愛する人を亡くしました。 進行の早い病気で、でも希望を捨てたくなかったので、治療がうまくいく前提でしか話をしていませんでしたが、結局は…。 こんなことになるなら、もっと彼に対する感謝の気持ちを伝えたかったという後悔の思いばかりです。 私は、魂とか輪廻転生というようなことを信じています。 人は亡くなった後、49日までは魂がこの世にいるのですよね。だとしたら彼の魂は家族のところにいるのでしょうか? 私は彼の家族ではありません。 彼は天国に行けるでしょうか。 家族を大切にしている人でしたが裏切っていたことには変わりないので、それは“悪いこと”であり、天国には行けないのでしょうか…。 また、愛する人の死を“乗り越える”とはどういうことなのでしょうか。 彼が亡くなって以来、頭ではわかっているものの、気持ちがついていけません。それでも私は普通の生活を送るしかなく、自分は何をしているのだろうという気持ちになったりして、どうしたらいいのかわかりません。
現在大学生四年生です。ふとした瞬間に人は死んだらどうなるのかなと考え込んでしまいます。 死んでしまったら、今のわたしの意識は消えてしまいますよね。だとしたら今頑張っていることも、それを感じる意識がないのですから無駄なことになるのではないでしょうか。 わたしは、わたしが消えてしまうことがとてもこわいです。最近こんなことを考えてばかりで、がんばろう!と思っても、すぐ「頑張っても死んだら関係ないよなあ」と思ってしまい、怖くなって何もできなくなってしまいます。 恥ずかしいことに現在就活がうまくいっておらず、本当ならもっと努力をしなければならないのに、無意識にそこから逃避しようとしてこんなことを考えてしまうのかもしれません。 今考えなくていいことを考えてしまい頑張れない自分が情けないです。この悩みに区切りをつけて、また頑張れるようになりたいです。 破茶滅茶な文になってしまいすみません。
中学のころ、親しくしていただいた友人が亡くなったと先ほど共通の友人を通じて知らされました。中学の時にはかなり救われていた相手であったこともあり、かなり衝撃的ではあったと思います。 しかし卒業してからは疎遠になってたこともあり、どこかぼんやりとした気持ちで泣く友人から報告を受けました。 その上で通話が終わってから気づいたのですが自分は泣く気配が全くないのです。 かなり疎遠だったからなのでしょうか、それともそんな私は冷血なのでしょうか。かなり救われた相手だったはずの友人の死に何も感じてないようで自分の事ながら信じられません。涙を流せない自分がわからないです。 どうして泣けないのでしょうか?お坊さん方のご意見をお聞かせ願えたらと思います。厳しいご意見も是非お聞きしたいです。
5月に父親を亡くしました。 普通の生活に戻った今頃になって 自分が死んでしまう事に恐怖を感じるようになってきました。 結局死んでしまうのになぜ人は生まれ、生きなくてはならないんだろうと毎晩考え、いつか訪れる自分自身の死に対して怖くてたまらなくなります。 死にたいと言う訳ではなく死ぬ事が怖いです。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
初めまして。中学3年生、受験生です。 勉強、入学、就職と進んで行っても、 結局「死」にたどり着くと思うと脱力感がぬけません。 動物たちを見ていても 別の魂に生まれ変わるのだと信じられないのです。 日々どんなふうに過ごしてゆけばいいのでしょうか。
私の祖母は、昨年の今頃、家で転んでしまい、足の骨を折ったきり寝たきりで入院しています。もう一年以上、入院生活を送る祖母はもともとボケていましたが、今やほとんどなにもわからなくなってしまいました。そんな祖母ですが、お見舞いに顔を出すと、ここから出してくれ助けてくれと最近言うようになりました。 たとえボケているとはいえ、やはり入院しつづけるのは辛い精神状態の様です。今では鼻から栄養入れている状態で、たぶんこのまま家には帰れないと思いながらも大丈夫だからここにいて休んでねと声をかけるのはとても辛いです。 それを見ていたら生きるってこんなに辛いんだなぁと思いました。死ぬ事も辛く怖い事ですが、生き続けることもまた辛いのではないでしょうか。なんだか生きることも死ぬこともすごく怖いような気がしてしまい、私自身もなんとも言えぬ恐怖感を感じるようになってしまいました。祖母になんと声をかけてあげると良いか、死と生きることへの恐怖の乗り越え方などアドバイスしていただければ幸いです。
前回も回答ありがとうございました。 今では前回よりもだいぶ前向きになれました。 私は今でも死ぬのが怖いです。 人はいずれ死ぬ。わかってます。理解もしてます。 できれば、おばあさんになるまで生きて今世に悔いがないように生きたいと思っています。 ですが、最近頭から離れないのは、災害での死です。 私は、東京に住んでいます。 いつ来るかもわからない、そもそも私が生きているときに来るかもわからない首都直下型の地震に怯えています。 今は建物もだいぶ強化されていて、被害は予想よりも少ないかもしれない。実際被害は予想より少ないかもしれない。 被害にあわれる方も、考え方が悪いかもしれませんが、一握りだけです。 最近は、その一握りに入らないように精一杯生きていこうと思っています。 ですが、もし建物が倒れてきてつぶされてしまったら、火災に巻き込まれて死んでしまったら、水害に巻き込まれて死んでしまったら、予想よりも被害が大きかったら。 最悪なケースしか考えられません。自分が生きている未来が見えません。 死んでも、死後で昔一緒に暮らしていた愛犬や愛猫、おじいちゃんたちが迎えてくれるかもしれない、そう考えると悪くないかなと考えることもあります。 でもやっぱり怖いものは怖いです。死ぬときのことを考えすぎて日々しんどいです。 想像するだけでも火災は熱いし、水災は苦しいし、潰されるのは嫌だし。 死について両親に言うと「考えるからだよ」「身近な人がいなくなると怖くなくなるよ」と言います。友人は「その時にならないと分からなくない?」と言います。言っていることはわかりますが、怖いものは怖いです。 一か月ほど前までは、周りの人と同じように楽しく暮らしていたのに、コロナで暇になった今、こういうことしか考えられなくなりました。 少しでも心を落ち着けるにはどうしたらいいでしょうか。前向きに生きたいです。 相変わらず読みにくい文章ですみません。
普段から心配性な性格をしているのですが 夏の疲れが溜まっていたのか、いつもなら気にしない母のうっかりミスや悲しいニュースで強いショックを受けてしまい そこから還暦過ぎた両親が認知症になってしまったら、私自身が癌になってしまったら、身内が死んでしまったらと 暗い妄想ばかりが頭から離れなくなってしまいました。 特に裕福ではなく伴侶もいませんが、ありがたい事に衣食住に困らず人にも恵まれています。 仏教では老い、病、死は避けて通れず諸行無常と言われていますね。 けれど私は周りの人達に辛い事が降り掛かって欲しくなくて、不安な気持ちが離れなくなりました。 全ては変わっていく事、考えてもどうにもならない事と頭では分かっていても、心が拒絶するのです。 未来が怖くて仕方ありません。 幸せな状態のまま全てを終わらせたい、など極端な考えまで出てしまいます。 私がこんな悩みを抱えていると知ったら、親も親戚も友達もとても心配してしまいます。 なので誰にも打ち明けられず、ここで相談させて頂きました。 いずれ訪れる老いや病、死や未来に対する不安にどう向き合ったり、捉えたりしたら良いか どうやったら未来を明るいものとして考えられるか お坊様のアドバイスを頂きたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
よく「死ぬこと以外はかすり傷だし、どんなに辛いことがあっても死ななければ大丈夫だ」ということを聞くのですが、それは本当なのでしょうか…。
寝る前に死ぬのが怖いと思ってしまいパニックになるときがあります。 「絶対死にたくない。自分がこの世からいなくなるなんてありえない。ずっと生きていたい」 という感情になります。 結婚していて、夫が死ぬのも嫌だし、自分が死ぬのも嫌で怖くて仕方ありません。 でも、そんなことを考えて毎日過ごして行くのも嫌です。 楽しく笑顔で夫と過ごしていきたいと思うんですが、一人になるとふと死ぬのが怖いから嫌だとなってしまいます。 どのようにすればいいでしょうか?
約一年前に、主人の母がうつ病で自ら命を絶ってしまいました。 その頃、私自身は妊娠8ヶ月でした。 義理の母は、もともとは社交的で明るく前向きな性格でした。 亡くなる3ヶ月程前から『肩や腰が痛いから外出も出来なくて』と聞いていたので、なかなか実家に遊びに行けない状態でした。 義理の母の性格上、とても世間体を気にする人だったので、うつ病だったと聞いたのは亡くなる2ヶ月前でした。 私自身の父親がうつ病の経験があり、自殺の心配があるというところまでいきながらも、なんとか復活したので、すぐに病院などを紹介すると義理の父に伝えたのですが、『あんまり騒ぐと余計本人が気にするから。通院もしてるし大丈夫』との返答で、定期的に連絡は入れていましたが、それ以上はふれられませんでした。 亡くなる二週間前に『こっちに遊びにくる?』と以前の明るい声で電話があり、会いにいくと、以前のように子供を可愛がってくれ、産まれてくる子を楽しみにしてくれていました。 しかし、二週間後に自宅で夜中に服毒自殺をしてしまいました。後に聞いたところ、義理父に『死にたい』と漏らしていたそうです。 主人の家族はとても仲が良く、義理母を中心に笑いの耐えないごくごく普通の家族でした。 以前に義理母が大病をした際も、義理父と義理兄、兄嫁、主人、私と連携し、支えて乗り越えました。そのぐらい仲の良い家族でした。 義理母の死から一年が経ち、残った家族で支え合いながら、前向きに日々を過ごしているのですが、どうしても拭い去れない気持ちがあります。 一つは、なぜ仲の良い大切な家族がいたのに、残して独りでいってしまったのか。あれだけ孫が産まれることを楽しみにしてくれていたのに、それを待たずいってしまったのかと怒りの気持ちです。思ってはいけないのかもしれませんが、どうしても許せなくなってしまいます。 もう一つは、もう少し何かすべきだったんじゃないか、断られてももっと踏み込んで行ってたら何か違っていたんじゃないかという大きな後悔です。 自分自身の父親の経験があったのに、なぜもっと対応ができなかったのかと、悲しむ主人をみる度に後悔をしています。 どう、気持ちを処理していけばいいのでしょうか?
いつも丁寧なご回答ありがとうございます。 私はいつからかずっと死にたいという気持ちを抱えて生きています。 些細なことで気持ちが沈み、何度も自殺を考え、自傷行為をやめることができません。 そんな私を心配して家族はとても尽くしてくれます。しかしどうしても死にたいという気持ちは全く消えません。こんなに良くしてくれる家族がいるのにどうして死にたいのかと情けなくなり、自分を殺してしまいたくなるほど嫌になります。 そんなとき、死にたいという気持ちと普通の気持ちは全く別の存在で気持ちが満たされても死にたいという気持ちは消えないのだ、と言ってる人がいました。 それを聞いて私はとても腑に落ちたと同時にこの死にたい気持ちは一生消えないのかと落胆しました。 このような負の感情を抱えたまま生きるにはどのような心構えで生きていけば良いのでしょうか? それとも、この死にたい気持ちが消えることはあるのでしょうか?
2ヶ月前に、大好きだった母が他界しました。 まだ、50代でしたので、顔も行動も若々しく、また、突然死だったので、今だに亡くなった事が信じられません。 そんな母が、四十九日の3日前に私の夢に現れました。 夢の中で、母は自分の友人(ご存命の方です)に、亡くなった日の死ぬまでの経緯やその時の感情を説明した様子でした。 その友人が立ち去り、ようやく母と話し始めようとすると、母は突然ほろほろと涙を流し、辛い表情で、『まさかこんな事になるなんて。あなたと〇〇(私の実姉)に申し訳ない。ごめんね。ごめんね。』と目を落とし言いました。そう言うとすぐに、ハッと何かに気づいた様子で、『こういう事はもう言えないから。ほら、“あっちの方々”が見てるから。』と、目配せをしました。ところが目配せの先にいる人は私には見えません。すると、気まずそうに母はすぐに、『もう行かないと。』と言い、せかせかと荷造りを始めました。詰めていた荷物は、見た事もない白装束の様な着物でした。 私は行かないで!と言いたい所でしたが、その様な事を言うと“あちらの方々”に聞こえて、母があの世で良い所へ行けなくなるかもと思い、生前の様に『気をつけて、行ってらっしゃい。』と見送った所で目が覚めました。 母は生前、大変苦労をした人でしたが、人の悪口も自分の愚痴も言わず、困った人々に手を差し伸べ、人を気遣い、いつも明るく、優しく、美しく、人気者で、本当に自他共に認める自慢の母でした。身内贔屓でなくとも素人でも、きっとあの世では、現世の時の様に苦労のあまりない、安らかな暮らしを与えて頂けるであろうと思っていたので、夢枕での、その様な表情や発言がとても気になりました。 あちらでも苦労をしているのでしょうか?それとも突然死だったので、現世にまだまだ未練があるのでしょうか? 未練があり過ぎると、成仏出来ないなどとよく言われますので、とても気掛かりです。 長文駄文で申し訳ございませんが、ご回答宜しくお願い致します。
お世話になります。 救われるや、救われたいなど、それは どういう状態なのでしょう。 私が救われた状態って、どんな状態? 今の苦しみは、逝ってしまった娘の事。 もし、目の前に現れてくれたら もし、あの日の続きができたなら だけど、その「もし」はありません。 私が死ぬまでありませんよね。では、生きてるうちは救われないのでしょうか。 時々惨いニュースを見ると、もしあの日 娘の自死を思い止める事ができていたなら、それは、娘を救った事になったのだろうか。 こんな生きにくい世の中で、生きたくないと願った娘を、無理やりこの世に留めることは、娘を苦しめただけ。生きて欲しいと願うのは、私のエゴだったのかもと思えるのです。 私はこれまでに、病気や事故に合いそうになり、回避できたことを、ラッキーだと思っていました。私って運がいいって、感謝していました。 でも、あの時死んでいれば、こんな辛い思いをしなくてすんだのにと、悔やんでしまいます。 動物や草花のように、生きる意味とか、理由とか考えないで、その日その時が来るまで、自分のできることをして、過ごせたらなあと思います。そう思うのに、この頭はごちゃごちゃ、考えて苦しんでしまうのです。 生きてるうちに、楽になる方法。 娘に会えなくても、悲しくない方法。 何かないですか?
自分のせいでインコを死なせてしまいました。 1週間ほど前、インコのケージの掃除中にインコを放鳥しつつ同じ部屋で飼育してるラットも遊ばせていました。 ラットがインコに近づいたりしたら止めていたのですが、「まあ危なくなってもインコなら飛んで回避するだろう」と思っていたのですが目を離した一瞬のすきにラットにインコが襲われてしまい、噛み跡が胸2箇所、目の下、背中に1箇所と大怪我を負ってしまいました。 襲われたのは夜だったので次の日の朝に病院に行き診てもらったのですが、ここ数日で様子が悪くなりそのまま亡くなってしまいました。 亡くなったその日にも病院に診てもらったりしたのですが、どうしてもあの一瞬の後悔がずっと胸の中にあり息が詰まって苦しくなります。 私のせいでまだ数年あった寿命を消してしまったこと、ケガをしてから羽ばたくこともなく亡くなったことや体重がとても減ってしまって胸骨がわかるくらいに痩せてしまったことなど考えだすとキリがありません。 ケータイの中の元気な姿をみると本当に申し訳なさでいっぱいになります。 どうすればこの気持ちを飲み込むことができますでしょうか?
こちらで過去に相談をした事のある私の兄弟がその後自死しました。 スマホの履歴からこちらへの相談履歴を確認、貰っていた回答は至極真っ当でその通りに生きて欲しかったと思います。 今回は私自身が兄弟の突然の自死を受け、事務手続きや片付けなどやるべき事はなんとか進めているものの一難去ってはまた一難の通りに後から後から自死した弟がらみで主に人間関係の精算が終わらず次々に問題が噴出し、私自身もおかしくなりそうでどうしたら良いのか、客観的なご意見を頂ければと思い質問します次第です。 本来であれば、家族が自死したとはいえ事務手続きや片付けが一通り終われば、あとはゆっくり故人を偲んで遺族は生きていけると思います、が私の弟の場合は周りにいる人間があまりにもひどく、ろくでなしばかりで正義漢に燃えアンフェアな事が許せない私の性分として、弟の周囲にいる人間がひたすら許せないのです。 まず、1人は弟の自称親友で、火葬の直後に弟の愛用の鞄から現金を盗みました。理由は、弟がその人の家へ数日宿泊した際にかかった光熱費や食費を取り返したかったから、だそうです。 ちなみに弟の周囲の人間は皆弟より私よりも年上です。私は、年上であれば年下にはたくさんご飯を食べさせてあげるのは当たり前だと思っているのでたかだか数日の食費や光熱費で火葬の直後に故人の現金を盗む人の思考がわかりません。そもそも、弟はその人に車を何台も無料であげてるのです。 もう1人はいかにも田舎のクズヤンキーといった、常に負のオーラ全開で発言や雰囲気がおかしな人は最期、弟が鬱が進行しほとんどものを食べられなくなっていたにもかかわらず、弟の亡くなる同日に重労働を斡旋したそうです。他にも、数々の否定的な言動で弟を苦しめ追い詰めてくれたようです。 3番目は自称彼女。付き合ったのはトータル半年足らずですが、献身的なようで自死へ向かう弟の話は一切聞かず、ひたすら彼女自身の夢や意見を押しつけて弟を追い込みました。また、弟の家から大量に荷物を盗難してる事も発覚。 弟が報われないと考え私としてはなんとかしてやりたい気持ちですが、自分もおかしな人たちに飲み込まれそうです。 このまま私は復讐すべきか、それとも自分だけの人生を歩むべきか悩んでおります…。
はじめて質問させていただきます。よろしくお願いいたします。 私は、何のために生きているのか分からないまま生きています。これと言った夢もなく、恋愛もできず、ただ時間だけを重ねて50歳になりました。 「せめて死ぬまでには」と思っていましたが、それまでの時間はあまり長くはないそうです。進行ガン。5年生存率は28%。 それを知らされてもショックはありませんでした。執着するモノがないからだと思います。 病気になったことより、自分の人生の虚しさが悲しいです。50年も生きてきて、執着するモノがないのです。残りの時間に何をしたいのか、何のために治療をするのか、この期に及んでも私には分かりません。 このまま時間を無駄にして終わることになりそうです。こんなの人生に、なんの意味があるのでしょうか。 自分自身で答えを見つけるべき問題なのでしょうが、あまり時間がなさそうなので、ご助言をいただきたく、よろしくお願いいたします。
約2年前、まだ2歳の愛犬を一時的な感情で殺してしまいました。 父母や友人には突然死したということにして火葬をしお骨を持って、家に一緒に帰ってきました。 殺してしまった理由は、愛おしかったはずの愛犬の存在がいつの間にか自分の人生で邪魔な存在として捉えるようになり、もう育てきれないと感じていたので里親に出すことも考えましたが、家族に反対されたため、もうどうしたらいいかわからずパニックになったからです。 私がイライラして愛犬に何度当たっても、いつも全力で私の存在を喜び、尻尾を振り構って構って、と近づいてくる子でした。 亡くなったとわかったとき、自分でしたことなのに、愛おしかった存在の死に悲しくてこの世の終わりのようで、涙が止まらずなぜあんなことをしてしまったのか後悔という言葉では片付けられないほどで、一日中泣きわめきました。 これから一生かけて償っていきます。 愛犬に恨まれることもわかっています。 この先の人生、私に殺された愛犬と同じ苦しみ、それ以上の苦しみや痛みを感じて生きていくことも覚悟しています。 私はこれからどう生きていくべきでしょうか。
しばらく連絡の取れなかった友人が自殺したと知りました。19歳でした。 彼女はネット上で知り合い1年弱程度の付き合いでしたが私は彼女が大好きでした。実際に1度会ったことがあります。彼女は私といる時終始楽しそうで別れ際には「寂しい」「また会おうね」と何度も言ってくれました。いつも明るく私に元気をくれる人でした。最初は何が起こったか分からず混乱していましたが、彼女が遺したという私に宛てた誕生日メッセージを見た時にもう彼女には会えない、言葉を交わすこともできないんだという実感が湧き上がり悲しくなり涙が止まらなくなりました。それから幾日か経ちましたが未だに日常の中で不意に彼女を思い出しては泣いてしまい、胸が酷く痛んで苦しくなります。 私にとって人の死で深く悲しむというのは初めての経験です。この悲しみをどうすればいいのかわかりません。私と彼女の共通の知り合いはいないので悲しみを分け合うこともできない。彼女を知らない親や友人に話すのも少し躊躇われます。周囲の人に心配はかけたくないし、彼女もあまり悲しんで欲しくはないかなと思い、いつも通り振舞ってはいますが、一人でこの悲しみを抱えるにはそろそろ辛くなってしまいました。 私はこの悲しみとどう向き合っていけばいいのでしょうか。