死んだ猫の供養について仏教の考え方は違う?
ウチの家は西本願寺系なので、ペットの供養を頼みにそこそこ有名な寺に行きました。
するとどうでしょう、御坊が言うには「あなたの気持ちはわからないこともないですが、そもそも宗教というものは、人の幸せを願ってできたもの。ゆえに人の供養、御先祖様の供養はしても、動物は言葉も発せず、理解もできず、ただただ人が擬人化したものにすぎません。人は人、動物は動物とお考えて下さい。ゆえにその動物のための法要はしません。」と・・・
以前猫の死んでここで相談した時、「必ずやそのこは仏様のもとにて心安らかに成仏なさいます。そしてこらからもあなたをお見守りなさってくださいます。
いずれあなたの生命が全うされた時にはあなたは仏様のもとにてそのこに必ず巡り会います。そして以前のように親しくなさることでしょう。 」と書かれておられ私も喜んで頼みに行ったのですが・・・
その時は口では言いませんでしたが、「御坊だって、木や金属でできた像を拝んでるじゃないか!思いが大切なんだよ、思いが!オマエさんにはガッカリした!」と思って帰りました。
ウチが火葬を頼んだ東本願寺系は予約をすれば猫の法要しますと書いてあるのですが、動物に対する供養は、同じ仏教の浄土系のお寺、お坊さんでも考え方は違うのですか?
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