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検索結果: 1413件

死が怖い

私は今19歳です。1ヶ月前からずっと死について考えて頭から離れません。 考えすぎて、気持ち悪くなって、ご飯も食べれず夜も寝れなく、寝れたとしても、あー私はいつか死ぬんだと思って起きます。 長くなりますが、よろしくお願いします。 小さい頃から死が怖くて考えただけでもパニックになっていました。いつもなら考えないと言い聞かせて考えないようにしていました。ですが、ここ1ヶ月死んだら私はどうなるのだろうか、どうして死ななければならないのだろうか、いつか私がいたことさえも忘れられてしまうのではないだろうか、この世界はこの先どうなっていくのだろうか、とか色々考えてしまいます。 あと、私は80歳まで生きるとして60年しか時間がない、1年はあっという間に過ぎていくから私はすぐ死ぬだとか、生まれてこなければこんな苦しむことも無かったのにとか、本当に死が怖くて怖くて仕方がありません。 家族は、そんな私のためにいろんなところに連れて行ってくれます。母は話をたくさん聞いてくれます。でも、そんな母にも会えなくなる日が来ると考えてしまい、もっと怖くなってしまいます。 人間だから死ぬのは当然です。でも、どうしても怖くて仕方がありません。自分が消えてしまう、自分がいなくなってしまう。最近では、人間を見るとこの人達は200年後生きてないんだなと思ってしまいます。 不老不死になれるならなりたい。 なにをしていても死が頭の中に出てきてしまいます。突然死んでしまったらどうしよう。生きているのに火葬されてしまったらどうしよう。そんな不安も押し寄せてきます。 どうしたらいいでしょうか?受け入れるしかないのでしょうか?吐き気が止まりません。 人生あっという間に過ぎるといいます。こんなことを考えながら過ごしていくのは時間がもったいないと言い聞かせています。ほんとうに人生あっという間に過ぎてしまうのでしょうか?そう考えると死が怖いです。受け入れることができません。 私の苦しみをどうか助けてくれないでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 34
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2022/04/29

飼い猫を死なせてしまった。ペットの死

今年の4月頭、普段は人懐こく、一緒に寝ることも多い飼い猫が突然凶暴になり襲ってきました。(神経質な猫種でした) 1回目は両腕と左足に深い傷が沢山でき、廊下に大量の血がついていました。 それから猫のことが怖くなり1週間ほど距離をあけました。(その間の餌は同居人にしてもらいました) 数日後、帰宅しました。 怖かったですが、仲直りしたいと思い、ご飯をやりに猫に会いに行きました。 リビングの襖の間から猫の様子を伺い、しゃがんで手を差し出しました。 するとはげしく威嚇し、私の右腕に噛み付いてきました。 叩いて振り払うこともできましたが、余計に興奮させたくなく、されるがままでした。 しかし、歯や爪が肉をえぐる痛みに耐えられず、立ち上がりました。 少ししたら猫は噛むのをやめて床に着地しましたが、私はパニックでその場を離れて二階の自室へ逃げました。 とてもショックで悲しかったです。手からは血がダラダラと垂れていました。 似たような猫のことを沢山調べて里親を探すことや安楽死も考えましたが、大きなゲージを買い、一時的に入れて関係の修復を選びました。 その時点で病院につれていくべきでした。 毎日の大学と元々私が躁鬱気味なこともあり、恋人の家にいる時間が多く、猫に構ってやる時間が少なくなっていました。 エサやトイレの掃除は行なって、帰れない時は同居人に頼んでいました。 ある夜大学から帰ると猫がふらついているのに気付きました。餌は入っていました。 ゲージにキャットタワーを入れていたものの、軽い運動不足だと思い様子を見ることにしました。 次の日、心配でしたが大学に行ってしまいました。この日病院に連れていけばよかったのに。 その晩に容体が急変し早朝に息を引き取りました。 唯一の救いは2日間、大学以外の時間ゲージのすぐそこで寝て食べてお風呂に入らずいたこと、容体が急変してから5時間ほどをゲージの外に出してそばにいて手を握りながら看とれたことです。 『飼い主失格、最低』だと思うことが猫への冒涜、何の解決にならないこともわかっていますが、私の過失が多すぎて後悔しかありません。300枚を超える写真や動画を見ては涙が止まりません。人・動物の死の経験が初めてで、しかも自分のせいで。まだ3歳でした。 私はこれからどう生きていけばいいのでしょうか、楽しんで生きてもいいのですか。 可愛い可愛い猫だったのに。

有り難し有り難し 8
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死に対して敏感に反応してしまう

ここ一月、死に対して敏感に反応してしまうのが悩みです。 半年ほど前に心身のバランスを崩して退職しました。その後いろいろあって進学することになり、試験にも合格しました。 ただ大急ぎで詰め込みすぎたせいか、「あ、この勉強しんどい。これで身を立てていく自信がなくなった」と思うようになり、ボーッとする時間が増えました。 その際、本を読む時間が増えたのですが、その際死について寿命について書かれている文章を読むことが増えたせいなのか、自分の死に対して恐怖を感じてしまったり両親や家族がいつか死ぬと思うと無性にかなしくなったり、有名人の方が亡くなると「ああ、どんな人でもやっぱり死んでしまうんだなぁ」と虚しくなってしまったりすることが増えました。 今まで不幸ではありませんでしたが(学生の頃は当時の家庭環境を憎んだり、いじめにもあったりしていてツラい思いをしたこともありましたが)、幸福でもなかった人生だったので、幸福を掴みたいと努力してきたのですが、「どうせ死ぬ。自分の意識がなくなれば終わり」と思ってしまうと、もうしんどい思いをしてまで努力する必要はないんじゃないかなぁと考えてしまったりします。 こんな状態を見かねた友人が遊びに誘ってくれたりもしたんですが、全然楽しくなくてその友人には申し訳ないことをしたなぁと思ってしまったり、自分でも死に対して考えないようにしてはいるんですが、どうしても考えてしまって食欲が落ちたり胸が痛かったりしてコントロールできずに悩んでいます。 死を受け入れればいい話かもしれませんが、どうしても「死=自意識の消滅」と思ってしまうと受け入れられません。 毎日あの世はあるのかないのか、幽霊はいるのかいないのか、そんなことを考えて一日が過ぎていってしまい、どうせ死ぬのにもったいないなぁ、でも外に出て働いていたときのようなツラい目にもあいたくないから動きたくないなぁと思ってしまいグルグルグルしています。 一体どうしたらこの気持ちに決着をつけられるのか、よろしければご回答お願い致します。

有り難し有り難し 15
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家族という呪い

自殺願望で多々ハスノハの皆様にお世話になったものです。これまでさまざまなお言葉を頂いた身で申し訳ないのですが、今一度お力添えを頂きたく存じます。 私はこれまで、「やることが思いつかない」「死ぬという恐怖にかまけることが嫌い」「社会貢献を盾に社会の一部分である個人を殺しうる今の日本の労動環境で生きたくない」といった言い訳をしながら、どうやって死の痛みや人情による自殺の意志のブレに立ち向かうか、ということばかり考えてきました。 希死観念が薄れてきた今、その理由を自分なりに分析したのですが、その結果「家族の不甲斐ない面に執着してきた」という結論に至り、その執着をどう払拭すべきか迷っています。 私の両親は自分が希死観念の悩みを打ち明けた時に「生きててよかった」と言ってくれる人情の持ち主ではあるのですが、父母ともに看過できない欠点があります。 まず、母は祖父母から戦争経験を言い聞かせられたことで過保護で心配性な面があり、食事を作りすぎる悪癖があります。私はそのせいで幼少期から肥満に悩まされたこともあって食事制限と運動を一年ほど続けて体重を10キロ落としたのですが、母はそのことを今も良く思っておらず、帰省時に私が食事を減らして欲しいという度に不機嫌になります。 父は、母よりは精神的に落ち着いてますが、山奥の集落育ちで地域の外との交流が浅かったためか度が過ぎる不器用を見せることがあり、父方の祖母の嫁いびりを咎められず母にトラウマを植え付けてしまったり、効率の悪い仕事ばかりして母を怒らせてしまったりすることがあります。 ただ、私が一番気に食わないのが、こうした問題点を咎める度に「仕事が忙しくてできない」「年のせいで上手くいかない」「人間はお前みたいに強くない」などと言い訳をして逃げ腰になる両親の姿勢でした。私の希死観念は、どうもそうした元来の人の弱さを克服したい、という克己心が暴走するあまり、死の恐怖すら克服しようとしたものではないか、と思っています。 私は、人の内発性を出来るだけ尊重したいと思ってるので、最近は両親に苦言を呈する事は無くなったのですが、こうした両親に対する諦観を野放しにすると、自身の反骨精神がまた暴走しかねないという不安も抱えています。 人道で悩むべきか。修羅道で戦い続けるか。今、選択支の瀬戸際で悩んでいます。

有り難し有り難し 5
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辛くて死にたい。

 タイトル通り心身の不調が続く日が多くなってきており、死ぬことを考え始めています。  今まで頑張ればいつか良くなると信じて色々と頑張ってきました。しかし、あまり改善はしません。そんな状況に疲れました。そして、最近「そもそも死ねば苦痛から解放されるし、生きることをやめた方が良いのでは?」と強く感じます。  もちろん、私が死ねば残された人は苦しむかもしれませんがそれもその人にいつかは訪れる死が救ってくれると思うのです。亡くなった父も死によって救われたでしょうから苦痛に対する根本的解決を目指すなら生きることをやめる以外の方法はあるのでしょうか?  また、私は家族以外に心を許せる人が現在居ませんし結婚もしていません。年々段々と年老いていく家族を見て恐怖を感じています。このまま生き続ければ私は本当に一人ぼっちになって今よりもっともっと辛い苦痛が待ち受けていることが確定していると感じます。もうあんな辛い喪失体験をこれ以上重ねられる自信もないし、そんな未来に耐えられないと思います。 それならばまだ自由に身体が動く今の内に決着をつけてしまった方がまだ良い選択な気がするのです。  また、こちらのサイトでこういった死にたいという考えをお持ちの他の方の質問も拝見しました。その際に、「家族が悲しむ」や「様々なものによって生かされている命だから」という回答を拝見するのですが、そういった正論を見ても考えを変えることができない自分の器の狭さにも絶望しています。とにかく自分がもう楽になりたいという気持ちで頭がいっぱいです。また、ただ「死にたい」という漠然とした気持ちではなく、明確な悩みがある状態での死を希望する気持ちがありますので、心の病気ともちょっと違う気がするのです。この悩みを解消するには時間が必要なこともわかっています。でも、もう頑張りたくない。自分が怠け者で最低だと思います。病院にも行っていますが、症状を誤魔化しているだけで解決には至らないのも辛いです。本当に辛い時に誰にも相談出来ない状況なのも苦しくなってきました。  色々なことに苦痛を感じている自分を誤魔化すことに疲れてしまいました。もう苦痛から解放されても良いでしょうか。

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2023/01/31

死への恐怖について

不毛な考えに頭が支配され、何をしていても鬱々とした気分になってしまいます。 「マインドアップロード等の技術開発が進んでおり、近い将来、人間が不老不死になるかもしれないこと」を数ヶ月前に知りました。素晴らしい技術と思いました。 一方で、平等であった死すら、経済格差等によって、死ぬ人と死なない人に分かれてしまうことに恐怖を感じました。この技術が確立した際に、家族、特に私の子どもが、私自身が正社員として働かなかったために、お金が足らず周りが不老不死になる中で、死んでいかなくてはいけない状況が頭にこびりつき、毎日苦しいです。 仕事が原因で精神疾患になってしまったこともあり、いまは退職してしまいましたが、上記のことが毎日頭をよぎり、激しく退職を後悔しています。退職の際には、家族からフルタイムで働くことはもうやめた方が良いと言われ、自分自身もフルタイムで働くと子どもに寂しい思いをさせてしまい、さらには私の心に余裕がなくなってギスギスした家庭になるのではと思い、パートや派遣として働いていきたいと思っての決断でした。 前置きが長くなりましたが質問内容としては、 どうしたらこの考え(不老不死の技術が確立した際に自分たちだけ死んでしまうのではないか)を取り去り、過去の決断を受け入れることができるのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。 起こるかもわからない未来を恐れて、今を生きることができていない状況です。 長文駄文で申し訳ありません。もしよろしければ、ご回答お願いします。

有り難し有り難し 18
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家族と自分。

先日はありがとうございました。 私は、家族や友人に対して、予定がある際でも嘘をつくことがあります。 例えば、友達と遊びに行くと言うことを、 親には仕事と言ったりしています。 何故かと言うと、もともと私の両親、祖父母はは私がどこかに外出すると言うと、誰と。どこに。どこら辺で何をするの。何時に帰るの。聞く人でした。学生時代も夜遊びに行く事は基本ダメで、遅くなると電話がかかってきて、おじいちゃんが機嫌が悪いから帰ってきてと言われることがありました。初めてお付き合いをする男性ができた時も、父、祖父に言うと、すぐに顔を見せろ挨拶させろやどこの誰だと家まで見に行きそうになるので、何も言わずに、出かけておりました。母には彼氏ができたことを伝えていましたが、それでも3日ぐらい連続して出るのも出過ぎだから、会うのは控えてほしいと言われたこともよくありました。そういう環境だったので、お付き合いする人は価値観が合わず、逆に非常識であったりとか。普通じゃないとか。なんでそんなに保守的なのかと言うニュアンスで。付き合っていても愚痴を言われることがありました。わかってほしいとまでは言いませんが、結構、周りから家庭環境が変なの変なのと言われていたので、自分でもイライラすることがありました。しかし、遊びに行くことに関しては弟には全くいませんでした。今は、祖父母の家に勝手についており、家族と離れて暮らしている環境です。そして最近は仕事の休みがいつかというのをよく聞かれます。私ははっきりと答えていません。全て管理されそうな気もしますし、出かけると、誰、どのあたりに、何しに行くの?何時から何時に帰るの?と、聞かれます。 名前を出しても、このことは先日会ったばっかりなのにまた会うのとばかり言われます。 なのですごく嘘をついてやり過ごしております。自分の中ではもうそれに疲れきっているとと言うこともありますし、嘘ばっかりついてきているので、死後地獄に落ちるんだろうな。と思って落ち込んだりしています。死んだ後は分かりませんが、一昨年、去年と相次いで4人なくなっているので、死への恐怖感もあると思います。そんな中でも無気力でしたくないと思う気持ちもありだらけたりとなっております。 同じような質問をしていると思いますが申し訳ありません。ですがいつも皆様にお答えいただきすごく助けられておりますありがとうございます。

有り難し有り難し 2
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父の死について。

はじめまして。今、本当に心が苦しくて頼れる人もいないのでここで相談させて頂きたく思っています。 私は、今23歳で6人家族の長男です。家族構成としては、父、母に妹が3人です。去年の11月に大好きな祖父が亡くなり正直なところまだ立ち直れずにいます。 そんな中、昨日父が自死で息を引き取りました。普段物静かな父は、自分のことは何も話さない性格で仕事のことも一切家では話さない人でした。話しかけると嬉しそうに話すのですが。 しかし、3年前から仕事がうまくいかないことを話していておれが死ねばお金が入るからおれは死んだほうがいいと言うようになっていました。当然私は怒り、死んだら許さないと言いました。 そして昨日父が首をつっていてすぐに119番通報で救急車を呼びましたが間に合いませんでした。普段からコミュニケーションをとっていなくて寂しい思いをさせてしまいまったと思っています。仕事のことなど1人で抱え込ませてしまいました。長男である私としては後悔と悲しみで心が壊れそうです。もっと普段から仕事のことなど話しかければよかったんじゃないか。もっと甘えればよかったんじゃないか。という後悔に押しつぶされそうです。私たち家族のために保険金などのために死を選んだと思うと死にたくなるほどの思いになってしまいます。 父は本当に安らかになれるのでしょうか。心が苦しくて本当に辛いです。

有り難し有り難し 17
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死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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死について考えすぎてしまいます

現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

有り難し有り難し 6
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自死とは

自殺がいけないの分かっています。家族の心を殺してしまう程に悲しませてしまいます。仕事でも私が居なくなってしまうと物理的に経営していくことは無理な状態になってしまいます。 何も良いことはありません。 自死遺族の方のブログなどを読んでいると、何故大切な人を残し逝ってしまうのか涙が出てきます。自殺とは怖いものです。 それを分かっているのに、私は今消えてしまいたい衝動に刈られることが度々あります。 体と精神的な状態をネットで調べる限り、私は鬱病なんでしょう。 個人輸入で薬を買って色々な症状は改善してはいます。 私は父母の経営する小さな会社で働いています。数人の社員とアルバイト色々見てきましたが、その中に鬱病経験の人を数人見てきました。言葉は悪いですが使い物になりません。 私の父母もノイローゼな人は困るねという考え方で私もその様に思います。 もし私が本当に鬱病で何も出来ない状態になってしまったとしたら、最早死んでしまっていると同じなのではないでしょうか? 何も出来ない状態では家族、仕事に迷惑なだけです。 それでは死んでしまっても同じことなのではないのかと思うことがあります。 決して自分から死にたいと思っている訳ではありません。しかし、自分自身の必要性がなくなった場合は生きていく意味とは何なんでしょうか?

有り難し有り難し 36
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