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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 怖い」
検索結果: 1137件

生は諦め、死に意味を求め始めた。

中2女子です。 工夫した結果、時系列順にまとめた方が分かりやすいような気がするのでまとめます。 ・小3〜小学校卒業までいじめを受けていた。 ・小3の頃の担任の先生が怒りっぽく、問題児に対し怒っている時、「この問題児に注意ができないお前らにも生きる価値がない。友達じゃないのか」と毎日怒鳴られ続け、自己肯定感が著しく下がった。 ・小3の頃、口喧嘩は頻繁にするが仲の良かった祖母が原因不明の心肺停止で亡くなり、父に「お前が騒いでストレスを与えるからだ」と言われ、祖母を殺めてしまったかもしれない罪悪感を抱き、鬱傾向が出始めた。 ・祖母が亡くなってから〜小5まで、時間にルーズな親友にも腹が立つようになり、Twitterなど本人に見ることのできる場所で文句、悪口を書いてしまっていた。 結果、家庭環境での悩みも持っていた親友は病んでしまった。 ・何をするにも罪悪感を感じ、自分の健康に気を遣うことも悪いことなのではと思い始め、非常に不衛生だが、歯磨きを辞める。やってもうがいのみ。 当然のことだが上前歯4本虫歯になった。深く後悔。 ・小6の頃、初めて自傷をし、罪悪感を感じしばらくやめていたが、中1の頃に再発。左前腕に60近く、傷が残った。 ・中1の時、クラスメイトから避けられる、1人の男子からのセクハラを理由に保健室登校になる。朝からは行けず、午後から。 ・希死念慮のある親友が死んだら、私も一緒に死にたい。むしろ心中したい。 それくらい親友に依存してしまっている。 ・死を考えすぎて、死ぬのもそんなに怖いことではないのではと思い始めている。 ・心療内科に通わせてもらうことができ、発達障害かもしれないと言われ、検査を勧められる。 辛くても頑張って生きた結果がこれ、?と消えたくなる。 自業自得だということは分かっていますが、生きるのが辛いです。 これから起きる事柄のほとんどが怖いです。怒られるのも怖い。 死ぬことを考えるのには少し慣れたが、いざ死ぬとなったら怖い。 でも、高校進学できるかも分からず、このまま生きていたら家族、先生に更に迷惑をかけていくことは目に見えているので、皆のことを考えると死んだ方がいいのではないか、裕福ではない家の為に私が死んで保険金をおろしたほうがいいとのではないかと思ってしまいます。 生きる意味が分からなくなり、死に意味を求め始めています。 助けてください、

有り難し有り難し 19
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心理学の勉強に取り組めない

いつも相談をさせていただきありがとうございます。 心理学の勉強を進めたいのに、娘の自死によって学びを深めることが苦しくなりました。 プロフィールに載せましたが、3年前に大学の通信課程に入学し心理学を学び始めました。 心に辛さや苦しさを抱えている人に寄り添い共感し支援してあげられるようになりたいと考えてからです。ところが入学直後に自分の娘の問題行動が発覚し自分のための勉強どころではなくなりました。それでもなんとか娘の行動がよくなるように悩み苦しみながら娘に向き合い、わずかずつ心理学の勉強を進めてきました。そんななか娘は1年前に自ら命を断ってしまいました。 娘の死は私に、同じように苦しさを抱える本人や支える家族を増やさないような力になりたいという気持ちを強くさせました。 そんな気持ちで自分の背中を押して学習に取り組むのですが、もっと早くこういうことを知っていたら娘を救うことができたんじゃないか、と思い気持ちが後ずさりをしてしまい、心理学を学び知ることが怖くなってしまいました。 その一方で、やはり自分と同じような悲しい思いをする人を増やしたくない、だから勉強をして役に立てるようになりたい、との気持ちもあります。 ハスノハに投稿される相談やつぶやきを読んでいて、悩み苦しんでいる人に対して「大丈夫!」と声をかけてあげたくなったりもします。 しかし、娘を救えず亡くしてしまった悲しみと苦しみは生涯なくなることはないと思い、そのように自分の心が整っていない人間が他者を救うのは無理なんじゃないかと思います。 気持ちをどのように持てばよいでしょうか。

有り難し有り難し 5
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お願いします、逃げ癖から助けてください

現在高校生の者です。 自分には「逃げ癖」があります。 怖いと感じたり、何らかの失敗を犯してしまうと、すぐにあの手この手で逃げてしまうのです。 今回、学校の活動のグループ(イベントでダンスをする)の練習の場所を間違えてしまい、探し回る間に集合時間が過ぎてしまいました。 練習場所の扉から聞こえてくる掛け声や話し声に気圧され、入れないまま家へ帰ってしまいました。 途中廊下で足音が聞こえたら反射的に隠れたり、知り合いに会った際には嘘で誤魔化し、顔見知りに見られ、醜い有様でした。 帰宅中にも動機や汗や胃痛が収まらず、家でもずっと不安で何も手につかず、吐き気に襲われ、また逃げるように眠ろうにも眠れず、何も考えられない状態ながらもこちらのサイトを見つけるに至りました。 実は2年ほど前、中学3年生で受験生の身にあった自分は、プレッシャーやコンプレックスが積み重なって不登校が続いていました。 建物の目の前で逃げる、友人には平気で嘘をつき、家にいるのが怖すぎる状況......思い返せば思い返すほどに、今回の状況が「2年前の再来」だと感じます。結局勉強に手がつかないまま第一志望に落ちました。 それでも残りの中学生活と今までの高校生活を心から楽しんで歩んで来たにも関わらず、「何も治っていなかった」のです。2年前から。同じ、同じことがまた起きているんです。治ったと、もう強くなったと勘違いをしていました。何も治っていなかったのです。今ここにいる俺はあの頃の俺から一歩たりとも成長できていないのです。 2年前、不登校中に苦しみ抜いた経験、結局なにも得るものがなかった後悔、希死念慮と自殺願望に追われ自傷行為と自殺未遂を繰り返した記憶。フラッシュバックしてくるのです。 もしかして、またあの日々を過ごすのか?せっかくの沢山の友達も先輩も得られた地位や信頼、すべて消えて、あの地獄の果てに虚しさ「だけ」残る日々が始まってしまうのではないか。 今回の遅刻は「引き金」だったのではないか 文字を打つだけで、恐怖が自身の指を震えさせます。高鳴る鼓動と荒い息遣いを感じながら、ベッドから動くことすらできません。 どうすればこの逃げ癖から救われるのですか?どうすればいいのですか?どうしてあの時俺は練習室のドアを開けなかったのですか? お願いします、助けてください。辛いです。お願いします。お願いします。

有り難し有り難し 61
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2023/07/09

毎日が不安と寂しさと後悔で生きづらい

死後の世界のことばかり考えてしまうのは「今」を一生懸命生きていないから、善行を積むことができていないから…だから地獄に堕ちてしまうと考えてしまうのですか? 
今を大切に生きたり、菩薩行や慈悲の心を持って自分だけではなく、周りの方々にも思いやりの心を持ち日常の中で少しでも良いことを行うことができたら死後の世界は怖く感じなくなりますか? 
最近HSPという言葉や記事を見かけました。記載されていることを見ると私はHSPという生まれつきの感覚で生きづらさを感じているのかもしれないと思いました。自分でそれなのかもしれないと思って、工夫しても生きづらさや考えることは変わらないです。 
友人から連絡は、ほぼ来ないので私から送っていますが「相手にとって私は友達ではなのかもしれない」、私は自分の体調のことを話したくて連絡を入れたつもりなのに、結局、友人の体調や友人の状況の話なってしまい、私の体調の話は軽く流されているので「私なんてどうでもいいよね…」と思ってしまいます。私は見た目では分かりにくい病気を抱えており、家族や友人にはお薬の副作用が辛いときがある、元気に見えるけど実際は体調が悪いなど話していますが家族や周りからは理解を得られず、私は病気を理由にして働いていないだけ、甘えているだけと思われているのかなと不安になったり、友人達から「仕事が忙しい、心身共に余裕がない、忙して連絡をとる暇もない」聞くと、私と関わりたくないのかな、私とは違って暇ではないんだよと言われているように思ってしまい「ごめんね」という言葉を言ってしまうことが多いです。関わり方も人それぞれなので、私とはこのように関わりたいんだなと考えても、私だけ雑に扱われていたり、うっとしいと思われていると思ってしまいます。 
「苦手」という感情をぶつけられるのが怖くて、これ以上嫌われることを避けたくて誰かに好かれたいという思いだけで知らない人まで巻き込んで、たくさんの嘘をついて、騙してしまい、心配されたり優しい言葉をかけられたら嬉しくて、心を満たしてしまいます。それを繰り返しては相手は優しい気持ちで私と話してくれているんだよねと思うと心が痛むときもあります。なのに、自分の気持ちを落ち着けるために繰り返してしまいます。「誰かに心配されたい」そのような煩悩はどのように考え方や行動を試すと人様を騙すことなく心を満たすことができますか

有り難し有り難し 25
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コロナで死にたい

まず、タイトルが世情に鑑み、著しく不謹慎かつ忌むべきものであることをお詫びいたします。 もう疲れました。 家族がどんどん醜い存在になってしまいつつあるように思えてならない。 妻からのモラハラ。実家破産により、親族バラバラ。 バラバラになった親族は、夜叉のように罵る。 私の家を新築してから、皆おかしい気がする。 せめて私は言葉による業をつくりたくない、不悪口だからと言いたいことも口を閉ざす…というのは口実で、実は怖いだけ。 疲れたので、旅立ちたいです。 でも、自殺者は地獄行きだとか、地縛霊になって苦しむとかいう話も聞きます。 自称密教僧が、自殺防止のためか、ブログで散々そのように説いています。 それは、怖い。 真実はどうあれ、薫習といって、生前のクセに引きずられるという話もあり、一度、自殺者の予後について聞けば、それは呪いのように私の中に刷り込まれる。 なら、大義名分のある死ではどうだろうか。 トラックにひかれそうな幼児を助けて死ねば、英雄だ。 遺族も納得できよう。 しかし、そんなシチュエーションもそうないうえに、不悪口を口実に口をつぐむビビリな私では、実行もできまい。 なら、コロナで死ねば、どうだろうか。 幸いにも基礎疾患がある。死ねるかどうかは分らぬが、死ねば今の苦しみから解放される。よしんば死なずとも、今の家族の現状に一石が投じられるかもしれない。 どうやったら、後生よく、苦しまず、遺族の悲しみも比較的少なく死ぬことができるでしょうか?

有り難し有り難し 6
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2025/01/09

「離婚しないなら半年以内に死ぬ」という夫

先日、夫から「離婚するか自殺するか選ばせてほしい」と言われました。 理由は、「お前ことをもう好きではなくなった、10代の頃からの希死念慮がぬぐい切れず、お前に説得され考えを改めようとしたがもう限界だ。俺との将来をもう期待しないでほしい。自殺する前に離婚すればお前に迷惑をかけなくて済むし、一人になったほうが精神は安定するから」とのことでした。 また、私が日頃そんなこと言っても思ってもいないのに「お前に限らず、周りが俺のことを財布だと思っているとしか考えられない」とも言っています。 そんなふうに思わせたくなくて、私は定期的に生活費の負担額を見直そうと提案していたのに、「もともとお前に経済面で負担をさせるつもりはないから」と、そこは譲らずでした。 私のことは嫌いだとか憎いわけではないが、特別な気持ちがない相手と一緒に暮らすのはきついとのこと。転勤族の彼についていくために免許を取ろうと思い、二週間の免許合宿も申し込んだ矢先に、こんなことを言われひどく悲しく、うろたえています。 付き合っていたころから、希死念慮のことは聞いていました。長生きしたくないとも言っていたし、それは軽い気持ちで言っているわけではないともわかっていました。「お前と一緒に居るのが嫌だから死にたいわけじゃない、30歳までに死ぬとは前から考えていた。」この言葉を聞いて、「なら離婚は嫌だ、自殺は止めないから、その時まではせめて一緒に居たい」と言ってしまいました。私は彼のことが大好きだし離れたくないから。もちろん、それが彼の自死を速める可能性があることも、彼の考えを尊重できていないこともわかっています。 ですが今、私を不要と感じ、一人で死のうとしているのだという現実を受け入れられずにいます。 合宿免許が終わって帰宅したら死んでいたとか、家を引き払ってお前の住まいがなくなっていたとかそんな酷なことはしないから安心して。自宅では死なないし死ぬときは死体のあがる場所を教える」とも言われましたが、死別が怖くて仕方ありません。また、だからといって離婚してそれっきりになるのも受け入れられません。どうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 32
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自殺未遂

自殺未遂の後遺症で近いうちに死んでしまいます。 これはふとした気の迷いのせいで、この頃はネガティブになってたのか、どんどん悪い方に行き難聴の次はついには命さえあと少しという最悪の状況になってしまいました。 病は気からと難聴になったときふと思ってましたがなんとなく死にたいという前の私じゃ考えられないようなネガティブさにいつのまにか振り回されました。 視野が狭くなってて未来とかいろいろ考えられなくなってたし、いろんなものに無関心になってました。正気なときとネガティブなときがあるのです。 障害で仕事先が限られること、自分の能力に自信がないこと、楽しみがないことで内心絶望して自殺を試みたのだと思います。 自分の体で実験するくらいのノリで死のうとしてしまったんです。 現実に向き合うことさえできないような人間が死や死後の苦しみに耐えられる自信がありません。自殺した人間は基本的に大きな苦しみを追い続ける死後が怖いです。 私という人間の人生はあと少しで終わるし、また人間に生まれ変われるのか、もう極楽や天国へ行けないのか、もし地獄ならその長い苦しみに耐えられるか不安しかないです。 現実から逃げ続け、命の期限を勝手に設定してしまいました。散々死ぬ方法や確率以外にも自殺したらどうなるかもみたのに頭がはっきりしてなくてどう行動したらの結果がわかってなくて。死んだら自分が終わること理解できてませんでした。自分のメンタルが弱いばっかりに家族を悲しませることになるのは少し悲しいです。自分の人生があと少しで終わるのも怖いですがネガティブなループに気づけない限り難聴と違って避けられなかったことなのかもと、もう少し思い切ってサイクリングが早ければ違ってましたが。 死ぬときの苦しみも怖いし、自殺行為の末の死なので、死後どうなるか不安です。 あと体が動くうちにやっておいたほうがいいことのアドバイスが欲しいです。

有り難し有り難し 68
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本人に余命を知らせないこと

いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 39
回答数回答 3
2023/09/12

生きる意味がなく、絶望の連続です。

こんにちは。 私は、今年で24歳の女性です。 今年4月から、新卒で入社した会社にて、介護業務に努めていましたが、4月末に適応障害となり退職しました。 その2ヶ月後には実家に戻り、安静に過ごしていましたが、常に頭がぼーっと動かないという状態に襲われ、現在まで休養を中心に転職活動をしていました。原因不明で、現在も心療内科に通院しています。 転職活動をしなければならない、という 気持ちはあるのですが、「どこにいっても自分はだめな人間だ」「新しく人と関わることが怖い」「自分には価値がない」「前の会社を辞めなければ良かった」などという思想が巡り、「死にたい」と思います。 ですが、私が死んだ後、親が死亡届を書く 様子や、友人が自分を責める様子、などが 予見され、自死を自制しています。 付加的な出来事ですが、つい最近、好きだった人とも上手くいきませんでした。不幸の連続で、本心では死にたいです。どうしようもなく死にたいです。 この先、私に幸福が舞い降りるとは思えません。既に絶望の数々を目の当たりにしているので、自然死するのに何十年もかかるかと思うと、まるで生ける屍のような気持ちになります。 このような鉛のような気持ちをぶつけてしまい、本当に申し訳ございません。この苦しみは、どこにも行き場所がなく、私の内側で日に日に増幅していってしまいます。 一体どう生きていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 28
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事件などに一喜一憂してしまい生活がままなりません

昨今テロなどが増え、そういった類いの報道を目にすることが増えてから、私は急に人が亡くなる事件や出来事に過剰に反応するようになってしまいました。 亡くなった方々がどれほど怖い思いをしたのか、具体的に想像してしまい堪らなくなります。 そして、それがもし自分の身に起こったらと考え、恐怖でパニックになってしまいます。 悪いことを考える人が怖くて仕方ありません。 怖いなら見なければ良いと頭では考えるのですが、好奇心などではなく知らなければならないという義務感の様なものに苛まれ自ら随時チェックしてしまいます。 一時期はその日に亡くなった方々の数を計算したりしていました。 そういった行為が生活にまで影響し、外に出られなくなってしまい、ついに病院にも行きました。 ダラダラと書いてしまいましたが、ここからが相談内容になります。 私は両親・恋人といる時が比較的安心することができ、なんとか頑張っています。 しかし最近、その唯一安心できる人たちもいずれ死んでしまうと改めて気が付いてしまいました。特に両親です。 そしてこれまで「自分の身に起こったら…」で止まっていた思考が、「大切な人たちの身に…」まで拡大し、気を張る範囲が増えてしまいました。 私は今抱える恐怖心にいつかひとりぼっちで向き合う日が来るのか、と絶望してしまいました。 今20代なのでうまく行けば後何十年かは生きることになります。 恐怖する1日1日がこんなにも長いのに、まだ何十年もあるのかとまた絶望してしまいます。 こういった気持ちとどのように向き合えば良いでしょうか? また、世の中で起きた悲しい出来事にみなさんはどの様に折り合いをつけておられるのでしょうか? 私は強くなりたいです。 長々と失礼致しました。 お返事頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 6
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あやふやにしてはならないこと

医療従事者らしからぬことに、医療従事者だからこそ、言えぬことがあります。 最近、立て続けに2度も「これはマズいだろう」という出来事がありました。 1つは、医療ミス。患者として治療を受けた際に、問診でちゃんとキシロカインで副作用が出ることを伝えていましたが、キシロカインを投与されました。 すぐに副作用が出る可能性が高い麻酔薬だったので、しばらく様子をみただけで、医師から「もう大丈夫でしょう」と言われ、私もヨシとしたのですが、自宅に帰った後に副作用が出てしまい… 病院に電話したら、受付の方に「次回の診察時に直接先生に言ってもらえますか」と門前払い。複雑な気持ちを抱えつつ、まぁ…次回言おう…とあきらめてしまいました。 副作用が出る=死ではないけれど、副作用が出る=死に繋がるケースがある、というレベルの医療ミスだったのだから、ちゃんと言わなきゃならないし、言わなきゃならない立場なのに、結局、言えませんでした。 もう1つは、こちらもまた患者として治療を受けている時に、これは精神科医としてあるまじき発言だ!と思ったのに反論出来ず、黙り込んでしまったことです。 精神科に精神科の治療を受けに行ったのにも関わらず、風邪を引いていたことに対し、「生活保護を受けている訳でもあるまいし、(暖房器具を)買え!」と言われました。 先生の言い分では「一万円もあったら、電気ストーブぐらい買える!」ということでしたが、私の家は、暖房器具に一万円もかける家庭ではありません。数千円の石油ストーブを使い、壊れたらまた数千円の石油ストーブを買う、それまで我慢という家庭です。 確かに、生活保護は受けていませんが、どちらかと言えば貧乏で、家がボロボロでもなかなかリフォームをするような余裕もなく、年金生活者の両親と一緒に節約、節約と仕方なく節約を楽しみながら生きている感じです。 なので、一万円の電気ストーブなんて買えませんし、例え買ったとしても電気代が怖くてよう使いません。 以前、同じ大学病院に勤めていた同僚なのですが、こういう言い方をしては何ですが、生活レベルが違うのです。私の家には、私の家の事情があります。 恵まれた人生を送れている人なんて、ほんの一握り。 一患者として、私の感じたことをに伝えなければ…と思いますが、言えない自分が歯痒いです。 お坊さまは、言うべきことは言えますか?

有り難し有り難し 28
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Jアラートの朝に

自分の預かり知らぬところで、生きていいいのちと奪っていいいのちの選別が行われる。少し不快になったら「死ね」と言う人々が多い小中高時代でした。故に、生きる権利は簡単に奪われるものであるもののように思います。 実際に「不快だから殺す」が個人レベルではなく国家レベルで行われる可能性があり、それがもうすぐそこまで来ていること、発射ボタンひとつで何の心構えもできないまま全てが終わることを感じた今朝、不安と恐怖に耐え切れず、書き込ませて頂きます。 物理的要因で人間は簡単に終わらされます。凄惨な死は避けられず、成す術もない。自分はあまりに無力で、何をしたって意味がないと自暴自棄になりそうです。楽観はあてになりません。苦しみと凄惨な死があるだけです。何かを信じるのも怖いです。 自分について上手くいくイメージができないことと社会的な問題が解決する見込みが得られないことで、人生に希望を持てずにいます。意欲は薄れ、渦巻く感情を持て余し、生きていけないのに生きていようとします。 物理的問題は高潔な精神でどうにかできるものではないのです。「全てが自分の思い通りになるなら何がしたい」と考えた結論は、「存在していたくない、あらゆる感覚を捨て、物理的世界から完全に解放されたい」でした。 「みんな辛いのに頑張って生きている、辛いことを我慢して適応しなければ生きていけない」 ただ吐き出したいだけ、甘えたいだけなのだと思います。本当は他人の言葉を聞き入れる余裕もなく、それだけで死にたい、死ななければならないような気になります。 駄目でした。やはり生きることが難しいです。

有り難し有り難し 34
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