私が結婚する前から父は癌でしたが、私が結婚して2ヶ月後に旅立ちました。私が妊娠する前から私の双子の妹(私は双子です)は癌でしたが、私が妊娠して2ヶ月後に旅立ちました。私には結婚前から恋人同然のうさぎちゃんがいましたが、出産して2ヶ月後に旅立ちました。私が幸せになると必ず2ヶ月後に別れが訪れます。偶然にしては2ヶ月後が3回も。私は過去に何か悪いことをしたのでしょうか。晩婚、高齢出産でもう一人は妊娠することができませんが、大きな幸せが訪れるのがとても怖いです。また偶然にも3人とも死に目に会うことができませんでした。仕事の休みがとれ翌日にようやくお見舞いに行けると思うとその前日に旅立ってお礼もできていません。仲の良い家族でしたが、私は嫌われていたのでしょうか。だから私を待つ前に旅立ってしまったのでしょうか。 妹に限っては後悔で苦しみが今もあります。お見舞いに行けなかったことをあやまりたいです。理由は余命数日のときに、毎日お見舞いに行くと「忙しいあなたが毎日くるということは私って死ぬの?」と荒れてしまいお見舞いを拒否されてしまいました。元気を与えるどころか私の存在が苦しめている!ショックでしたが行きづらくなり、会えぬまま3日後旅立ちました。お互いその間何度も夢の中に出てきたのに。また妹は私の声もきこえたそうです。勇気をもって会いに行かなかったことが今でも後悔で苦しいです。妹は弱音を吐かないタイプで、また嫉妬深く私より上でありたいから双子であることをあまり好きでないようでしたがすごく仲が良かったです。ただ「私は癌なのに姉の私は生命を宿っている。同じ双子で不公平」と。双子であるからこそ苦しかったようです。私の存在が彼女を苦しめているならいっそのこと私が癌になれば良かったのにと何度も思ってしまい涙がでます。彼女の本心がききたいです。私のことどう思っていたのかききたいです。亡くなった人の声をきいて何になるの?と思われてしまいますが、本心をきいて楽になりたいという思いからきているのかもしれません。もちろん本心がマイナス面ならきちんとあやまりたいです。 あれから4年がたちましたが、誰にもこの心の苦しみを話すことができずにいます。お墓参りの時や自宅で毎日父と妹、愛兎ちゃんに感謝や手を合わせています。 まとまりにない文章で申し訳ございません。よろしくお願いいたします。
初めて投稿させて頂きます。 昨年3月ごろからCOVID19の影響で私たちの生活の在り方が大きく不自由を強いられるようになり。それを今尚実感しております。 私はコロナ前平日は遅くまで仕事、土日連休はスポーツ観戦、ライブ、旅行と非常にアクティブな生活を送っていました。 そこにはリアルの友人や観戦仲間もそれなりにいて私生活はとても充実していました。仕事でも「面と向かった人と話をする大切さ」を学び、それは自分のスキルアップに大きく寄与しました。 しかしCOVID19が蔓延して以来、それらは不要不急、感染拡大の要因になる「悪」と見做されるようになりました。 イベントは取り上げられ、思うように人とは会えず、どこに行くにも後ろ指を指されないようにビクビクする生活が続いております。 今はスポーツ観戦もライブやイベントも一部返ってきて、感染症対策を実施して参加はしています。会える人とはちゃんと合意を取って会いに行きます。もちろん他のできる事もやっています(スポーツジムや読書などの1人でもできる事です)。しかしあらゆる物事に制限が多く、職場や家族の目も気にしながら適度に自粛しなければならない生活ではとても前のように楽しむことが出来ません。 そんな生活の中でやがてあらゆるニュースや報道に対して 「これを一生続けたいのか?今COVID19のデータを見てもこれはウイルスせいではなく政治家や特定の団体の所為ではないか! 自分は一部の票田のために棄民と見做されているんだ。」と感じざるを得ないものが多くあるのです。 (もうそれが嫌になりかれこれ1年近く地上波は見てません。) 元の生活には戻らないと言われるならそれでも構いません。私は躊躇なく死を選びます。所謂新しい生活様式の中に自分の幸せはありません。 「生き方を変えなさい」と言われても生後から青春時代に染み付いた価値観はそう簡単には変えられません。 まさかこれが一生続くとは思いませんし、死ぬ死ぬ言いながらのうのうと生きて投稿させて貰ってるので滅多な事はしませんが この棄民と見做された怒りの感情と絶望感にどう向き合って行けばいいのか?と悩みます。生きてやるべき事はあるし、元に戻った後に人間関係に取り返しのつかないヒビが入ったのでは意味がありません。曖昧模糊な内容で申し訳ありませんが、何か良いアドバイスを頂けますでしょうか。
ご相談申し上げます。 約1年ほど前、父が急逝した事についてご相談させていただきました。 http://hasunoha.jp/questions/1472 あれから未だに父の死が常に頭から離れず、強い後悔が残っています。 父が亡くなった直後は求職中でしたが、現在は無事に復職でき、長く勤められそうな良い会社に入れたと感じています。 この会社の二次面接の当日が、父が亡くなってちょうど一年後の命日でした。 父の形見の腕時計を付けて面接に臨みました。 父が見えない所で背中を押してくれたのかな、と思う次第です。 そして、社会復帰を果たした次に、父の望んでいた事、自分の幸せとして 家庭を持つ事=結婚を第一に考え、現在は婚活に力を入れて頑張っています。 しかし婚活というものは非常に難しく、自分の頑張りだけではどうにもならない事も多く 成果が出ない事に対して焦りや苛立ち、精神的な疲労をく感じる事が多々あります。 2年前に東京より帰郷してから地元の友達や新しい知り合い等も少なく 現在は婚活を最優先に、頻繁に婚活パーティーに参加し、合間にネットの婚活サイトでお相手を探したりと 余暇の大半をつぎ込んではいますが思うようにはいかず、落ち込む事が多いです。 婚活に心を囚われているせいか、趣味にも夢中になれなくなりました。 そして、婚活以外においても何か辛い事があった時 私は父が亡くなった日、自宅で死んでいる父を見つけた事を思い出すようになりました。 「父が死んだあの日、あれ以上に辛く悲しい事は無い」 そう考えると、目の前の困難がまだマシと思え、乗り越えられる気がするからです。 しかし、父の死を思い辛さを乗り越える反面、最も辛い出来事である父の死を何度も思い出す事に対して これでいいのだろうか?と思う事もあります。 父の死を思い出すという事は、やはりその度に辛く悲しい気持ちも呼び戻される事。 そして何度もそれを繰り返す事で、父の死がずっと頭から離れられずに留まり、父の死を乗り越えられないのではないか、という気持ちが浮かびます。 終わりの見えない婚活に対する辛さ、不安。 父の死を引き合いに出して困難と向き合う事への戸惑い。 そして未だに頭から離れない、父への強い後悔。 これらの悩みに対し何かご助言を賜れたらと思い、ご相談いたします。 どうぞ、よろしくお願いいたします。
昨日、母とドライブしている時に道路で横たわっている猫の死骸を見つけました。母は慌てて避けましたが夜遅く車も多かったので可哀想と思いつつも死骸はそのままに見て見ぬふりをしました。 わたし自身は余所見をしていた為、直接は見ていなかったのですが、ぐったりと横たわっており死んでいるも分かったようです。 人間の遺体なら見て見ぬふりなんか出来る訳ないのに、まだ生きていたかもしれないのに..と今になって後悔が付いて回りせめて綺麗な状態のまま端に寄せてあげればよかったと思います。 自分が轢かれるかもしれない、急停車したら後ろの車とぶつかるかもしれない、Uターンして戻っても散々轢かれた後だろうから直ぐには死骸を動かせない..なんて言い訳が思い付く時点で人の心が無いですし猫が可哀想で堪りません。 野良猫が増えすぎたのも問題ですが改めて目の前で動物が死んでいる姿を見ると胸が痛みます(今回は見てなかったですが)小さい頃は病気など気にせず鳩や雀の死骸を土に埋めたりしていましたが埋める所も無いし死骸を持ってうろちょろはできない..と移動させてあげる事に躊躇するようになりました。 最低な私を叱ってください。 あと小動物の死骸などはお寺で供養して貰えたりするのでしょうか? 轢かれた猫を供養してもらったと聞いた事があるのでお答え頂けると次に見付けた時、すぐに行動が出来るので助かります。 遺体自体は保健所行きになりますが実際の遺体が無くても魂を供養してあげられたら良いのですが..。
猫の事で申し訳ありません。 大事にしていた猫が先日亡くなりました。 しかも苦しんで死にました。 2年ほど前に腎臓が悪くなった時は、月に5.6万かかってでも、何とか助けたくて病院に通ったり、獣医さんに教えていただき、自宅で自分で点滴をしたりしましたが、先日急激に具合が悪くなり病院ではこれ以上出来ることはないのでお家で見てあげてください。と返され、そこからはずっと側に居ました。 ただ弱っていくのを観ているだけで一週間が過ぎ、そして亡くなりました。 最後の2日程は苦しくてうめき声を上げるほどでしたが、苦しんでいるのに薬をあげることもできず、ただただ側にいることしか出来ず助けてあげることもできずにいました。 人間なら痛み止めなど何かしらできたのでは無いかと思い、亡くなった猫が可哀想で、そして申し訳ない気持ちでいっぱいです。 火葬をして骨壺に入っているその子にいつも声をかけます。 おはよう。いってきます。ただいま。おやすみ。など、でも、今までありがとう、とか天国に行ってねとか、お母ちゃんこれから頑張るよとか、大好きだよ、とか、言いたいけど、あんな苦しい思いさせておいて、何のんきなこと言ってるんだって、そんな事苦しんだ子に言えるのか?と、その子に思われるのではないかと感じて、言葉が出てきません。 確かにそうだと思います。何もしてあげられなかったから。 10年しか生きられなかった子に罪悪感でいっぱいです。 でも毎日何回も声をかけたい。 この子との思い出を幸せだった事もちゃんと思い出して話せるようにしたい。 私はどう考え方を変えていけば良いか。 何と声をかけてあげたら良いのか。 そしてこの子が成仏できるようにするにはどうしたら良いのか、お言葉をください。 よろしくお願いします。
最近俳優の阿藤快さんが亡くなりました。阿藤快さんは寝ながらなくなったそうです。そして僕はこのまま寝たら死ぬんじゃないか、など今本当に死が怖いです。どうしたらいいかわかりません。死が怖いのを克服したいです。 どうしたらいいでしょうか??
昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。
何度もご質問して申し訳ありません。 タイトルの病(正しくは、身体表現障害)にて、2回全身脱力が起こり、倒れた後意識はあるものの、15分ほど力が入らず倒れていました。 主治医の分析にて、今回は体調変化により身体に出たが、私は言葉でも身体でも(夢や実体験でも)「死の体験」を繰り返し表現しているそうです。 そこでご質問ですが、仏教で「死の体験」或いは「死後の体験」、或いはその類いのものをできる何かってありますか? 宜しくお願い致します。
最近楽しいことを考えようとするとマイナスのイメージが浮かんできます。家族が死ぬことなど悲しいことを考えてるうちに死が怖くなってしまいました。あとどれくらいいられるかばかり考えていてとても苦しいですどうすればいいのでしょう。死について前向きになれたらいいのに
薬の副作用で死にかけて入院しました。 死ぬことに恐怖を感じました。 それから死ぬのが恐ろしくなりました。 今まで鬱を患ったせいか、死に対してあまり恐怖を感じたことが無かったのですが、今は怖いです。 これは普通の感情ですか?
ここ最近亡くなった祖父母のことを思い出していて疑問に思ったことがあるので、お坊さんの意見を聞きたくて質問しました。 私の祖母は生前、「友達もみんな死んでしまった。早くお迎えが来てほしい。」とよく言っていました。 しかし、それと同時に毎月大量の健康食品を買っていました。 82歳で亡くなったので長生きした方だと思いますが、やはりお年寄りでも死ぬのが怖いのでしょうか。 私はまだ16歳なので、やりたいこともたくさんあるし、死ぬのが怖いです。 でも、80歳にもなれば自分の死を悟ってくるものだと思っていました。 父は、「歳をとると、ある程度悟ってくるもんだ。」と言っていましたが、 母は、「そんなこと考えたことない。」と驚いていました。 お年寄りがよく「お迎えに来てほしい」と言うのは、どういう心境で言っているのでしょうか。
2ヶ月前に、大好きだった母が他界しました。 まだ、50代でしたので、顔も行動も若々しく、また、突然死だったので、今だに亡くなった事が信じられません。 そんな母が、四十九日の3日前に私の夢に現れました。 夢の中で、母は自分の友人(ご存命の方です)に、亡くなった日の死ぬまでの経緯やその時の感情を説明した様子でした。 その友人が立ち去り、ようやく母と話し始めようとすると、母は突然ほろほろと涙を流し、辛い表情で、『まさかこんな事になるなんて。あなたと〇〇(私の実姉)に申し訳ない。ごめんね。ごめんね。』と目を落とし言いました。そう言うとすぐに、ハッと何かに気づいた様子で、『こういう事はもう言えないから。ほら、“あっちの方々”が見てるから。』と、目配せをしました。ところが目配せの先にいる人は私には見えません。すると、気まずそうに母はすぐに、『もう行かないと。』と言い、せかせかと荷造りを始めました。詰めていた荷物は、見た事もない白装束の様な着物でした。 私は行かないで!と言いたい所でしたが、その様な事を言うと“あちらの方々”に聞こえて、母があの世で良い所へ行けなくなるかもと思い、生前の様に『気をつけて、行ってらっしゃい。』と見送った所で目が覚めました。 母は生前、大変苦労をした人でしたが、人の悪口も自分の愚痴も言わず、困った人々に手を差し伸べ、人を気遣い、いつも明るく、優しく、美しく、人気者で、本当に自他共に認める自慢の母でした。身内贔屓でなくとも素人でも、きっとあの世では、現世の時の様に苦労のあまりない、安らかな暮らしを与えて頂けるであろうと思っていたので、夢枕での、その様な表情や発言がとても気になりました。 あちらでも苦労をしているのでしょうか?それとも突然死だったので、現世にまだまだ未練があるのでしょうか? 未練があり過ぎると、成仏出来ないなどとよく言われますので、とても気掛かりです。 長文駄文で申し訳ございませんが、ご回答宜しくお願い致します。
こんにちは。 文章がわかりづらいかもしれませんが、ご相談があります。 先日おじが亡くなったという報告が母から来ました。 正直「死」に対してあまり実感がなく、高校生の時の祖父の死で少しずつ実感が湧き始めました。 今回のおじの死は交通事故らしく私は年に数回ほどしか会えなかったので悲しいはずなのに自分の感情がごちゃごちゃになって悲しいのか何も感じていないのかわからないでいます。 しかし父(おじの兄)といとこ(おじの子供)のことを考えるとつらくて本当に涙が止まらなくなります。 私は現在一人暮らしをしていて両親や父方の親戚は外国に住んでいます。そのためお葬式にもでられません。また、半年ほど前に大好きだった愛犬が亡くなった時もコロナの関係で1年以上会えないままのお別れになってしまいました。 今回のおじの死で愛犬のことも重なってしまいすごく辛いです。友達にも心配をかけたくないので相談はできません。しかしいつも通りに接することもできず余計自己嫌悪に陥ってしまっています。早く今まで通りに振る舞えるようにしたいのですが正直今は無理です。でも心配はされたくないです。両親もきっと今は辛いはずなので言い難いです。 大切な人を看取れずとても悔しく悲しい感情をどこに当てればいいのかわからないです。またもしもっと身近な人が同じように死んでしまった時、自分は遠くに住んでいるせいで看取ることができなかったらと考えるととても不安です。 どうしたらこの不安や悲しみや悔しさを和らげる(?)ことができるのでしょうか。 一方的に今の感情を書き留めたら長文になってしまいましたが最後まで読んでくださってありがとうございます。
人には必ず訪れる死 事故死、病死、自殺… 色々ありますが死は必ず訪れるのでどんな死に方をしても死んだら無ですよね、、、?? よく自殺したら苦しむと言われていますが…あまり信じることができません。
最近、家族の死について考えてしまいます。 祖父母と同居しているのですが、83歳と79歳です。毎日元気に挨拶してくれてとても嬉しいのですが、彼らが死ぬと考えると辛いです。お葬式なんて考えられません。 また、親の死と自分の死も怖いです。心配しているのは、死ぬのもそうですが、死に方です。殺されたり、溺れたり、災害で死にたくないです。死は苦しいというイメージがあって、嫌だと思います。 家族に先立たれて、この世に取り残されるのが怖いです。日に日に歳をとっていく家族を見ていると、怖いです。 生まれ変わりってあるのでしょうか?死ぬ時辛いでしょうか?あの世ってありますか? 本当に怖いです、心を落ち着かせる方法などがあったら、教えてください
人は死んだらどうなるのでしょうか? 私の周りの一部の''人は死んだら無になる''と言います。でも私はどうしてもそうは思えません。たしかに死んだら形がなくなってしまいますが、魂は無くならないと思います。きっと見えない姿になって生き続けるのだと思います。そんなのはただの願望ですか?たしかに証拠がないので断定はできません。でももし死後の世界が存在するのなら死を目の前にする(私がそういう状況というわけではありませんが)人々にとってとても心強い支えとなるでしょう。まだまだずっと先のことだとわかっていますが、やはり死ぬのが怖いです。人間は死んだら自然の一部になるという考えが一番現実的だと思いますが、それは科学的なことです。今生きている自分の魂(心)はどこへ行ってしまうのか。死んだら全ての記憶や体験がなくなってしまうのか。もしそうならやはり「死」は人間にとってとてもとても怖いものだと思います。生きるということ自体が死によって無駄(リセット)されてしまう。形がなくても魂が永遠に生き続けるということは本当なのでしょうか??
死ぬのが怖いです。いつ死ぬのかわからないし,あと何年人生があるのかとかもわからないけど,死が怖いです。死後の世界がどうなっているのかもわからないし,とにかく怖いです。人間はいつかは死ななければならないし,親もいつかは死んでしまうとわかっているのですが、死ぬのが怖いです。自分もいつかは死ぬんだなぁとふと思うことがあって,怖いです。一人で夜泣いてしまいます。死は怖いですか?
縁があって相談できることをありがたく思います、結婚して18年です、子供は3人、結婚して、親になってわかる、親心、子供ができて、分かる、この心、わかっている、14年前に父方のお父さん、私にとってはおじいちゃんが亡くなりこの死が、私の心を大きな傷となり、今も思い出すとおえつが出るくらい悲しみが心を支配する、身内の死がこれほど悲しくて辛いのは十分わかる、 わかっていながら、自分の子供、主人には平気で死んでしまえとか、汚い言葉、毎日のように、放つ自分、 毎日寝る前手を合わせ毎日反省、わかっているのに、なんでか、自分がすごく汚い心だから、週末はなるべく、神社や、パワースポットと言われる所へ足を運び、感謝する、お線香の匂いに癒され、嫌なこと忘れる事ができる、父が病気になり、すぐは死なないけど、死と向き合う父をみていると、さらに死に恐怖、自分も死ぬんじゃないかの恐怖、不安、でも、築地本願寺に行ったとき、お線香の匂いでその恐怖や、不安が、一気に吹き飛んだ、だから、神社、パワースポットに足を運ぶのは、感謝の為、わかっている、 長女は16歳になり、日に日に反抗がすごい、薬やお酒に、興味持ち始めて、毎日怒鳴り、死んでしまえと思います、私自身反抗期、親に対する口の利き方、ちゃんとしていたから、長女が私に対する口の利き方や、態度が、ゆるせない、尊敬や、優しさが感じられない、毎日怒鳴り、汚い言葉をぶつける、誰一人私をいたわり、優しい言葉かけてくれない、有難う、あたりまえだけど、言われたい、心と、吐き出す言葉が正反対で苦しい
人生とは?と聞かれたらどう答えますか? こちら40代男性ですが、この年代になるとある程度親しい人が亡くなったりすることがあり人生について考えることが非常に増えました。 先日も年の近い人が急に亡くなり何とも複雑な心境です。 人間ですから死ぬことは避けられませんがどう考えていけば良いか分からなくなってしまいました。 目の前のことを楽しめば良いという人もいますが時々虚しくなります。
最近、祖父母の姿がだんだんと小さくなっているを見てとてつもない虚無感と恐怖に襲われます。 私はまだ身近な人の死というものを体験したことがなく、誰かが死ぬのが怖いです。 死が怖いというよりは、永遠に失ってしまう事。顔や声、温もりをもう感じることが出来ない事が嫌なんだと思います。 私が一日を過ごすと、祖父母と過ごせる時間が短くなっているのがとても悲しいです。あと何年一緒にいられるのだろう。今まで生きてきた時間もあっという間だったのに、確実に今生きてきた人生よりもこれから一緒にいられる時間の方が短い。 もう、時間が止まって欲しいです。私から時間を取らないで欲しい。 私は今を生きて時間が過ぎていく事が怖いです。どうすればいいですか。