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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 2994件

昨年亡くなった父の初盆について

昨年、持病で亡くなった父の初盆。 どの様に供養すれば良いのか分からず…、相談させて下さい…。   まず、父は離婚しており、親族は私(独身)と兄家族のみです。 兄とは元々折り合いが悪く長年疎遠で、父の葬儀等で会う機会が一時多くはなりましたが、49日法要が済んだ後はまた疎遠に戻りました。 上記で記載した通り兄は結婚しており、兄宅に父の仏壇があります。 私は小さな骨壷に父の分骨を手元供養として自宅に置いています。 そして、父のお墓は作らないと決まっています。   そこで100ヶ日の際も、私は法要をしたかったのですが、結局兄宅に上がれなかった為お供えのみを渡し、仏壇に手すら合わせられずに終わってしまいました…。   その後、亡くなって半年の命日や父の誕生日等、本来であればお墓参りや仏壇にお供えをして手を合わせたい所でしたが、どちらも出来ない為、自宅の骨壷に手を合わせていましたが、どうにも父を想うと心苦しく、辛く、なんとも言えない悲しさが込み上げてきます…。こんなことダケで、大好きだった父の供養になっているのだろうか…と。   そこで、前置きが長くなりましたが、父の初盆のことです。 兄からは何の連絡もないですし、おそらく何もしないのか、法要をするにしても私には参加して欲しくない為いつするのか知らせないつもりなのか、どちらにせよ初盆にお墓参りや仏壇に手を合わせることが出来ません。   その為、お墓や仏壇や位牌が無くても、私の自宅で法要をすることは可能なのでしょうか?(お坊さんにお願いして来ていただく、等。) 初盆に私自身が何もしないことが、自分で許せないと言うか、やはり父に申し訳なくて…。(もちろん自宅の骨壷に手を合わせることはしますが…。)   どうか良い方法などがございましたら、お教えいただけますでしょうか…。 何卒よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 4
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2021/12/16

年を重ねる

今私は、夢もあって若いのですが、自分がお年寄りになったときというのが全く想像がつきません。 でも、もしその時が来たら自分のおばあちゃんみたいな感じになりたいです。 ですが、不安もあります。 人生、若い時のほうが成長できるし、夢もあって楽しいと思います。 年を取ると、経験の分だけいろいろなことが分かるようになると思います。だけど、若い人たちとは、時代が違うので通じにくい部分も出てくると思います 友達とかもなくなったりして、さみしいなと思います。 介護されながらも祖父は長生きしましたが、やはり今思うと寂しかったかなと思います。無口な人でしたが、もっと話をしたかったと後悔してます。 年配の方の気持ちを考えたときに、介護とかはされたくないものだと思います。できれば老人ホームもデイサービスも行きたくないのではと思います 年配の女性と話した時に、デイサービスの入浴が嫌だと言っていました。その方は元気なで畑もやっている方です。塗り絵を退屈そうにしてました。 私は祖父母の介護に携わってはいなかったのですが、やはりいないと寂しいです でも自分がそうなったときには家族に迷惑をかけていると思ってしまうと思います。 年を取るって、総合的にみてもさみしいなあって思ってしまいました。 人生って何なんだろうって思いました。 中学のころの親友は別人みたいになってしまうし、会ってもあの頃のように楽しくないです 人生を通して変わらないものって何だろうと思いました 自分も変わったのかもしれません。 別れがあるから余計にさみしいです 誰もいなくなってほしくないです、変わってほしくないと思ってしまいます

有り難し有り難し 11
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2022/12/26

社会に適合出来なくても幸せになれますか?

私は今高校生ですが、人間関係を上手く築けません。それどころか人間関係を全て破壊してなるべく一人でいたいとも思うときがあります。でも一人は一人で寂しくって他の子がsnsで友達と青春を謳歌しているのを見ると憧れもします。 自分の両親は幼い頃から毎日のように喧嘩をしていて両親ともにその鬱憤を自分に向けて発散していました。そんな幼少期だったので恐らく他者に対して信頼関係を築けなかったり、情緒も落ち着かず感情も豊かでありません。 以前お付き合いしていた女性とも上手く距離感が掴めず嫌われたくない、関係を維持したいが余り優しさが武器だと勘違いし飽きられてフラれました。その時自分が悪いと彼女が彼女自身に言っていて自分の不甲斐なさを痛感しました。 自分には人の感情を読み取ることや自分の感情をコントロールすること、他人を信用することは無理です。自分は人が幼少期に社交性を発達させるために必要なステップを踏んでいないので諦めるしかありません。でも本当は諦めたくなくってとても葛藤しています。 回りの友達が自分とは違い家族に恵まれ暖かい人生を送って、しかも健全な人間関係を築いていると思うと羨ましいし腹も立ちます。そして彼らは自分の恵まれた環境をありがたいとも感じていないので、集団に不適合な自分のような人間を見下し腫れ物の様に接してくると殺したくなります。 長々と文を書きましたが自分は社会不適合者で社会に適合し幸せそうに生活をしている人に憧れます。でも自分はその様な人生を送る能力がないのも知っています。 なら僕は今後どの様にして生きていけばいいですか? 1,今まで通り叶わぬ理想を葛藤し嫉妬し妬みそれでも追い求めるべきなのか? 2,世捨て人になって孤独に人生を送る 3,もう人として生きるのを諦めるか 4,生きることをやめにするのか どの選択肢もバッドエンドで希望が持てません。なので自分の気持ちに一番近いのは4です。 お坊さん、こんな僕でも幸せを見いだせる道を教えてください

有り難し有り難し 6
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信仰心のない母との衝突

お仏壇の宗派変えの件はまだ解決しておらず、ご本尊もそのままです。 というのは、ご本尊や掛け軸を置く台がないのです。 調べましたら、掛け軸は画鋲で刺してありました。こんなことってあるのですか。 もともと近所の某マンモスカルト教団の信者が母に無理やり買わせたお仏壇です(カルト教団の物ではなく真宗大谷派です)。高さは160cmほどあり、母は邪魔だから捨てたいと言っています。 私は自室で手作り手元供養台の前でお勤めをしています。それが母には気に入らないらしく、 『一つの家に二つの宗派があるのはおかしい。』 と言い出しました。気分が変われば別の言い方をします。 なので私が、 『仏教に対する信仰心はあるの?』 と尋ねると、 『ない(キッパリ)。』 大きなお仏壇も見れば見るほどアラが目立ち、仏具にしてもあるはずの物がなく、なくてもいい物があったりと、本当にお粗末です。母は断れないタイプなので、高額の買い物だったと思います。 お仏壇の下取りにしても、私の仕事になるでしょう。何にせよ自分から動こうとはせず、向こうから誰かがやってくれば頼んでしまって、結果的には騙されます。 それでいて、どこそこはお寺が多いから行ってみたい、などと言うので、それは観光目的なのか信仰心(これはない)なのか、私としてはちょっと不愉快です。 お仏壇の話になると喧嘩に発展しそうになります。私は自分の意思で真言宗を選び、日々勉強したり、お寺での一期一会の出会いがあったりで、母に御手水の作法を話すと、 『どうしてそんなこと知ってるの?』 とやや目を釣り上げます。私の方こそ、『なぜお仏壇を買うことを断らなかったのか。』と言いたいところです。自分でお店を選んでの購入なら構いません。 親孝行したいところですが、信仰心をめぐる親子の対立は避けられるものなのでしょうか。

有り難し有り難し 5
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どうしたら良いのでしょうか?

はじめまして。 長文失礼します。 私は昔から不思議な体験をしてきました。 子供の頃はそれが普通の事なのだと思っていましたが、年を重ねる内にそうではなかったのだと知りあまり人に話さずに生活してきました。 身の危険やダメージに遭遇すると何者かが知らせてくれたり。。 例えば車の運転中、前方車に浮き上がる物体が見えたので「なんだろ?」と思ってみると「距離をとれ」と頭に言葉が入ってくるのです。 その言葉に従い距離を取ったところ、信号を誤って入ってきた別の車との衝突を避ける事ができたり。。 この日ばかりは仕事が終わり気が緩んだ瞬間に泣き崩れてしまいました。 ある日は公園を散歩中、目の前に下半身だけの女性が現れ「あなたの来るような場所ではない。早く行きなさい」と。 その言葉は直接言われるのではなく、頭に入り私の心に感情として一瞬で伝わってくるのです。女性は戦時中に亡くなられた方のようです。 今までこんな事が多々ありました。 しかし良いことばかりではありません。 仕事でお世話になっているとある旅館には、足を踏み込めないトイレの箇所があります。 閉ざされたドアの向こう側に女性の気配がありますが、踏み込んでしまったら自分はどうなってしまうのだろう?と思ってしまう程です。 ちなみにこの旅館は、普段はそういった事を感じない人までもが何かしら感じ取ってしまう程有名な所なので、お坊さんの団体客は宿泊しません。 しかし、私には上に上げてあげる力が無いので何もできません。 あまりにも念が強すぎて私の心に伝わってくる為、この旅館を訪れた日には体調を崩します。 「深入りするな。やめとけ」と言葉が入ります。 また時々、亡くなられたお坊さんを見かけます。最初は「なぜお坊さん?」と思いましたが、この方が来られている日はあまり体調を崩す事がありません。ずっと徘徊されています。 かなり厳しい修行をされ徳を積み、高貴な香りを纏った方で、亡くなられてもまだ修行をされています。 幾度となく救っていただいた私は、どうしたら恩返しが出来るのでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
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ペットの死後を上手く説明出来ないんです。

家族みんなで可愛がっていたハムスターが亡くなりました。かなりの高齢で、家族みんなに見守られながらの大往生でした。 最期まで、家族みんなで介護をさせて頂けたので悔いはありません。 小学生の子どもも、「たくさん幸せにしてくれてありがとう」と語りかけていました。 しかし、亡くなったその日に 「ハムスターって死んだら天国に行けるんだよね?」 「ひいおばあちゃんとかみたいに、見守ってくれてるのかな?」 と、子どもに質問されました。 私は咄嗟に 「ちゃんと天国に行けるよ。見守ってくれると思うよ。」 と答えてしまいましたが、よくよく調べたら、動物は畜生道に行くとのことで、どのように子どもに話したら良いか分からなくなってしまいました。 (極楽浄土と天国がほぼ同義になってしまっている点も、私の認識不足と子どもへの伝え方が悪く、申し訳ございません。) 子ども自身の精神的ダメージも大きく、子どもにも分かりやすく、かつ柔らかい言い回しがないか模索しておりますが、なかなか思いつかず苦慮しております。 同時に、悔いがないとはいえ、ハムスターがちゃんと安らかなところで眠れているのか心配です。 まだ日が浅く、取り留めのない文章になってしまい申し訳ございません。 どのように捉え、どのように子どもに説明すべきなのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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