自分を否定するのは「良いこと」?
初めまして。少しの間だけ自分に素直になり、本心を大事にする事をお許し下さい。
私の親は私の心よりも世間体を優先する人でした。そして幼い頃の私は自分を抑える事が出来ない子供で、よくそれを厳しく指摘されて来ました。小さい頃は目立つ行動し、小学校中学年頃からは過剰に正義を主張して来ました。今なら、何でも良いから愛されたかった、肯定されたかったのだと考えられます。
私のあまりに奔放な気質は周囲に敵を作り、悪意を向けられることも度々でした。そうして傷つく度に親に理解を求めましたが、親としては「これ以上傷つかないために」、あるがままの私を捨て、変わる事を提案して来ました。
私が「辛い思いをしている」とだけは理解してくれましたが、返ってくる答えはいつも「私にも問題がある」「自分だけが被害者で、周りが見えていない」「そうやってイライラウジウジするな、不快だ」等でした。
「親なりに私の事を考えてくれていた」と考える事は出来ますが、本心では「私の痛みを受け止めてくれなかった」「あるがままの私はいらない、愛されないんだ」「間違っているのは私の方だ、いつもそうなんだ」などと感じてしまいました。
そのうちに「どうすれば良いのかは分からないけど、私が間違っている事だけは分かる」という考え方が根づいてしまい、自分に自信が持てずにいます。
本当はもっと本心を尊重したい、もっと自分を大切にしたいのです。しかし「それは甘えだ」「お前は常に間違っている」「多額の保険金をかけて死ぬ事が最大の親孝行だ」とさえ考えるようになってしまいます。
「あるがままで愛されたい、存在を肯定されたい」
「それは優れた人間、ちゃんと生きて来た人間にのみ許される。お前はそうではない。お前は自業自得で傷ついて来たのに、自分の傷を理由に被害者ぶっているだけだ」
こうした頭と心の対立にすっかり疲弊しています。私はワガママで被害者ぶっているだけなのでしょうか? 心の痛みを「無かったこと」にすべきなのでしょうか? 「理解されたい、肯定されたい、愛されたい」とは煩悩なのでしょうか?
自分の本心を否定するのが良い事のように感じます。しかし、本心は悲鳴を上げています。正しい事を聞いて傷つくのも怖いのです。やはり、心など捨てるべきでしょうか? 何をされてもひたすら耐えるのが良い事なのでしょうか?
有り難し 15
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