よく当たると噂の鑑定士がいます。 配偶者の5年先が見えないと言われて現役だったのに3年後突然病で亡くなったり、死期が近い人は死臭がしてきついとか3年先の未来までは見えるそうです。一応鑑定で食べていっているけどお金は設定されておらず気持ち程度でいいし、人の人生を見るから不安だけを残せないと言う理由から制限時間なしです。私はお会いした事ないですが友達や家族が見てもらっています。四柱推命やその人が前に座るだけである程度わかるそうです。私は、大切な恩師を亡くしてから自分で切り開いて生きてきました。周りの人のおかげで今は元気に過ごせています。恩師は占いは一切信じず見たものだけ信じていました。でも、その恩師すら実は未来は既に決まっていて自分で切り開いて生きてきたつもりでも実はもう定められた中で生きていたのかなと思うと怖くなります。四柱推命も然りです。その方は当たりすぎてテレビにも呼ばれていますが断っているそうです。私は白黒はっきりした性格で、占いや運命、宿命などつかみどころのない物事に弱く不安になる傾向があります。私は人が生まれてきた意味はなく、ただ生まれて死んでいくだけと思っています。 そこに意味も価値もないです。ただ生きてきた以上は人の役に立ちたいし意味や価値は自分で見出したいと思っています。あくまでも自分の人生は自分で切り開き、一つ一つの選択次第でいつでも人生を豊かにすることができると信じています。私は不安や恐怖を抱きやすいのですが、生まれてきたことや死んでいくことをもっと自分なりに噛み砕いて理解したいし、いつか死ぬのに死に対して恐怖があるので、死を受け入れて恐怖を無くしたいとも思っています。せっかくこの世に生まれてきて、大切な人たちに出会えて恵まれて、人生の困難も学びとして捉え、今日より明日が充実しているように、生きていることをもっと心から楽しくなれるようにしたいのに鑑定士の話を聞いて恐怖に思う自分がいます。恩師の死も既に決まっていて、私も自分で切り開いて生きているようで決められた枠の中で生きているのかと思うと、怖くてたまりません。ロボットのようにあることなすこと受け入れて定められたように生きるのが人生なのでしょうか?勇気を持って出した答えも決断も、生まれた時から決まっていたのでしょうか?人は、そんな風に生まれて死んでいく人生なのでしょうか。
初めましてよろしくお願いします。 前提として、小さい頃は変なものが見えたり家鳴りを聞いたり、感が良い子供でした。 出産してからはあまりそういったことも無く平和でした。 今回のことは誰にも話せず悩んでいる次男のことです。 次男を出産した時、お腹から出てきてすぐ先生が顔を見せてくれました。その瞬間、感動や嬉しさよりも先に「あ、この子は長く生きないかもしれない」と頭によぎりました。 何を馬鹿なことを考えたんだ!とその後すぐ出産の喜びに浸りましたが、そこからずっと頭の片隅にあるあの感覚が忘れられません。 具体的なイメージだと水の事故で小学生ぐらいから何か危ないことがあるのではないかと心臓を鷲掴みにされる気分です。 本人はまだ2歳。 元気いっぱいなわんぱく坊主です。 気のせいだと言われたいし、そんな事はない! と言われたいです。 でもたまにあるんです。感が当たる感覚。 今回のこれもそんな感じで不安で仕方ないんです。 万が一当たってしまうなら、私がそれ(事故の運命)を先に気がついたのには何か理由があるんだと思いたい。 救える方法があるならなんでも試したい。 そんな藁にも縋る気持ちです。 気のせいだと笑ってもらっても大丈夫です。 こうした方がいい、ああしたほうがいいというアドバイスもいただければ嬉しいです。 心から困っています。上手く伝わるといいな… よろしくお願いします。
今年、彼が突然病気で亡くなりました。彼は仕事が忙しく、お互い遠距離でした。数日後に彼の死を知り、急いで会いに行った時にはすでに骨壺に入っていました。 数ヶ月経った今でも、仕事を終えて帰宅すると、彼の言葉や声の記憶、楽しかった日々を思い出し、夜は毎日泣いてしまいます。泣いてばかりだと彼も心配するので我慢したいのですが、我慢できません。無理なことだとわかっているのに、彼に会いたいと思ってしまいます。誰よりも1番に私を愛してくれた最高の彼でした。
以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
何度が相談に乗って頂き感謝してます。 母の死から2ヶ月以上が過ぎ、以前より泣く回数は減りましたが、周りの人が羨ましくて落ち込みます。職場の人達はまだ親が健在な人多く、皆でワイワイ喋ってる時に、例えば親とのXmasや年末年始の話、芸能人の誰々はもういい年やろーしんだ?とか話題にして楽しそうに会話してますが、私はそれをまだ笑って流す事が出来ず、自分には母がいない、皆が言う「いい年」にあてはまり笑われてるのが悲しくなります。もちろん私の母の事じゃないし、2ヶ月経って職場の人達の中では、私が母を亡くした事は忘れてる事で‥でも私は笑えません。皆が幸せそうで楽しそうで。何で私の母は今年、家族とお別れしなきゃならなかったの?もう私の一番の味方、相談相手がいなくなり、何を楽しみに生きればいいかわからなくなって、自分を大切にするのが意味無いように思います。私には主人はいますが、子供もいませんし、本当に毎日何の為に生きてるかわかりません。子供がいれば、子供の為にとか将来どんな風に成長するか楽しみに、子供のイベント行事があったり、入学卒業、就職、結婚、孫‥と新しい出来事と出会えるチャンスがあります。私には主人と老いていくまで働いて暮らすくらいで、まだ残ってる親の死にいずれ又会い、悲しむくらいしかありません。明るい事が無いです。周りと比べてどんどん悲しくなります。勝手なのはわかります。一番辛く悲しい思いをしたのは母で、病から解放出来て母は楽になったと思いたいですが、今の平均寿命から考えると、まだまだ元気でいて欲しかったとも思います。色々悩む自分が一番嫌いです。好きになれない、楽しみない、本当にこの世に私は存在してる価値あるのでしょうか。
「明日死んでも悔いのないように生きる」 という考え方と 「目標にむかってコツコツ努力する」 という行動が、どうしても矛盾してしまうように思います。 1日で達成できない目標がある場合、その過程で死んでしまったら悔いが残るように思えて、コツコツ努力できない自分がいます。 もし本当に明日死んでしまうのであれば、1日でやりきれる楽しいことを選んでしまうのが普通ではないでしょうか? 目標に向かって進んでいれば、道半ばで死んでしまっても救われるのですか? 教えて下さい。
タイトルの通り、自分がいつか死ぬことを考えると恐ろしくて、パニック状態になってしまいます。朝起きた瞬間から寝るときまで、常に「死」の恐ろしさ、得体の知れなさが頭から離れず、最近は趣味も楽しいと思えません。 いつか死ぬからこそ今を一生懸命生きることが大切だとか、いまのわたしにはきれいごとにしか思えないのです。 べつに、近しい人の死がトラウマになってるとか、そういう事実もありません。ただ、死が途方もなく恐ろしいことに思えて仕方ないのです。 これほどまでに重度の死の恐怖を克服すること、あるいは克服せずとも上手く折り合いをつけて生きていくことは可能なのですか? また、仏教に帰依することは、死の恐怖を克服する手助けになりますか? お忙しいところ恐縮ですが、ほんとうに、どなたか助けてください。このままでは発狂しそうです。
現在大学院生で間もなく修了予定です。 30代後半で会社を辞めてキャリアチェンジのために大学院に進学しましたが、やはりこの年での職種変更は難しく、なかなか就職が決まりません。 努力、時間の投資も報われない、というか、むしろマイナス。このままでは無職状態に陥ります。就職できたとしても以前より年収が落ちるかもしれません。 一方で、一緒に転職活動していた友人は、大手に就職するようで、年収も増えてホクホクです。 お金や会社の規模が全てではないこと、他人と比較しても仕方ないことは承知しています。しかし、これまで努力してきたことに見合った評価や職場環境が得られないのは辛く、もう頑張ることがバカらしくなってしまいます。友人の出世も喜べません。 希望の転職ができないなら、もう生きていくのも辛いと思っています。 本当に辛いです。
こんばんは。いつもハスノハさんにはとてもお世話になっております。 前回同様、自死希望者の方への声かけについて質問させて下さい。 ネット上で知り合った方が近日中に自死を決行する予定でいます。30代後半の男性の方です。「20代のうちはまだやり直せる。自分が楽しむ人生で良いんだよ」と言っていたので「何歳からでやり直せると信じています。いつかやり直したいと思う時が来ると思います」と返信しました。 すると「やり直せるのはやり直したいと強く思える方です。 いつかを待っていられる程、人生甘くはない。いつかを待つのも見つけるのも難しいです。」と返信があり、私は何と返して良いか分からなくなってしまいました。 私はその方に未来があると信じて、生きていて欲しいです。 お坊さまのお知恵を貸して頂けますでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。
職場でミスをして「あなたのような人は初めてだ」と呆れられました。物事を難しく考えすぎると言われましたが、私には意味がわかりません。社会人になったばかりの頃、上司からパワハラを受けて思いつめていたことを思い出しました。当時もその上司が何を言っているのか、私に何を求めてるのかが全く理解できませんでした。もしやと思い、発達障害のチェックリストをいくつかやってみましたが、どれをみてもアスペルガーという結果でした。一時期在宅の仕事もしていましたが仕事がなくなり、止むを得ず今のパートを始めたのですが、もう会社に行きたくありません。発達障害者の面倒など見てる暇もない零細企業です。在宅の仕事に戻ろうにももうツテもなく仕事のカンもなくなりました。この数日間寝込んでいます。昔鬱と言われて薬を長いこと飲まされていましたが、断薬にほぼ成功してもう大丈夫だと思っていた矢先でした。老いた母を置いて逝くのは申し訳ないのですが、母から私という心配事を減らしてあげたいです。毒親の母とは暮らすのは苦痛でした。楽になりたい。明日朝死んでいますように。お坊さんからもお祈りしてください。ありがとうございました。
辛くて悲しい事が続いてしまったのでお話を聞いて頂きたいです。よろしくお願い致します。 去年の秋頃から、2人目の不妊治療を始め、今年の6月に体外受精の移植をして妊娠でき本当に嬉しかったです。7月半ばからつわりも始まり、赤ちゃんも順調だったのですが、7月30日に、8週目で不妊治療の病院の卒業の日心拍が止まっている事が分かりました。信じられない気持ちと悲しさで、もうこんな辛い事したくないと思い、娘1人いるだけで十分じゃないかと思いしばらくお休みするか諦めようと考えていました。 その3日後、施設に入っている祖母につわりが無くなった為、母、夫、娘で会いに行くことにしました。 母が少し前に、祖母に私が体外受精で妊娠して、もうつわりが始まっているから、中々会いに来れない事を伝えたら、パーキンソン病であまり話せないのに、「よく頑張ったね」と言ってくれたようです。 会いに行くと、少し前から肺炎になってしまったり、食べれなくなってしまい凄く痩せていて呼吸も苦しそうだったけど、手を凄く握ってくれたり、帰る時は頑張って声を出して、「またね」と言ってくれました。なのに私達が帰った三時間後、呼吸が止まったと施設から連絡がありました。 まさか、さっき会いに行ったのが最後になるなんて思わなかったし、祖母が亡くなってしまった事、流産と知ってからまだ三日しかたっていない、なんでこんなに立て続けに悲しい事が続くんだと本当に辛いです。 悲しさを比べるものではありませんが、祖母の事が悲しくて辛すぎて、流産の事を考えずに済み、あの日もう2人目を諦めようと思った気持ちが消えました。 偶然だとは思いますが、流産からの、祖母の死に意味はあるのでしょうか。 また、私の赤ちゃんは今祖母と一緒にいますでしょうか。いると思うと、とても安心できます。 私が赤ちゃん、祖母に出来ることがあれば教えて頂きたいです。 祖母は浄土真宗です。 長く、まとまりのない文章になってしまい申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
現代人は地獄行きが確定ということを中学生の時知りました。小さい命を潰しても、大人がお酒を飲んでも、それがすべて引っかかるとのことでした。果てしなく、痛い罰に恐怖でいっぱいです。そのため死後に恐怖や不安が積もっています。私はどうすればいいのでしょうか…
はじめまして。mioといいます。 娘は生後3ヶ月という短い命でこの世をさりました。 生きている間、ずっと病気で苦しみました。 先天性の病気で15時間もの手術をしました。成功する見込みは40%という中、無事手術は成功しました。 しかしその後も絶飲の日々が10日間も続き、おちちがほしいと私にしがみついて訴えていましたが、術後のためあげることもできず、泣きじゃくる娘をただただ一日中だっこをしていました。 10日後、10ccからおちちをあげることができ、少しずつ回復していきました。 やっと退院の日取りも決まり、喜んでいたのも束の間、その退院の話が出てから一週間後、院内感染により亡くなりました。 苦しんで、しんどくて、それでも手術に耐え、自分の病気を克服したのに、どうして院内感染などというもので亡くならなければならなかったのでしょうか。 娘はどうして私の元に来て、そしてすぐに去っていったのでしょうか。 なんにもしてあげられなかったことが本当に苦しくてなりません。 お言葉を頂ければ幸いです。 よろしくお願い致します。
乱文お許し下さい。 私は35歳、主人は34歳で、共働きしています。2年前に結婚し、一緒に暮らし始めて1年になります。 生理が不順気味で、年齢のこともあるので、一緒に暮らし始めてからすぐに、不妊治療を開始しました。タイミング、人工受精にトライしましたが、なかなか授からず、医師から「私の体質では妊娠は難しいかもしれない」という宣告を受けました。 主人は「子供がいなくても、2人で楽しく生きていこう」と言ってくれており、不妊治療や家事も積極的に対応してくれます。義両親もとても良い方達で、子供が出来ないことには一切触れません。 私は相当恵まれた環境にいると思います。でも、こんなに優しい主人・義両親を父親・祖父母にしてあげられないことが逆にとても辛く、罪の意識に苛まれています。私がいなくなれば、新しい奥様との間に子供を授かることが出来るのでは、という考えが頭から離れません。「2人で生きていったら良い」という主人の言葉も、私に気を遣っているだけで、本心では子供を望んでいるかもしれない‥という疑念も持っています。 上記の内容と私の心の弱さから、死んで消えてしまいたいという思いが強くなってきています。自死が良くないことは理解しています。それに、死ぬ勇気も絞り出せそうにありません。首を吊ろうとしましたが、怖くて足元の台から降りられませんでした。 命を断つ代わりにと思い、離婚を切り出したら、今まで怒ったことのない主人が激怒してしまいました。離婚するかどうかは、主人に判断を委ねることとして、離婚届を置いて私は家を出ました。 実家へは事情があって帰ることができないので、今はホテルとネットカフェを転々としています。主人は判断に迷っているのか、怒っているのか分かりませんが、連絡はありません。 自殺方法をネット検索し続けている日々が続き、もう限界です。私はこれからどうしたら良いのでしょうか?
タイトルの通り、4年半お付き合いし、お互いに運命の相手と信じていた同い歳の彼が先日自死致しました。 運命など簡単に信じるような歳でもありませんが、出会い、このとてつもなく大きな力で引き寄せられる感覚や様々な出来事、そして相手を想う果てしなく大きな気持ちも、全て今まで経験してきたこととは比べ物にならず、人生で1番大切にしておりましたし、して頂きました。 彼はとても複雑な家庭に生まれ育ち、信じていた人達からの度重なる裏切りや、相手の不貞による離婚や病気など、辛いことの多い人生を送っていた人でした。 周りに弱音は吐かず、全て自分で背負い込み、自分の中で解決・消化してからやっと、笑い話に変えて人に話すような強い人でした。いつも明るく笑顔で、常に人の為に生きている、そんな彼でした。 自死の原因は、恐らく親や兄弟が原因かと思います。彼からそれらの悩みがあると伝えられたのは10月の後半、亡くなる2週間ほど前でした。 かなり深刻そうなのは彼の口ぶりや、日に日に思い詰めていく様子などから感じてはおりましたが、「家族のことなので、あまり詳しくは話したくない」という彼の意向により、何があったのかまでは分かりません。 「死のうかと思っている」「生きてはいたい」こんなことを言っていました。 お互いに仕事もあり、また彼は休みの度に実家へ顔を出すようになり、最後に会ったのは10月の半ばでした。 最後になるとは知らず連絡を取った日、全くそんな素振りは見せず、いつも通りおやすみと言い合い、翌日から連絡が取れなくなりました。 連絡が取れない間、私は定期的に連絡を入れておりましたが、10日ほど経った頃、彼と同じ職場の知人から亡くなったことを聞きました。 私と最後に連絡を取った翌日でした。 遺書は携帯の中に残っていた様で家族しか見れず、通夜も葬儀も家族のみで行われた様で、参加すら出来ませんでした。 彼の部屋へ行ってみましたが、既に部屋は空っぽで、思い出も物も、お揃いの食器も、全て無くなっておりました。 それから私の心は死んだも同然で、信じることも出来ず、ただ泣き叫び、助けられなかった自分を責め、何故何も言わずに逝ってしまったのかと相手を責めます。 会いたい、触れたい、声が聞きたい。 一生一緒に居るはずだった人。私の全てでした。どうやって彼の居ない世界を生きていけば良いか分からず、苦しいです。
先日、急遽家を空けることになり、2歳のハムスターを1週間放置してしまいました。以前も1週間留守番させたことがあったのですが、大丈夫だった為、今回も大丈夫だろうと思いました。ですが、2歳という高齢だったこと、1歳半を過ぎた辺りから、腫瘍が出来出血していた為もあり、帰宅したら亡くなっていました。餌を充分与えたつもりでいましたが、足りなかったのが一番の原因です。 このハムちゃんは、なつくことはありませんでしたが、とても生命力が強く、元気があり、腫瘍ができても一生懸命生きていました。ですが、なつかなかったことで時折目が行き届かないこともあり、結果的に私が死なせてしまいました。帰ってきたときに、餌は全て無くなり、うんちもきちんとしていた為、まだまだ生きれたと思います。 もっともっと生きたかっただろうと思うと、本当にかわいそうなことをしてしまいました。きっとハムちゃんは私を恨んでいると思います。腫瘍も、ストレスが原因でなってしまったみたいです。 ハムちゃんは私なんかに飼われて不幸だったと思いますが、どのように弔ってあげればよろしいでしょうか? 私は一生ハムちゃんに恨まれ、地獄にいきますか?? 教えてください。
数年前からメンタル不調となり、昨年末に退職しました。 退職を決めた前くらいから、自分の存在価値について疑問を持つようになってしまいました。 また、年齢も50を超えており人付き合いも苦手で、これから仕事を見つける自信もありません。 現在一人暮らしで、今後10年程度は生きていける蓄えはありますが、最後は孤独死くらいしか想像できません。 それならば、今ある蓄えを無駄に食いつぶす前に、自殺して身内に残してあげたほうが身内にとっても幸せではないのかと思っています。 自分の生きている意味についても、自分なりに考えてみましたが結局答えは見つからずもう疲れてしまいました。。。 このような社会から脱落したダメ人間に、生きる価値はあるのでしょうか。。。
30代後半、二年前から結婚相談所で活動してます。周りも晩婚、子供は授かればいいね、という方が多く、その程度の気持ちで入会しましたが、不妊治療も辞さないという方が多く私の覚悟と重さが違いました。 選ばれるために必死に自分磨きをし(お陰で、スタイルだけは褒められます)、何人にもお会いし、生涯共にするなら妥協できないと選り好みしている内に二年経ちました。過去の自分を蹴り飛ばしたいです。 両親は、末に生まれた私を愛情深く過保護に育てた一方、姉への期待は大きく、数多くの習い事に加えて進学先は彼女の希望通りでした。姉が選んだ道は私がやりたい仕事でした。 姉の進学費用を理由に、習い事を辞めさせられ、私がその道に進もうとすると激務ゆえ家族全員に反対され、泣く泣く違う道に。思えば、高校を卒業したのだから家出してでも進むべきでした。 その後悔を引き摺りながら、高望みせず身の丈に合わせた条件の下、両親の介護も考え、実家から車で1時間の範囲で婚活し、惨敗。 独身を覚悟する歳になり、生きるために資格取得(進学必須)を考え、受験、合格。ただし、進学すれぱ少なくとも婚活から二年は離脱せねばなりません。 相談所の担当さんは、とても信頼できる方で、もし2年後戻ってきても今よりも更に厳しい、とはっきりと言われました。 姉が子供を産んだので、孫が、という訳では無いですが、結婚、出産…せめてそれくらいは同等でいたかったという劣等感があると気づきました(甥たちは無条件に可愛いです)。 独身も多い世の中だし大丈夫、と友人達は言いますが内心「結婚してるから言えるんだよ」と思い、友人や姉と私の人生は違うと分かっても受け入れられません。 また、80目前の両親へ心配かける情けなさと、この瀬戸際で進学を応援するよ。という両親へ、今更?と複雑な気持ちもあります。いやな奴ですよね。 一つ一つの選択を誤った自業自得ですが、母にも妻にもなれず、夢を叶えたところで孤独に死ぬなら価値がないと涙が止まりません。 「死にたい」「消えたい」と思いながら毎朝目が覚めるようになり、抜け出せません。兄の仏前(思い出させたくなくて死の理由を未だに聞けません)で寂しそうする姿をずっと見てきた事、病気で子供に先立たれた知人の姿を目にし、両親が生きている内は、と踏み留まっていますが…ぎりぎりです。前への進み方がわかりません。助言をいただきたいです。
7月20日に友人が突然死しました。 気持ちの折り合いがつきません。 19日に友人とお茶をしたのが最後となりました。 あの時体調が良くないと言っていた友人を襟首掴んで病院に連れて行っていたら、あの日の夜息苦しいと言っていた友人宅に勝手に救急車呼べば、窓ガラス割ってでも室内に入っていたらと自分を責めてしまいます。なんで躊躇ったのか、どうしてできなかったのか、合鍵がないからといって家族に先に連絡しないで私が警察を呼べばよかったのに、苦しいと連絡があった時に終電があったんだから家に押しかければよかったのに。 躊躇わなければまだまだ楽しい時間を彼女は過ごせたはずでした。 街中を歩いても一緒に行ったカフェや次に遊ぶ時行ってみようと言っていたレストランを見ると「自分が彼女の人生の時間を台無しにした」と思ってしまって潰されそうになります。もしかしたらもう潰れているかもしれません。 友人を亡くしたのは初めてです。どうしたら心に折り合いを付けられるか全く分かりません。ご家族からは「貴方のせいじゃない、自分を責めないで」と言われましたが出来たことはあったのにやれていない自分が許せないです。
お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。