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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん お経 」
検索結果: 1062件

他人の成功が妬ましいです

お世話になります。 私は現在、漫画家を目指して働きながら執筆活動に勤しんでいます。 嬉しいことに、最近になって出版社から漫画の仕事をいただけるようになりました。 しかし、その仕事は特に自分が描きたい内容の漫画雑誌、ジャンルではありません。 それでも勉強のため、稼ぎのために依頼を受けました。 そんな折、自分と同じように漫画家を目指していた友人たち数名が立て続けにプロデビューしました。 中には、描き続けたウェブ漫画がコミックスになるという友人もいました。 そのすべてが、私が描きたいと思っていた出版社の雑誌、ジャンルです。 正直言って、嫉妬で心が苦しいです。 確かに私はまだ二年ほどしか漫画を描いていません。 漫画の仕事をいただけて、自分の成長を実感しているところでした。 それなのに友人たちは、私と同じくらいの期間しか漫画を描いていないにも関わらず、私が描きたいと思っていたものを仕事にしたり、コミックス化して印税を得るなどしています。 本当に、見ているだけで辛いです。 もしかしたら友人たちは、「描きたいジャンルで漫画を描く」ために、私以上に努力をしているのかもしれません。 でも、私からしてみれば「自分の方が努力しているのに、なぜ?」と思ってしまうのです。 私は、どうしても自分の描きたい内容やジャンルで漫画家デビューがしたいです。 どうしたら、嫉妬の渦から抜け出せるのでしょうか? そして、どうしたら他人を妬まずに、自分の夢をつかむことができるのでしょうか?

有り難し有り難し 12
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この世の不公平と生き辛さを乗り越える方法

幼少の頃よりずっと生き辛さを抱え、人生半ばを過ぎて、もう生きること自体に疲れてしまいました。人と会話ができません。病院や会話教室に行ったりと様々な努力はしてきました。五体満足に生まれたことは本当に感謝すべきですが、人と関われない悩みは酷く辛く、何をしても常に付いて回るものです。 職場では、仕事もできず雑談にも参加できずで数ヵ月で居心地が悪くなり、ストレスから体調を崩し転職を繰り返しています。 会話が続かないため一人の人と長く過ごすのが苦痛で、相手も私に気疲れして体調を崩すことがあるようです。その度に自己嫌悪に陥り、自分は百害あって一利なしの人間のように感じてしまい、深い付き合いの知り合いはおりません。 人生の選択肢として結婚か仕事がありますが、私にはどちらも難しく、この生き辛さが続くと思うともう何もかもが面倒です。人生は修行だとしても、あまりに長く感じます。 多くの人は多少の悩みはありつつも、日々割と楽しく生きているように見えます。 以前は、他人と比較せず、過去の自分より進歩すればそれで良いと思っていました。それが、ちょっとしたきっかけから自分の未熟さが気になりだし、努力しても何一つ他人と同様に出来ない自分への苛立ち、不出来な人間に対する世間の無慈悲さが目につくようになり、世の中全体を敵視する感覚が身についてしまいました。 無差別殺人など不可解な事件が増えていますが、犯罪者が追い詰められてそこに至った経緯を想像すると、気持ちが分かるようで虚しい気分になります。 小さい頃から一つ疑問があります。仮に人間と一緒に楽しく暮らしたいと望むゴキブリがいたとします。始めから人間に嫌な概念を与えるものとして創造された生き物であるなら、その望みは役割と合致しておらず、きっと辛い思いをするでしょう。この場合、どう生きるのが賢明でしょうか。人間を好きであればあるほど、望みを捨て自ら姿をくらますのが正解でしょうか。人間とゴキブリは違いますが定期的にこの疑問が浮かんでくるのです。 生まれつきの生き辛さは前世の行いの報いだと想像すると、今世で魂を磨くことが大切であり、また人生が公平でないことも理解できます。ただ、どうしても感情で割り切ることができず、生きるための道標が見つかりません。 私の考え方の修正等、生きるコツ(理由)をアドバイス頂けますでしょうか。よろしくお願いいたします。

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無宗教に近い人間が仏像を作る事について

はじめまして。唐突ですがほぼ無宗教の人間が仏像を作る事は罰当たり、または仏様への失礼にあたりますか? 海外でアート関係の仕事をしており、締め切りやミスなどによってストレスを感じる事が多く、最近ふと机に仏様の優しいお顔があれば落ち着いて作業ができるのではと思いました。 ただ現地で購入できるのはア◯ゾンや得体のしれないウェブサイトでの仏様ばかりで、ほとんど信仰心のない私としても不安です。 それならばアーティストである自分で制作すればいいのではと思ったのですが、文頭の通り勝手に作るのは大丈夫なのだろうかと気がかりです。しかも素材が木ではなくプラスチックのような物になってしまいます。 また仏教や仏像がほぼ無知識だったため色々とハスノハを含めて調べさせていただいたところ、開眼の儀やそもそも偶像崇拝ではない事などを知り余計に「落ち着きのある顔」を求めて側に置くのはよくないのかなとも思っております。 また完全に無宗教とは言えないので亡くなった父や祖父を思ってたまに開眼供養していないのに拝んでしまうかもしれません。インテリアとして割り切る事は難しいと思います。 日本にいつか帰国した時にちゃんとした仏像を購入できるかもしれませんが、それはそれで魂の入った仏像をあまり拝まないのは申し訳ないです。 この質問が仏様や僧侶の方、仏教徒の方への失礼にあたらないといいのですが、もしそうでしたら申し訳ありません。 よろしくお願いします。

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反省について

はじめまして。唯と申します。 私はクリスチャンの両親に育てられ、 形ばかりですが、洗礼も受けました。 今は、教会に行くことも殆どありませんが、 子供の頃は、 クリスチャンとしての躾を受けました。 何か悪い事をすれば、お説教され、 どんなに悪い子だったかお祈りをさせられて、 それからお仕置きを受けました。 好きな物を食べる事を禁じられたり、 外出禁止や、時にはとても痛い思いもしました。 事の善悪を教えて頂いた事には感謝しています。 年齢的に、自分で自分を律する立場になった時、 気が付いた事がありました。 それは、 自分が犯した罪を告白し赦しを乞う事はしても、 十分な『反省』が出来ない、しない、と言う事です。 お仕置きされて、お仕置き嫌さに悪い事をしていなかっただけだと、気付きました。 牧師様に尋ねても『祈りなさい』と言われただけでした。 機会があり、ほんの少しですが仏教の教えに触れる事がありました。 『慚愧』について聞いた時、 益々、反省の出来ない自分に落胆し、それから、 どうしたら反省の出来る自分に変われるかを、 考え続けています。 仏教における『罪』の意味や、『反省』するための考え方など、教えて頂けないでしょうか? 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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