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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 悟り 」
検索結果: 1761件
2024/08/05

前世の記憶は残るものですか?

私たちの中に、前世の記憶が残っていることがあるのでしょうか? 私は小学生の頃から、8月6日広島原爆の日が来ると悲しくてたまらなくなります。広島原爆と川の風景…が頭に浮かぶと、知らないはずなのに、とにかく悲しく、悔しい思いが溢れます。 平和学習がきっかけで想像しているだけと思ってきました。生き抜かれた方々がいらっしゃるのに、実際の記憶のない自分が「なんとなく思い浮かぶ場面がある」のだとは、失礼な事と思いますので、人様に言えたことではありません。ただ、一人で思い続け、悲しくて苦しくて痛くて重たくて、悔しくてたまらないのです。 毎年、この季節には気持ちが重く、「もう落ちませんように」と考え眠れないことが幼いころたくさんありました。中学時代には原爆に関する一人劇をする機会があり、取り組むうちに本当に髪が全て抜けてしまい、そのまま治らず今に至ります。 あれもこれも結び付けるべき事柄とは思っていません。 もう大人になり、強烈に感じる物事の一つとして、この日があるのであれば、ただ心から祈ろうと思うようになりました。毎年泣きながらお祈りしています。 現実には関係がないのに、苦しくてどうしようもないもの…仏様、ご先祖様は私にどのように生きなさいとおっしゃるのでしょうか?

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2023/05/01

子育てに失敗したくない気持ちが強いです

幼稚園年少組に入園したばかりの一人娘の子育てについて、どうしても「失敗したくない」と考えてしまいます。 30代半ばでようやく授かった可愛い娘です。家にある絵本の内容を諳じたりアンパンマンの絵をそっくりに描けたりと大人を驚かせるような器用さがあり、性格も明るく社交的で、入ったばかりの幼稚園でも元気に過ごしているようですが、一方で偏食がひどかったり、病院が苦手で赤ちゃんのように泣きわめいてしまったり、ちょっとしたことで癇癪を起こしたり、3歳にしては幼くて困ってしまう部分もあります。 「完璧な育児など不可能」と頭では分かっているのですが、感情的に叱り過ぎてしまったり、逆に甘やかしてしまったりしたとき、「今やった私の行いの所為で娘の将来に影を落とすようなことがあったらどうしよう」という不安がよぎります。 私自身は、親から愛されて育ち、もちろん辛いことや苦しいことはありましたが、自分で乗り越えられるだけの生きる力は身に付けさせてもらったと思っています。 私も娘にそのようにしてあげたいのですが、親の私がこのような不安を抱いているのは良くないと思います。 日々、どのような心持ちで子育てに臨めばいいのか、ご助言頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

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結婚、出産は何のためにするのか

初めて質問いたします。宜しくお願い致します。 世間で言う結婚適齢期も少し過ぎつつある年齢になり、友人知人たちはほとんど結婚して子供がいたり、独身でも彼氏がいたりで、独身、彼氏なしの自分が何だか惨めに思えた時期がありました。 なぜ周りは自然と彼氏が出来、自然の流れで結婚、出産とトントン拍子に幸せになっていけているのに、どうして私は彼氏すら出来ないのだろう、もう年も若くないし、何とかしないと、と焦りに焦る日々を過ごしておりました。 そんな日が続いたある日、ふと疑問に思ったことがあります。 「そもそも、どうして私は結婚して子供が欲しいのだろう」 彼氏がいたらいたで、私のことをどう思っているのかとか、浮気をしていないか等心配事も出てくるわけで、それは結婚しても出産をしても同じこと。 お金のこと、仕事のこと、家族の健康のこと、子供の教育関係等、心配事は尽きないと思います。 ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいになりがちな心配性な性格のため、彼氏や家族という大切な人のこととはいえ、気にかけて世話をしてあげられるだけの余裕が持てるか非常に不安です。 次第に 私には、結婚は向いていないんじゃないか。 幸せになるためには、ひとりでいた方がいいんじゃないか。 と考えるようになってきました。 そのため、私の中で「結婚、出産」=「みんなしているから、何となくするもの」というひとつの結論に至ったわけですが、正直完全に結婚、出産への憧れを断ちきったわけではありません。 生涯を添い遂げられるパートナーがいればどんなに心強いかと思うこともありますし、公園などで幸せそうに遊ぶ子連れの夫婦を見て、いいなあ、子供が欲しいなあと思うこともあります。 その反面、上記のような他者を煩わしく思ってしまう心や、または結婚や出産は単なるエゴだと思ってしまう心もあり、結婚、出産とは何だろう、どうして皆疑問にも思わず、結婚や出産を経験しているのだろう、そして私はどうしたいのだろう、と考え込む日が続いております。 なぜ、人は結婚、出産を求めるのでしょうか。 結婚をしなくても幸せになれるなら、それはそれでいいと思うのですが。 そもそも、「幸せ」とは何なのでしょうか。 お教えください。宜しくお願いします。

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2024/07/09

懺悔です。

前回中絶した事について書き込みをし、とてもお優しい言葉を頂きました。 ですが、私の心の弱さから隠していることが多く、そんな中でかけて頂いた言葉に縋る事の申し訳なさや罪悪感に襲われたので今回は正直に書かせて頂こうと思います。 初めは産むつもりでした。相手の結婚の意思に限らず堕ろすという選択肢は私にはなかったのです。 ただ、妊娠を報告した時に初めて相手が既婚者だと知りました。相手の家庭事情を聞き、泣きながら堕ろしてほしいと頼まれました。その際心無い言葉も、正直たくさん言われました。 心無い言葉に傷ついたこと、知らなかったとはいえ産まれてくる子が不倫の子になってしまうこと、私が産むことで相手の家族が壊れてしまうかもしれないことを考え、堕ろすしかない。と諦めてしまいました。 大丈夫じゃないのに、泣いてる相手を励まし、大丈夫なふりをしました。 悪阻が酷くなり、仕事に支障が出てきました。職場に隠せなくなり、困った私は妊娠したけど赤ちゃんは育たなかったと嘘をつきました。まだ胎嚢しか見てなかった私は、それが事実だと思い込むようになりました。 お腹では赤ちゃんが育っていたのに、自分の心を守るために、お別れするその日まで私は嘘をつき続けました。 そして手術前日、初めてお腹の中の命を目の当たりにし、そこから術後までの記憶はほぼありません。我に帰った時にはもうお腹は空っぽでした。 私は、お腹の赤ちゃんの心も傷つけました。あれから毎日涙が止まらず、鬱になり、仕事にも行けなくなりました。 自死する勇気はありませんが、一日でも早く赤ちゃんのところに行きたいです。 でも、たくさん嘘をついて赤ちゃんを傷つけた私に逢いに行く資格があるのかわかりません。 水子供養も終え、今はお地蔵様に会いに行き手を合わせています。たくさん傷つけてごめんなさい。これ以上悲しい思いをしませんように。と祈るばかりです。 私のような酷い人間ですが、これから先どのように供養していけば赤ちゃんの傷が癒せるでしょうか? 月命日には必ずお参りに行けるように、家から1番近いお寺にお願いしました。 たくさんお参りにいく事しか今は思いつきません。

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私は失敗作だった。

いつだったか、父親との関係が悪かった母が言っていました。汚い表現が入りますすみません。 父がやりたいとたまたま言ってきたから数カ月ぶりにやったら私が出来た。 と言っていました。 後にできた弟の事は父は堕ろしてくれと頼んだそうです。 ただただ欲求のままに子を作ってみた、というノリのようなものだと思ってしまいます。 なんで作っちゃったの?と思ってしまいます、特に父に対しては謎です。 そもそも母のことも大して好きではなく不倫ばっかりしてたのに?いっそ捨ててくれたほうがまだ良かったです。 生きている意味がわからない。。いや、生まれてきたことが間違いだったという感覚が近いです。 よく人生を選んで生まれてくるとか言ってくる人が居ますが、好んでこんな人生を選ぶわけないですよね。 些細な楽しいことは、ちょこちょこはありました。ただそれ以上に辛いこと苦しいことがあまりにも大きく相殺どころかどす黒いものに飲まれているような感覚です。 考え始めて、最近はこう思ってしまいます。 死ぬ瞬間痛いのも苦しいのも嫌なんですが、どうせいつか死ぬのにこんな人生を続ける意味が微塵も感じられない。 意味なんかなくても生きてはいけますが、、もう何にもないし死んでもいいんじゃないかなぁ?なんて考えてしまい、それも怖くて実行できず結局妄想だけ。。 いつかは幸せになりたい!と漠然と考えてはみるものの、それも永続するものではないと思えて落胆してしまうのです。そもそも幸せってなんだっけ?普通が幸せ!だなんて思えず。 色んなものに疑問符が止まらず、質問も支離滅裂になってそうですが。。

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お肉についてお坊さんに聞くのが怖いのですが…

勇気を持って質問します。 世界の人達は対象である生き物を殺してお肉を食べています。 仏教のお坊さんは、生き物を殺さずベジタリアン派で生活をしていますよね。 勿論、生き物を殺す事を殺生と言います。 私は必ず虫を殺さないようにしています、ティッシュ等で虫を優しく乗せて外に逃がしています。 勇気を持って……ここからが本題です。 世界でお肉を食べる理由は幾つかあるのですが、まず人口増加です。 世界には爆発的に人口が増えて国際で問題になっています。となると、菜食だけで食べる事は難しそうです。 次に、伝統です。 世界には伝統があって伝統を守り、お肉を使う事があります。 次は、アマゾン川の部族です。 海外にあるアマゾン川のどこかに部族がいます。その部族の生活は菜食は勿論、生き物を殺してお肉を食べています。どうしようもない部族です。 他にもまだあるのですが、世界にはどうしてもお肉を食べないと生活が出来ないようになっています。 この事をお坊さんはどう考えていますか? 聞くのが怖いです… 私はお肉を食べる時は、食前に「申し訳ありません、その命を頂きます。」と言うようにしてから食べています。

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縁という言葉

最近こちらのサイトを知って登録し、はじめて投稿します。 私は20代の頃から日本的な(東洋的な)景観に惹かれ、お寺の建造物・庭園・造形物などに興味を持ち、趣味として仏閣めぐりをしているうちに、仏教に興味を持った者です。 これまでのQ&Aを拝見すると、お坊様方の回答の中に「縁」という言葉がよく出てきて、そういえば父方の祖父母(故人)がよく「縁」という言葉を使っていたのを思い出しました。 日本的で趣ある言葉とは思っておりましたが、もとは仏教用語なのでしょうか? ちょっと変わったうちの母が、曖昧な言い方が嫌いなのか、犬猿の仲の姑がよく使っていたからなのか、「縁」という言葉を毛嫌いしてまして・・・。 「縁なんてものはない!魅力のないモテない女が、モテないという事実を認めたくないがために、縁がなかったという言い方に逃げて、実在しない縁というものを捏造した!」という奇抜な主張をするんですよ~^^; 縁は男女の出会いだけではないし、第一、「良縁に恵まれました」を「私の魅力によって良い男つかまえました」と言っては印象良くないですし(苦笑) でも、そんな母はお寺さん・お坊さんを尊敬しているので、もしも仏教用語だったら、それを知らせたら毛嫌いしなくなるかなぁと思いまして。。。

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