また、相談します。同じような内容ですみません😢母が突然死してから一年がたとうとしています。自分にも母を死なせた原因がありいつまでも母に申し訳なく毎晩涙がとまりません。そして、何より夫に申し訳ないのです。色々とやるべきこと考えることあるのですが、どうしても身体がついていきません。夫には、普通の精神状態の人が相応しいのに、私はまた人を不幸にしたくないです。だけど、元気に振る舞えません、心配ばかりかけて夫を気遣うこともできません。消えてなくなりたい気持ちで苦しいです。 長い文章でわかりずらくてすみません😣
愛犬が亡くなりました。享年6歳 一年半前から糖尿病が発覚し、インシュリン生活を続けていました。 本当に可愛い犬でした。人懐っこく、警戒心なく誰にでも懐く可愛い犬でした。 わんこを飼ってすぐに独りになりその孤独な私を一番そばで支えてくれたのはわんこでした。わんこと一緒に毎日公園に行き、犬友達と話し、あの辛い日々どれだけ救われたことか 私と一緒にわんこをずっと可愛がっていてくれていた祖母がいました。わんこのために手縫いのセーターを作ってくれごはん、インシュリン、仕事で忙しい私の代わりにわんこに惜しみない愛情を注いでくれていました。 その祖母が今年の冬、亡くなりました。わんこは亡骸をじっとみていました。 今春私に子供が生まれました。糖尿病の犬は大変お金がかかります。毎月数万の治療費のほか、たまに体調を崩し入院し数十万。先の見えない治療と、子供が生まれてひっ迫していく生活。だんだんと苦しくなっていきました。 そして体調を崩し、入院となりました。正直またお金がかかることを心配しました。また数十万かかる。どうしよう。 入院中私は友達との食事や自分の予定などがあり、過ごしてしまいました。怖かったのです現実が。じっとしていられませんでした。でもまっすぐに向き合うことも怖かったのです。 2日後、先生から電話がありました。変わらず体調が悪い、夕方にできて。ということでした。夕方にいくと、数分前に亡くなっていました。先生も驚くくらいあまりにも急すぎることでした。 葬儀には犬友もきてくれ、これなかった友達からお花も届きました。手紙も書いてくれていました。たくさん泣いてくれました。 こんなに愛されていた犬を私は病院任せにして家族に看取られることなく逝かせてしまった。 あの日のこと本当に後悔しています。どうして先生が電話をくれたときに飛んでいかなかったのか。 。お金の心配ばかりでどうしてわんこのことを第一に考えてやれなかったのか。 あんなに愛してくれたのに。あたしは守ってあげられなかった。 子供を抱いてもわんこを手薄にしてしまった罪悪感に苛まれます。 あんなに具合が悪かったのに、もしかしたら潜在的には死ぬことも分かっていたのかもしれないのに、水を飲みたがっていたのに吐いてしまうからあまり飲ませてもらえない病院に入れて私は逃げていました。最低です。死にたい気持ちにもなります。
一ヶ月前に家族同様に暮らしてきた愛犬が亡くなりました。 病気でしたが6才と若さだったので 今だに 悲しく寂しく涙が溢れでてきます。あの子は幸せだったろうかと後悔ばかりしています。 このような状態で毎日過ごすのは いけないと頭の中では 分かっていますが、感情のほうが先だってしまいます。このような時に 元々必要な事以外は あまり話す事のない主人との心の溝が 一気に開いてしまいました。 小さな事の積み重ねで 主人と出かけるとかふたりで たわいのない話をするとかがなくなり いつのまにか 主人には言うと逆に不機嫌になる言葉があり(普通の人にはなぜ?と思うような事です) 気をつけていたのですが うっかり言ってしまい今は 二人でリビングにいるということもなくなりました。 あの子が接着剤になっていてくれたのだと思えてなりません。私は 主人に心が開けません。このような私に 何かお話聞かせて下さい。 よろしくお願いします
お世話になります。 今年の1月に16歳の犬が亡くなり、4月には18歳の猫、10月には15歳の猫が亡くなりました。 2匹が相次いで亡くなった時はとてもショックだったのですが、今年はもうこんな悲しいことは無いだろうと思っていました。 所が15歳の猫を先月病院に連れて行ったのですが、1月もしないで亡くなってしまいました。 3匹共高齢なので覚悟はしていたのですが、こう続くと毎日が不安でたまりませんせん。 こんな悲しい現実がある事が信じられない思いでいます。 こういう時は、どの様な思いで乗り越えればいいのか教えて頂きたく、宜しくお願いします。
私は福祉の道を志し毎日精進しています。人の幸福に少しでも寄与できればと思ってのことです。専門的な勉強は楽しいし仲間は刺激し合うことができ、充実しています。しかしふと、たまにどうしようもなく死にたくなることがあります。以前精神病で引きこもっていたころのようなどす黒い感情が蘇るのです。ふと死にたくなることはきっと誰にでもあることでしょう。しかし周りも辛いから自分も耐えろ、と言われるのは酷です。なにか突如として起こる負の感情の鎮め方や捉え方はないものでしょうか… 駄文で申し訳ありません。本気で困っているのです。
先日夫は私が寝たのを見計らって、自宅を出て、1人で静かに自分の命を絶ちました。 残されたのは1通のメールのみ。 メールには、仕事で躓いてしまい、相談せず決断してすまないという内容も書いてありましたが 二週間たった今でも、わかるはずのない理由を求め、自分ではコントロールできない心と身体に戸惑いながら生活しています。 夫が出ていったあの時目が覚めていれば あの時こうしていれば…異変に気づいていれば... まだ夫は私の隣にいたんじゃないかと思うと胸が苦しいです。 夫の自死は息子には隠しています。 助けられたんじゃないか あの時気がついていればと 自死を知って苦しませたくない 置いていかれたと思って欲しくない 親の死は印象に残るでしょう 人生に躓いた時、自死という選択肢を与えたくない などという、私の勝手な願いのために隠しています。 夫の最後のメールには、息子達へのメッセージも書いてありましたが、自死とわかってしまうため、未だ見せていません。 真実を偽って最後の言葉を届けることもしない 私の行いは間違えているんじゃないかという罪悪感も常にあります。 私は間違えているでしょうか? 何気ない日常が幸せだと信じて生活していたのに、今は何気ない日常が1番苦しくて、いつも行っていたスーパーで買い物をすることもできません。 苦しくて苦しくて、 一緒に生きれなかったなら なぜ一緒につれていってはくれなかったのか いっそあとを追って死にたいと、毎日毎日思うのです。 でも傍らで同じように涙を流す息子を見て我に返ります。 そんな自分がとても恐ろしく、コントロールできない自分の心が、いつあやまった判断を下すのか心配です。 夫はどこにいったのでしょう。もう苦しんでいないのでしょうか?
私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?
先週実母が急逝しました。交通事故でした。朝の散歩で横断歩道を渡っていたところ、車に撥ねられました。 母が住む実家と私の住む場所は遠く離れており、告別式が終わり戻って来たら、母が亡くなったは夢だったのではないかと思えました。病気ひとつなく元気に過ごしていた母がこの世にいないことが信じられません。 しかし、現実には母はもうこの世にはいません。電話をしても繋がることはなく、たわいもないおしゃべりをすることもできません。 仕事の最中は気持ちに蓋をして明るく振る舞っていますが、家に帰ると放心状態になります。そして胸が苦しくて張り裂けそうになります。加害者への怒りが日に日に増すのを感じます。怒っても母は戻ってこないのに。 自分の心がカオスになっていて、どう向き合えばいいのかわかりません。
去年の11月に 大好きなおばあちゃんを亡くしました。 私は22歳で初めての人とのお別れが 大好きなおばあちゃんでした。 おばあちゃんは母のお母さんで、私は小さい頃に母が離婚し母は母子家庭で育てるため夜も働いてました。その時2歳 3歳からおばあちゃんがずっと私の面倒を見てくれていました。 そんな祖母が 亡くなる約半年前に 膵臓癌が発覚し 気づいた時には ステージ4の末期でした。 その時すごくショックでした。 私は病気が憎いです。なんでおばあちゃんが、、と毎日毎日思います。 ガン宣告され、だいたい半年が余命と聞き そこからの半年は物凄く早く感じました。 入院は1度 十二指腸が閉塞していたのでそれをステントで広げる手術をして無事成功し退院後は おばあちゃんの希望で自宅療養でした。 私は アルバイトが休みの時に祖母の所に行き 母がほぼ祖母を見てくれていました。 病気になる前は食べることが大好きだった おばあちゃんが 食べることもしんどくなり だんだん痩せ細っていく姿を見るのは 本当に辛かったですし、だんだん 目に見えてわかるように弱っていくおばあちゃんをみてわかるものがありすごく、不安でした。 最後の方はモルヒネをつかっていたので 意識がほぼない日がつづきましたが 亡くなる1日前などは普通に起きて 返事もしてくれ会話もしてくれました。 そして、亡くなった日 、なくなる瞬間を私は 見ました。 呼吸が止まったのもわかりました。 その時はなにがなにかとかも理解出来ず 涙もでませんでした。 その日お通夜をし次の日お葬式でした。 お葬式の時 火葬の時に やっとじわじわ実感がわいてき、火葬の時にはもう二度とおばあちゃんに触れること見ること出来ないんやと頭で思うと涙が止まりませんでした。 22さいにしての初めてのお別れが大好きなおばあちゃんでした。 あれから、毎日毎日おばあちゃんの事ばかり考えては涙が止まりません。 おばあちゃんはいいとこにいけたのかな。とかも心配です。 毎日、おばあちゃんに、会いたい。 おばあちゃんに会えるならもう何も要らないと思います。 この先ずっとこの悲しみから立ち直ることはできないのでしょうか。 長々とごめんなさい。あとごちゃごちゃになりました。
祖母の病気が発覚して余命僅かです。90になったばかりであとせめて3年くらいは生きてくれるかなと思ってたのでショックです。祖父母みんな亡くなってるのでこれが最後の祖母です。昔はよく可愛がってもらっていたのでとても悲しいです。私は社会人になってから遠くに引っ越したのでなかなか会えないですがそれでも定期的に会うようにしていました。いつ亡くなってもおかしくないと思うと悲しくなり、旅立った後は立ち直れるかどうかも不安です。今も毎日不安を抱えて落ち着かない日が続いているので少しでも楽になりたいです。 曹洞宗だそうなので、もし可能でしたらその宗派からのアドバイスをお伺いしたいですが、私も勉強になるため他の宗派のお坊さん方からのご回答もあればお待ちしたいです。
今日知り合いの友人が亡くなったとLINEで来ました。学生の頃からの友人で多分40歳くらいだと思います。 辛いだろうなと思いつつ気持ちが分からず、とりあえず、「かわいそうだね。無理せず頑張って」と送りました。もっと何か言えないかなと思いながらもそれしか思い浮かびませんでした。その人が、人と時と場合によって性格が変わり、仲良くしてる人でも悪く言う人なのもあるかもしれませんが。 昔は思ってなくてもどう言ってあげれば相手が喜ぶかとかよく分かったのですが、今はさっぱりわかりません。 35歳ぐらいに自分で飼った2匹目のねこが死んだあたりから、ペットも含め誰かを愛せませんし、身近な人が死んでも多分悲しくないと思います。 だからといっていじめたりはしません。そうゆうことは嫌いです。 猫が死んだときホントに悲しくて、主人が寝れるのもご飯が食べられるのも理解できませんでした。 でも、今は夫婦して親から絶縁されており、今飼っている猫に依存している主人は、多分何もできなくなって仕事も辞めるかなと思います。何日もなくかもしれません。 それを思うと私は今から面倒です。 私はおかしくて冷たいでしょうか? 今友人を亡くした知り合いに、この先猫を亡くして絶望する主人に、なんて言えばいいのか、どうしたらいいのか、全く思いつかなくて困っています。というか不安です。 不謹慎な質問かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
先日、父が亡くなりました。まだ60代でした。 元々、滅多に風邪もひかない人で、体調が悪いと言い出してから数日で倒れ、心筋梗塞と重度の糖尿病が発覚して入院し、手術の予定日の朝に突然、呼吸と心肺が停止しました。 父は、あまり自分の話をしない人でしたが、母から聞いていた限りでは、辛い経験を幾度となくしてきたようで、それらを父はいつも独りで抱え込んで、弱音を吐くこともなく耐えてきたのだと思います。さほど強い人ではないので、そのせいか少しひねくれてしまったところもありますが、頑張り屋だったのでしょう。 体のことも、入院時には主治医から「よく生きて病院まで辿り着いた」とまで言われたほどなので、実は随分前から体調は芳しくなかったのだと思います。そんな様子は全く見せてくれなかったので、私たち家族には正に『青天の霹靂』で、あれよあれよという間にいなくなってしまったという感覚です。 母と弟には、非常に大きなショックだったようで、時折放心したようになったり、色んなことを悔いたり、「早すぎる」と泣いたりしています。 私はというと、悲しくないわけはないのですが、どこか腑に落ちたというか、納得してしまったような感覚なのです。 父はさほど強くもないのに、これまで多くの苦難に独りで耐え忍び過ぎたと思います。 そしてこれから先、母を看取ることや、自分が寝たきりや要介護になることは父にとって、この上なく耐え難い苦痛であり、それを避けられたことは、父にとって決して悪いことではなかったと思えてしまうのです。 これは私自身の死生観ですが、生き抜いた先に穏やかに眠れる場所があるなら、それは『救い』だと思いますし、私もいつかそこに辿り着けることに安堵感すら抱いています。 体から解放された父はこれからは、痛い思いも苦しい思いもせず、誰かに傷つけられたり、辛い思いをしたりすることもなく、『楽』になってくれているように思えるのです。 なので、母や弟のような悲しみ方が私には出来ず、このまま日常にスっと戻れてしまうようなのですが、周りとの温度差がありすぎて、これは私がまだ悲しみを実感出来ていないだけなのか、それとも私の感覚が少しズレているのかと考えてしまいます。 私のこの感覚や考え方は、特殊なものなのでしょうか?
妹が2月に亡くなり、4ヶ月がたちました。 時間がたてば、少しは辛さもなくなっていくのかと思っていましたが、辛さは増すばかり。 妹に会いたいです。 どうして妹が死ななければいけなかったのか。 どうして。どうして。 考えればきりがないです。 何をしていても思いだし、なんとも言えない気持ちになります。 なんとも言えない気持ちや会いたくなった時、私の気持ちを押さえるいい言葉はないでしょうか?
希死念慮とは違うのかもしれませんが、まだ幼児の時に「納得のいく死に方」をしたいと思って以来、常に死と共に生きているような気持ちでした。 幼児なのに何故そう思ってしまったのかは、書くことを控えます。 事故で亡くなる人が多い家系でした。自身も成人までに何度かの事故を経験し、すんでのところで助かりながら今日に至ります。 強運なのか生かされているのかは分かりませんが、常に死のことを考えているのに、周りからは楽しそうだねアホになれていいねと言われていました。 楽しい自分を見せていたほうが周りも笑うし、それで平和なら役割なのだろうと心の中は一つも楽しくなく生きてきました。 コロナ渦になり、ある理由から人が望む存在をやめた途端に長年の縁がパタパタと面白いぐらいに途切れました。本音を出した途端に人がはなれていきました。 本音しか言わなくなったために、プライベートはめちゃくちゃです。めちゃくちゃなのに実は今が一番幸せです。 コロナ渦で「しあわせだ」などと言いづらいですし、それを言ったらどんどん人が居なくなりました。 幸せだな楽しいなと思いながら死ねたらいいのですが、まだ生きています。 しあわせな面していると不快に思われて、絶望していると人は寄ってくる。 ちょっとこれ以上は人間として生きることが難しいかなと。 現代の日本で生まれたとは思えないような生き方・環境の中で暮らしてきたため、変わった経験できたよな〜程度にあえて軽く捉えないと耐えうることは無理でした。 ちなみに誰かの役に立つことはもうしたくありません。それが苦しい半生でした。 それなら死んだら?と言われたこともありますが、お前が言うなと怒り狂ってしまいました。 でももう怒りたくないのです。 優しい気持ちで笑いながら死にたい。 人としての生にまったく意味を見出せません。幼児期に早く死にたいと思いながらも生き続け、今は中年になりましたがまだ死にたいです。 人生が嫌で死にたいのではなく、多幸感を感じたまま死にたいという我儘です。 それでも私は笑いながら死にたい。死を不幸なこととして捉えることが難しい。 死はかなしくて不幸なことなんですか?
5月8日に母(父とは2年ほど前に離婚)に警察から電話が来て父に何か持病があったかなどの連絡が来ました。 その後、私に父の姉から父が亡くなったと連絡が来ました。 父とは両親が離婚直後に2回ほど会いましたがそれ以降は音信不通でした。 警察から話を聞くと父は昨年の9月頃に亡くなったそうです。 今月の17日に直葬をしました。 頻繁に父を訪ねてればもっと早く気付いてあげられたのではないか。 もしかしたら亡くならずに済んだのではないか。 苦しかっただろうな、辛かっただろうな。 後悔と申し訳ない気持ちでいっぱいです。 亡くなったと聞いたその日の夜 父が私の手を握ってくれたような気がしました。 おそらく夢だろうと思いますが握られた感覚が微かに残ってたので会いに来てくれたんだなぁと、思いました。 手を握ってくれたので怒ってないと思ったのですが、もしかして成仏できてないので知らせに来たのでは無いかとも思いました。 見つかったのが遅くても成仏できるのでしょうか? 供養もしっかりして、父が安らかに眠れるように願っていれば父は許してくれるでしょうか? 拙い文章で申し訳ございません。
私は今年の3月末に父親を亡くしました。 朝に起きてこなかったため、様子を見に行ったらそのまま部屋で亡くなっている、という状況でした。 その後、遠くに住む兄姉に連絡をしたり、憔悴している母親の傍で色々な手続きを行なっていますが、まだ悲しむことができていません。 他の家族、親族が泣く姿を見て自分だけは、と気丈に笑って振る舞って過ごしてしまいます。しかし一人になると急に亡くなったことに対する父親の怒りと、悲しむことができていない自分に対する怒りで自分の身体を傷つけてしまう毎日です。 怒りの感情は収まり、しっかりと父親に対して悲しむことができる日がどうすれば来るのでしょうか。また、何か父親にしてやれることはありますでしょうか。教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。
つい先日の8月20日に65歳の父が突然死しました。 私はいつも通り仕事をして、昼御飯を食べ始めようとしていた時に、母から電話が鳴っているのに気付き電話にでました。 母からは「お父さんが息をしていない」の内容でした。 一瞬理解が出来ず、今すぐ行くと言い、実家に駆けつけました。 向かっている途中、母に何度も電話をかけ、出たのは兄でした。 内容を詳しく聞いていると、心肺停止の状態でした。 数日前に私の家族と母と父でご飯を楽しく食べ、父とは一緒にお酒を飲んだばかりだったので、何かの間違いだと自然と涙がでてきました。 実家に着くと救急車が発進するところでした。 母が助手席に乗っており、私が来たことに気づいてないのか、ずっと無表情で遠くをみていました。 その後、病院にすぐ向かい、母と兄と合流しましたが、医者からは「心臓マッサージを続けていますが、非常に反応が鈍いです」「これ以上蘇生を行っても身体を傷つけるだけです」と言われ、兄は止めてくださいと言おうとしましたが、私は父がこれで死んでしまうのが信じられなくて、「あと少し頑張ってください」と言いました。 頭ではもうダメだとわかっていましたが、、、 結局父は戻ってこず、そのまま死を宣告されました。 その後、家族だけの席を設けてくれた時に母が泣き崩れました。 その後はよく覚えていませんが、通夜と葬儀を頭が真っ白になりながら時間だけが進んでいきました。 途中何度も涙が流れて、一番悲しんでいるのは母なので、声をだして泣くことを我慢してきましたが、最後の出棺の時に4歳の子供を抱っこしたまま泣き崩れてしまいました。 もう家に戻ってこないと思った時にさすがに我慢できませんでした。 父とは子供時代の楽しい思い出があまりないですが、私に子供が出来てからは、父との会話も増え、寡黙で頑固な父が「じぃじ」と言ってくる孫と楽しそうに遊び、知らないうちに子供のおもちゃを買ってきてくれたり、もっと生きたいと言っていました。 今は仕事も休み、実家で寝ています。 夜寝るのが恐くて、1日三時間ほどしか寝れていません。突然すぎて、まだ父が近くにいる様な気もします。 ハッキリいって仕事にも行きたくないし、子供と遊んでいても、自然と笑顔になれません。震災が起きて、家族みんな死んでくれたらいいのに、一週間前に戻りたいと思っています。 この気持ちはいつか晴れるものでしょうか?
初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。
現在27歳。18歳まで実家で父含め家族と同居していました。私は中学生から反抗期で父とはまともに話さなくなったまま大人になりました。 父は私が5歳の頃から病気でしたが、父母は私が心配しないようにと具体的な病状は話してくれなく、父は病気だが長生きするのだと思っていました。 大学進学で実家を離れた後、Uターン就職しましたが、数年後再び県外に出て転職。この間に父の病気は進行し手術ができない状況になりました。しかし私はこの事実をよく知らないままでした。 県外に転職し2年目の夏、父が心肺停止になったが蘇生したと母から連絡があり新幹線に飛び乗りました。なるべく週末は見舞いにいきました。 父は心肺停止の影響で記憶がなくなってしまった部分がありました。同居していた18歳までの記憶はありましたが、私が大学進学を機に実家を離れてからの記憶はありませんでした。そのため私が県外にいることもわかっていませんでした。 父が心肺停止したこの時期、私は婚約しました。意識が途切れ途切れの父に婚約の報告をしました。 そして、私は当初予定していた結婚式の日を父の寿命を考えて2ヶ月程早めました。 父は体が落ち着いていきリハビリもし、ゆっくり歩けるようになりました。 父にとって最後となる年末年始。一緒に実家で過ごしました。しかし、母、兄も疲れてイライラしやすく、私もむしゃくしゃしてイライラしやすく、私と兄は一家団らんの食事の際口論になりました。私は兄が怒鳴り散らしたことをきっかけに、皿や箸を投げつけ割りました。そばにいた祖母は泣いて止めようとし、父も止めようと必死でした。悪いことをし父母に謝りました。父は許してくれました。私は精神的に限界だったと思います。 そして入籍まで約10日、結婚式まで1ヶ月を切った頃、父は入院先で亡くなりました。車椅子で結婚式に出ると張り切っていたのに。私は県外で仕事中で、職場に母から報告があり地元に駆けつけました。 約20年、父の病気を知らずに反抗してばかり。自分のやりたいことのために地元を離れていた私。父との時間をもっと作れば、もっと素直になれば、もっと温厚でいればよかった。私へのお仕置きとして、結婚式前に父は旅立ってしまったと考えてしまいます。私は父に寂しいことやひどいことばかりしてしまった。父はこんな私を本当に許してくれているのか。父の死との向き合い方がわかりません。
私の母は89歳で認知症の末期と思われ、小規模多機能施設に行っており、週に2日寝に帰ってきます。 話すことも立つことも何も出来ず、今の処、何とか食事だけをしている状態です。 70歳の私は独身で常に母と今まで暮らして来ました。母が認知症になって約12年苦しい事ばかりでした。 私には域内に妹と弟がいます。弟とは反りが合わず、母の見舞いにも殆ど来ません。 妹は色々とお金の面とか協力はしてくれてましたが、今病気で入院しています。 私は妹が頼りで、元気な時から母ちゃんが亡くなったら、兄ちゃんは母ちゃんのそばで泣いとればいい。私が全てするからと言ってくれてました。 其の妹が病気になり、心ぼそくて、仕方ありません。 少しづつ少しづつ悪くなって来た母をそばで見てきて、もう直ぐ亡くなるかも知れない母が可愛そうでたまりません。 帰って来た時耳元でワシを一人ぼっちにせんといて、ご飯を頑張って食べてや!と毎回言ってます。スマホで嚥下訓練や口腔ケアの事を一生懸命勉強して、帰って来た時と翌日行く前の時間に一生懸命頑張って来ました。 しかし、老化には勝てず、少しづつ悪くなって来ました。 母は私の命です。亡くなる事が想像出来ず、とても怖く、何も手につかず、一種の鬱になった気がします。母は子供の時から実母にいじめられ、大人になってくると17歳で無理矢理親父と結婚させられ、私達が生まれたあとも酒癖が悪く、大変な一生でした。 母が60歳の定年を迎えた時にシーズーの犬を買い、犬を連れて、色々な所へ遊びに行った約19年間が唯一の幸せでした。 犬の亡くなる2〜3年前からアルツハイマー型の認知症になり、それからというもの本当に大変でした。 私も母とは友達の様な関係で絆も深く、母の死が近づいていて、怖くてたまりません。一応仕事には行ってますが、休みがちで、仕事中も母の事ばかり考えてます。このままでは母を道連れに、無理心中したいとの気持ちにもなります。(多分可愛そうで出来ないと思いますが) 上手に話がまとまりません。動揺して、今書いています。 私の気持ちは伝わったと思います。 私が心が安らぎ、少しでも前に向けるお言葉を頂けたら幸いです。