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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6191件

父の死と死後の世界について

最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。

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毎日死を考えしまいます。

最近毎日死ぬ事を考えてしまいます。 鬱で通院経験がありますが、ここ数年は自分で仕事を始め、それなりに楽しく生きてきました。ただ最近は何もやる気が起きず、自然と涙が溢れてきます。 現在精神科への通院はしてませんが、内科で睡眠薬を処方してもらっています。仕事でやらなければいけない事があっても、気分の落ち込み、不安に耐えられず、逃げだと分かっていても睡眠薬を飲んで寝てしまいます(大量に薬を飲むとかではありません)やらなければいけない事がどんどん溜まっていきます。 おかしいかもしれませんが、中学生の頃なんとなく、あーきっと自分は将来自殺するんだろうな〜と思った事を覚えています。両親の様に生きたくなかった。けどどう生きていいか分からないまま、ただ年齢だけを重ねてしまいました。 社会に出てからは楽しい事もたくさんありました。でも最近はいよいよその時(死)がきたのかと思ってしまいます。僕には自分で人生を作っていくことができません。コツコツと前向きな積み重ねが出来ません。 もう終わりにしてもいいかなと思ってしまいます。すぐに実行する気はありませんが、今後思い立った時にすぐに実行出来るように七輪を買っておく事を考えてしまいます。 人生は自己責任だと思います。何も積み重ねて来なかった私の人生もそうです。私は結局楽がしたかっただけなんだと思います。 本当は生きたいです。死ぬのはいやだけど今後良くなるとも思えない人生、それと良くなる為の小さな努力も出来ない自分に疲れてしまいました。

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三男を自死で亡くしました

今月3日に三男(19歳)を自死で亡くしました。 遺書も何もなく原因がわかりません。 4月4日から学生寮に帰る息子のために大好きな「もんじゃ焼き」をして家族でいただきました。 三男もお腹いっぱい食べて満足げでしたが、まさかその翌日に帰宅しないなんて思いもしませんでした。 春休みもいつもの長期休みと同じように自宅ですごしていたし、いつもの様に夫の実家に泊まりに行ったり私の実家へ食事にいったり・・・。 普通の生活だと誰もが思っていました。 もともと一本気な性格で19歳なりのガンとした考えをもっていて、なかなか周りの意見に合わせたり出来ない正確ではありました。(プライドも高い部分もあり) しかし、曽祖父を病院へ送り迎えしたり、一人暮らしの義母にも会いに行ったり、家族には毎日お茶をいれてくれるとても優しい息子でした。 それなのに私は息子のことが全然わかっていなかったんだと思います。 ひとり悩んでひとり逝かせてしまってどう謝ればいいのか・・・。 「何故?」と、問えば息子を責めることになります。責められるべきは親なのに。 でも、心の中で「何故?」と思ってしまいます。 手の届かないところで1人いる息子を思うと寂しくてしかたがありません。 もう一度声をききたい、もう一度抱きしめたい。 自宅では誰にも自分の気持は言えません。 夫も長男・次男もすごく私のことを心配しているから。 自分でも気持ちに蓋をしているような気がします。 とりとめのない文章で申し訳ありません。 聞いて貰いたかったのかもしれません。

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2025/05/23

疎遠だった父の孤独死

先日父方の叔母から連絡を受け、母との離婚から10年近く連絡を取っていなかった父の死を知りました。 仕事をしていたわけではなかったようで、叔母が家に確認しに行った時には死後数ヶ月経ってしまっていました。 一緒に暮らしていた猫も亡くなってしまっていました。 父が母と離婚してから数年は連絡を取りたまに会ったりしていたのですが、私の誕生日に連絡をくれなくなってから「娘の誕生日も連絡をくれないなんて」と思い、疎遠になりました。 それから成人式を迎え、地元を離れて就職、結婚をしましたが一度も連絡をしませんでした。 連絡しようと思ったこともありましたが、無視されたり拒絶されるのが怖くてできませんでした。 葬儀も行わず火葬のみでしたが、その当日も、数日経った今でも後悔と悲しみで涙が止まりません。 死後数ヶ月経っていたこともあり、最後の顔すら見ることが出来ませんでした。 「結婚したことすら連絡しないで親不孝な娘でごめん」 「私がもっとちゃんと連絡を取っていれば何ヶ月も一人にせずもっと早く見つけてあげられたのに」 「父が亡くなったあと、猫はどんな気持ちだったろう」 そんなことをずっと考えてしまいます。 叔母や叔父には「◯◯ちゃんが来てくれて喜んでると思う」と言われましたが、こんな親不孝だった自分を愛してくれていただろうかと思います。 疎遠になってから、お酒好きの父への愛情はほとんどないように思っていましたがいざ亡くなってからこんなに悲しいのは心の底では愛していたからだと思います。 時間が解決してくれること、どんなに後悔しても事実は変わらないことは分かっていますが、乗り越えるための言葉がいただけたらと思い投稿します。

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2023/06/13

自死を選んだ恋人について

空行を入れられず見にくいかもしれません。 申し訳ありません。 恋人が自死をしました。 自分で言うのもお恥ずかしいですが喧嘩もなくお互いに本当に大切な存在で、愛されているな、と毎日の様に感じていました。 ご家族から聞いて私は見ていないのですが、最後に遺してくれたメモに自分が弱い人間であった、家族へ対しての謝罪、そしてご家族に向けての私の紹介と私への心配、謝罪などが綴られていました。 直前まで普段通りの会話をチャットでしており突然の出来事で信じられずショックがおさまりません。 毎日感謝や愛を伝えていたのでそこだけは後悔がないです。 交際期間はとても短いですが毎日がとても濃く、とてもとても幸せで私にとって本当に完璧な彼でした。 その日から会社は休ませてもらい、ご飯は食べられていますが、彼との日々が日常に溢れる度に苦しく涙が止まりません。 死にたい、とは思わないのですが彼に会いたい、彼のいない毎日を過ごすことがとても辛く明日を迎えるのが毎日嫌でたまりません。 後を追ってしまったら、遺された人の気持ちが分かるし彼もそれは望んでいない、二度亡くなってしまうことになると頭では分かっているのですがどうしても未来を見ることができません。 先日居ても立っても居られず故人交信ができるという占い師さんに会いました。 私の中で半信半疑ではあるのですが、彼は最初亡くなった事を理解していなかった、ずっと眠っていて身体が動かないなと思っていたため自分が亡くなった所を見ていないしご葬儀にも出ていないと。 ご葬儀の際に棺に私が書いた手紙や思い出の物を入れたのですが彼は見たり読めていないということなのでしょうか? また交信の中で、幸せにしたかったけどもう出来ないから俺より良い人を見つけて結婚して子供を産んで幸せになって欲しい、と言っていると言われました。 本当に今まで出会った人の中で1番何もかもが合い結婚したいと思っていた相手なのでそんな未来はあり得ないと思ってしまいます。 会社や友人や家族、彼のご家族にもとても心配をかけてしまっているのですが立ち直れず明るい未来を描けません。 毎日彼の笑顔の写真に話しかけ、返事がないのが辛くて仕方ありません。 何もする気が起きません。 私はどうしたらいいのでしょうか。 >お坊さんへ 亡くなった理由など詳細はプロフィールをお読みいただきたいです。

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娘は病死での自死!?

2月27日娘が亡くなりました。病死での自死なのかもしれない。 娘は重い持病があるのですが妊娠がわかり悩みに悩んで一番に娘の身体を大事に考え中絶を決意しました。主治医から薬の調整してちゃんと準備をして出産した例もあるとの事で次回への希望に託し相手の彼が2人で乗り越えて一緒になろう!と誓ってくれたから、1人でも絶対に産む覚悟を諦め中絶をし、その中絶の1週間後くらいに彼から『やっぱり一緒になれない。幸せにする自信がなくなった』といきなり告げられ娘は絶望。中絶した直後から後悔に苦しみ毎日泣き暮らしていたところにいきなり裏切りの言葉で更に娘の精神状態は悪化。 一緒に居てくれないと“死ぬ“という娘に仕方なく彼は同棲し仲良く過ごせる日と最悪な状況の日との繰り返しで遺書めいたラインや失踪騒ぎが半年以上続きなんとか娘を助けたくて必死で何をやっても言ってもダメ。いつから持病の薬を飲むのをやめたのか分かりませんが日に日に心臓が弱り今年に入り入院してから急変し息を引き取りました。娘は彼が初めて自分から好きになった相手で1人で子供を育てる覚悟だったのに…彼に一緒になるから今回は諦めて2人目をその子の分まで幸せになろうと言ってくれた言葉が嬉しくて信じてしまった。娘は母親よりも女としての選択をしてしまった。諦めた子に誓った約束は?何のために大事な赤ちゃんを諦めた?自分を許せなくて苦しんで苦しんで、でも彼が傍に居てくれると安心する。その彼は離れたがっている。私と赤ちゃんはゴミだから捨てられる、中絶手術の日がトラウマで辛い苦しいもう耐えられない。諦めた子も彼も私にとっては唯一無二の相手なの…もう生きていけないの。親不孝でごめんなさい。携帯のメモにも残してあるし遺書も書いてあると伝えられていました。入院中に書いていたTwitterでは私死ぬのかな…こんな死に方はイヤだ、と投稿していたから病死で自死ではなく、やっぱり自死なら飛び降りるつもりだったみたい。 大事な薬を飲まければ死ぬことは解っていたはずだし入院して辛い治療に耐え最期は家族に看取らせてくれたのは家族の事を想ってくれたのかなぁとも思います。私これからどう自分の人生を歩めばいいのか分からない。結局娘が生きていても死んでいても私は娘のことが頭から離れられない人生を終えるかと思うと、どうにか人生を変えていきたいと思い相談させて頂きたいと思いました。

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愛猫の死について

いつも、心温まる回答をいただいて救われています。本当にありがとうございます。そんな中、また相談したいことがありご連絡しました。 先日、愛猫が急死しました。15歳で猫の中では平均寿命より長生きはしましたが急なことで未だに心にぽっかり穴が空いたようです。腎不全が見つかったのが昨年の12月、そこから腎臓に負担のかからない食事と水分補給を心がけ、ご飯もよく食べよく動き1ヶ月に1回の血液検査も悪化してる訳でもなく「まだまだ一緒にいれる」と思ってました。 それが突然7月末から食べなくなり、動きも鈍くなり食欲増進剤を打ってもらってもご飯を食べず、仕事中も心配で心配で四六時中その子のことを考えてました。 亡くなった日の朝も、急な嘔吐・お漏らしで動かなくなり「もうダメだ」と思いました。しかし、しばらくして水を飲み始め普段通りの様子に戻ったので少し安心し、念の為病院に連れていき点滴をしてもらいました。しかし、病院から帰りしばらくすると舌を出した状態で息が荒くなり脈が早くなり目が見開き、これはいよいよだと思いました。その状態になってから30分くらいで私に抱っこされながら息を引き取りました。 私は、自分のエゴで病院に連れていき、美味しくもないご飯を食べさせしたくもない点滴をさせていたのではないかと、どうせならもっと美味しいものを食べさせてあげたかった、痛い思いもせず自由にさせてあげた方が良かったのかと今になりモヤモヤとしています。あの子の為に果たしてなっていたのか、言葉も分からないからもっともっと注意深くしてあげれなかったのか… 未だに涙を流さない日はないですし、家に残っている抜け毛を見つけては保存しています。家にいてもどこか寂しく虚無感が絶えません。遺骨も土に還すことが出来ず、私の部屋にあります。 このやるせなさや空虚感は時間が解決してくれるものなのでしょうか。それとも、私自身が自発的に気持ちを整理する必要があるのでしょうか。正直、自分から楽しいことしてみようとか美味しいもの食べようとか考えてもどうしても頭から離れず塞ぎ込んでしまいます。 これから、私はあの子の死とどう向き合えばいいのでしょうか。長々となり大変申し訳ありません。お時間ある時にお目通し頂ければと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。

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父の突然死

先月の暮れに父が自宅で突然亡くなりました。 前日までスキーに行っていた父 よくスキーの次の日は仕事を休んでいました。 私はその日夜勤明けで朝家に帰って 家の鍵が開いているので誰か家にいるのかと思いました。 寝ようと思い自分の寝室へ行くと父の部屋に父が寝ていました。 そのとき私はお父さん寝てるんだと思いました。 私が起きたときも少し覗いてお父さんまだ寝てるとしか思いませんでした。 そのまま声もかけず何もせず友達と飲みに出かけました。 したら夜22時ころ母から連絡がきました 早く帰ってきてと。 私は一瞬でなんであのとき声をかけなかったんだろうと思いながら家に帰りました。 そこにはもう冷たくなっていた父の姿がありました。 私は自分のせいじゃないかなと思いました。だけど死亡推定時刻は私が朝帰ってくる前でした。 いつも通りの寝顔で寝姿でまさか死ぬなんて思っていなかったくらいの父の元気な姿を見ていたのでとてもびっくりしました。 とっても泣きました。 いつもある生活が、お父さんがいてこそのものだったこと たくさん気づいたことがありました。 また、これからお父さんにしてあげたかったこと、 お姉ちゃんのようにウェディングドレス姿を見せて、孫の顔を見せてあげたかった。 思えば思うほどいろんなことがあります。 生前父と仲が良かったのかと言われればそこまで仲良かったわけでもなく だから、余計に悔しさや哀しみがあります。 だんだんと日常に戻っていく中で 泣くタイミングというのもわかりません。 本当はものすごく泣きたくなるときもあります。 友達と会ったときにも本当はお父さんの話を聞いて欲しくて、泣きたくて でも我慢してしまいます。 今でも、 なんでお父さんだったんだろうと 思ってしまいました。 父は60歳でした。 早いと思いました。これから定年迎えて第二の人生を楽しもうとしてたところでなぜ。お父さんなの。と 文がまとまらないのですが、 身近な人の死を経験したのが初めだったので、少し話を聞いてもらいたい気持ちもあり投稿させてもらいました。

有り難し有り難し 172
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