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問答一覧
検索結果: 1029件

観世音菩薩

1年ほど前に、ふと目が覚めると、朝方、左足元の方に黄金に輝く観世音菩薩が立たれていました。 あまりに眩しく圧倒されていると、観世音菩薩がわたしに近づいてきます。 わたしの、左腕がゆっくりと上がり、菩薩様がわたしの左手を持って、こう言いました。 「あなたに、この力を返します。この力を人々のお役にたてなさい」 そうすると、まぶしい光と共に左手の指先から肩あたりまで、ものすごいエネルギーみたいなものが伝わってきて、あまりの、衝撃的な痺れるような温かいような強いエネルギーに驚いて、唖然としてしまいました。 エネルギー注入のようなものが終わると、菩薩様は、光と共に消えていきました。 それから、いろいろと左手を人のお役にたてるという事を考えて続けてる一年なんです。 これは、観音様からのメッセージでしょうか? 間違いなく夢ではありません。 子供の頃から敏感なのか、霊感的なものはもっているのですが、仏様が現れたのは初めてです。 どのような解釈をすればいいのかな? と、日々、考えています。 わたしは、元整体師です。もしかしたら、揉みほぐしや整体を続けなさいという事かな?とも思います。お導師さまは、どう思われますか? 今は、旦那さんの家業に入っているので、まったく違う職業で、もう、その仕事には戻れないのです。また、違う意味のメッセージとしたらどういう意味なのでしょうか?

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スッタニパータ「874形態は消滅する」の内容について

いつもご回答ありがとうございます。 スッタニパータの中の理解できない箇所の一つに 以下の箇所があります。 お坊さんの御教示お願いいたします。 873で「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか?楽と苦はいかにして消滅するのですか?どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。」とあります。  次の874で「①ありのままに想う者でもなく、②誤って想う者でもなく、③想いなき者でもなく、④想いを消滅した者でもない。──⑤このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」 註では、①を凡人②を狂人③を滅尽定④を四無色定とありますが、873で修行した者について問うているのに①、②は修行者の範疇ではないようです。また、③が四無色定で④が滅尽定のように思われます。 勝手な考察ではありますが、 ①ありのままに想う者は、 ・概念で構築された言葉と一体となっている形態(個々の対象)をそのままに想う者  ・名称と形態は、妄想の元であると理解に至っていない修行者 ②誤って想う者 ・形態によって迷うのではないと想っている者 ・諸行無常を理解していない者 ③想いなき者 ・形態に対して想いをめぐらさない者。 ・想わないようにしている者 想わないようにしただけでは形態は消滅しない。形態には実体が無く、妄想(=苦)の元凶であると理解していない者。 ④想いを消滅した者 ・形態に対しての想いを想いで消滅させている者 ・想いを想いで取り扱っているかぎり想いはなくならない。 ⑤理解した者の形態は消滅する。 ・消滅させる(人為的)ではなく消滅する(自動的に消滅されている) ・想いなく形態が消滅する者でなくてはならない。 名称と形態が分離されたものと理解しなくてはならないのではないでしょうか。 名称は社会生活のために便宜的に付けられたものでしかありません。 例:お金(お金という名称)の本質は印刷されたただの紙。為替交換のできない国に持ち込んでも交換価値はありません。使用価値としては火をつけるときに使える程度のただの紙でしかない。 「私」というのも「私」という概念に付けられた名前だけであって、想いが続くことによって「私」が存在していると勘違いしているのではないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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仏様に会う体験は何を意味しますか?

私の体験がどういったものなのか知りたくなって書くことにしました。 母はお地蔵さまのお告げを受けました。 お告げの内容は「私の体の一部から女の子と男の子の2人の子供を授ける。」 というもので、個人情報なので伏せますが生まれる日まで正確で当たっていました。 それが原因なのか知りませんが、姉は三歳の時に不動明王様(名前は後に知りました)に出会いました。 そして私は五歳のころ顔と手がたくさんある仏様とその大勢の仏さまと出会いました。 残念ながら仏教について無知なので私はお名前を知りません。 そういった出生が原因なのでしょうが、不思議なことが沢山ありました。 きりがないので大きな出来事を2つだけ書きます。 1.姉に起こった奇跡 姉は生まれて直ぐお医者様から死亡宣告を受けましたが、少々病弱ですが今もなお無事に生きています。 その理由はお医者様も分からなく奇跡としか言いようがないとのことです。 2.身内に起こった奇跡 親戚に大変な病気に罹ってしまった人がいました。母が何気なく「今夜いいものを見せてあげる」といった夜、その人は夢の中で5人の仏さまと出会い病気が完治しました。 こういった出来事が多々起こる上に、私たち兄弟は何となくお寺(故郷のような気がする)とか、線香の匂い(いい匂いと感じる)とか、お経(懐かしくて心地よい)とか、神仏に関するもの(胸が躍る)が好きなので、客観的に考えて通常ならば仏道を進むと思うのですが、幼いころに偶然会った霊力の高い方の助言で仏門には入らずにごく普通に暮らしています。 その助言とは「仏門に入ったり不動明王様のご神体に会ったりすると霊力が高くなりすぎて幸せになれない。例えば、手をかざすだけで人を直したり、心を読んだりできるようになる。しかし、そんなことができるようになればそれに見合った試練が訪れるので平穏無事に済まないし、体が持たず長生きできない。平凡に生きる方が幸せでいい。」 その助言は当たっていたと思います。よくちょっと不思議な出来事が起こるものの、貧しいながら幸せに暮らしています。 こういった体験はどういった意味を持つのでしょうか? 是非とも修行を積んだお坊様方にお聞きしたいと思っております。 よろしくお願いいたします。

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仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

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宗派にとらわれない仏教思想の学び方について

10年ほど前、職場やプライベートの過度なストレスから パニック障害→鬱となり、仕事ができない状況になって職を離れました。 それまでは、フルタイムでバリバリ働き帰りは終電、 帰宅後や週末も時々在宅や出先で別の仕事をかけ持つなど 無茶もしていた時期もありました。 それくらい動けていたのが突然何もできなくり、愕然としました。 投薬治療で少しずつ動けるようになってきたものの、未だに完治とならず 相変わらず波がありゆられながらギリギリで過ごしています。 それまでの様な生き方、暮らし方はもう出来ない状況です。 そんな中、自分の生き方を振り返りながら、 ふと子供の頃から生き辛さを感じ続けていた事に気づかされました。 そこで、色々と勉強(通信制で通学もある大学で)を始め、 数年前に(明治維新以降ではなくそれ以前の仏教の考え方)仏教の 教えに触れる事ができ、そこから色々と(亀の様な歩みではありますが) 物事の捉え方を修正できてきている実感ができるようになってきました。 授業だけでは物足りず、参考文献など少しずつ読みながら独学を進めております。 最近は、どこかのお寺で勉強会などがあるなら行ってみようか? と考えてみたりするようになりましたが、 宗派にとらわれずにお坊さんから学ぶ術はないのだろうか? という疑問が湧いてきております。 今後学んで行くために何か良いアドバイスがいただければ幸いに存じます。

有り難し有り難し 219
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自分のこれからの生き方についての御質問

初めまして、この度 人生に悩みを抱えており投稿させて頂きました。 さて、その悩みというのは自分には母がいたのですが、2年前に亡くなりまして、経済的な親孝行ができないまま別れてしまった事と働く理由の大きな理由の1つが無くなってしまった事によってこれからどのように生きればいいのかが分からなくなってしまったという悩みです。 母が病気になった当時私は無職(就職活動は続けていた)でなかなかご縁がなく経済的な心配を母にさせてしまっていました。 そこで就職できた暁には母を旅行に連れて行ったり、美味しいものを食べさせてあげようと思っていたのですが、結局それが出来ないまま別れる形になってしまいました。 その後何とか就職は果たしたものの、母に経済的な親孝行ができなかったことが大きな心のしこりとなって残っていて、連休などがあっても楽しめなかったり、”母との旅行に使えていたらもっと楽しかったのではないか”と考えてしまう自分がいます。 また、母に経済的な親孝行をするという目標が無くなってしまった事でこれから何を目標に生きていけばいいのかが分からない状態になってしまい仕事が続けられるのかどうかが不安で仕方がありません。 (ちなみに父とは離婚しており母が亡くなった後に父も亡くなりました) 不躾ではございますが、アドバイスの御教授を何卒宜しくお願い申し上げます。

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