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hasunoha 問答検索結果 : 「 いない 罪悪感」
検索結果: 3440件

誰にも言えない秘密

こういった場で相談するのは初めてです。僕には誰にも言えない秘密があります。ここでも書けるようなものではありません。過去に女性に軽蔑されるべきことをしてしまいました。もう2度としないと誓い、それからしていません。 ・ 最近とても仲の良い女性ができました、その方をとても愛していて、相手も僕を愛してくれています。愛しているからこそ打ち明けなければ、そう思うのですが、墓場まで持っていく。そう決めています。ですが「この人にとても大切にされている」そう感じた時に、このことを隠している自分に、嫌悪感、また相手に対し罪悪感が湧きます。それに"僕は誰かと幸せになって良い人間ではない"そう思ってしまいます。 ・ 再犯防止の為にもこの罪を背負うこと、それは重々承知です。それをわかっていながらも、辛いです。一層のこと命を終わらせたい、人生やり直したい。そう思うのですが、愛する女性だったり、家族、母のことを思うとできません。 ・ 相手は、僕にどんな秘密があっても愛すと言ってくれています。ですが、僕みたいな秘密を抱えた人間が、相手を幸せにして良いのでしょうか?僕なんかが幸せになって良いのでしょうか?わからないです。 ・ 僕は一体どうしたらいいですか。 助けてください、涙が止まりません。 こんなことを言ってしまうのはいけないことなのはわかっているのですが、消えたいです。死んでしまいたいんです。 ・ わかりにくい文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 33
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その人の死そのものを悲しめないです

昨日祖母が亡くなりました。 まだ驚きが強すぎて悲しめていない状態です。 でも今回祖母が亡くなったことそのものより、無職の叔父が今後どうなるのだろうとそんなことを心配してしまいます。 叔父(祖母からすると息子です)は祖母と暮らしていて、祖母の年金で実質生活していた感じでした。 私の父も母も祖母と一緒に暮らしておりますが、叔父に対してあまり良い印象は抱いてないようです。 小さい頃、私が叔父と仲良くすると母に怒られました。 少し複雑な状況なので、今後叔父はどうやって生きていくんだろうと気にしてしまいます。 本来は祖母がもうこの世にはいないことに対して悲しむべきでしょうが、何だかよく分からない涙が出てきます。 それは祖母のことを思っての涙なのか、何なのかが分かりません... 私は一人暮らしをしているので、両親とは離れていますが、実家は今後どうなるのだろうと不安です。 祖父は数年前に亡くなりました。 母方の祖父母も既に亡くなっています。 その時も、死そのものに対するより、「これで母の両親はいなくなってしまったのだな」と、母のことを考えると泣けてしまった記憶があります。 祖父母に対して泣けない自分に罪悪感を感じます。 もちろん悲しみもありますが、100%祖父母に対するものかと言うと、そうでない気がします。 私は薄情な人間なんでしょうか...

有り難し有り難し 18
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怒鳴る警備員

先日地方に住む知人を尋ねました。 知人に運転してもらったのですが、道を間違えて路地に入ってしまいました。 2人で出口を探していたとき、一方通行の看板を見落としてしまって数メートル進んでしまいました。 すると警備員が走ってきて「ここ一通や!警察に見つかったら捕まるぞ! 通報してやろうか!!」と大声で怒鳴られました。 何があったのかと周りの人もこっちを見ていました。 そのせいで知人が酷く落ち込んでしまいました。真面目な人なので 罪悪感が強かったのと怒鳴られたことが相当ショックだったようです。 たしかに、看板を見落として進んでしまったこちらが悪いのですが、 あそこまで怒鳴り散らす必要があったのでしょうか。 私の地元でも前の車が誘導されて進もうとしたら「来いって言ってないのに どうして進むんだ!無理に行こうとするな!!」と怒鳴られていました。 誰がどう見ても来いと言っているように赤い棒を振っていたのですが・・・ 最近の警備員の人で年配の人に怒鳴る人が特に多い気がしますが (偏見は良くないのはよくわかりますが、あまりにも酷いので・・・) もっとやんわりとお互い嫌な思いをしないような言い方をすればいいのに なあといつも思います。 こんなとき、落ち込んでしまった知人をどう言って慰めてあげたらいいのでしょうか。 また、もし自分がこういう目に遭ったときどうやって気持ちを切り替えたら 良いのでしょうか。 似たような性格なのでもし私なら同じようになると思います。

有り難し有り難し 14
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2025/10/17

仕事との向き合い方について

私の悩みは、「誠実に生きようとするほど、自分がすり減っていくこと」にあると考えています。 仕事では責任感と他者の感情への共感が強く、常に丁寧に真面目に取り組みますが、その分、人の感情や期待を過剰に背負ってしまい、心身ともに疲弊してしまいます。 仕事は人生の多くを占める一方で、わたしの価値観を満たす要素が少ないと考えており、「かけた時間と得られる充実のバランスが悪い」と感じています。それでも「投げ出すことは不誠実ではないか」という葛藤があり、簡単には離れられません。 また、幼少期のある出来事がベースとなり「母を支えたい」「良い子でいたい」と思い続けた経験が、今の自分にも影響しています。自分の気持ちを抑え、相手を優先することで安心を得ようとする一方、自分の本音を表に出すことに罪悪感を覚える。そのため、職場でも家庭でも「自分を生きている感覚」が薄れ、心が空洞のように感じる瞬間があります。 私は音楽や創作のように、自分の手で世界を形にすることに喜びを感じてきたのですが、そんな自分にとっては、今の生活は創造の光が乏しく、人生全体が“義務”と“責任”に偏っている。そのバランスの悪さが、「生きる実感の欠如」や「希望の小ささ」として現れていると思います。 ご相談させていただきたい内容は、「誠実さ」と「自由さ」をどう両立させるかについてです。 そして、「他人の期待」ではなく「自分の望み」を生きることへの恐れを、どう乗り越えれば良いのでしょうか。 長文で申し訳ございません。 アドバイス頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 12
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