私はバツイチです。子供はいません。 結婚が許される宗派、許されていない宗派、色々あるかと存じ上げます。それに個人的な解釈もあるかと思います。その上で多様な意見を頂きたいです。 相談です。 子供がいない事で、自分の両親に対する申し訳ないという罪悪感はあれど、結婚も子供も未だ望む気持ちがありません。 将来的には幸せな家庭への憧れはありますが、このままずるずると年齢を重ね、孤独に死んでいくのではないだろうかという予想もしています。その考えに悲観的でもありません。 結婚とは、社会的な信用や身内の喜びの他に意味はあるのでしょうか。もちろん、自身が満たされる事もあるでしょうが、上記の通り、私は一度失敗している身であり自分の性分が結婚に満たされる物だとは思っておりません。憧れは手元に無いが故の幻想だと割り切って考えるからこそ浮かぶ気持ちなのではと思案しています。 どうして、結婚という容があるのか、今の時代に則しているのか。拘る必要はないのか。 結婚観をご教授下さい。
こんにちは。初めて質問させていただきます。 現在、先祖供養と家系図作成のため、戸籍やその他資料をもとにご先祖様の情報収集を行っています。 本家である実家のお過去帳を見たところ、1番古い時代で幕末のご先祖様のお戒名を知ることができました。 お戒名からどの宗派だったのかある程度特定可能と聞き、ネットなどを使い調べてみたのですが、どこにも該当するものがなく、調査が行き詰まってしまいました。 そのお戒名というのが、 ・○○院○譽浄心 ・天津○○○神霊 です。 浄心と付く方は寛延に亡くなられたご先祖様でした。天津神霊と付いている方は3人いらっしゃって、宝暦、弘化時代に亡くなられてました。 最後の文字が信士や居士などではなく、浄心、神霊というのは、どの宗派に該当するお戒名なのでしょうか。 長くなってしまいましたが、ご回答頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。動画サイトで私の好きな、 リテラシーの啓発にも取り組んでいる、少しだけ破天荒な 科学者さんのチャンネルの動画を観ていたら、宗派名こそ 出しませんでしたが、 「この世はクソだから、自分たちは神様的な存在に祈って、天国 的な場所に生まれ変われる特別な存在だと思い込んでいる、 選民思想的な陰謀論者。つまり、異世界転生を本気で信じている んですよね」 と出演者さんが言っていました。遠回しに浄土宗のことを言って いるとすぐにわかりました。ショックでしたが、頷かざるを 得ませんでした。 前後編に分かれた、陰謀論に対する注意喚起の動画の、前編の セリフです。後編では、 「誰からも認められない人が陰謀論者になるのです。認めてくれる 人を見つけましょう。極論、人間ではなく、天の神様でもいい」 とフォローしてくださっていました。 なぜ浄土宗だと分かったのかというと、実際に、浄土宗の 寺院でたくさんそのような考えの人を見、浄土宗公式の チャンネルの法話でも、 「この世は苦しいことしかない、だから阿弥陀様に祈って、 極楽浄土に行きましょう」 ということしか言っていないからです。 お寺は本山でした。そこでお説教をしている布教師と、聴聞に 来ている信者は皆、 「他の宗派はろくでなし」 「他の仏や経、真言には利益がない」 「この世は汚いから、念仏だけして、お迎えを待つ」 などという考え方でした。怠惰な人たちだなあという印象でした。 これでは、誤解されても仕方がないよな、とも思います。 しかし、hasunohaでたくさんの(浄土宗含む)お坊様と 出会ううち、 「本山の人たちの言う事は、間違った暴論では?」 と思うようになりました。 確かに、この世は思うようにならないことだらけ…「苦」 だらけだと私も思います。 しかし、「死」や「苦」を意識し、世のため人のため、 「利他」行や「布施」行に、あらゆる形で全力で励み生きるのが、 仏教ではないか。そう考えるようになりました。 だとすると、「厭離穢土、欣求浄土」という考えは?先ほどの、 「この世はクソだから…」という思想になってしまうのでしょうか? それとも、「この世を浄土にする勢いで」努め励もう、という ことでしょうか? 浄土宗は、選民的な厭世主義なのですか?ご高見を賜りたく 存じます。
10年以上前に義母が脳溢血で倒れ、その後から脳機能障害の為現在も施設入居中です。独り暮らしを始めた義父がアルツハイマーだと発覚し、義父も施設入居へ。本来ならば長男である我が家が引き取り面倒を見るべきでしたが、私どももまだ30代、子供もまだ小学生、私も仕事をしなければなりません。 また義父は女は黙って亭主の言う事を聞けという考えなので、私が身の回りの世話をしても、お前はバカか、今日からお前を便利使いするなど、暴言がひどく、主人(男3人兄弟)達でさえお手上げの状態になり、とうとうみんな疲れ果てその後施設入居してもらいました。 その際に、主人の実家に亡くなった祖母をお祀りした仏壇があったのですが、仏壇は大きすぎて我が家には持ってこれず、お位牌のみ持ち帰り、我が家で毎日手を合わせています。 しかし、私の母が先日、膵臓ガンの末期と宣告され余命半年です。父は20年前に他界しており、母が今は仏壇を持っています。しかし、母が亡くなれば私が引き取るしかなく、祖母のお位牌をどうしようかと。私の実家は浄土真宗、主人の実家は日蓮宗です。半年前に主人の弟の三男が亡くなり、そこには息子がいるのでお墓をついでもらう(うちと次男には娘しかいない)ことになりました。母が亡くなった後、祖母のお位牌を三男の仏壇に一緒に祀ってもらえないか?と言ったのですが、やはり主人も三男の嫁さんにはまだ言いにくいようで、私も主人が長男である為遠慮もあります。主人は同じ仏教、一緒の仏壇に祀ればいいやないかと。私は、ネットで色々見てみると、先祖が争う、家族に分断が起きるなど目にしてしまい、気になってしまいました。私自身も可能ならば一緒にお祀りすることは構いません。ただ、母が亡くなれば次々法要もあり、主人の祖母はいきなり同じ仏壇に入れられ、宗派の違うお経を聞いてびっくりしないでしょうか?(生前、主人の祖母と私の両親は面識があります)もう母に残された時間はもしかすると明日だけかもしれないと思うと、このような事で主人と意見の食い違いなどしたくないのです。私は嫁いでいる身だと言う事もわかっています。同じ仏壇に(浄土真宗で掛け軸ありの小さな仏壇です)に祖母のお位牌を一緒にお祀りしてよいでしょうか?両家共に菩提寺はありません。 よろしくお願いいたします。
実家は代々日蓮宗で跡取りがいない為に墓じまいをしました。 その後すぐに父が亡くなり、元々は公園墓地にと話し合っていたのですが、急なことだったので実家近くのお寺さん(真言宗)に葬儀から四十九日の法要をお願いしました。 その時に、母はお位牌を作っていただいてしまいました。 現在、仏壇には代々の日蓮宗のお位牌と父の真言宗のお位牌が祀ってあります。 実家近くの、その真言宗のお寺さんに最近、父のお位牌の閉眼供養〜お焚き上げをお願いしたのですが、お断りされました。 この父のお位牌は、どのようにすればよいのでしょうか。仏壇に宗派が違うお位牌を祀っても構わないのでしょうか。
実家がお西の門徒なのですが、それほど信心深くもなく、お墓参りや先祖供養は全て我流でやってきました。 先日父(83)のガンが見つかりステージ4とのことを聞かされて、離れて住んでいる自分に何ができるかを考え、浄土真宗のことを勉強することにしました。 すると他宗派と違う独特な作法や考え方であることがわかり、今では私がすっかり地元のお西のお寺で法座を聴聞したりしています。 そのことを話すと、あまりいい反応ではなく、あまり宗教にハマるなと言われる始末…。 両親には穏やかな終末を迎えてほしいと思っているので、今からでも信仰心を深めてほしいのですが、全く聞き入れてもらえず悩んでいます。 ちなみに私はミニ仏壇に阿弥陀様をお祀りして毎日朝晩のお勤めをし、月に一回はお寺の法座に出ており、自分の信仰心だけが深まっていき、家族の中でも一人浮いてきてしまっている始末です…。 親鸞聖人の教えはとても深く、有難いものだと思っているのですが、誰にも理解してもらえないことが歯がゆくて仕方がありません…。 無理強いはするつもりはないのですが、最初の目的からどんどん離れてきてしまっている気がして、何のために自分が勉強しているのかわからなくなってきました…。 両親は毎日仏壇に手を合わせたり、年4回お墓参りにも行っていますが、浄土真宗の作法や教えを理解していないのが、残念です。 浄土真宗の教えを理解すれば、普段の生活や考え方が変わり、とても穏やかに過ごせると思うのですが、どうすれば阿弥陀様を意識してもらえるようになるでしょうか? 現代はお寺離れが増加しているといいますが、私は生きている間にこそ、お寺に行って気持ちを穏やかにすることが、生活を豊かに過ごせると思っています。 話がまとまらず申し訳ありませんが、良いアドバイスがあれば宜しくお願い致します。
家は、禅宗で、今お付き合いしてる方は、浄土真宗なのですが、たびたびお世話になってるお寺は、真言宗です。 真言宗のお寺で、護摩たき(字が間違ってたらごめんなさい)していただいたり、真言を教えて頂いたり、御守りを頂いたりしてます。 この様な事は、本来よくない事でしょうか? 実家とは、疎遠で、今後の付き合いもありません。が、それでも、禅宗の方法で色々と進めるべきでしょうか? と、言っても仏壇などありません。ので、特にいま何か出来る訳でもありませんが、私の様な檀家にもなってない人は、今後どうしたらいいのでしょう? 何か1つの事でも、アドバイスいただければ、ありがだいです。 よろしくお願いいたします m(__)m
日本の仏教ならではでしょうか。はっきりとした要因があるのか興味があります。
私自身は浄土真宗本願寺派の門徒なのですが、故人である父は無宗教、祖父母は日蓮正宗、です。 現にまだ生きている私(兄弟いませんので私しかやる者がおりません)が先祖の祭祀者?ということになるのでしょうが、亡き人の供養はどうしたらよいか困っています。 やらない、というのも一つの手ですが…祖父母には大切にしてもらいましたので、何らかはしたいなと思う気持ちがあります。やはり亡き人の宗旨である、日蓮正宗式の供養ということにすべきでしょうか。 また、実家に位牌があるのですが、真宗は位牌を用いません。この処分…ということも考えねばならないでしょうか。 なお、故人の墓は市営墓地で、特定のお寺の檀家にはなっておりません。 祖父母の葬儀までは日蓮正宗の寺でしたが、以降は住職の代替わりなどもあり、すでに付き合いが全くありません。
宗教戦争、宗派闘争はもはや、時代遅れだと思います。 特に日蓮宗と浄土真宗の僧侶方、これについての打開策を述べてみてください。
今年の2月に母が亡くなり、私は嫁いだ身ですが 私の家に母の位牌と仏壇があります。 (父と兄と主人に頼み、快諾してもらいました) 父は2年前に老人ホームに入居して、母が一人で住んでいました。 母が亡くなり、今実家は誰も住んでいません。 私が1日おきに実家に行き、掃除など風を通しています。 実家には祖父の位牌と祖父の先祖代々の位牌があります。 祖父は真言宗です。 (父方の祖父母は、父が10代の頃に離婚しており、 その後は全く音信不通でしたので、 母も兄も私も、お棺の中の祖父が初対面でした。) 母は浄土宗です。 初盆供養に来て下さるお坊さんに相談させて頂き、 祖父と先祖代々の位牌を私の家に持って来て、先祖供養もして頂きました。 祖父にこのまま私の家に居て貰おうかなと思っていますが、 仏壇には阿弥陀様がいらっしゃいます。 祖父の御本尊はどうすれば良いのでしょうか? そのまま実家の仏壇に居て頂いても良いのでしょうか? 祖父は来年三十三回忌です。 来年閉眼供養をして頂くつもりですが、せめてその時まで 誰もいない実家よりは私の家の方が良いのかなと思っているのですが、 孫とはいえ、生前会った事もない私の家じゃ居心地悪いかなとも思い どうするべきか考えています。
最近複数の方から父方のご先祖様の御供養をするように言われました。 私には兄もおり、嫁いでいるのですが、私の実の父の父方のご先祖様が御供養をして欲しがっているというのです。 父とは幼少の頃、両親の離婚で一切連絡もとっておらず、父方のお墓も宗派も分かりません。 父の出身は遠方のため行く事もなかなかできません。 ご縁をいただいた宮司さんに、お世話になっているお寺さんにご相談してみるといいと言われ、母方のお寺さんが曹洞宗なのですが、 『曹洞宗であれば大般若御供養がいいでしょう』とアドバイスをいただきました。 早速、母方のお寺さんにご相談したところ、大般若御供養はしておりませんとお断りされてしまいました。 そこで近所に異なる宗派の御供養もしてくださるというお寺さんを見つけ、父のご先祖様先祖代々の御供養をしていただきました。 ところが、その後、他の神社に行ったところ、またもや宮寺さんから、『父方のご先祖様が御供養して欲しがっている。 ご先祖様の中に改宗された方がいて、元々の宗派の違うご先祖様が御供養されていないようなので、 できれば元々の宗派での御供養をするように』とアドバイスをいただきました。 父方とは連絡先も分からず、お墓はもとより宗派も改宗される前の宗派も調べることができません。 仏壇もないのでいただいたお札に日々ご先祖様の御成仏を願い手を合わせていますが、ご先祖様にはどうも不足のようです。 宗派もお寺も分からないご先祖様の御供養はどのように行えば良いのでしょうか? よろしくお願いします。
初めての質問です。 私は実家か何代も高野山真言宗でそれに何も疑問に思った事が無いので40年近くその信徒だと自負しています。 よくドライブがてら高野山に向かい参拝をするので昨年思い切って参与会に入会しました。 参与会に入会すると皆様がご存知の通り半袈裟を授与されます。 この半袈裟をつけて高野山で参拝することについては何も問題無いと思うのですが、例えば宗紋が異なる豊山派や智山派の寺院に参拝する場合などは使用しない方が良いのでしょうか? 大元が同じ真言宗ですから宗紋の異なる半袈裟をでも同じ真言宗信徒だと判断されて得に問題が無いのか、または宗派が異なる以上着用せずにお参りに行く方が相手の宗派を尊重することになるのか?と疑問に思いました。 もしあまり良くないのであれば控えたいと思っていますので、率直な意見で導いてくださると幸いです。
数日後に 親戚の四十九日法要があります。 そちらは浄土真宗で 私は日蓮宗です。 そこで疑問なのですが 法要に伺う際に お数珠は 日蓮宗と浄土真宗は違いますが 浄土真宗の短いお数珠を持参するべきでしょうか? それと お焼香の際には 南無阿弥陀仏と唱えるべきか 毎日お唱えしている 南無妙法蓮華経と唱えるべきか どうかご回答宜しく御願いします
いつもお世話になっております。 我が家の仏壇は浄土宗のものです。上段に阿弥陀様、法然上人、 善導大師をお祀りし、中段には祈願寺(真言宗智山派)のお護摩札を お祀りしています。また、経典も、浄土宗信徒日常勤行式と、祈願寺の 護摩経典が手元にあります。 新型コロナウイルスが流行する前は訓練の休みの日に祈願寺まで赴き お護摩に参列していたのですが、現在は入堂規制が敷かれており お護摩に参列することはほぼ不可能です。 そこで自宅の仏壇で護摩経典を読みたいのですが、その際のお作法 や読み方等はどうすればいいのでしょうか? 経典の順序を改変したり、たとえば開経偈の後に四誓偈を上げ、 その後護摩経典を上げて、浄土宗の経典の終わりのほうを続けるなど… ご教授のほう、よろしくお願い申し上げます。
2年半闘病生活を送っていた父が、1週間前に81歳で亡くなりました。 25年ほど前に両親が離婚し母方に引き取られたため、父方の親族とは疎遠になっており、父が病気になってから私と姉の二人で、病院や介護施設のお世話になりながら、身の回りのことをしてきました。 父の容体がかなり悪くなってきた頃、姉とも相談を重ね、私どもで見つけたお寺様(天台宗)に葬儀やその先のことをお願いしようと決め、唯一連絡先を知っていた叔父に連絡し、承諾していただきました。 そして、その時がまいりましたので、決めていた通りにお寺様に戒名を授けていただき、葬儀の手配もいたしました。 叔父が他の兄妹にも連絡をとってくれ、高齢で具合が良くないなか、わざわざ葬儀に駆けつけてくれました(父や私は東京、親族は北海道)。 本当に嬉しく、ありがたかったのですが、通夜の前日、叔母から 数年前に東京で父に会った際、「死んだ時はここにお世話になる」とお寺様に連れて行ってもらった、と言われました。 そして、父の葬儀が終わってからも、この言葉がどうしても気にかかり、調べたところ、今日、父が望んでいたお寺様を探しだすことができました。 ただ、そのお寺様は戒名を授けていただいたお寺様と違う宗派(曹洞宗)でした。 事前に探しだせず、親族に祖父母の宗派を確認せず、父の先のことを決めてしまった私に全ての非があるのは承知しておりますが、父の最期の希望を何とか叶えられないかという気持ちが拭いきれず、本位牌や49日法要の用意も進めなければいけないのに、手につかない状態です。 ただ、葬儀も借金をして執り行ったほど金銭的に余裕がなく(父の施設、病院代で貯金が底をつきました)、もし両方のお寺様に承諾をいただき、戒名を付け直すにしても、お布施をどれだけ用意できるかも分かりません。 このまま戒名を授けていただいたお寺様に法要をお願いするのが筋とは分かっておりますが、この先ずっとこの気持を引きずってしまいそうで、どう心の折り合いをつけていいのか分かりません。
前に「葬式の度に違う宗派のお坊さんを呼んでいる」と書きましたが、あの後父に詳しく尋ねたところ、ずっと葬儀社から紹介された浄土真宗大谷派のお坊さん(同じお寺の方です)を呼んでいたんですが、祖母が亡くなったときに、祖母の遺言で伯父の知り合いのお坊さんに、葬式の依頼をすることになったそうです。 それまで呼んでいたお坊さんのお寺を我が家では「菩提寺」と認識しておらず(葬儀社から紹介されただけの関係としか思っていないらしい)、祖母の葬式のときに違う方を呼んだものだから、父いわく「菩提寺とかない」だそうです。 お墓もそのお寺とは違う一般の(?)霊園にあるので、父としてはピンときていないみたいなんですよ。 私としては明らかに「菩提寺あるじゃん!」なんですが、お寺側から何か言われたこともないし、たぶんお寺側も私たちのこと覚えていないと思うんですよね。 ともかく、自分の菩提寺がわかって安心いたしました。 以前の質問で不快に思われた方々、本当に申し訳ありませんでした。 あと、質問ではなくてすみません。 余談ですが、hasunohaのお坊さんから教えて頂いたお寺がいまお話したお寺だったんですよ…何たる縁…南無阿弥陀仏
最近山登りをした際、山頂にあった神社をお参りし、記念として御朱印を頂いたのをきっかけに、趣味として御朱印を集め始めました。 最近鎌倉に行った際、お寺で新たに御朱印をいただきました。 神社でいただいた御朱印とお寺でいただいた御朱印は御朱印帳を分けているのですが、お寺でいただいた御朱印は宗派によっても御朱印帳を分けて保存した方が良いのか悩んでおります。 お参りや仏教に関する知識、作法がまだまだ未熟なため、教えていただきたいのですが、お寺でいただいた御朱印は宗派によって分けて御朱印帳を分けて保存するべきでしょうか?? 宗派がごちゃ混ぜだと仏様に対して失礼になりますか??
初めまして。 どうしようかともやもやしていたらこちらのサイト様を見つけ、質問させて頂きます。 標題の件についてなのですが、私の身内のお墓は遠方にあるため、人生で2回ほどしか直接お参りに行った事がありません…金銭的な理由と、宗派が分からないというのもあり仏壇などを用意することも出来ないため、毎日寝る前にお布団の中でご先祖さまに手を合わせるということはしておりますが、やはりきちんと仏壇などを用意して手を合わせないとご先祖さまに対して失礼になってしまうでしょうか…
こんにちは。先日、病気受容のことで相談にのって頂いたものです。 ご回答を頂いた日から、他の方のご相談も読み、「今、ここ」を生き、自分の頭で作り上げた妄想や煩悩を断ち切るという(私なりの現在の解釈なので、間違っていたらごめんなさい)仏教の教えがとてもしっくりくる感じで、さらに仏教を学びたくなりました。 ただ、仏教に関してまるで知識がなく、どこから学べばいいのかが分かりません。瀬戸内寂聴さんが書かれた「般若心経」を読んだことはあるのですが、正直よく分かりませんでした。 ネットで調べてみると、色々な宗派があるなか、どの宗派のことを学べばいいのかも分かりません。 私の実家の菩提寺は、浄土真宗本願寺派なのですが、私の家の近所にはなく、写経会もされている真言宗のお寺が通いやすいです。 その宗派の写経会に通うというのは、その宗派を信仰するという意味になるのでしょうか? また、近所で行きやすいからという理由で、宗派を決めるのは、自分のご都合主義なのでは、とも思ってしまいます。先祖代々の宗派があるのに、自分で選んでもいいのでしょうか? 分からない、分からないのまとまらない質問で申し訳ないですが、仏教への扉を開けるお知恵をどうぞお貸しくださいませ。