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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2747件

僧職を続けるかどうかについて

お世話になっております。 私は30代の会社員男性なのですが、 僧職を続けるべきかどうか悩んでおります。 元々仏道に御縁を頂いたのも 義父が地方の小さな寺院の住職を務めており 「棚経とか、休みをつかってやれば謝礼を出すから、得度しませんか?」と 副業感覚でお誘い頂いたので、深く考えず了承したという お恥ずかしい限りのものでございます。 (特に髪の毛に拘りも無かったもので(笑)) その後、棚経だけのつもりが… ・正月の会で、お経と儀式をやらされる(会前日の晩にやる事を聞く) ・本寺の副住職の「住職襲名の式」での役を勝手に受けてくる。  (その役が大変重要な役で、袈裟を3回しか着た事がない上、  お経を知らない者が出来るようなものでないものだった) ・「住職襲名の式」での内容に関しても、式の内容と問答が  書かれた本のコピーを頂くのみだった。  (その後、副住職のお寺での打ち合わせで、作法や動きの面で  知らないことが多い事が発覚、急遽義父に改めてお寺での  練習を依頼する) ・「襲名の式」当日にも知らなかった「やるべき事」がある事が  発覚。youtube等で検索して何とか乗り切る。 ・また私への確認無しに仕事を受けてくる。  (これに関しては「会社の仕事の都合があるから容易に受諾  出来ない」として保留にしています) というような事があり、会社の仕事もある中で 時間・体力の面と、何より義父の『報連相』の無さに 「これは続けるのは無理だ!」と考えているのが現状でございます。 その内、義父が勝手に「住職の修業の予約を入れてきた」などと言ってきそうで恐ろしいです… また、家内も家を空ける事に不満があるようで (お寺が地方の為、大体の場合は日帰りは不可能) 「やらないで欲しい」と言っております。 反面、文化的・歴史的な事が好きで、僧の儀式等に嫌な思いはありません。 「襲名の式」でお世話になった新命和尚様や 同年代の先輩の僧の方々には、大変感謝しており 他所者兼「にわか坊主」の私を仲間として受け入れてくれ、 大きな気持ちで導いて下さった事への恩も感じております。 (本来であれば師匠である義父が行う役割ですが(苦笑)) 「御恩や興味」と「現実」の間でどうするべきか悩んでおります。 また、厳しいご意見でも有難いので、ご助言頂ければ幸いでございます。

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子供をこの世にうむことの是非

はじめまして 最近、正信掲、歎異抄、大無量寿経、スッタニパータを読んでいます。 読んでいて、不勉強ゆえ以下の疑問が湧いています。 子供を作ることは、愛すべき我が子を、厭うべきこの世に呼び出す行為とも思われ、子を思えばこそ作るべきではないように思えます。以下、詳述しますのでどうかご指導ください。 ブッダは、欲望の支配からの自由、ひいては輪廻転生からの解脱を説かれます。 その前提として、人(を含む生き物は)煩悩具足の凡夫であって、他の生物を殺生し食べねば生きられず、醜い体をもつ哀れな存在だと捉えられていて、「再び母胎に入ることのないように」と仰います。 つまり、私達が子供を作ると、上記の哀れな存在を生むことにはならないでしょうか。子供を作らねば、輪廻転生の苦もなくなるのではないか、と思えているのです。 しかも、子を遺して自分が世を去る時後ろ髪を引かれ、絶つべきこの世への執着が、子供の存在によって強まるようにも思えます。 確かに、「人身受け難し 今既に受く」「大海に浮かぶ板の節穴から盲た亀が顔を出すより難しい」とも言われます。しかし、これは、どうせ生まれるなら、他ではなく、仏法を聞ける人身に生まれることの有難さを説かれたものであって、生まれること自体の素晴らしいとのお考えでないようにも思えます。 また、生まれることの幸不幸は本人の捉え方次第とも思われます。しかし、もし子が生まれ、「生まれたくなかった。なぜ厭うべき仮の世に産んだのか」と言われたら、答えに窮してしまいそうです。 この問に答え得るブッダのお考えをご指導ください。できれば、それが書かれている文献の名前と場所(第何章のどの辺りか)もお教えくだされば幸甚です。 どうか、宜しくお願い申し上げます。 (以下、ご参考です) 一五二 さまざまな欲望の対象への、深層の欲望から超脱するようにせよ。そうすれば、もはやふたたび母胎へ入って輪廻転生することはなくなるであろう。(スッタニパータ 荒牧典俊著) 二三五「過去の業は絶えた。未来の業もあり得ない」と、賢者は、来世に執着せず、種子を絶やし、自己存在の芽を未来にまで伸ばしたいとの願いを捨て、油の切れた灯のようにふっと消えてしまう。 三三九 二度と輪廻の世に舞いもどってはならぬ。 三四〇 たえず身体に注意を向けて、その醜さを思い知れ。厭い離れる心に満ちてあれ。

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2024/06/24

うそを吐いてしまうことをやめたいです。

私はうそを吐いてしまう癖があります。 孤独感を感じることが怖かったり、相手に心配されたいという気持ちでうそをついてしまいます。 ありのままの自分のお話や気持ちを話しても誰も相手にしてくれないと感じてしまいます。 うそを吐いたあとに後悔や罪悪感を強く感じます。 うそを吐いてしまった後悔と、相手の気持ちを考えたときの罪悪感、自分の気持ちを傷付けてしまった後悔を感じます。 気持ちが黒く染まってしまったように感じます。 神様、菩薩様、仏様、閻魔様、あの世の方々に見られていると思うと、不安を感じたり、とても怖くなります。 般若心経や観音経、十三念仏を一生懸命唱えたり、神様に『慈悲の心』を大切にします。という気持ちを伝えているのですが、その気持ちにうそをついてしまっていることが苦しいです。 うそを吐いて、自分の気持ちに傷をつけたり、相手のことを騙してしまったり、毎日後悔を感じた日々を送るそのようなことをやめたいです。 どのようなことをしたら、うそをやめることができるのでしょうか? 一人ではなかなか難しいので、ハスノハの 皆さまのお力をお借りしたいです。 もっと、相手や自分のことを大切にできるようにアドバイスをいただきたいです。 お忙しいなか、文章を読んでくださり ありがとうございます。

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「心を込めた行動」とは?

最近、知人と議論しているのですが、結論が出ませんのでご意見お願いします。 毎朝のお勤めとして、「仏壇にご飯・お茶・お経をあげています。 それは母の代わりであり、ご先祖様への感謝とかの心を込めての行動ではなく、義務的なことです。 知人いわく、 「心が入っていない義務的な行動ならば、悪縁を結ぶことになり、やらない方が良い」と言います。 何かの法話で、 「多くの寄付もしているし、これだけ信心深い私には、どれだけのご利益があるのか?」と質問した人に対して、お坊さんは「無い」と応えた。 と聞いたことがあります。 私としては、その法話も納得だし、義務的なお勤めに何かのご利益とか功徳とかを期待もしていないし、望んでもいません。 ただ単に、「母がやりたいけど出来ずにいるストレス」を軽減するためだけです。「今日もちゃんと仏壇にお供えしたよ」って言うためだけの行動です。 しかし、利益・功徳などのプラス効果は期待していませんが、「悪縁を結ぶ」「罰が当たる」などのマイナス効果になるとまで言われると、気になります。 理想的なのは、「心を込めた行動」でしょうが、「行動しない」よりは、「心が入っていない行動」が良いと思うのは、間違いなのでしょうか?

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法華経譬喩品第三の善人と悪人

浄土宗の勤行をしています。 法華経は すべての人が成仏するとあるのに なぜ 説く相手を 悪人には説いてはいけない 善人に説きなさい としているのか と思いました。 法華経は 一切成仏を説く経だから 誰でも差別なく悪人も善人も救われると 説かれているのかと思っていたのに と 愕然としたことがあります。 そのうえ 法華経を謗ったり 捨てたりすると 口や体が 臭くなったり 病気になったり 障害をもつことになったり と 書かれているし そういう人を救わなくては 仏国土にならないと 阿弥陀様の救いに 法然さんは 道を見いだしたのか と 思いました。 日蓮聖人が 法華経にそって 法然さんを 悪僧としたのは 残念です。 他のお坊さんたちも 目の前の人を救いながら 日本を仏国土にしようと 布教されていたのに 題目も 念仏も 一緒だ という人は 嘘だと 思います。 悪い人でなく 善い人の項目の人になるようにするたって 難しいし そうでない人のほうが 多いし 難しいから 念仏して救われる道を歩めるようにしなさい ということかな と 思いました。 また そうならないように そこからでれるように 題目を唱え 救われる道をいきなさい とも いえるのか とも 思いました。 また 行ったり来たり です。 とにかく がんばります

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破戒に対しての懺悔、滅罪

破戒に対しての懺悔、滅罪を悩み 答えを探すために ハスノハにも 何度か 質問し いろんな僧侶の方に アドバイスをいただきました。本当にありがとうございました。 法華経の行者である日蓮聖人の曼荼羅を破って捨てたり 般若心経を写経したもの、御朱印帳を捨てたり 仏教の五戒を破ってたりしていて 十悪五逆の罪ではないか と 罪障消滅を悩んでいました。 法華経には  罰ばかりではなく ちゃんと 懺悔滅罪の方法が書かれているということが やっと わかりました。 高橋勇夫先生(日蓮本宗 正福寺)の 法華経のあらまし という本に 書かれていました。 結経 観普賢菩薩経です。出家、在家の破戒に対しての懺悔滅罪の方法が きちんと 説かれていました。よかったです。 日蓮聖人を信仰している方に聞いても 罪と罰しか 教えてくれないし お坊さんに聞いても 仏様は 罰は与えませんよ。あなたの心がつくりだしたものです。と言われるし どうしたらいいのか を 探していました。 懺悔の法も 法華経にあって 法然さんの勤行は 懺悔滅罪の法に そっているように 思いました。 法然さんが 法華経を読んで 悪人が生まれるがゆえに 懺悔滅罪の法を 用意してくれてたんじゃないか? と 思いました。 懺悔をして 罪を悔い改め 大乗仏典を読み 真実義を深く思いなさい とありました。 大乗仏典なら どれでも いいのでしょうか? 法華経では 法華経と限定でなく 大乗仏典とあったので 他の大乗仏典でもいいのかな と 思いました。 譬喩品第三には 他の経を求むる者には 法華経を説くなって 書いてあったけど 大乗仏典って 法華経だけでないですよね。 教えて下さい。お願いいたします。

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できる範囲での仏教でいいのか

短期間に多くの質問をして申し訳ありません。 hasunohaに出会って、自分の心と 向き合うための知恵や方法を少しずつですが知ることができました。 特に死生観や生きる意味については お経にしめされている教えや、hasunohaでの問答で 少しずつ道が見えてきたような気がして、 仏教の教えや考え方を取り入れて生活したいと 考えるようになりました。 そこで自分は、書籍などで仏教の作法やお経を調べて 実践しやすいものを生活に取り入れてみたのですが 家が檀家ではないし、近所にお寺が少ないので 自分がしていることが仏教的によいのかがわからなくて、 自分が読んだ本についても、今までの学の範囲内で 意味を考えているかもしれないので もしかしたら解釈が違ってしまっているかも、と不安です。 生兵法は大怪我のもと、のように 檀家でない人、制式に入信していない中途半端な人 が仏教の教えや作法などを生活の中に取り入れても 効果はないのでしょうか? 信仰はどこから有効なものなのでしょうか? また、今後自分がどうしていくべきか (どのように仏教と付き合い 生活の中に生かしていくべきか) を教えてください。 この質問が、今の仏教に対する冒涜のようになってしまっていたら 申し訳ありません。 乱文失礼しました。 追伸 今自分がしていること 寝る前に念仏を唱えて、阿弥陀さまにその日のことや 次の日のことについてご報告させていただくこと。 同じように空いた時間に念仏を唱えること。 お経や教えを心に留めて日常生活をすること。

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葬儀で宗派を選ばせて頂いたのですが

お坊様方には大変失礼な相談になってしまうと思います、 申し訳ございません。 2月に母が亡くなりました。 葬儀の打ち合わせで宗派を聞かれたのですが、わからず。 遠方に唯一の父方の叔父がいるのですが、闘病中で確認取れず。 以前両親が元気だった頃に聞いたことがあったのですが、 2人とも「わからない」との事で、そのままにしてしまいました。 メモリアルパークに両親がお墓を用意していたので 電話して聞いたのですが、 「宗派の欄には何も書かれていなかった」との回答で。 斎場の方は「ご家族で相談して宗派を選んでくださって良いですよ」 との事だったので、 兄が以前読んだ浄土宗関連の本がとても良かったと話していたので、 浄土宗でお経をあげて頂きました。 葬儀が終わり、ふと実家の父方の祖父のお仏壇を見たら 真言宗でした。 (無知でお恥ずかしい限りですが、お仏壇を用意する段階になって 宗派によって御本尊様も違う事を知りました・・・) 祖父は父が子供の頃に離婚していて、離婚後は祖母の名字になり 母と私達兄弟は、お棺の中の祖父が初めての対面でした。 亡くなった祖母も、父も叔父も祖父を嫌っており、 特に祖母と叔父は 「葬式はするけど仏壇や位牌を持ちたくない」と言っていたので 私の母が祖父を連れて帰りました。 その後は父も兄も私も、母にまかせっぱなしでした。 祖父のお墓があるのかどうかもわかりませんし、 祖母のお墓も遠方なので何処にあるかわかりません。 このような状況で、宗派がわからないのに 浄土宗でお経をあげて頂いた事は失礼だったのでしょうか。 母は穏やかに過ごせているのでしょうか。 家族は浄土宗でお経をあげて頂いた事を感謝しており、 朝晩、南無阿弥陀仏を唱えていますが 阿弥陀様やお経をあげて下さったお坊様にも失礼なのかと、 母は大丈夫かと、今さらながら不安になっています。 祖父と祖父の先祖代々のお位牌が実家にあるので、 数日おきに行って手を合わせていますが このまま祖父のお位牌を誰もいない実家というのも気になります。 宗派が違うお位牌を同じ部屋というのは良くないでしょうか?

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繰り上げ初七日について

こんにちは。初めまして。 先日、最愛の祖父が亡くなりました。 突然の別れで心の整理がついておりません。 今まで、人の死にあまり直面したことがなく 恥ずかしながら、お葬式や四十九日法要等にどんな意味があるのかもぼんやりとしか知らず 祖父が亡くなってから自分で調べて詳しく知りました。 そこで気になったことがあります。 祖父はお葬式当日に繰り上げ初七日というものを上げて頂きました。 本来であれば、亡くなった日を含めた七日目に行うものだそうですが 今は生きている人の都合に合わせ、繰り上げるのも一般的と目にしました。 ですが、四十九日の意味合いを調べた中で 七日ごとの節目に中陰で故人の裁判を行い 最終的な四十九日の日に故人がどの道へ進むかが決まり、かつ天に召されると書いてあり (四十九日法要で残された側がお経を読むことで、万が一、故人に罪があっても軽くなるので四十九日法要は大切ともありました) その場合、繰り上げ初七日をしたので 数えの四十九日ではなく、7日早く裁判があったり 天に召されるのが早くなったりということになるのでしょうか? もしそうであれば 今まで、自分自身が仏教の教えを忠実としてなかったのにおかしいかもしれませんが 大好きな祖父が少しでも天国で穏やかに暮らせるように 定められた日付を守り、お経を上げ、見送って上げたいのです。 言葉が拙くて申し訳ないのですが ご教示頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 35
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