はじめまして。 タイトルの通り病気になるのがとても怖いです。今まではその様な事は考えた事がありませんでした。ですが子供が生まれてから、とてつもなく死ぬのが怖くなってしまいました。 少しでも体の不調があると何件も病院を回って調べてもらいます。その時は安心するのですが、数日たつとまた不安に駆られて病気の事ばかり考えてしまいます。 テレビを見ても、ガン保険のCM、ガンで亡くなった著名人の報道、病を題材にしたドラマ、街を歩けばガン検診や死亡率のポスター。 恥ずかしい話ですが、少しでも何処かが痛むとすぐに末期のガンでは無いかと不安になり眠れなくなります。子供を前にして、幼くして母親を亡くしてしまったら…と悲観し涙を流すことさえあります。 とても苦しいです。このような心の状態から抜け出したいです。
今日は、質問ではなくお礼です。 昨年9月に17才の娘を自死で亡くし、何度か相談させて頂きました。 当初は、どの回答も否定的にしか、受け取ることができずにいましたが 娘は娘の人生を生きたんだ。私は私の人生を生きればいいんだと そう思えるようになりました。 あの時に頂いた回答を読み返し 今は、心にすとんと入ってくるようになりました。 初盆の頃、とてもしんどくて、生きる理由が欲しいと思いました。 こんなにしんどいのに、なんで生きないといけないのか。 生きる意味があるのか。あるなら、その理由はなんなのか。 答えがあるはずもなく、いずれは私も逝くのだから この苦しみも必ず終わる。 それまでは、やれることをやりながら生きるしかない。 そう思えるようにもなりました。 一周忌、取り乱すのではないかと心配でしたが あの日に戻ることもなく、 一年踏ん張ってきた心で、手を合わすことができました。 実は、最後に見た娘の後ろ姿が思い出されて どんな顔をしてたんだろうと、気になっていました。 とても不思議なんですが、お盆に娘の夢を見たんです。 娘はあの日と同じ、高校の制服姿でした。 そして、気恥ずかしそうに笑ったんです。抱きしめることもできました。 ただの夢かもしれません。 だけど、「ああ、娘は今、楽になっているんだな。」そう思えて なんだか安心できたのです。 とても、可愛い笑顔だったんですよ。 これからも、気持ちが上がったり下がったりの繰り返しかもしれません。 生きていたら当たり前の事ですよね。 きっと、私は大丈夫です。 もう少し余裕ができたら、お寺巡りしたいなって思っています。 もしも、訪ねて行ったときは、どうぞよろしくお願いします。 ありがとうございました。
はじめて質問をします。失礼な所もあるかもしれませんがご了承下さい。 自分は女性で今21歳の大学4年生です。 はっきり言いますと、30歳で死にたいと考えています。 理由はどんどん歳をとっていく不安・老いに対する恐怖です。 20代は若く服もメイクも何かに挑戦するのも気にせず出来ますが、30代・40代につれてできる事が限られてくるし、最も自分が老いる想像がつかないです。 最近では若者はこれからもっと苦しくなる(仕事・年金等)ってのも一理あるかもしれません。 とにかくいろんな不安が混ざってます。 心が年齢に追いついていないのかもしれません。自分はまだまだ精神年齢が浅く子供のようです。 日に日に過ぎていく事に不安や恐怖が募り情緒不安定で食事もあまり摂らなくなりました。 これからくる誕生日も憂鬱です。 元々心配性で何か不安な事があると緊張したり眠れなかったりします。 以前にも、同じように考えた事がありますが時間が過ぎるとすぅーっと気にならなくなりました。 ですが、今回はそうはいかず、考えないように・他の事に集中しようともダメでした。 こんな考えをする事自体可笑しいと思います。でも考えてしまいます。 自殺をするなら首吊りか薬の過剰摂取(OD)にしようかと考えてますが。 希望は安楽死がいいと思ってます。 海外など安楽死制度がある国や州は凄く羨ましいです。日本にも安楽死制度があったら...って何回も思いました。 質問よりは悩み相談みたいになってしまいました。 生きる事とは何でしょうか?老いで得られる事は何でしょうか? 長々と書きましたが、お手すきの際にご教授下さい。
いつもありがとうございます。私は、直ぐ疑心暗鬼になり、原因もないのに彼が浮気してるんじゃないかとか、いつか私また一人になるんじゃないかとか、今の安定しつつ生活に対しても喜びの感情が未だなく、いつか壊れて消えてしまうのかなとか、ネガティブ思考ばかりになってしまいます。鬱と体の病気のせいもありますが、直ぐ疑心暗鬼になるのを少しでも直したいです。それから、自分に自信がないから、人と自分を比べて劣等感に落ちてしまいます。比べる必要がないのは解っているのですが。。。今、私は蕁麻疹と欝とメニエールと、まだ血液検査が出てませんが、もしかしたら何かしら病気が見つかるかもですが、正直メンタルが前より弱って、益々ネガティブになっているので、少しでもポジティブになれる方法を教えて下さい。長々と、すみません。どうか、宜しくお願い致します。
看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。
私はまだ20歳の女子なのですがこの歳でもう死後の事を考えています 気にしたらキリがないのに 死後の世界が怖くて死にたくもありません。 その上虫や飲酒をするだけで 地獄行きという事も知り余計に怖くて仕方ないです。 どうすればこのような考えにならないかアドバイスが切実に欲しいです 両親にそのことを話したら考えすぎと言われました。 確かに神経質過ぎたなとは思っています ですが怖くて仕方ないのです どうにか考えなくなるようにしたいです お願いします
小さな頃から心配性というかネガティブな性格で、物事を悪い方に考えてしまう癖がありました。 最近の世界情勢(戦争等)やコロナ禍で、つらさや不安を感じることが増え、塞ぎ込んだりふと泣いてしまったりする日々です。 1歳の息子の将来や、妊娠中のお腹の子どもの未来を勝手に悪い方に想像し、眠れなくなることもしばしば… そんな気持ちの中、1ヶ月前までは元気だった祖父が先日急死しました。 身近な人の死は初めてで、毎日祖父との思い出を思い出し、伝え残したことを考えては涙が止まりません。 葬儀の時に見た祖父の姿がフラッシュバックします。 身近な人を亡くすことがこんなにつらいと思わず…もうこんな経験はしたくないと思ってしまいます。ならばもういっそ自分がいなくなりたいとすら思ってしまいます。 いなくなれば、不安な未来も、大切な人の死も経験しなくて済むのではと… 支離滅裂な文章で申し訳ないのですが、 これからどのような気持ちで生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。 何かにすがりたくてここに辿りつきました。どうかアドバイスをいただければ幸いです。 よろしくお願い致します。
最近の殺人事件などの辛いニュースを見ては、心が乱れています。 いつか自分もニュースのような目にあうのではという気持ちがあり、不安でたまらなくなります。 特に最近は、変なところで恨みを買ったり、意識されて事件に巻き込まれるといったケースが後を絶たないように思います。その為、極力人間関係を広げないように近所の方ともコミュニケーションをとらないようにしたり、夢であった花屋を開くことも断念しようか(不特定の人が来店するから)など考えてしまうほど。 死というものがとても怖く、急にこの世を去ってしまった人たちの無念を考えると寝られないほど辛いのです。 何をするにも不安が先にきて、楽しむことが出来ません。こんな時代にどのような心持で生きていけばよいのでしょうか…。
現在32歳、独身、女です。 ここ最近ほぼ毎日のように「死ぬ時が怖い」と考えてしまいます。 人間関係や仕事については多少の不満はあれど人生の中でも1番充実していて、特別不安が強くなるような原因や心当たりはないのですが、半年ほど前から毎日死について考えてしまいます。 「死ぬ時はどんな恐怖を感じるのか」 「死ぬ時は何が起きて終わるのか」 「死で意識が無くなる事が怖い」 「一分一秒無駄にせずに生きなければ醜く後悔するのでは無いか」 と言ったふうに様々な不安があります。 仕事中でもふと考えて、動悸がしてくるときもあります。 なんとかしてこの不安感から離れる、あるいは先行きについて前向きに捉えられるようになりたいと思っているのですが、どのように考えたら良いのでしょうか…? 良いアドバイスや、お話などありましたらお願いいたします。
私は死に対して恐怖を感じてます。 自分が死んだ後どうなるのか魂はとか 色々考えてしまいます。 死後の世界はあるなんて、みなさん言いますが、私にはそれが分かりません。 死に対しての恐怖を取り除く事は 出来るのでしょうか? よろしくお願いします。
最近、自身の死について考え込んでしまうようになり、心が落ち着かない日々が続いています。コロナ等の影響もあって「死」という物をよく見るようになり、突然、究極を気にするようになって日常生活に支障が出るほど恐怖を感じています。 また、そんな漠然とした事をなかなか相談出来る所もなく、それが更に悪影響になっています。 何か考え込んでしまう自分と上手に付き合う事は出来ないでしょうか? 稚拙な文ですみません。
私は、うつ病です。希死念慮と毎日闘っています。 退職し、仕事から離れお休みしていたのですが、経済的な事などを考え、内定を頂いたのでまた働きはじめます。 希死念慮が強く、死にたいのに、また生きるために働く、という事が矛盾していて、よくわからないです。 リセットしようと少し遠くの土地で働く事にしたのですが、精神的に不安定なのに大丈夫か不安もあります。 自分の事がよくわかりません。 何のために生きて何のために働くのでしょうか。
初めて投稿させて頂きます タイトル通り、たまに無性に死ぬのが怖くなる時があります 以前、働いていた職場によくご住職がいらして居たので、人間は死んだ後どうなるのですか? と聞いたことがあります そのご住職は、「生きている間の行いによって、何に生まれ変わるかが決まる。良い行いをすればまた人間になるかもしれない。悪い行いをすれば一週間しか生きられない蝉になるかもしれない。」と、仰っていました。 でも、やはり無性に死が怖くなる時があります。 自分が死ぬときはどんな風に死ぬのだろう 苦しみながら死ぬのだろうか 死んだ後、体は火葬して骨だけになりますね でも、今のこの気持ちや感情はどうなるのだろう そんな、誰にも分からない事が怖くてたまらない時があります 自分が死ぬ時の事を考えると怖くて眠れなくなったりもします それは今が幸せだからなんだなって、常に思っています 二児の母でありながらこんな質問をしてお恥ずかしいのですが、まだ分からない死への恐怖の取り除き方や死んだ後の自分の気持ちはどうなるのか 明確ではなくていいので、知りたいです
今年で80歳になる母のことなのですが。 鬱で ずっと精神科の病院に 入院していたのですが 認知症になってしまい介護施設に入りました。 施設に入るにあたって いろいろ説明をしてくださってた時に もし万が一の時の延命治療は どうするかを聞かれました。 人間誰しも死は訪れるものですが 母の死について考えたくなかったので すっと考えないようにしていたのですが 考えないといけない時が来てしまったのだなと 思いました。 とはいえ余命宣告をされたわけでもないし 今は命が危ない状況ではないので どういう心持ちでいたらいいのか 自分でもわからずにいます。 母には元気でいてもらいたいし でも いつかは死を覚悟しなきゃいけない時が 来るのかと思うと母を失うのが怖いです。 どんな心持ちでいたらいいのでしょうか。
お世話になります タイトルのことについてお話しさせていただきます 私は2年前に母を自死で亡くしました 母が亡くなったその時は私自身、新しい仕事場での不安(主に対人関係)が膨れ上がり、軽い鬱のような症状が出てしまったため仕事を辞め転職し、工場での仕事に就く5日前の出来事でした 元々軽い鬱のような症状があったところに母の自死が重なり中等度の鬱病を発症、働けなくなり退職しました 当時は婚約者と同棲をしていたのですが、私が働けていなかったことで母の死の1年後に別れを切り出され、今は実家に戻り父の金銭的援助のもと暮らしています 元カノはしばらくは支えると言ってくれて今年の7月までは連絡をとってくれましたが、好きな人が出来たということで連絡ができなくなり、そこから不安が増していきました 今年の9月にスーパーの仕事に就いたのですが接客(特にレジ)の時に不安や恐怖を感じ、メンタルクリニックに行ったところ不安神経症と対人恐怖症と診断されました そこからはどんどんメンタルが落ちていき、以前、普通にできていたことができなくなっていく、もしくはできるけど不安になるといったことが増えました ですが、自分なりに考え方や日々の過ごし方を工夫して少しずつメンタルを回復させていき、カウンセリングの先生からも「もう大丈夫」という言葉をいただき、まずは負担の少ない派遣の仕事から始めようと思い、派遣で生産管理の仕事を来週からスタートすることになりました しかし、自分の中では相変わらず不安が頭の中をぐるぐるもまわり疲れてしまいます これから始まる仕事のこと(主にコミュニケーションの面)や恋人が見つかるかどうか、最近ではまた鬱病になったらどうしようとかも考えてしまいます 以前なら彼女に話して考え方の軌道修正をできていたのですが、今はいないのではじめのうちは友人や家族に相談していました ですが、私の不安や悩みを友人や家族に話してもまわりの人は私を助けられないというか、どう声をかけていいか分からないのだと思います みんな忙しいこともあり、最近では少し距離を感じています こうした経緯から、自分の中で不安や悩みをうまくコントロールしていくことが大事という結論に至りました しかし、自己肯定感が低かったり今まで良い選択をしてこれなかった自信の無さからうまくコントロールできないでいます 何か良い方法はないでしょうか?
尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。
小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら 私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。
以下のような性格が悩みです。 このままでは不安の最中孤独死すると思いつつ何をしていけば良い方向に変わっていくのか分かりません。ご意見いただければ幸いです。 コミュニケーションのパターンがマウントをとるか卑屈になって依存しようとするか何もしないかのだいたい3パターン 相手の吉報や嬉しかった、楽しかった話、褒められている場面を見る、聞くとほぼ確実に不公平感(嫉妬?)を感じて不快になる。逆に他者の悲報を聞くと肩や腰のこりが取れるようなリラックスする感覚を覚える 一方で自分の力では何も変えられないと思っている部分があり、困った時は努力で何かを変えようとせず、なるべく欲しい物(承認欲求、安心感など)を得られる外部を常に探していて所属しようとするが長続きしない
相談を見て下さり、ありがとうございます。久しぶりに質問失礼します。 私は両親が離婚していて今は義父と実母、弟と犬2匹と暮らしています。 また実の両親は7年前に離婚・別居しており、1年前に今の義父と再婚しております。 私と弟は成り行きで母に着いてきてくれたのですが義父と再婚するまでは小さなアパートで貧しいながらも女手一つで育ててもらいました。義父と再婚してからは義父が新しく建てた家で暮らさせてもらっています。義父と母には感謝しかありません。 また実父も離婚した原因(不倫と聞いています)の張本人ではあるものの、親子の縁は切る事が出来ずたまにパソコンの操作などを教えて貰いに行っております。また、実父の父親(私の祖父)には特に可愛がってもらっていたのでそういう面でも親しくしています。それに加えて父方の実家がかなり続いているらしく(自慢になりますが私で12代目らしいです)墓を守らなければならないのですが、それを私が途絶えさせるのも罪悪感でいっぱいです。 まぁこんな感じで幸せに暮らせればよかったんですが、私も大学生になり将来のことを考えなければならなくなってきたのですが実父、実母、義父の3人の介護や仕送りのような補助などのことを考えるととても不安になります。 それに、わたしにもし子供が出来た時、実父側と実母・義父側のどちらにつくかを選ばなくてはならないかと思います。実母・義父を選べば実父側の今までを潰すことになりますし、実父を選べば実母や義父を裏切ることになってしまいます。今も生きている父方の祖母、母方の祖父母に相談してもお互い、自分の方を選んで欲しいということになってしまいます。 私は弱気ですしこんな事で悩んでしまうのですが、弟にはこんなに心苦しい重荷を課せたくありません。 長文になってしまい、申し訳ないのですが、お坊さん方からの「第三者」として、そして「仏教視点」でのアドバイスや心構えを教えて頂きたいです。
3度目の質問です。 前回の質問を見て頂けると幸いです。 自分のしたことが受け入れられず。なぜあの時あのような決断をしてしまったのかずっと考えてしまいます。あの時は経済的にも他の事でも不安な事ばかり考えてムリだムリだとばかり考えてました。家族の為にお腹の子を犠牲にするつもりは全くなくて産めばなんとかなるさで産んでどうにもならなかったら?露頭に迷わせてしまったら?苦労させてしまうと思ってました。産み育てる勇気がなくて自分に言い聞かせていたのかもしれません。ホントは産みたいキモチもあったのに蓋をしていました。なぜ大切な命だって妊娠した時点で責任は生じているってあの時分からなかったのだろうと思います。ホルモンバランスが崩れていてつわりもあり1人で1週間で決断しろと言われた中ではそのような決断しかできませんでした。すべて言い訳です。自分が弱かったからです。誰でも中絶は駄目なことってわかるのに追い詰められたらどんなひどい事もできてしまうのかって自分はサイコパスなのかひどい人間なのかって思います。バチがあたるとか人一倍思う方なのに性格的にも絶対に耐えられないってなぜあの時わからなかったのでしょうか?結局失わなければ気付けなかったいい年して愚かで浅はかな人間だったんですよね。 今は失って傷ついてその後ずっと考えてきたからもっとああしていればこうしていればもっとポジティブに全力で頑張ればなんとかなったんじゃって分かるけどあの時は追い詰められていてそうするしかないってそうとしか考えられなかったんだと思います。 でも今のわたしはずっと自分を許せなくてずっと自分を責めてしまいます。 この事で私が心を病んで働けなくなったら家族が不幸になったらこの事はなんだったろうと思って今カウンセリングを受けたり安定剤を飲んだりして必死に生きています。 子供達に罪はないけど、私はこんな罪深い事をしておいて自分は生きる為に必死に薬飲んだりしているって何なんだろうって思ったりします。 自分で自分が分かりません。