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検索結果: 3315件
2023/04/30

失うのが怖いです

初めまして、初めてご相談させて頂きます。よろしくお願いいたします。 私はたぶん人よりも不安を強く感じるタイプです。昨年夏、この世で唯一私を理解してくれる最愛の祖母が亡くなりました。幼稚園の頃は訳あってずっと祖母と叔母を中心に育ててもらったのでものすごくおばあちゃん子でした。 そして、昨年の11月私が生まれて初めて自分で責任を持って飼ったうさぎさんも亡くしてしまいました。まだ、2歳にもなってませんでした。 2人ともきちんとした場所でちゃんとお別れをしました。けど、2人が天国にいってからも思い出さない日はありません。ただ、悲しい思い出し方ではなく、2人に貰った幸せな日々を思い出します。けど寂しさと生前もっとこうできたかもしれない、という悔しさと自分の不甲斐なさに涙が止まらなくなります。 そして、私には結婚6年目のほぼ同い年の旦那がいます。旦那は元々この先あまり長生きしたく無いという考えがあります。それは恐らく幼少期に親に暴力を振るわれ、捨てられ、児童養護施設で育ち弟とも離され、親戚中をたらい回しにされた経験から、この世界に期待をしていない、という意味で長生きしたく無い。となっていると思います。 私と結婚してからはお互い楽しく笑い合ったりして過ごす日々もたくさんありますが、度々、来年までは生きてないかも(自死ではなく病気とかで死ぬかも)ということを言ってきます。昨年2人の大切な人を亡くした私の身としてはそんなことを言われると不安で不安で仕方なくなります。そんな事言わないで、といってもいつも言ってるじゃん、と冗談めかして言ってきますがなんとなく寂しそうに感じてしまいます。 確かに旦那の生活習慣は改めなくてはならない部分が多いですが、健康診断にも6年以上行ってません。行ってほしいと伝えても病院嫌いで行きたく無いと一点張りで困っています。子供を作る、という未来の話もしますが金銭的にまだまだ難しいです。 どうやったら自分の不安症を解決できるのでしょうか。 どうやって旦那に未来への希望があると伝えられるのでしょうか。 旦那への生きる活力をどう私は共有したらいいのでしょうか。 ただ単に旦那がかまってちゃんなのかもしれませんが私個人的にはいろいろと考え不安になってしまいます。 拙い文章で申し訳ございませんが、ご回答頂ければと思います。 よろしくお願いいたします。

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2022/03/05

存在しているという事実が怖い

お世話になっております。毎回暖かいご回答を頂き、心から感謝しております。ありがとうございます。 私は日常生活の中で、「今ここに私が存在している」と実感すると、怖いと思うことが頻繁にあります。 どうして今、事実としてここに存在して、世界を五感で感じているのか?と思うと深みに嵌り、宇宙が何故存在するのかわからない事や死、消滅の恐怖と連動してより怖くなります。 今あるものは全ていつか無くなる。その時私はどうなるのでしょう。体も心もバラバラになって、生きていたことも忘れ、家族とも離れ離れになり、今後文字通り永遠に元(私)に戻る事なく、その後どうなるかもわからないなんて、これ以上に怖い事はありません。 それなら、今の私はなんなのでしょう。 私も宇宙も消えてしまうという強烈な事実を前に、恐怖に慄くことしかできません。 存在に関する根源的な疑問が、絶対に解決されない事が怖いです。結局、誰も本当のことは知らないまま、生まれたから生きて、死ななきゃいけないから死ぬ。絶対的な力に翻弄され、絶対に逃げられない。それが、凄く怖いです。 以前、縁起と空についてご教示頂き、大変勉強になりました。本当にありがとうございます。 頭では分かるのですが、どうしても「何故か今存在しそのうち消滅する恐怖」が理屈を上回ってしまいます。 私は、欲を言えば、このような恐怖や不安をなくす事が人生の目標です。勿論、それ以外のやりたい事をやりつつではありますが、死ぬまでに自分なりにこの疑問にケリをつけたいと考えています。 お坊さん方は、このような「生きてしまっている事実」「そのうち消滅する事実」にどんな心持ちで向き合い、どのように自分の気持ちと折り合いをつけているのでしょうか? 私は、具体的に何をすれば怖くなくなるのでしょうか。 また、もし解説として分かりやすい本などございましたら、教えて頂けると嬉しいです。 恐怖に襲われる毎日が、とても辛いです。 お時間ある時で大丈夫ですので、宜しければご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

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今日が命日

今日、卒業のことで、私と母と担任と学年主任と副校長で面談がありました。 怒りでいろいろと忘れてしまいましたが、「卒業する気はあるか」と副校長に聞かれ「半々です」と正直にこたえました。卒業したい気持ちもあるけど、行きたくないという気持ちもありどうしたらいいかわからない状態でした。 そしたら、副校長にさんざん貶されて責められました。 「そんな甘いこと言ってられない」 「今やめて親に迷惑かけるのか」 「もう人間関係がどうのこうのって言って、おまえが泣いても誰もおまえに同情なんかしないからな」 「学年主任も担任もおまえが頑張るというから、会議でおまえのことを庇ってやってるのにおまえはまったく行動を起こさない」 「社会に出たらそんなこと通用しないからな」 などと言われ、大泣きして過呼吸起こして逃亡しました。 そんなこと自分で十分わかってるし、私に同情してくれた人なんて一人もいなかった。 だいたい私が不登校になったのは、無気力症候群のように全てにおいて嫌になったからです。 その原因になったのがそもそも担任と母と副校長です。 人のせいにするな、と副校長は言いましたが人のせいじゃなきゃこんなふうになるわけないじゃない。 もう全てが嫌になりました。 「死ぬ」か「学校へ行く」の二つの選択肢しかテーブルの上にないように感じました。 死にたくなって、公園のベンチに座り、死ぬことへの償いに念仏やお経を唱えていました。 寒さが身にしみて、手が凍えていくたびに死が近づいていくことを嬉しく思いました。 そしたら学校の先生にみつかり、祖父や叔母が迎えにきて今家にいます。 明日から全ての教科出なければ留年になると言われました。 家族は「卒業頑張るぞ」と意気込んでいますが、私はもうそんな気持ちまったくありません。 学校へ行きたくない。 行くくらいなら死にたい。 今夜、山へ行って死のうと考えています。 もう何もしたくなくなってしまいました。 涙が止まりません。 どうか許してください。 もう頑張りたくないんです。

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急性中毒の慢性化、脱する!!!

最近、カフェイン断ちに成功しました。 1年半ぐらいでしょうか、急性カフェイン中毒が慢性化していました。 精神疾患がなかなか善くならないので、気分の落ち込みをUPさせたかった… そして「浄化」する為に「下剤効果」を得たかった… しかし、「急性カフェイン中毒」が「慢性化」して1年半も経てば、確実に「死」が近付いていることが分かってきます。 具体的な「中毒のなり方」を書くと、私と同じ症状に陥る方、私のように「死」を目指す方が現れると困るので書きません。 「カフェイン断ち」は、とてもしんどいです。 相当な覚悟を持って望まないと、挫折します。 でも、もともとの「鬱病」等々が原因で死ねば、まぁまぁそれなりに家族も私の死を受け止めることが出来るかも知れませんが、関係のない「カフェイン中毒」で死ぬと…きっと「何故?」が増すと思うのです。 でも、止められずにいました。何せ「中毒」ですから…。 これを断つと決めた時、同時に「水中毒」も断とうと決めました。 「水中毒」の症状も相当悪く、体に水が溜まり過ぎて、呼吸出来なくなりそうな状態になっていました。 それを同時に断つと決めたのです。 「無言実行」であり「有言実行」である自分の性格を利用しました。 主治医とカウンセラーに「もう止めます」と(私自身に)宣言しました。 「このままだと、そろそろ死ぬと思いますので」と。 どちらからも「徐々に減らす方が良いのでは?」との提案がありましたが、「荒修行でないと、甘えが出てきて止められなくなりそうなので」と自ら困難な道を選びました。 「カフェイン断ち」をした際に現れる様々な症状に、精神的にも肉体的にもかなり苦しい日々が続きましたが… 「止めます」と宣言しましたし、「有言実行」に逆らいたくないと思い、耐えました。 今は、「カフェイン断ち」にも成功し、「水中毒」も解消しています。 こちらhasunohaに訪れた時から、止められています。 こちらは「無言実行」です。 本来の持病での「自殺行為」ではない、自分の弱さ故に陥った「中毒症状による自殺行為」。 止められた!もう大丈夫だ!と思えたら、こちらに書こうと思っていました。 カフェイン飲料も水も、普通に摂取するには害のないものですが、異常摂取の「中毒」になれば、死ぬ可能性があるものです。 皆様「ほどほどに」です!

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2021/06/22

合祀について

母が他界しました。 生前より、自分の死後についてエンディングノートに記していたり、口頭で話すこともたくさんありました。 エンディングノートには、自分(母)の遺骨は結婚当初に買ったお墓に納めること、但しお墓は遠いので、(大変だろうから)一切の墓参りはいりません、心の中で思っていてくれれば充分です、と書かれていました。 正直な所、本当にお墓は遠く、新幹線と車を使って3時間はかかります。交通費だけでもかなりかかります。 時間もお金もかかるから、納骨さえ済ませてくれれば無理してお墓参りに来なくてよい、と何度も母は話していました。 そして今回、母の遺品を片付けていたら、近くのお寺での永代供養も考えていたようで、いくつもの資料やパンフレットが出てきました。 そこで合祀という、骨壺から遺骨を出し、他の方の遺骨と一緒に仏様に納めてもらい、供養してもらうというものを知りました。 そのような方法に驚きはありましたが、もし私達子どもに万が一の事があっても、母のお墓が永代供養ならば安心だな、とも思ったのですが、この合祀という方法は一般的なものですか? 死後の世界は分かりませんが、他人同士が一箇所に供養されているというのは問題無いものですか? 母はどのように思うかな、と悩んでいます。遠くのお墓で中々お墓参りが出来ないよりは、合祀という形でも、いつでもお参り出来る方が、私は寂しくないなと思ってしまうのです。  ちなみに、母は自死でした。 成仏、というものができているのかも心配です。 ご回答宜しくお願い致します。

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父は最後に何を言いたかったのか?

父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?

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2021/10/26

死ねない運命

以前、こちらで相談させていただいた者です。 ありがたいお言葉を頂きながらも死にたいと思ってしまい、企図したのですが、意識を失ったところで母に発見され、未遂に終わってしまいました。 今回も息子からの暴言が原因でした。 息子はこの春社会人になったのですが、大学生の時(ちょうど就活が始まる頃)、原因不明の体調不良になり、病院で様々な検査を受けても原因が分からず、遺伝子検査をしたところ、難病になりやすい遺伝子が見つかりその難病の疑いがあると言われました。 私自身持病があり、仕事もしていっぱいいっぱいの中でも、何とかしたい一心から他の病院でも意見が聞きたいと思い、必死に探して権威のあるDr.がいらっしゃるセカンドオピニオン外来を受けたところ、その難病ではなく、全く違う病気(命に関わるものではない)を指摘され、その遺伝子は日本人なら15%程度は持っているし、その遺伝子で具合が悪くなっているわけではないと診断して頂きました。 ですが、そこに辿り着くまでに1年半要したこと、そして良くない遺伝子があること、持病があるのに子供を産んだこと全てお前のせいだから罪を償えと言われています。 すぐにその病気を見つけられなかった役立たず、生きている価値のない人間、死ねとも言われています。 私は小さい時からそのように言われることが多く、生きているのが本当に辛いです。 しかし、死のうとすると、どういう訳か助かってしまうのです。 死ぬことを諦めて強く生きなければと気持ちを切り替えて、今日も仕事に行きましたが、きちんと仕事はこなせても、人が怖いという気持ちが消えません。(外に出れば明るいテキパキした人というキャラは作っています) 混乱していて上手く相談がかけないのですが、なぜ死ねないのでしょうか。 価値がなくても生きなければいけないのでしょうか。 どうしたら強く生きられるのでしょうか。 祖母、元主人、息子から共通して言われた「お前は弱い人間だ」は本当に私が弱いからなのでしょうか。 3人ともカッとすると止められないというところは共通していますが、私がそういう人を引き寄せているのでしょうか。 私は今後どうしたら良いのか、生死も含めて見失っています。 どうかご教示下さい。

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家族に対して

よろしくお願いします。 今年で36になります。趣味や楽な方にばかり流れフリーターの一人暮らしで、親に迷惑と心配ばかりかけています。 半年前より父が病気を患い、治る見込みがありません。そうなった時、母は私のことが心配でならないので、結婚するなり定職につくなり、今後の人生を考えてほしいと言われ、このままの生活では両親のみならず、兄夫婦や親族にも迷惑をかけることになる、と言われました。 しかし、誰にも言ってないのですが、大学の時に正式な病院で高機能自閉症の診断をもらい、私自身も人間関係や精神的にも非常に生きづらさを感じています。子供の頃もいじめにあい、自家中毒児でした。 親に打ち明けられないのは、一番上の兄が10歳で白血病により亡くなった為、母が自分を責めてしまいそうで言えないのと、母自身が保育士だったため、診断のために嘘をつきながら子供時代のことを聞いていた時、あなたは発達障害ではない、私(母)は保育士だからわかる、といわれた為です。 老後をどう考えてるんだ、と最近よく聞かれますが、兄が亡くなって以来かはわかりませんが、死に対して憧れに近いものがあります。何もかも中途半端だった私が唯一完結させることができるからです。 長くても60位で、適当なところで死ぬだろうと思っていたので、老後のことなんて考えたこともありません。 恋愛もしたことがなく、人を好きになることもよくわかりません。 諸事情で実家に戻っても一緒には住めないので、自立してほしいと言われますが、それならこちらで結婚をしてみようかとマッチングアプリをはじめましたがこれでいいのかという思いもあります。 幸か不幸か、家族同士とても仲が良く、私が死んだら悲しませることが分かっています。でも思い返せば私は家族に何も打ち明けていないような気がします。でも家族は愛しています。 何も培わずに歳ばかりとった人生です。 生きる意味はあるのでしょうか

有り難し有り難し 16
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2022/12/23

最低な自分でも生きてていいのか

自分は、何か嫌な事があったら甘えれる人に沢山我儘を言い、悲しませ、 そして自己嫌悪し希死念慮に囚われ、 大切なパートナーの人生と夢と時間など壊しました。 どんな理由があれど、それを理由に人の人生を壊してなんていけないです。 本当に人として情けないです。 自業自得で、大切な人の沢山の周り(老若男女問わず)から離れろ、この人といると幸せになれないと沢山言われました。 それでも大切な人は人生手遅れと言いつつ、傍にいてくれます。 また、自分のした大きすぎる決断に相手は付いてきてくれた為、これから自分と大変な想いをする事になってでも、傍に居てくれてます。人として優しすぎます。 その優しさに甘えてた自分が本当に情けない。 死ぬ事は解決しないし責任逃れなので、 死にませんが、これまで沢山の人を傷つけ、悲しませ、自分の我儘のせいで相手の夢人生希望健康も奪いました。 どうやって懺悔し、償い、これからどのような心構えで生きてていいか分かりません。 また、周りから疫病神のような扱いをしっかり受けとめ、それでも受け入れた上で生きててもよいでしょうか? こんな罪深い自分に助言をして頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 24
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2023/01/27

事故や災害で亡くなった人の遺族について

災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。 私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。 確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。 私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。 当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。 お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。

有り難し有り難し 35
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なにも感じません

24歳です。今まで逃げてここまできてしまいました。 苦しさを感じるのが嫌で言い訳をして生きてきたんだと思います。 人と関わるのが嫌なのにとても寂しいです。 職場では浮いています。12月一杯で仕事をやめる予定です。 ぐちゃぐちゃ考えて最終的にはなぜ仕事をしなくちゃいけないのかな、何で生きなきゃいけないの?と思ってしまいます。 死にたいと思うのにいざとなると実際にはできませんでした。 今まで自分自身なにもしてこなかった気がします。心理的な引きこもりだった気がします。一緒に遊んだりご飯食べたりする友達もいません。24歳なのに中身は何もできない赤ちゃん。それを最近気づいてもう嫌です。自分が嫌いで他人にも自分の姿をみられたくない、こんな自分がとても恥ずかしい。 苦しい。 これから少しずつやっていくしかないというのは真っ当でその通りなんですが、それすらももう嫌というかこの先苦しいのわかっているのにどうやって生きていけばいいのか、気力がない。生きているようで生きていないんです。 自分の気持ちを塞いでずっと生きてきたのだなと、今からあけるのもとてもこわい。それを塞いでるから今生きているよう。ブッタの言葉で、努力する人は永遠の命を得て、怠ける人はすでに死んでいる。という言葉を知って本当に自分はこれだと思いました。現実を知るのがこわい、今でもその現実から逃げてるしまだ分かりきっていません。本当に知ってしまったら死んでしまうかも。自分に諦めています、そのくせつらい努力もしたくない、苦しさは感じたくない。 なんか人との関係も分からないし職場ではギクシャクしてるし、もう嫌です。

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