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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 心配」
検索結果: 1100件

母親を許せない

私は幼少期にアスペルガーの診断を受けました。兄二人に障害の診断はありません。父はおりますが、家庭の事には殆ど関与しませんでした。 幼稚園時代は療育に通ったりと母にはお世話になりました。 私の年代で幼少期に発達障害の診断が付く人はそう多くはありません。 母は「障害」のバイアスで私を見ているので、友達ができなかったり、同級生より出来なかったことはすべて障害のせいにされました。 知的障害は無いので、高校からは普通の私立に通いました。無事に卒業が決まるまでは「中退するのでは」といつも心配していたと後年になって聞きました。 何かにつけて心配だからと言い、干渉してくる母。 私が25歳の時に一人暮らしを始め、その2年後に縁あって結婚しました。主人(定型発達者)は私を診断名で判断せず、一人の人間として接してくれます。一昨年には子供が誕生し、今は三人で暮らしています。にも関わらず、母から言われた言葉が今もフラッシュバックします。 主人には「出来てることもたくさんあるのだから、そこは自分で認めないと」と言われます。私は診断名故になかなか親から認められず、たとえ出来たことがあったとしても「それはできて当たり前。普通の子はとっくにできてる」と言われ続けてきたため、自分を認めることができません。 「障害が無かったらきっと親から認められたのに」と毎日考えています。 過去に「勝手に三人目産んだのはそっち」と母に暴言を吐いたこともあります。 現在の私は診断名こそあるものの、それを明かさずにパートの仕事を四年続けています。家事も一通りこなせます。場の空気も読めます。 幼少期より母から怒鳴られたり否定され続けた出来事が忘れられず、母の死を願うことさえあります。 その一方で一緒に出掛けた思い出もあるので、母を許せない自分がとてもつらいです。

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#死ぬ事が怖い

小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら  私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。

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「死んだらいけない」でも私にその価値があるか

以前もここで質問させていただきました。 公務員試験の勉強、もう疲れました。 就職浪人してこんな弱音吐いてちゃいけないと思うのですが、やはり私は「社会に必要ない」人間だと思ってしまいます。 公務員試験合格のための予備校に通い始めてまだ3ヶ月で、まだまだと思う反面先が見えず辛いです。 また就職できなかったら死のうと思います。 いつも死のことが頭にあって苦しいです。 精神障がいの手帳もあります。 アルバイトで事務の作業をしている合間ですら、「自分はこんな簡単な、社会にとって必要なこともできないのか」と落ち込んでしまいます。(大きなミスをしているわけではないです) それというのも自分でいうのもなんですが、一般的に旧帝国大学(文系ですが)を良い成績で卒業し、それでも就職できなかったこと、周りが「いいところ」に行ったのに、わたしだけまだ何にもなれずに公務員試験の簡単な問題すら解けずにもがいている自分がとても醜いのです。 本当は就職できなかったら自殺する予定でした。 そのために大学、サークル頑張ってきたので。 就活の時は家庭環境がかなり悪化し、私の精神状態も強制入院ギリギリだったらしいのでまだ生きてるだけ奇跡かもしれません。 精神障がいの手帳には「希死念慮」と書かれていました。 早く誰かに「死んで」と言われて、死ぬか、誰かに「頑張ったんだから何もしなくていいよ」と言われて何もせず生きていきたい気持ちもあります。 でも、それでは今まで周りに迷惑をかけたり、お母さんやおばあちゃんに心配をかけた分を取り返せません。 罪の意識でいっぱいです。私は決していい人ではないです。本当に悪い人です。 自傷行為が治ったはずだったのに先週瓶で手の甲を何度も殴り、気がついたら酷い痣ができていました。 前は腕を切っていたのでまだマシですが、またアレに戻るのかと思うと自分が怖いです。 一日一日が過ぎるのがとても怖いです。楽しみなど今の私には何もなく、受けてもいけないと思います。 これから数週間、苦手教科の模試のようなものがあります。怖いです。点数で生きるか死ぬか決まってしまうので、 もちろん極端な考えをしているし、また死なないとは思います。 でも、とても怖いです。私は全く無能でただ周りに害を与える存在になってしまったと思います。 こんなことやってないで勉強に戻れと言われそうなので勉強に戻ります。

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2024/03/05

生きるということがわからなくなりました

5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。 それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。 明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。 将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。 自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。 やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。 上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。 父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。 人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。

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19歳の息子が自死しました。

今年の1月8日息子が亡くなり、まだ中陰の期間です。 1月5日の日に、お父さんと2人で旅行楽しんでおいでと送り出してくれて、その時に僕も考えたいことがあるから、ゆっくり考えると言っていました。 旅行最終日の早朝に息子が自分の部屋で亡くなっていると母から連絡を受け、現地からどのように帰ってきたもかも記憶にありません。 警察署の安置場に迎えに行った時には、息子の名前を呼び家に帰るよ!って思わず言ってしまいました。 いろいろ、息子の事を考え、ネットで調べると自死は、亡くなったその場から離れられず、永遠に同じ行動を繰り返していると知りました。 息子の為にも、みんなで仲良く生活をしようと思っても。息子の部屋では、目に見えない、感じられないけど、息子が苦しみ続けているのかと思うと、胸が詰まり、なかなか前向きになれません。 遺書には、学業や私と実母の確執の間に挟まれ思い悩むことがあり、これ以上生きていくのは難しいと考え、自分の意思で死にますと書いてありました。先の約束もいっぱいしていたのに、何で?という気持ちでいっぱいです。 毎日毎日、霊前でお経を読み、御逮夜には、それぞれの本地のご本尊がある御寺をお参りして何とか暖かい世界に向かってくれるように拝んでいます。 人として生まれ、やってはいけない事をしてしまった息子が苦しんでいないか?もし苦しんでいるなら、私には今何をしてやれるのかを教えて頂きたくて投稿いたします。

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障害を受け入れられない主人

はじめまして。 約3年前に結婚をし、結婚してすぐに主人が免疫系の難病と診断されました。免疫が暴走すると自分の筋肉を攻撃し、破壊してしまうという厄介な病気です(筋肉痛が続くようなかんじ)。幸いなことに、肺炎などの合併症などにならなければ死に至る病気ではないのですが、よくなったり悪くなったりを繰り返す病気のようです。 昨年は筋肉が弱ったことにより転倒してしまい、腰椎にヒビが入り、そのまま約半年間入院となりました。 リハビリのため、約1年休職をしていたのですが、この春から職場復帰を目指しています。車椅子からようやく立てるようになりましたが、今は筋肉のバランスが悪いためまだまだヨチヨチ歩きといった状況で、歩きにくい場所や初めていく場所には必ず杖を使って歩くようにしています。 ここからが相談なのですが、主人が「周りに変に同情されたくない」と、杖を持っていくことを拒否しているのです。主人の職場は私立高校なのですが、段差などもあり、完全なバリアフリーではないため、私は心配で仕方ありません。 主人は元体育教師ですので、過去のバリバリ動けていた自分と、今の障害を持った自分とを受け入れられないのかもしれません。 特に、教え子の前で杖をつくことを強く拒んでいる様子で、杖をつくくらいならもう一年休職したい、と言っています。 もちろん、もう少し休めば完全に良くなるのであればそうしたらいいと思いますが、難病のため絶対に良くなる保証もありません。 わたしとしては、今後長く付き合っていかないといけない病気ですので、はやくプライドを捨てて、杖を使い安全な状態で復職して欲しいのですが、 頭ではわかっていても、心で受け入れる、ということができていない主人の姿をみるとなんと声をかけていいのかわかりません。 お坊様であれば、どうやって説得をするか、アドバイスをいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 15
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なぜこうなったのでしょうか

以前、海外に住んでいました。 2、3年に一度くらいしか日本に帰ってくることが出来なかったのですが、ある年、久しぶりに帰ってきて、大好きなおばあちゃんの家に行く約束をしました。約束の日の何日か前に、おばあちゃんと住んでいたおばさんから電話があり、何が食べたいかなど聞かれました。電話の最後に、今おばあちゃんが隣にいるから話す?と聞かれたのですが、会った時に話すからいいよと電話を切りました。おばあちゃんはその2日後に亡くなりました。数年ぶりに会えるはずだった日の、ほんの2日前でした。おばあちゃんとは本当に仲が良かったです。本当に可愛がってくれました。大好きなおばあちゃんだったのに…なぜあの時電話で話さなかったのか。後悔で苦しみました。海外に戻った時、仕事の後にお酒をがぶ飲みして、大声で泣いて、床を転げ回るほど感情をぶちまけました。 おばあちゃんの死から1ヶ月くらいした時に、おばあちゃんが夢に出てきて、おばあちゃんを抱きしめた夢を見ました。夢の途中でも実際に自分が泣いていたのがわかりました。その日から、なんとなく後悔から立ち直り始めました。 数年前、家の事情で日本に旦那と来ました。今年の初めには子供もでき、心配していた両親に初孫を見せることができました。そんな中、父親が亡くなりました。何年も前に胃癌で胃を全摘していたのですが、腸閉塞になり、入院をして経過観察の後、手術をしたのですが、翌日、突然亡くなりました。本当に突然。入院するまで本当に元気だったのに…コロナでろくに面会も出来ず、孫には入院してから一度も会えずでした。 私はというと…父が心配で実家に戻っていたのに、手術が決まった前日に母と喧嘩をして、自分が住む家に帰ってしまっていたのです。帰る前に、父の顔だけでも見に行こうかなと、本当にその時に思ったのに、『また次に来たら会えるからいいや』と、帰ったのです。最後に会える機会を、話を出来る機会を、また、自分から捨てたのです。 私は父が大好きでした。父は素晴らしい人でした。人並みの失敗もあっただろうけど、家族を一番に大切にした、本当に素晴らしい人でした。 おばあちゃんの時も、父の時も、私は最後に話せる、会える機会を無駄にしました。なぜ?父の死から半年が経ちますが、未だに突然苦しくなって涙が止まりません。夢にも出てきてくれない。どうしたら、これを乗り越えられるのでしょうか

有り難し有り難し 19
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3度目の鬱病再発への恐怖

初めて相談させて頂きます。鬱病の再発への恐怖についてのご相談です。 現在、2度目の鬱病により会社を退職し、心療内科および臨床心理士によるカウンセリングを受けて治療と簡単なリハビリ約3ヶ月を行っています。 先生方のお力添えのお陰で、日常生活レベルはなんとかこなせるようになってきました。 しかし、慢性的な希死念慮や突発的な自殺企図等、まだ状態が不安定です。そんな自分に心底嫌気が差しています。また、急性期の絶望的な心理状態はもう二度と味わいたくないと思っています。 前置きが長くなりました。 今悩んでいるのは、今の状態が寛解して社会復帰を果たせたとしても、もしもう一度、鬱病で就労不能状態になったら、自殺をしようと決心していることです。 最初の発症時は、鬱病については主治医に教えて頂いたり自分でも勉強をして、再発しないように注意して仕事や私生活を送ってきたつもりでしたが、約3年で再発してしまいました。 勉強してきたなかで「鬱病は治ることはない」「再発率は再発回数に比例して高くなる」ことを知りました。 なので、今回仮に社会復帰を果たしたとしても、また鬱病で就労不能になってしまう可能性は更に上がってしまっていると考えています。 鬱病を発症したことにより、会社や家族に多大な迷惑と心配を掛けてしまいました。また、私自身も鬱病の急性期の辛さや希死念慮との闘いに酷く疲れてしまいました。 なので、もし3度目の再発が発覚した場合、自殺することを決意しています。その為の生前整理(エンディングノートや死亡通知の作成、私物の整理等)を現在進めています。 自殺がどれだけ周囲に迷惑を掛けるかも、不慮の事故死などよりも周囲にショックを与えることも承知しています。 それでも私は3度も鬱病を再発するよりは、自殺した方がいいと考えています。 遺族や友人の悲しみは時が癒してくれるでしょうし、私も長い期間を再び闘い抜ける自信はありません。もう二度と社会復帰することも叶わない気がしています。であれば、逃げでもいいからもう終わりにした方がいいというのが今の私の結論です。 こんな考え方はきっと間違っているのでしょうが、私はこれが最善策だとしか思えません。 他に回答はあるのでしょうか。 お坊様の観点からお考えをお聴かせ頂きたく、お願い致します。

有り難し有り難し 4
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死ぬまで苦しかった父を思うと胸が締め付けられます

父は糖尿病慢性腎不全による透析導入で退院後、命をもう一度もらったと喜んで母の作る透析食をよく食べ、散歩を楽しくしていました。 しかし、専門医の受診を度々すすめたのに聞かず、透析導入と手遅れになったことを怒っていたのと、母がいかに父に尽くしているかよく聞かされていたので母の今後を心配するあまり私は優しい言葉をあまりかけませんでした。むしろ着替えなどは自分でするようになど発破をかけていました。透析も順調そうで安心していました。 散歩でできた靴擦れが治らず菌が入り、足が切断になった上、看護師におむつを変えてもらわなくてはいけない、食事をしてはいけない、水も飲んではいけない、制限がありほとんど面会がかなわない状態で父は急変し死をむかえました。死に目にあえたものの、再入院後にかすれ声で聞いた最後の言葉は「ごめんな」で、むしろこちらが優しくしなかったことを今更謝りたくて叶わなくて日々苦しくて仕方がありません。 死んでから、自分が愛されてきた軌跡の写真をたくさん見つけて、なんで忘れていたんだろうと涙がとまりません。 死んでから、何年も前から少しでも歩くと疲れてしまっていたのが病気の症状だったこと、仕事がすごい大変なのに母と私に一切愚痴を言わなかったこと、調子がここ数年悪すぎて口数が減っていたことなど色々分かりました。 足の色が変わりはじめた時に知り合いの忠告通り病院に電話していたら今も生きていたなどの後悔もとまりません。産後まもない孫との思い出も作りたかったです。 生前父の身になって物事を考えることができなかった分今更苦しいのです。 過去は変えられませんし、父にはもう未来がありませんが骨の前で謝る以外に赦しをこう方法はあるでしょうか。

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2023/02/11

数年後を想像して不安になってしまいます

 はじめまして  現在独身で、関係が良好で健在の両親とペットたちと敷地内同居しています。  最近自律神経の不調により精神不安が増大し、将来や死について考え過ぎてパニックになり様々な不調が出てきました。  今は少しずつ改善されてきましたが、未だに不眠や不安で苦しくなったりします。  精神不調の時は「今〇歳だから△年後に衰えて□年後に亡くなってしまうんだな」と考えて、収入についての不安というより心の寂しさが大きく強くなってしまい目の前の作業効率が落ちてしまう事があります。  死については、このサイトの他の方の問答を拝見したり色んな方からのアドバイスで「死後家族や縁のあった動物たちや友人たちとの魂の繋がりは無くならないので安心してください」「両親も自分たちの両親に会える幸せがある」「死は不幸では無い」「また会える」と受け取れる内容のものがあり、そういうものなんだと考えると死自体についての恐怖は少し緩和されました。  しかし、今生きていて、現在パワフルな両親が数年後衰えて介護が必要になる姿を目の当たりにした時のショックは大きいだろうな、本人たちも苦しいだろうな、社会性の乏しい自分が介護や契約等きちんとフォロー出来るだろうか、市役所が助けてくれるのだろうか、今元気なペットたちもいずれ…そもそも自分が先に自死では無く事故や病気等で亡くなってしまったら…と想像した時にまた不安が増大します。  目の前にある成長のための物事に一生懸命取り組みたい、進化したい、けど避けられない将来の寂しい思いが強く出てきて不安が増大し、立ち止まってしまいます。  両親への敬意や感謝の気持ちが非常に強いので、寂しさが強いのだと思います。  ペットロスは3回経験しましたがとても辛かったです。  姉夫婦と甥と姪が隣県に居ますが、関係が良好でも頼っても良いものなのかという不安もあります。友人たちも遠方なので苦しい時は一人なのか、というのも不安です。  自律神経の改善が進めば多少落ち着くと思います。将来寄り添ってくれる友人と出会えるかもしれない。自動運転や色々な相談窓口等世のシステムが進化して生き易くなってるかもしれない。とポジティブに考えたいのですが、やはり不安が強いままです。  考え方を上手に切り替えるアドバイスやお話を頂きたいです。  宜しくお願いします。長文失礼しました。

有り難し有り難し 25
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