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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6150件

死ぬとは何ぞや

タイトル、不躾に失礼します。 私は20代前半に一人、最近また一人と二人の親友と勝手に呼んでいた友人を亡くしました。 最初の一人は自宅で孤独死、死後数日経っていた為死因は不明。 もう一人はニュースにもなりましたが、同居する彼氏に睡眠中に殺されました。 当然の事ながらショックでした。 どちらの二人も何となく連絡が途絶えていたからです。(後者は何年もですが) ですが…あまり他人には話せることではないのですが、彼女達は自分で決めてきた死去の日を迎え、また現世での問題はクリアされたから去っていったのでは…とも考えるのです。 実際、前者の友人の死を聞いたときは直感的に『これで良かったんだ、頑張ったよね』と思いました。 彼女は病気を抱えていましたがお互い特にそれについて話すことも何故かありませんでした。 私自身は死後の世界は知りません。 でも生まれて生きて、苦しいことを乗り越えるまで同じ問題にぶつかるのには意味があるんだと思います。 じゃあその山積みの問題をクリアできたら…?? そう考えると、彼女達の残された家族の事を考えたら私のこの考えは不謹慎な気がして…。 正直、この考えがある意味本当なら彼女達を羨ましく思ってしまう自分が近くにいるのです。 もしかしたらそう考えるのはある種の逃避なのか、とも。 うまく説明が出来ないのですが、この世から旅立った友人達の死は悲しいです。 だけど羨ましい。 けど死ねばこの世の苦しみから逃れられるとは思わない。 自分の課題が見つけられないからの嫉妬なのか何なのか…。 不謹慎過ぎて深く話が出来ないのでこちらで質問させて頂きます。 まとまりがなくて本当に申し訳ないのですが…。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

死ぬのが怖い

私は死ぬのが怖いです。 前からふと「死」について考えてしまう事があります。その度に泣いたり、怖くて苦しくなり鼓動が早く息が苦しくなったり、発狂しそうになりました。 しかし、そうなる事も数年に何回かある程でしたが、今はここ一週間程ずっと考えてしまいます。 死んだらどうなるのか、今こうやって物事を考え、生きていること全てが消えてしまう。「無」になってなにも無くなってしまう事が怖くて怖くて仕方ありません。 どうすることも出来ないのに、どうなるのかを想像して、その度に苦しくて苦しくて仕方ないのです。ずっと生きていたい。生きていられるのなら例えどんな事でも出来ると思う程に、生きていたいと思うのです。 私は、眠りにつくのと死は同じだと思っています。寝てる間は意識がなく、今は自然と目を覚まして、自分が寝ていたという事に気づきますが、死とはそのまま起きることが無い状態なのだと。考えても、誰も答えは知らないので、仕方の無いことだとは思うのですが、ふと考えてしまい、苦しくて怖くて何も手につきません。それでも、次の瞬間には、まだまだ先のことだから今考えても仕方ないと思ったり、きっとその後の世界があると思ったり、ふと気楽に考える瞬間もあるのです。そしてまた、ふと怖くなって・・・。この繰り返しを一日に何度もしています。どうか、助けてください。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2
2024/07/05

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 18
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恐怖を忘れることは良いことか?

お世話になっております。いつも温かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 今回お聞きしたいのは、「恐怖を忘れて過ごすのは良い傾向なのか?」というものです。 以前より、死の恐怖を克服する方法についてご教示頂いております。怖くなったらお念仏を唱えたり、仏教に関する本を読んだりして、少しでも悟りに近付けるよう勉強しています。 その中で、以前よりも、恐怖を感じる時間が少なくなっていると感じます。しかし、決して死が怖くないわけではなく、ただ別のことに気を取られて恐怖を忘れているだけなのです。 日々が忙しくなるとそのような「忘れている時間」が増えていくのですが、隙間の時間に死の恐怖を思い出して、絶望感に苛まれます。 そこで、 ・死の恐怖を忘れている時間は、仏教の修行的にはあって良いのか?それは、克服へと繋がっているのか? ・それとも、何度も恐怖を思い出し、その度に勉強したり念仏したり…と繰り返す方が好ましいのか? の2点について、ご教示願いたいです。 どうしても、文献に触れたり念仏を唱えたりすると、死の恐怖を連想してしまうので、精神的に疲弊してしまいます。そのため、どうでもいい娯楽で恐怖を誤魔化してしまうこともあります。 一方で、死に対する絶望感から、「早く死の恐怖を全く感じないようになりたい」と思い、つらくても修行した方が良いのか、と思うこともあります。 また一方で、自分のしたいことは「死の恐怖の克服」だけではなく、ほかの勉強や趣味にも勤しみたいので、少なくとも現状では、やることを仏門修行だけに絞るのは避けたいと思っています。 長文かつ、わかりづらい文章になってしまい、申し訳ございません。お時間ある時で構いません。ご教示頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 12
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毎日後悔

縁があって相談できることをありがたく思います、結婚して18年です、子供は3人、結婚して、親になってわかる、親心、子供ができて、分かる、この心、わかっている、14年前に父方のお父さん、私にとってはおじいちゃんが亡くなりこの死が、私の心を大きな傷となり、今も思い出すとおえつが出るくらい悲しみが心を支配する、身内の死がこれほど悲しくて辛いのは十分わかる、 わかっていながら、自分の子供、主人には平気で死んでしまえとか、汚い言葉、毎日のように、放つ自分、 毎日寝る前手を合わせ毎日反省、わかっているのに、なんでか、自分がすごく汚い心だから、週末はなるべく、神社や、パワースポットと言われる所へ足を運び、感謝する、お線香の匂いに癒され、嫌なこと忘れる事ができる、父が病気になり、すぐは死なないけど、死と向き合う父をみていると、さらに死に恐怖、自分も死ぬんじゃないかの恐怖、不安、でも、築地本願寺に行ったとき、お線香の匂いでその恐怖や、不安が、一気に吹き飛んだ、だから、神社、パワースポットに足を運ぶのは、感謝の為、わかっている、 長女は16歳になり、日に日に反抗がすごい、薬やお酒に、興味持ち始めて、毎日怒鳴り、死んでしまえと思います、私自身反抗期、親に対する口の利き方、ちゃんとしていたから、長女が私に対する口の利き方や、態度が、ゆるせない、尊敬や、優しさが感じられない、毎日怒鳴り、汚い言葉をぶつける、誰一人私をいたわり、優しい言葉かけてくれない、有難う、あたりまえだけど、言われたい、心と、吐き出す言葉が正反対で苦しい

有り難し有り難し 62
回答数回答 1

ペットのうさぎが病気

現在7歳くらいになるペットのうさぎについてです。うさぎの寿命は6〜8年と言われていますので高齢の部類かと思います。 昨年末に私に子供が生まれ、今まで一日中構っていたのに最低限のお世話以外あまり構ってやれなくなっていました。 前から目の病気になっていましたが、非常に悪化して直視することが辛い状態です。 病院へ連れて行った所、膿で固まっていた目の周りの毛を刈ることになりました。 皮膚が赤くただれ、ショックで頭が真っ白になりました。 ただれていたのは前からなのに毛で隠れ私に見えていなかっただけですよね。 うさぎは前から痛かったんですよね。 私は子供の世話があると言い訳をして、怪我が悪化しているとは思っていたのにすぐに病院に連れて行ってやらなかった事や、生活が目まぐるしく早く寿命が来て欲しいと思っていしまった事、皮膚のただれを見てもう手に負えないから安楽死させたいと思ってしまった事、そんな風に思いたくないのに思ってしまいました。こんな風に考えてしまうなんて申し訳なくて胸が苦しいです。 私は何度か引越しをしており、その度にうさぎは車での移動や飛行機の移動にも耐え、仕事であまり構ってやれない時期もあれば、専業主婦となってからは自分に時間があるからと一日中構ったり、自己都合で沢山振り回してきました。 私が辛い時にはうさぎを撫でることで癒され、その可愛い姿に気持ちが救われる事も多かったです。 今の状況は見ているのも辛いけれど、最後の時まで面倒を見てやろうと思いますが、保健所に連れて行きたいという考えもよぎる自分が許せないです。 面倒を見ると決めましたが2つの思いで頭が混乱しています。 また、何かと言い訳がましく自分擁護するような発言をしてしまう自分も許せません。 症状が悪化する前から、あまり構ってやれてない事が気がかりで構ってやれなくて寂しい思いをさせるくらいなら早く寿命が来てくれれば、と思ってしまったりもしました。 子供が生まれるまでは永遠に生きていて欲しいと思っていたのに、自分の薄情さにも驚きます。 まとまりの無い文で申し訳ありません。 結局自分が救われたいが為にこちらでも相談しているのですから本当に弱い人間です。

有り難し有り難し 34
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看取りの後悔

先日同居している祖父が亡くなりました。ですが、その時の対応に後悔しています。 私と叔父は看取れましたが、一番祖父と関係が近かった母と祖母は看取れませんでした。 その日、母は買い物をしてから家に帰っていました。いつも通り母が会社からどこにも寄らず帰ってきて、祖母を連れて病院に来ていれば祖父の最期に間に合っていたと思います。 私は医療を学んでいるので、祖父が亡くなる1時間ほど前、祖父の状態の変化から、保ってあと数時間かもしれないと思っていました。ただ、まだ学生なので自信もなく、母や祖母を無駄に心配させたくないと思い、その時点では電話もしませんでした。 今思うと、あの時電話してあげていれば、母と祖母は祖父の最期に間に合っていたのではないかと思います。母も祖母も、あの時買い物していなければ間に合ったと後悔しています。 母と祖母には、異変を感じていたことは言っていません。これから先も一生言えません。墓まで持っていくつもりです。 二人には、祖父は母と祖母に最期の瞬間を見せたくないから、二人以外に祖父と同居している私と叔父がいる時に亡くなったのではないかと言っています。少しでも心が楽になるのではと思ってのことです。 ですが、私の中では異変を感じた時に呼んであげていればと後悔しかありません。 今となっては祖父の気持ちも分かりませんので、母や祖母が死の瞬間を見てショックを受けないようにだとか、急いで来て事故をしないように考えてくれていたのかもしれませんが、本当は祖母や母にそばにいて欲しかったのかもしれません。 母と祖母への対応はこれでよかったのでしょうか。少しでも後悔をしないように、心を楽にしてあげたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1