hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「幸せ」
検索結果: 16817件

父が他界してからの心の穴

 私は3歳のころ母方のおばあちゃんの家に約一年間預けられて育てられました。そこでおばのやさしさとおじの厳しさに触れながら優しい子に育ったつもりです。しかしその後両親の家に戻り、両親に全く懐いてなかったせいもあってか、何事も兄優先でほめられたことなど一度もありません。何をやっても私には関心がなく愛されていないと確信したのも小学生のころでした。その後小学生中学生と人を悲しませる悪いことをしていましました。おばあちゃんの涙を見てしまったときから体の中に電撃が走ったような気持ちになり、このままではいけないと改心したのは中学生の時です。  高校になると部活動で誰にも負けたくなかったのでひたすら努力しました。勉強でもそれは同じです。しかしここで父親が登場します。私の努力をすべて無駄というかのような態度、言動をとってきたように感じました。父は敵。将来はお金をたくさん稼いでこいつを苦しめて、父が死ぬときは一番苦しい死を与えてやろう。愛されて育った兄が憎い。愛さなかった両親が憎い。死ぬ気で頑張って見返してやろうと努力をしてきました。  長くなりなりましたが本題です。大学一年の夏に父が急性心筋梗塞で他界しました。葬式で、父の亡骸をみてまた体の中に電撃が走ったような感覚に陥りました。父は、母は、私を愛していた。私が子供だっただけで何もわかってなかった。なのにわかったようなふりをしていただけのただのガキだったんだ。父が死んだのは私に対するストレスだ。なんてことをしてしまったんだ。罪の意識に苛まれたまま夏休みが過ぎ、ある決断をします。残った母を幸せにしてあげよう。そのためならどんな苦しいことでも頑張ると。  今まで私がとってきた態度のせいで母と兄からは邪魔者扱いされる日々です。すべて受け入れているのですが私の思いが通じなくてつらいです。  最近は何をしても楽しめません。母を幸せにする気持ちと父に対する罪を背負って生きていく覚悟は固まっているのですが、果たして本当に正しいのかもわかりません。どうやって生きていけばいいのですか。何をしても申し訳ないという気持ちしか湧いてきません。自分の幸せのために頑張ったことがないので自分の幸せを望むなど考えられません。いつも人と比較して負けないためか、相手を倒すためにしか努力をしたことがありません。こんな私でも自分の幸せを願っていいのでしょうか。

有り難し有り難し 21
回答数回答 3

心願成就について

仏教の入り口に立ちなにやら分からなくなってしまったので教えて頂きたいのですが 仏教の到達点は苦しみから救われることだとの解釈をしていますが、どのお寺でも心願成就のご祈祷やお守りがあります。 望むこと自体が欲なはずなのに心願成就をお祈りして叶うのでしょうか。それともその心願自体が苦しみであるからその捉われから解き放つという意味なのでしょうか。 例えば、守るべき人の為に出世したいとか、好きな相手を幸せにすることが己の幸せ《救い》とか願ってはいけないことなのでしょうか。それすらも捉われであって身を任せなければならないのでしょうか。 で、あれば仏様に祈る心願成就とは何を祈るべきなのでしょうか。 現代社会の中では、祈ることも預けることも逃避と断ぜられることも多々あると思います。逃避とはいえ、仏の修行は果てしなく苦しい逃避なのではないかと。 人でなくても輪廻の中に生きる生物として その枠を越えて望むことは許されているのに、一人を幸せにすることは憚られることなのか。勿論、今世だけのスパンでないことは素人なりに理解しているつもりですが 失礼なことを書き連ねましたが 何卒、宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 44
回答数回答 3
2024/07/29

過去の後悔と将来への不安

私は特に小学生の頃に悪いことをした後悔がたくさんあります。言い訳をすれば、当時は善悪の分別がつかず、悪への憧れ、友達のため、など小学生なりに自分の正義でやっていたと思います。大人になってみると、とんでもなくダメな子どもだったと思い、自分の過去を思い出しては反省し、苦しくなります。 特に思い出すと苦しいのは幼少期の思い出ですが、中学校以降は全く悪いことをしていないか、と問われれば、そんなこともなく、大人になった今も反省の毎日です。私はとても単純かつ頭が悪いので、誰かが冗談で言った悪い提案も、真剣に「そうすればいいのか。」と受け止めてしまいます。なのに、後になって「あれは悪いことだったのでは」と細かいことを思い出して苦しくなります。大人になってだいぶ分別がついてきましたが、「また悪いことをしてしまうかもしれない」と思ってしまいます。そしてどこかずるく、言い訳を考えて逃げようとする人間でもあるので、「悪いことをしないように」と考えると最近は外出も億劫ですし、仕事も迷惑をかけるのでは、と行きたくありません。でも、家にいても役立たずと思い苦しいという状況です。 私は家族や友人、運に本当に恵まれています。しかし、因果応報という言葉があるならば、私はもっと不幸にならないといけないと思います。例えば、素晴らしい人が病気や怪我で悩む姿を見たら、なんであんなに素晴らしい方が悩んでいるのに、こんな私が健康なんだろう、と自分責めてしまいます。 今後因果応報があるならば、今の私にとっての最大の不幸は、子どもや家族、友達など周りの人たちに悪いことが起こることです。自分が苦しむ分にはどんな罰も受けるつもりですが、私の過去の悪事によって、大切な周りの人たちに何か起こるのではないかと心配です。 今、素晴らしい夫や愛する子どももいますが、こんなダメな私を妻や母親としてもつ夫や子どもが可哀想にも思えます。完璧な妻・母になりたいです。 どうしてこんな私が恵まれてしまったのか、と幸せを素直に受け取れません。贅沢な悩みに聞こえるかもですが、ここ最近は本当に深く悩んでしまい、息を吸うのも苦しく、食欲がなく体重も減り、過去にばかり囚われて、目の前の幸せを幸せと思えません。 失礼を承知でのお願いですが、こんなダメな私に、お叱りやこれからの人生を前向きに考えられるよう説いていただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

お腹に宿っていた愛おしい我が子

昨年、お腹の子を中期中絶しました。 以前にも質問をさせて頂いていた、彼との赤ちゃんでした。 妊娠がわかった時には嬉しくて嬉しくて幸せに包まれていました。彼も、戸惑いつつも喜び、結婚をして家族3人での生活を楽しみにしていました。 しかし、私の両親への挨拶、話し合いや彼と結婚後の生活設計を話し合う中で、子どもをしっかりと育ててていく経済力や、私たち自身の人としての成熟さを含めて、私と彼には力が無いとわかりました。 産みたかったです。私のお腹に宿った愛おしい我が子に会って、抱きしめたかった、愛したかったです。 でも、一時の感情で産んで、お腹の中の愛おしい我が子に、この世で苦しい思いや、悲しく辛い思いをさせてしまうかもしれないなら、今私が中絶を決断するべきだと思い、彼は最後まで反対をしていましたが、話し合い、手術をしました。 育てる力が私も彼も無かったのに、本当に無責任なことをしてしまいました。反省してもしきれません。 手術の前に彼とはお別れをして、それ以来一度も連絡を取っていません。 苦しくて、辛くて、寂しいです。 赤ちゃんへの温かい愛情と、お腹の中に宿っていた愛おしい命を自らの決断で亡くしてしまったことが、どうしても辛くて辛くてたまりません。2つの感情が入り混じって、とても複雑です。そして、尊い命の芽を摘んでしまったのだから、こんなこと言っていてはダメだと思うのですが、私にとっては、彼もとても大切な人でした。その彼も同時に失い、2つの大きな悲しみに押し潰されそうになります。赤ちゃんと彼を思い出すものが目に入ると、心が苦しくなります。 赤ちゃんの命の意味を私が作っていかなければ。そのために前を向かなければと思う反面、どうしても心が暗くなってしまいます。特に夜に…。 こんなことをお坊さまに相談しても、結局は自分で乗り越えていかなければならないと、わかっています。でも、どうしても辛くて書き込ませて頂きました。 それから、私も毎日お祈りしているのですが、どうかお空の赤ちゃんの輝くような幸せと、彼の健康と幸せをお坊さまにもお祈りして頂けると嬉しいです。勝手なことを言って申し訳ありませんが、お願いを致します。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

子供を残して自殺することについて

もうすぐ2歳になる男の子と主人の3人暮らしです。夫婦仲は良く、子供のことは誰よりも大切で愛しています。経済的な不安等、特段思い詰めるような原因はありません。普通の幸せな家族です。 その状況で私は死にたいという思いが強くなる一方で、これが鬱病なのか気質なのか、そのどちらであっても私の死にたいという気持ちを消してくれる可能性があるなら教えて頂きたく存じます。私はその気持ちを消したいのです。 私は物心ついた頃から死にたい・消えたいという願望が常に頭の片隅に張り付いています。楽しい時や悲しい時など、その時の状況・感情に応じて出るものではなく、常にです。死にたいというより、最初から自分の存在をなかったものにしたい。それと同時にこの世の全てが自分の夢の中なのではないかと思います。 私は人に全て話せるような普通の家庭環境ではありませんでした。それでも誰よりも辛く苦しい悲惨なものでもきっとありません。ただ、子供がしなくても良い経験を色々としてしまったのだと思います。 それが恐らく私の感覚を普通とは変えてしまった要因の一つだと感じています。恐らく普通の人より常に悲しく存在意義がなく、生きてる実感が鈍いです。みんなが抱えるような悩み云々ではなく、悩みなどなくてもひたすら暗いのです。 家庭環境に恵まれなかったので、私はサザエさんのような幸せな家庭に強い憧れがあり、それを今手に入れることが叶っています。それでも私の気持ちは明るくならず辛く重い一方で、もう限界なのかなと思っています。 今まで必死に前向きに、この暗い気持ちを消したくて頑張ってきたつもりですが、はたから見たら実に幸せな家庭を手に入れましたが、それでも私の気持ちは変わらないのです。もう頑張れる目標・気力が見つからないのです。 今、子供を残して死ぬのか、子供と一緒に死ぬのか、その選択で迷っています。 親を失う子供の気持ちは痛いほどわかっています。だから一緒に連れて行きたい。でもこの子の人生を私が奪ってしまっていいわけがない。それでも私は死にたい。その繰り返しで後は勢いで判断するしかないのかなという状況です。 死ぬのはいけない、というのはわかっています。死に方に悩むなら生き方に悩めと自分でもわかっています。だから、そもそものこの死にたい気持ちを消したいんです。 助けて下さい。お願いします。

有り難し有り難し 262
回答数回答 5