこないのです。周りの人から情熱を受け取り、一緒に活動することはできますが、どうしても一人でやらなければならないことが長続きしません。何かを成し遂げるには、楽しいことだけでないことは承知しています。ましてや基礎の部分は大抵面白くなく、退屈を伴うものです。しかし、その基礎固め、最初の部分で飽きてしまいます。また、せっかく夢ができたのに(作業に楽しめてないので、夢と言えるか正直自分でも疑問です...)道中を耐える心ができてない自分は未熟であると思います。 強烈な「無気力」が襲ってきた場合、どのように対処すればよろしいのでしょうか。ご回答の程、何卒よろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。 本日改めてプロフィールを、更新しました。 ある人と親しい関係、となったときに 相手が「一生、大切にしていきたい人」となるのは... どんな存在なのでしょうか。 「夫という字は、二と人、つまり二人で成り立つ」「結局、夫婦関係は、ふたりで、つくりあげていくもの」「必ず苦労もある、それをお互いに乗り越えていく、喜びもあるし、悲しみもあるし、それでも一緒にいられて良かった、そう最期に思えたら良い。それが結婚生活」そんな法話も勉強になりました。 伴侶とは、パートナーとは… 考えれば考えるほど、かつての私には足りないものだらけでした。本当に、懺悔の限りです。 そして、伴侶のあり方は、ひとことで定義されるほど、人間が形に収まるものでもないことも、わかりました。 本来はあってないような、諸行無常の夫婦のあり方。作り上げたイメージや、あるはずと思い込んだ姿に囚われて、むりやりお餅の絵を描けば、必ず現実に悩む日が来る。そんな気もします。 だから、あれこれ考えることよりも、今を楽しむ、相手を思いやる、それに尽きるのでしょうか。そのうちにちゃんと誠実な関係が築かれていくから、安心するようにと、そう仰ってくださる方もいます… 伴侶として生きていきたい。 お互い、共に歩んでいきたい。 問題が起きたら、一緒に乗り越えていきたい。 そう心を決めたときに お坊さんがくださる言葉は 何でしょうか。
20代の学生です。 自分の気持ちをコントロールすることが苦手です。 例えば、やるべきこと、やった方が自分の為になると分かっていることも先延ばしにしてしまいます。 期限が近く、明確に決まっているものなら取り掛かれるのですが、期限が少し先だったり、曖昧なものだと先延ばしにして手を付けずにいてしまいます。 また、コツコツと積み重ねることで効果が出てくるようなことも苦手です。どうしても三日坊主になりがちです(そういえば三日坊主の坊主とはお坊さんに関係あるんでしょうか?)。 続けるぞ、と意気込んだ気持ちも日に日に薄れていってしまい、疲れてるから、気分が良くないから、などと考えてある日スパッと途切れさせてしまったことが過去に何度もあります。 再び意気込んで始めても繰り返してしまいます。 勉強、読書、ランニング、筋トレ、などやりたいこと続けたいことはたくさんあるのに、継続が出来ないのです。 メンタルが幼い、未熟だと日々痛感しています。 そこでお聞きしたいことは、 質問①物事を先延ばしにする癖を改善したいです 質問②三日坊主で終わらずに物事を継続したいです この二点です。 どなたかご意見頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします。
お坊さんの皆さんは、人生を、日々を、どのようなモチベーションで生きていますか? 死ぬことは怖いですか? 私は、思います。世の中や人はとても儚いものだと。その儚さを、どう前向きにとらえればいいよいでしょうか。 命の終わり方は、いろいろあって、 自分もいつかはなくなるんだと。 時々不安になります。私は、リタイアせずにゴールまでいきることができるのか。 私は、シャボン玉くらい心が脆いです。 だから、生と死が隣り合わせのこの世界でこんな自分はこのままやっていけるのだうか。 私の周りの友達のように、生きることに関してあまり重度には考えず、無関心で無意識に生きて、勉強に集中したい。 考え過ぎだよ。 暇なんだね。 悩むことは悪いことじゃない。 みんなそうだよ。 その言葉に私は少なからず傷ついてきました。 私の考えてることは間違ってるのか。悪いことなのか。 事実から論理立てて考えて出した私の考えは、そう簡単には覆せないと心では思ってます。例えば、生まれてこなければよかったとか。(理由を話せば長くなるので)でも、誰か、私を覆す人がいないかなと探してます。めんどくさいですよね、こんな人。 そういう自分が嫌なんです。 このままではさらにエスカレートしていってしまいます。 いつか、悩んで泣いた時間が役に立つときが来ればいいなと思っていますが、それはまだ先の話で、とりあえず今、何かがずっと辛いんです。 生き方、道標を教えてください。
いつもお世話になっております。 前からもやもやと疑問に感じていたのですが、 爆発した(笑)のでちょっと聞いてください。半分愚痴。 * 油ブチまかれたり、カレー粉散らかされたり、 果ては熱烈なご信徒のフリをして女のケツ追っかけまわしたり… はたまた戒壇内でおさわりしたり!! 私の知っているあるお坊さんいわく、 「金をとれ!払える奴が聞きにくればいい。金を払うことで真剣みも増してくる。ろくでもない奴も来なくなる」と怒っていました。 表現がかなり過激(笑)ですがある意味的を射ていると思います。 * 私もある寺で5回ほど、境内でストーカー行為をされていました。 「若いのによく勉強してるね、えらいね」 彼らはだいたいそれを口実に近づいてきました。 今も、男性の参詣者にじっと見つめられると身構えてしまいます。 腹が立つやら怖いやら、気持ち悪いやら、ぶっ飛ばしてやりたいやらでお祈りどころじゃなくなる時もあります。 この前も定期的に参列している法要で、「元気な子は前に座んな!」といって常連のおっさんが私を隣に座らせました。 * そのような気持ちになった場合、心を静めるにはどうしたらよいのでしょうか。何とぞご教授のほどお願い申し上げます。
こんにちは。何度かこのサイトで、お坊さんにお世話になっております。 今回もまた、お世話になります。 現在、大学四回生で、就活を終え、主にアルバイトをして過ごしています。 私は、いろんなことを考えすぎて、何も行動できずにいます。(本やサイト、人の話など大量の情報を見聞きし、情報の洪水に溺れています) 具体的な行動というのは、自分自身のやるべきこと(掃除、勉強)から、自分の外見と中身を変えたいという思いから、するべき努力などなど・・挙げたらきりがないです。 考えすぎて、何を信じて行動を起こせばいいのか、自分を雁字搦めにしてししまっています。 多分、家が究極に貧乏だったり、何か自分に一つでも恵まれていないものがあればもう少し必死に生きていたかもしれません。 ですが、私にはそこそこ何でもそろっています。 自分を変えたいのは、人から見ればないものねだりです。 本当はここに書いてある文章以外にも自分だけの事情とか感情はたくさんあります。文章にあるのは、たった1%の自分の上澄みの部分だと思います。 なので、どうして変わりたいのか?、動けないってどういう感情?と分かりにくいのは承知の上でお聞きしたいです。 どうしたらシンプルに努力ができますか?頑張れますか? 自分が尊敬する人のような立派な人間になりますか? 自分にとって、本当に深刻な問題です。 今日は久しぶりの1日休みでしたが、結局ほとんどやることも出来ず、いたずらに時間を過ごしてしまいました。 どうか回答をお願いいたします。
以前勤めていた会社に好意を寄せていた方がおりました。その方には好きな人がいて、お付き合いすることはできませんでした。ただ一緒に花火を観にいったり、食事をしたりと仲良くはさせていただいていました。私には夢があり国家資格を取得するために会社を退職しました。彼女との関係は会うことは少なくなりましたが、連絡は取っておりました。ですが、会社を辞めて2ヶ月程経過したときに彼女の態度が変わり明らかに私に対して敵意をむき出しにしていました。理由を聞くと、噂であなたが退職した訳は夢のためじゃなく私にふられたからだということが社内で流れているとのことでした。そして、ふられたことを私が他言したのではないかというのが彼女の主張でした。彼女は激怒していました。もちろんそんなこと他言するはずがありません。ただ私にも少し口が軽いところがあったため、そう疑われてもしょうがなかった部分はあります。彼女には謝罪しましたが、許してもらえずそれっきり連絡を取りませんでした。 1年近く連絡を取らない期間が続き最近になり彼女が妊娠をし結婚することになったことを聞いてしまいました。彼女のことを忘れたことはありませんし、彼女と会って誠心誠意謝罪したいと思っていたので後悔と悲しい気持ちと罪悪感とそんな噂を流した人への恨みで食欲もなく夜も眠れなくなり、勉強にも悪影響が出てとても良くない状態です。お坊さんどうしたら良いでしょうか。乱文、長文分かりにくい文章かもしれません。誠に申し訳ございません。
はじめまして。 人との関わり、生きること自体が苦しくて…苦しくて、色々と考え、悩み…答えを求めて色んな本を読みました。それでもどうしても答えがわからず、こちらへたどり着きました。 話せばとても長くなってしまうので、要約します。 私の両親、特に母親はいわゆる毒親です。毒親だと気付いたのは5年くらい前で、それまでは、違和感を感じつつも、私は母の愛を求めていました。 私は母に手をつないでもらった記憶がありません。物心ついた時から孤独で…愛されていると実感したことはありません。 親を変えるのは無理…私の想いをわかってもらうのは無理だと諦めようと、やっと自分の人生を、自分自身を生きることに一歩踏み出そうとしてもがいているのですが… あるお坊さんが執筆した本を読んだところ「仏教は先祖への感謝が基本」というような内容がありました。 母は今、要介護状態ですが、私は母に触れることができません。触れることができないどころか、母から出てきた自分に嫌悪感を感じることもあります。 般若心経に興味を持ち意味を調べ、仏教をもっと勉強したいと思っていたのですが、「ご先祖様への感謝」が壁になっています。 あの母の考えや生き方は、そのまた母(祖母)に影響を受けているようで… 私はどうしても「ご先祖様に感謝」という気持ちが持てません。 本当に辛くて苦しい人生でした。今まで生きていてよかったと思えたことは一度もありません。 ただ、いま、親への執着を捨てて、少し楽になったところなんです。。これからは自分を生きてみたいと少しずつ行動しています。 仏教の教えを支えに生きていきたいと思ったら「ご先祖様への感謝」は必要なのでしょうか…
毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。
先日、hasunohaのお坊さんの法話をお聴きする機会に恵まれ、お寺の全国の集まりに参加することができました。 バスの中で、お咳の止まらなくなった方がいらしたので、会場に入る前のほんのわずかな陰で、兼ねてから勉強していた治療学(指圧)の実践をしました。咳の原因は、後ろ向きに体をよじって、緊張気味でうつむきがちなの多くの御年配の方々の顔を見ながら高い声を出し続けたために、酷使したお喉に邪気が…自然と絞り出すように咳が体のサインとしてあらわれたようにお見受けしました。 ですから、バスを降りた時、ゆっくりと後続の方々がお出でになるまでのほんの僅かなひとときに、咳に効くツボを快圧、と、さらにその場で、腹式呼吸をわかりやすくイメージできるように言葉にしてお伝えした結果、その後の本番では呼吸が乱れる様子なく、お咳も一切出ることなく、落ち着きを取り戻された模様でした。 このように「診断、即治療」をモットーとした、指と心が成す思いやりの予防医学、日本の伝統医療をお寺でも継いでいきたい、故に学校へ入りたいと、前から仏さまにお願いしてきたことが「あなたならできる、思ったことをすぐに行動に現してご覧なさい」と仏さまのお達しどおりに動いた結果、ひとつの望みが実現した一日でした。 余談ですが、午後の次第まで進み、お席を立たれた時に「お咳、治りましたね」と具合をお尋ねしたところ、「実は、〇〇性〇〇炎で…」その方の既往について、さらにお話を伺うことができました。「からだの炎症は、こころの炎症。心身一如」おそらくそちらも、治す方法がある、こうすれば良いのでは、と直感した訳ですがまだまだ修行中なので、学会の指導員の先生や、現役で治療に当たられている先生にお尋ねしながら自分の中の引き出しを更に広げたいと、意欲が湧き出ている母の日です。 徒然となりましたが、本来ならばその日は仕事を休めない日でしたのに、hasunohaのお坊さんがお導きくださったお陰で、上司も先輩も送り出してくださり、お寺の参道で手に入れたお土産も喜んでくれました。一日、朝早くから皆様方とご一緒できたことで、夕方仕事先へ戻ったあとは、身も心も軽く仕事が一段と見違えるように捗り、たくさんのヒントが心に浮かび、職場でさらに良い評価を紡ぐことにも繋がっています。 その節は本当にありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いします。