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検索結果: 1421件
2021/10/13

気力のでにくさ

身内をなくして10年たちますが悲しさは当時とかわりません。 思い出せば辛くなるしなんでいないんだろうと思うばかり。 人生で最後までいてほしかったのにあまりに早くいなくなってしまい、この先彼女のいない人生を送ってかなければとと思うと悲しいです。 彼女と同居はしてなかったけど同じく同居してなかった祖父母をなくした時とは全然違います。祖父母はある程度の寿命でなくなってますし両親もそれほど悲しんでたようではなかったです。娘をなくした母はみかけは普通にすごしてますが悲しいかと。この前も遺品整理をしたけど母は、とても疲れるといってました。 いずれ片づけなくてはならないから私は仕方ないと思ってるんですが母はそうではないようでした。 人生で最後までいてほしかった人がいなくなるというのはあまりに大きくて立ち直れません。それ以降、何をするにも気力がなくなってしまい時間だけがたち、これからどうしたらいいんだろうかと。やりたい事がないというのは目標がもてないので前向きになれません。これじゃいけないとわかっててもどうしようもないです。いなくなった後の私の人生は続くし何かやりたい事みつけてとりくめたらいいのに何もです。 カウンセラーに、できたことに〇をつければいいといわれましたがそれができません。自己肯定感が低くて、どれもできて当然と思え自分を肯定できません。 時間は前にしか進まないので少しは前むけたらいいんですが。

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生きていることが幸せとは限らない。

お世話になります。 17歳の娘を自死で亡くした母親です。四九日も無事にすみ、仕事も見つけて外に出て働くようになりました。 誰かに会っても普通に娘の話ができるようになりました。 私には息子もいますし、これからは娘の供養をしながら寿命がくるまで生きて、 娘に会った時に「お母さん、あれからこんな人生を送ったよ」そう話せるように頑張ろうと思いました。 きっと私はこのまま立ち直れると自分でも思っていたんです。 先週末、学校に娘の私物を取りにいきました。教科書や、亡くなる前日に娘が書いた授業のノートや、最後に受けた模擬テストの結果。 模擬テストは今までで一番いい成績でした。娘が見たらさぞかし喜んだでしょう。 「どうよ、頑張ったやろ~」嬉しそうな顔で自慢したと思います。 せっかくだから見てから逝けばよかったのに・・・。 そうしたら急に、娘のところにいかないと、早くいってあげなければと。 そんな思いに取りつかれてしまいました。今までも、朝になったら死んでるといいのにって思うことはありましたが、自分で死ぬことは考えなかった。 息子でさえストッパーにならないような衝動が押し寄せてくる感じです。 娘のことで、「生きてることが幸せとはかぎらない、死んだほうが楽になる人もいるんだよ。」そんな言葉をかけられました。 なんだか今の私にあてはまります。死んだほうが楽でも生きなければいけない。 残された家族にこれ以上の苦しみをあたえてはいけない。 そのほかになにか理由はありますか。死にたくなった時のストッパーになるようなことがあれば教えてください。 もうひとつ、娘のノートに 「神様に手をあわせるのか? その教えに手をあわせるのか? どっちなんだかわからん」とありました。 それも教えてやってもらえませんか。どうぞお願いします。

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2021/06/12

跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

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芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

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母から離れるべきかどうか

現在妊娠4ヶ月の妊婦です。先月脳梗塞で実家の父が倒れそのまま亡くなってしまいました。血圧が高い事は気にしておりましたが、持病もなく元気だった父の突然の死に家族も周りの人達も衝撃と悲しみに暮れています。 転勤族の夫との結婚を機に地元を遠く離れ暮らしており、安定期前の悪阻がある状況下で長時間の移動は無理だと判断し最愛の父の死に目にも立ち会えなかった事が残念ですが、優しくて子煩悩だった父なら来ないように言うだろうとその判断に納得しています。 家族の中でも一番大好きで仲が良かった父を想うと、死から一ヶ月が経とうという今でも毎日涙が溢れます。母も悲しんでいて実家で一人きりになってしまう事が心配です。他の兄妹三人は仕事があるので専業主婦の私が夫に了承してもらいなるべく実家に滞在して母を支えようとしています。 そんな母は悪い人ではないのですが、感情が昂ぶると平気で相手を傷付ける発言をする事が以前からたまにあり家族と喧嘩になる事がありました。 昨夜次兄が実家に立ち寄った際に母が私が何もしないと告げ口をしました。そもそも私の身体の心配をして力仕事や無理はしないようにと気遣ってくれたのは母なのに棚に上げ、他にも感情の赴くままに動かないから太ったなど散々なじられました。確かに大した事はしているつもりはないのですが、葬儀後の事務作業や食器洗い洗濯畳みなど出来る事はしていたつもりなのでショックでした。つい腹が立って家事を手伝っても何もしていないという事になるのならもう何もしない。心配してそばにいてあげてるのにと言ってしまいました。母はそれ見た事かとその後も私を悪者にして次兄に何か言っていました。涙がこみ上げてきてその場を離れ、なるべく顔を合わせないように過ごしています。 こういった事は今までに何度もあったのですが、妊娠中なのと最愛の父の突然の死で精神的に不安定なのも重なり丸一日経っても涙が止まりません。母の事は心配ですが、支えたくても時々本人に深く傷付けられるのでどのような距離感を保てば良いのか悩んでいます。父が生きていれば私の味方になってくれ、母を窘めてくれていたのにと想像してはまた涙が溢れます。 こんな事ではお腹の赤ちゃんや亡き父に心配されてしまうと情けなくもなります。母を支えたい気持ちと精神的な安寧のために離れたい気持ちがせめぎ合っています。どうするのが良いでしょうか。

有り難し有り難し 27
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人間のあり方とは

これまで自殺願望について何度もご相談させて頂いたものです。皆さんの真摯な対応のおかげで希死観念は徐々に薄れてきて、心の余裕が出来た事で過去の自分と向き合う事をしているのですが、その中で気がかりな方に気づいたので僭越ながら再びご相談させて下さい。 私は、自由意志の尊重をきっかけに自死について興味を持ちました。「他人に命のあり方を左右されるくらいなら自分で死んだ方が得心が行く」という心持ちに至った訳です。 その発端は世間にはこびる根拠の薄い方便でした。「死は悪である」「子供を産むのが人のあり方である」「生産性の無い人は生きてはいけない」…こうした社会を回す為の方便を自明の考えとして押し付けられる事は今でも受け入れられません。 特に、死を絶対悪とする発想は金輪際受け付けないと思っています。現在の自分は生の目的を少しずつ見つけたので辛うじて死を適度に恐れていますが、それでも全ての人に悪であると考えることは思い上がりも甚だしいと多々感じます。 逆も然りです。誰かの生き様に無責任な横槍を入れる発言を私はしたくありませんしまして本人の納得の外で当人の生き死にを自分が左右する事に大変忌避感を覚えます。恐らく政治や企業経営などは自分には全く向いていないのでしょう。 このように自他の意志を尊重しようとすると、どうしても傍観者の立場を取る事になり、一向に他人との繋がりを見出せなくなってしまうのです。 自己という存在は縁起で成り立っているという事を知っておきながら、いざ生活すると他人の預かり知らぬところで淡々と幸福を追求することになります。 全くもって不思議です。 つまるところ、今の自分は人間不信なのだと思っているのです。 他人が信用できないから自分の力でどうにかする術を追求し続けたということです。しかし、そのあり方を果たして続けていいのか、いやしかし「貴方の為を思って」とうそぶきながら自己の為に他人を操作するのもどうなんだろうか、そんな事をずっと思い続けているのです。 これは果たして人間の在り方としてどうなんでしょう。それとも私は人間を名乗る事を辞めた方がいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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いろんな悩み

こんにちは( *・ω・) よろしくお願いします。 私は去年2月に妹を交通事故で亡くしました。 当時は両親がとても落ち込み、そのことが心配で私が悲しみ暇がありせんでした。 毎日片道40分ある実家に通いました。 下の子がまだ生後4ヶ月くらいだったこともあり余計に自分のことは後回しにしていました。 そんな日が続き、去年10月に育休が終わり仕事復帰しました。 保険の仕事をしています。 復帰して、死についての話、交通事故での話などを聞く機会がこんなにツライのかと思いました。 妹が亡くなってから車を運転するのが怖かったのですが、田舎なので運転しないと生活ができないので我慢して運転していましたが、足が震えたり意識が飛ぶような感覚に教われたり病院に行こうか考えるような症状が出始めました。 ですが、ごまかしごまかし運転していましたが仕事で車で往復4時間くらいのとこに月1回行かなくてはいけなくなり正直仕事を辞めたいです。 辞めたいのですが私は9月まで役員をしなくてはいけないので辞めにくいです。 もう病院に行って診断書を書いてもらおうかとか、辞めます‼と言い通そうかとか辞めることばかり考えています。 気づいたら、休みの日もそのことを考えていて憂鬱でした。 これはもう仕事を辞めなくては私がおかしくなってしまう。と思ったのですがやはり役員をしているので所長に言いにくいです。 病院に行ってから所長に言うべきか、それとも後先考えずとりあえず所長に言ってみるか、どうしたらいいでしょうか❓ ちなみに所長は独身でお坊っちゃまで頼りない人なんです💦 一年たったら悲しみも少しは和らぐかと思いましたが子供も手がかからなくなり自分の時間ができ考える時間ができた時、妹の死を改めて考えました...ほんとに死んだんだ。なぜ?妹が...あんな約束をしたな、ほんとだったら今一緒に買い物しているはずなのに一緒にご飯を食べてるはずなのに...ほんとにおかしくなりそうです

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父は最後に何を言いたかったのか?

父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 43
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元夫への想い

16年前 子供が産まれから半年程で別居し、その後 離婚をしました。 私は結婚と同時に住まいも生活環境も変わり、馴染めまま すぐの妊娠、出産で精神的に不安定になり 彼を追い詰めたのだと思います。 離婚後は 娘のおねだり や 運動会など こちらの要望には 必ず 答えてくれましたが 一年に一回 会えばいい方で 彼から 誕生日や会いたいなど 連絡は一切ありませんでした。 先日 娘が彼の家に泊まりたいと連絡した所 『女の人の物があるけどそれで良ければ』と言われたそうです。 年頃の娘にそんな話をする事もおかしいし、 『毎月、養育費を払ってくれてないのに 女にお金を使ってるのはどういうこと 子供が優先でしょう』 と 私が怒りの電話をしました。 ボーナス時にまとめで支払ってくれてはいましたが 一年間 入らない年もあったため 毎月 払ってくれるよう お願いはしてありました。 でも 結婚当時から仕事のストレスをパチンコで解消していた人ですので 私まで追い詰めてはと思い 控えてはいたのです。 私は彼がずっと好きだったし、信じていたし、困ったときにはチカラになりたいと思っていました。 だから 悲しさが怒りに変わったのだと思います。 頼れる人がいなくなる不安もありますが 彼のことを忘れるために 今は連絡先も削除し、会わないと決めました。 割り切ったつもりでも 辛く悲しい日がよみがえってきたり… 私はどうしたら 強くなれるのでしょうか…。

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この感情をどうすれば…

はじめまして、宜しくお願い致します。 3月14日に急死してしまった 彼についてご相談させて下さい。 彼には前妻さんとの子供達がいますが、息子さんに、家族が増えまだ若い一家に心配もあり、おとうちゃん(婚約者)と私、息子さん一家で 一軒家を借りて共に歩んでいこうと話を進めてまいりました。 当日の朝も一緒に家を見に行って… そんな矢先に突然彼は亡くなって しまいました…。 まだ49日もすんでいませんが、彼が亡くなってしまった現実に受け止められないでいます。 生前は、温厚で器がでかく 離れて暮らしていた子供さん達にも 彼なりに愛情をそそいでいた 矢先の事でした…。 彼は若くして初孫が出来たことに大変喜んでいましたし、息子さんと一緒に生活をする事にも照れながら喜んでいました。 14日の日、おとうちゃんが胃の辺りからみぞおちが痛いと訴えて病院に行きました。 ですが数時間放置された後…急変し そのまま亡くなってしまいました…。 その日、なぜ助けてあげれなかったのか、 もっと真剣に彼の訴えを受け止めて 別の病気ではなかったのか? 疑うこともせず優しくしてあげれなかった 自分に後悔してもしきれない自責の念につぶされています。 私が彼のこれからの未來を奪ったんだと… 1ヶ月後に孫の顔が見れた抱けたはずだった 彼の幸せを… 皆に祝福されながら生まれるはずだった 孫ちゃんが彼の生まれかわりだね…と 言われながらこの世に生まれてしまったこと… 全ての事が私があの時、助けてあげれなかったからだと…彼は苦しんで今も訴えているんじゃないかと…。 悲しくて絶望の中、頭で理解してる つもりなのに現実を受け入れられず、 泣くことも我慢してしまいます…。 心が…気持ちが…わからない。 頭では居ないとわかってのに 待ってしまう…いつかいつもの笑顔で 帰ってきてくれると… 最後の言葉、あの時の苦しんでる光景が 頭から離れず…フラッシュバックしてきます。 彼は今、亡くなった事を理解しているのでしょうか…。 私の性格をわかっている彼が…心配して悲しんでいるかも…。 もしくは苦しかったことを理解して くれなかった私に怒っているのかも…。 まだ彼は私に姿を見せてくれなくそう 思ってしまいます。 まとまりがなく何を相談したいのか… わかりにくい文面で申し訳ありません。

有り難し有り難し 15
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2023/05/15

人生を終わらせたい

私は、自分の理想とする人生を歩めない、そればかりかこの先悲しいことばかり起こるのだと悟り、であれば少しでも辛い思いをする前にこの人生を終わらせたいと思います。 少し前までは、せめて世界へ旅に出て感動的な体験をしてからでも遅くないと思えたのですが、最近は何かに感動する感情も薄れてきて、早く死にたいと思ってしまいます。 仕事も側から見たら普通にやっているように見られてますが、自分の能力の限界を自分は知っているので今後が怖いです。 ただ、自死を考える上で唯一の心残りが、遺された家族の気持ちです。 私の家族:両親は離婚、兄弟含めみんなあまり友達がいなかったり、孤独な面があります。また、母は10年前に家を出て行き、発達障害気味の姉と2人暮らし、とても低い収入で一生懸命姉の分まで働いています。なのに、こちらからの援助どころかプレゼントすら受け取ってくれないようになり、それも私からすると苦しいです。母には少しでも幸せでいてほしいのに、全く人を頼ることをしません。 (正直他の明るい家族だったり人生楽しんでいる人たちを見て、なぜ、うちの家系はみんな孤独なんだろう、こういう性格なんだろう(一言で言うと陰という感じです。)、と思ったりして、そういうことを考えるのも辛いです) そんな家族だからこそ余計に、私が自死などしたら一生癒えない悲しみを負わせることになると思います。 でもそれさえ振り切って人生終わらせたい、、その繰り返しです。 私自身、もう30になるのもあり家族を設けられればまた違った人生があるのかもしれませんが、好きな人と一緒になることも叶いそうにありません。 そもそも、自分のような人と深い関係を築くのが難しい性格で生まれてしまった以上、自分が理想とする人生は確実に無理です。 本来であれば身の丈に合ったフィールドで精一杯生きると言うのが正しい在り方だと思うのですが、私は「こうでありたかった」という理想への執着のようなものを消すことができません。こんな状態では、自分のスペックで言えば一般的に幸せと言えるかもしれない状況を手に入れても、幸せと思うことが出来ません。 まとめると、生きるも地獄、死ぬも地獄、でも死んでしまったら自分はそこで感情も何もなくなるので、苦しい状況から逃れられはする、という感じです。 何かアドバイスございましたらご教示いただきたいです。

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配偶者の病気

初めまして。 誰にも相談できず、悩んでいます。 少しでも心が楽になる言葉をいただけたら幸いです。 どうぞよろしくお願いします。 主人(50歳)が余命一年から二年の癌になり、今は治療中です。 本人には余命宣告されたことは伝えてありません。 ただ本人は自覚症状や痛みや治療などからあまり長くは生きられないのではないかと思っています。 私はもちろん全否定して励ましたりはするのですが、それが逆効果になり、本人は落ち込んだりします。 主人は大好きだった釣りやゴルフができなくなり、歩くことも困難になり、人生の楽しみを失ってしまいました。 正直毎日落ち込んで沈みがちな主人を見ているのが辛くて悲しくてしんどいです。 どんな言葉を掛けたらいいのか何をしたらいいのかわからないんです。 本人に生きる希望を持って少しでも前向きになり、治療を頑張ってほしいんです。 でも病気の痛みや治療の辛さを我慢している主人に少しでも長く生きてほしいと思うのは自分勝手なのだろうかと思ったり、 余命宣告されているんだから治療を頑張らなくてもいいのではないのかと思ってしまう時もあります。 私も気丈に前向きに明るく振る舞ってはいますが、どう病気と死と主人と向き合っていいのかわからないんです。 できるならお互いが心穏やかに過ごしたいので、そんな心持ちになれるような言葉や所作など教えていただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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怒りの手放し方を知りたいです

何年も前に子供が乳幼児突然死で亡くなりました。 四十九日の法要の日、親戚は法要を終えた後その足で近くで行われていたイベントに遊びに行きました。事前に調べて計画していたと聞き怒りが込み上げてきました。子供の死を軽んじられたように感じました。 その時から、親戚との付き合いが苦しくなってしまいました。 その後また子宝に恵まれ、とても嬉しくて幸せな半面、また死んでしまうのではと不安になっている時に、赤ちゃんが生まれたから、もうの亡くなった子の事は吹っ切れるわねなどと言われ、悪気はなく、良かれと思っての言動とは分かっているのですが、また悲しくなってしまいました。 何年たっても、次の子が生まれても、亡くなった子に対する気持ちは変わらないのです。今でも鮮明に思い出して苦しくて涙がでてきます。 もう何年もたつし、親戚付き合いが盛んな家族なんだから、私もいつまでも執着しないで、わだかまりを水に流せばいいのにと頭では分かっているのですが、なかなか心がついてきてくれません。 なんとか心穏やかに、怒りを手放して、よい距離感を保てるようになりたいのですが、自分ではどうしていいのか分かりません。 どうしたら自分の気持ちをうまくコントロール出来るのでしょうか?

有り難し有り難し 3
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