hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件
2022/10/25

心から供養できません

主人が自殺しました。まだまだ手がかかる子供達を残して。これからの成長が楽しみな子供達を残して。 あれから、生活が180度変わりました。残酷な生活へ。 主人の家族からは私の両親含め子供達までも殺人犯扱いを受けております。 他の投稿で仏様に導かれて極楽浄土へ行くとありましたが、その投稿を見ても自分だけ楽になってスッキリしてという思いが強くなりどうしても許す事ができません。 死に追いやったのは私のせいですが、ここまで生活してきて我慢ならない事がたくさんありました。なんなら私の方が全て投げ出して楽になりたかった…とさえ思ってしまいます。 しかし私はそんな事は絶対にしません。周りの人を苦しめるだけだから。 自分で死しか選べず逝ってしまった事はほんとに苦しかったね…ごめんなさいとは思って安らかにと思う反面、人生最大の裏切り方をされたという思いが交互にやってきてパニックになりそうです。 私は第一発見者でした。なので笑っていた顔も怒っていた顔も泣いていた顔も声も全て思い出せず、思い出そうとすると最期のあの姿しか思い出せません。 そして夜になると、暗いところに行くと思い出してしまいとてつもない恐怖が襲ってきてお風呂も寝るのも1人でできません。 なのに何故あなたは1人だけ楽になり、みんなから可哀想、可哀想と言われ、何故残された私たちは形見の狭い思いをしなくてはならないのですか? 夢から覚めて朝が来たら、あなたがいると希望を持ちながら、起きると現実に戻り絶望感からの目覚めになります。 このような事から、あの世では苦しまないで欲しいと思いながらも、心から供養する事ができません。これからの人生明るくなるとは到底思えません。 時が解決してくれると皆は言いますが、ごめんなさい、そうは今の所思えないのです。 自分でも、このような感情でいるのがほんとに白状な事だと思っていますが、やはり心から供養できないままです。

有り難し有り難し 31
回答数回答 1

幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

二回のご回答も何にもならず・・・

自分の考え方や生き方をそうしろと言われたからと言って、なかなか変えられるものではありません。 お答えを聞いて、じゃあやってみようと思ってそれを実行しても自分には何の実りにもなりませんでした。 私の家の近くに、ちょうど念仏を唱えて下さるお坊様がいたので、お話を聞きに行きました。 11時に予約をとって行ったのですが、お話されていることがどう聴いてもご自身がやってきたこと、やっていることの話ばかりで、こちらの話を聞いていただけませんでした。何のためにここまで来たのかよくわからなくなりました。 自分はこれだけのことを知っている、これだけのことを今やっていること、私も昔はこんな人間だったと、苦労話、説法とはなんだろうと、何だったのだろうと考えさせられましたが、答えは出ませんでした。ちなみに15時に解放されました。 結局は誰かに救いを求めても誰も助けてはくれないということ、死にたいと思う心は変えられないということはよくわかりました。 死にたいと思ったらその場で刃物で心臓を突き刺す勇気をください。 走行中の車から飛び降りようとしたことも何度もあります。 私はもう人間ではないんでしょうか・・・ 死しか考えられない。、早く死にたいです。

有り難し有り難し 319
回答数回答 5

感情の移り変わり

もうすぐ自死によって亡くなった彼の四十九日です。 職場の彼のデスクは片付けられ少し寂しさもありますがその景色に慣れつつもあります。ですが、現場での仕事が多いので現場に向かう道のり等にも思い出がありまだまだ浮いたり沈んだりの毎日ではあります。 悲しみの質量が減る事は無いのですが、私の事が好き過ぎて抑えるのが辛いと言って自死を選んだ彼に行き場のない怒りの様な感情が湧いてくる事があって自分の狭量さに辟易としてしまいます。 好きだと言いながら、なぜ私が一番苦しむ方法を選択したのか、そして彼自身も身内を自死で亡くしているのに残された者の気持ちは分からないのかと、ぶつけ様のない怒りに似た感情で押し潰されてしまいそうです。 最期の日のメールは安定剤の乱用で支離滅裂な文章や自死するまでの実況の様な内容ばかりで、消してしまいたいと思うのですが、これを消したらもう何も残らないのかと思うと、消す事も出来ません。「(自殺を)止める気がないなら気にするな」や「死ぬ場所が見つかったので準備します」とか「死んで楽にしてあげます」など何度読んでも止める事も出来ずにただ恐怖の感情しか湧かなかった自分に後悔しています。 もうどうやっても戻って来ないのは分かっています。それなのにそんな相手に怒りの感情を持ってしまう自分の身勝手さにとても嫌悪感があります。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2023/07/16

内側の僕からの反論?

個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

引き続き恩師の末期ガン。

この間も相談させていただきました。 恩師の末期ガンについてです。 どんどん悪くなり見るからに弱っています。 痛みに耐える日々、私にも痛みに耐えるくらいなら死にたいと訴えることもあります。 以前相談させていただいたときに、私の気持ちを 伝えるのがいいとお答えいただいたので、 プレゼントに手紙を添えて渡しました。 出会えたことは人生の宝物であり、 感謝しかなくて、大切な存在ですと。 大好きですと。後日、メールが届いて、 プレゼントありがとう、1番嬉しかったのは 手紙ですと返事がきました。 そして、その手紙をもし私が死んだときに棺の 中に入れるように息子に頼みたいのですが、 いいですか?と。私は胸がいっぱいになり 涙が止まりませんでした。私の大切な、 大好きな人が、余命宣告をされてから 弱っていく姿、苦しむ姿、自分の死を受け入れて遺言などを作成している姿を見ていると、 なぜかこの人がと思ってしまいます。 あの人と変ればいいのにとか、嫌いな人が ますます嫌いになってしまうというか。 間違っていますし、誰にでも死は訪れます。 こんな風に思う自分がいやです。 でも思ってしまうんです。 そしてやっぱり私にはまだ受け止める覚悟ができません。怖いんです。 来週、改めて残された時間や今の状態を 先生と話すそうです。結果は私にも教えてくれます。とにかく怖いです。 恩師がいなくなった世界がこわいです。 失うなんて考えられません。 でも私だっていつ死ぬかわかりません。 そんなこともわかっています。 ここで相談して回答をいただいてから 何度も何度も読み返し、気持ちを落ち着かせて きましたが、本当に死が迫っているんだなと 実感させられるとまた怖くなってしまいました。 アドバイスください。お願いします。

有り難し有り難し 62
回答数回答 1