hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「地獄」
検索結果: 2110件

子供が泣くとパニックになる。

「私なんかがお母さんでごめんね」という気持ちが拭いきれません。 2歳と4ヶ月の2人の男の子の子育て中です。 主人は医師をしており、単身赴任中です。 2人目の出産を機に、持病に加えてひどい産後うつになり、子供にきつく当たることが多々あったので、子供たちがもっとのびのび育つようにと、街中から私の実家のある郊外に引越してきました。とは言え、日中は一人で子育てをしています。 子供を抱えながら早食いして、いつも時間に追われながら、ダッシュで日用品買って、カーナビはいつも子供が好きなアニメを流して、お風呂と言っても顔しか洗わず、湿疹が出来た手で沐浴やオムツ交換、可愛い服を見つけてもやっぱり買いきれずに、周りに迷惑をかけないように泣かせないように頑張って、、、それでもうまくいかない。子供達が泣いたり喚いたりすると、責められた気になってパニックになります。私の要領が悪いせいなんでしょうか。 そばにいる母達にも頼ればいいのでしょうが、申し訳なくて、私がしっかりできないから頼ることになるんだという思いから、平気なふりをしてしまいます。でも本当は、子供達と3人になると情緒不安定で、、、キツイ物言いをしてしまう、ダメな母親です。 怖くなって「もう静かにして!!」と耳を塞いでしまいます。それでも泣き止まず、手が出てしまったり、声を荒げる自分が醜く、こんな醜く怖い私は子供達のそばに居てはいけないんじゃないかと思ってしまいます。 可愛くて可愛くて、子供達が宝物で仕方ないのに、毎日「今日でこの子たちのママをやめよう」「今日まででおしまいだ」と言い聞かせている自分がいます。苦しいです。 子供の泣き声にパニックになる私はおかしいのでしょうか。

有り難し有り難し 76
回答数回答 4
2023/07/24

愛猫の死との向合い方、避けた方が良い事は

身近な人、というカテゴリーですが、愛猫についてご相談させてください。 【概要】 実家で暮らしていた愛猫が早くに亡くなり、思いだけが募り、気持ちの行き先がない状態です。 良い向き合い方や、環境改善のアドバイスなどあれば頂きたいです。   【詳細と経緯】 愛猫がうっ血性心不全を患い、発覚から2ヶ月も経たず、旅立ってしまいました。 突然、お腹と胸でめいっぱい息をしながら、叫びながら息を引き取りました。 動物病院も開いておらず、母はパニックになっていて、自分がしっかりしなければと思いながらも、私も何もできませんでした。 6歳という若さであった事、闘病生活を充分に支え切れず、突然亡くなってしまったという事もあり、悲しみや後悔、大好きだという気持ちが処理しきれずにいます。 亡くなった子に大好きだと伝えたいけど、思い続けたり、悲しみすぎていると成仏できない、別の悪い霊まで引き寄せてしまうなんて話を聞いたことがあり、それだけは絶対に避けたいのです。   【相談内容】 ①亡くなった子を強く思いすぎるのも良くないのでしょうか。   ②せめてお線香をあげて、手を合わせるような時間が持てたらと思いますが、実家には猫があと5匹いて火を使う蝋燭、線香は危ないと考えています。一人暮らしの家に勝手に簡易的な仏壇のようなものを拵えてもよいものなのでしょうか?   ③名前入りのアクセサリーや石を身に着ける、愛猫の写真でクッションを作る、写真を飾る、名前を入墨として自身に彫ることを検討しています 上記の中で仏教の観点から避けた方がいいと思われる事はありますか?一個人の意見としてでも構いませんので伺いたいです。   当方の環境としましては、 ・実家にも仏壇等はなく四十九日も迎えておりません ・分骨なども致しておりません、まだお骨は手元(実家)にあります ・ご縁があり般若心経が手元にあり、道具も揃っている為写経でしたらすぐに可能です   その他向き合うにあたっての心構えや環境を見てのアドバイスなどありましたら些細な事でも構いません。是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

「死後の裁き」の恐怖がつきまといます。

15歳の頃からキリスト教会に通っていましたが、30半ばで鬱を患い「天国を目指して迫害にも耐える信仰を持つ」というあり方についていけなくなり、仏教に心の平安を求めました。 高野山の宿坊に泊まったり、近所のお寺で座禅を組むうちに、それまでひどいときは数分ごとに波のように押し寄せてきていた攻撃的な苦しみが和らいできました。 それからも落ち込んだり、辛いことは多々ありましたが、苦しみが襲ってきて一晩中眠れないようなことはなくなりました。 相談というのは、思春期に受けた洗脳のような教えがまだ恐怖として根深く残っていることです。 ほとんどは健全なキリスト教会なのかもしれませんが、私の通っていたところでは、「伝道しないことは人殺しに等しい」「教会に来ないと悪い事が起こる」と、今思えば子供だましのようなことでも、当時の私にとってはありありと描写される死後の裁きの事や、来るべき世の終わりに大きな艱難が起こり、迫害を受けるのだという恐怖がしっかり植え付けられてしまいました。 それでいまだに教会に行かなくてはならないという強迫観念から抜けられないのです。本当に行きたくて行くのなら問題はありませんが、根底に恐怖があるのです。 実際にまた教会に行き始めたところ、また心がざわついて、イライラしたり、不安で眠れなくなったりしてしまうのです。 教会自体には問題はなくても私の抱えているトラウマが重くて、まともなメッセージも恐怖のフィルターを通して見てしまうのかもしれません。 教会に行くにせよやめるにせよ、恐怖から解放されて正しい判断をしたいのです。座禅をして心に平安を得ても、これでいいのかと罪悪感のようなものを覚えてしまいます。 仏教にしろ、キリスト教にしろ、どちらが正しいとか、教義的な事とかはわかりません。どちらにしても心がざわついたままでは一生迷いを抱えて生きていくことになりそうです。 とりとめのない質問になり申し訳ありません。 恐怖から解放され冷静な判断ができるアドバイスをいただきたいのです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

衝動にかてません

大学時代までは家族や友人、先輩後輩に恵まれ、それなりに上手に、勉強や仕事に折り合いをつけて私生活を楽しませてもらいました。 社会人4年目、上司同僚にもよく気遣っていただき、恵まれているほうだと思います。多少困った方と接することも少なくない職業柄なので、ストレスもありますが、それでも、学生時代に比べると辛いことが多かったり、休んでいても気にかかることがあって当然なのは、一応分かっているつもりです。気を遣ってくれる職場なので、オーバーワークや睡眠不足もありません。それなのに、余暇の間は、夕方まで眠りこけてしまったり、昼間からお酒を飲んでしまったり、たくさん食べてしまったりします。 3年と少しで、なんと10キロ超太ってしまいました。もともと少し太めだったのですが、今やぽっちゃりとも言えないほどです。 ちゃんとキャリアアップのために勉強すべきだ、痩せるべきだ、と思っているのに、ふと到来する睡眠や娯楽、美味しい食べ物、お酒、人との触れ合いへの欲に負けてしまいます。 なんとかしたいと思っているはずなのですが、どうにもきちんとできていません。 気持ちの問題なのでしょうか。わたしは、実はもしかして本当にキャリアアップしたい痩せたいとは思っていないということなのでしょうか。 だとすればわたしはひどい人間のような気がします。 なんだか質問もうまくできなかった気がしますが、わたしは出来れば先のような衝動にかちたい、もしくは逃げたいと思っています。 よい方法、うまく折合いをつける方法を、教えていただきたいと思います。 どうかよろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2