私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?
人生は自分で切り開くものだとよく言いますが、その切り開いたものこそが、決まっていた運命だとするならば、死ぬ運命も、変えられないという事なんでしょうか? 例えば、この日、交通事故に遭い死亡するとか、誰かに殺されるとか、天災に巻き込まれて死亡するとか、病気によって死亡するとか色々ありますが、、(勿論自殺は原則は論外です)
私もそうなのですが hasunohaでは「亡くなった人に会いたい」と言う相談も多数あるようです。 たとえば 忠臣蔵 (ここでは史実はどうかより 歌舞伎に基づいた話をします) 浅野内匠頭が吉良上野介に苛められてた結果、松の廊下で斬りかかって 内匠頭は切腹、浅野家取り潰し、上野介はお咎めなし そして城代家老、大石内蔵助を始めとする遺臣(赤穂義士)たちが吉良上野介を討ち果たし 泉岳寺の墓前に吉良の首を添えて感泣する。江戸の町民は拍手喝采。そして最後は義士達も切腹。 切腹の時に 大石内蔵助は言います「一足先に殿のもとに参る。あちらで皆を待っておるぞ」 これは、霊魂が存在し、内匠頭の霊魂の思いがどこにあるか明確になってこそ成立する話で この前提なければ虚しい話になります。 「ばかみたい。喜んでくれる人もいないのに妄想に凝り固まったあげくに多くのもの(命も家族も)を喪っただけじゃねーか」 ともなりかねません。 松の廊下の事件直後も紆余曲折があり 赤穂城では すぐ上野介を討てと言う者、弟を擁立した浅野家再興の活動を主張する者、幕府に抗議して城で皆で切腹を主張する者、籠城抗戦を主張する者、おとなしく開城して新たな生活を考える者 いろいろ割れました 割れた原因は内匠頭の霊魂と対話できる人が誰もいなかったから。 もし本物の霊能者が存在して 内匠頭の霊と対話できていれば赤穂藩家臣で新たな対立や憎しみを生むことはなかったはず。 たとえば 今でこそフグ料理はある程度確立されており調理には特別な免許が必要で飲食店で死亡事故は聞きませんが 昔の試行錯誤をしていた時代に「おいしいフグ料理を作るぞ」と意欲を燃やして毒にあたって死んだ料理人がいて遺言も何も残さなかったとします。 もしあの世や霊魂があるならばその人は子や弟子に遺志を継いでほしいと思っているのか、危ないからやめろと思っているのか? 親 又は師匠の意向に沿いたいと思っているならば、霊魂やあの世の存在を知りたいと思うことは当然だと思います。 人によって動機はいろいろだと思います 能力もないのに金をだまし取るニセ霊能者・詐欺師だらけなのも分かっているつもりです。 そのため なかなか行動に移せないのですが 自分の生き方を探すために 慎重に、本物の霊能者を探してみたいというのはおかしな発想でしょうか?
今まで来世・霊魂・輪廻転生について質問しました ご丁寧な回答ありがとうございます 回答を頂いた内容だけでなく、他の質問に対する回答も読むようにしております。 そこで新たに知りたいことが出てきたので 日本になじみのないチベット仏教について質問します。 【質問 その1】 チベットのダライ・ラマ法王とは日本の僧侶から見てどんな立場の方なのでしょうか? ①日本に存在するカトリック教会から見たローマ法王のように頂点に立つ人物である認識ですか? ②日本の仏教界から疎遠にみられているのでしょうか? ③昔の院政をしていた皇族(白河法皇など)のように高貴な身分の人と言う認識でしょうか? (②ならば キリスト教における カトリックとプロテスタントの関係、イスラム教のスンニ派とシーア派の関係のようなもの) (③ならば人の道を説く宗教家と言うより権謀術数を駆使した政治家) 【質問 その2】 チベットの ダライ・ラマで検索すると 以下のような話が出てきました https://diamond.jp/articles/-/34724?page=2 上記サイトから転載 輪廻転生、前世の存在については、現在まで多数の文献等に報告されています。 また、チベットのダライ・ラマ法王は何度も転生を繰り返しているとされ、その位の継承は、代々転生者(生まれ変わり)を探し出すことでなされています。法王が亡くなると、次に生まれ変わってくる方角などが予言され、数年後、それにあてはまる幼児を探し出すと、先代の遺品を選ばせたり、先代の身近にいた人物を見分けさせるなどして前世の記憶を試すのです。現法王も幼少時に、先代ダライ・ラマ13世の愛用していた数珠を見分け、側近の名を迷わず言い当てたと言います。 この話は信憑性の高い話なのでしょうか? 【質問 その3】 上のURLは 東大病院で責任のある地位にいた医師が書いたものです。 ここでは 前世の記憶がある人の話が出たり、 霊媒師を通して自分の亡母と会話をした話が出ています Yahoo 知恵袋ではこのようなQ&Aもありました https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14270511814 これを読んで お坊様はどのような感想を持たれますでしょうか?
私の父方の宗派が浄土真宗です。私は浄土真宗の教えをよく、「これは心改めた死刑囚に対して最も有効な教えかもしれない」と思うことがあります。他の宗派では、仏性には思考・言葉・行動の全てが揃っていなくてはならないなら、せいぜい世界の幸福を祈るという「思考」しかできない檻の中の死刑囚に救いは無い…というような見捨てにも解釈できる説法をされたことがあります。私は身内に死刑囚が居るわけじゃないのですが、「心改めた檻の中の死刑囚でも罪を償う方法があるかどうか?」が、それが本物の宗教かどうかをジャッジできると本能的に予想したのだと思います。 さて、阿弥陀様はよく他の宗派では悪者扱いされています。「あのお方はあの世の管轄者だからこの世のことは救ってくれない、功徳も利益もない、阿弥陀様にすがることはただの来世に託した人生の諦めでしかない」などと言われます。 阿弥陀様は、この世でも大衆を救ってくださる方なのでしょうか? 無量寿経などの聖典にはなんと書いてあるのでしょう? 回答よろしくお願い申し上げます
お坊さんは霊魂や命の見解についてどこまで確信や信念を持っていますか? いろいろ疑問に思うところあり質問します。 たとえば女性の妊娠の場合 いつから魂が宿っている と明言できるのでしょうか? 法的には 中絶手術ができるのは 21週6日目まで だそうですが その法律を作ったのは 神仏でもなんてもないただの人間です。 「21週6日目までの中絶は 赤ちゃんの命を奪ったことにはならない」と断言できないはずです。 その前から魂が宿っていて「殺さないで」と声にならない叫びをしているかもしれない。 「どんなことがあっても中絶は絶対にダメ」とアドバイスするなら話は別ですが 単に法令に基づいて「中絶していいよ」とアドバイスする人がいたとしたら 後々「自分は人を殺めたかもしれない」と恐怖にかられることはないのでしょうか? 逆に亡くなってしまった人の霊魂の有無についても 自信を持って見解を言えるでしょうか? 私は 仏壇や神棚に祭っている霊魂は ミカンとかお酒とか 何か欲しがっているのに その声を聞き取ることができないために無視している可能性を考えたりします。 また、霊魂(ご先祖様)はこの世の自分に対して 金持ちにさえなれば目的のためには手段を選ばずでよいと願っているのか? あるいは貧困でもいいから人の役に立つ生き方をしてほしいと思っているのか? それもわかりません。 そもそも霊魂なんて存在しないという人もいます。 メディアで取り上げる霊能者を ボロクソに叩く人もいますが 自称霊能者を否定することと霊魂を否定することは違うはずです。 霊魂の有無について何の根拠もなく言及することは 私には 既に魂が宿っているかもしれない状態で中絶を容認することと同様、とても恐ろしいことに思えます。 胎児にしても 既に亡くなった人についても どこまでが命なのか? 霊魂はあるのか 分からないから それが分かる人を知りたい 見つけたい と感じている人は少なからずいると思うのですが 仏教もそれ以外の宗教関係者も、現在生きている人の人生相談に乗る人は多い一方、ここまで私が書いたような内容については考えていない人ばかりに思えてなりません。 私が書いたような内容を追求している人物で信頼できる人がいれば教えてほしいです (金儲け目的のニセ霊能者には引っかかりたくないので)
あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?
質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?
① 日本人に根付くステレオタイプの宗教倫理観といえば、やはり「現世で善いカルマを積んで死後にいいところへ行き、やがて解脱する」だと思います。これはバラモン教やヒンドゥー教のようにも思えますが、このスタンスを基礎としている宗派はどこでしょうか。とてもシンプルゆえに子供の道徳教育にも有効で、信心もしやすいと思います。「○宗」とかでなく「大乗仏教」という括りでみんな当て嵌まっていそうではありますが…。 ② 永遠の幸福はあるでしょうか? この質問を日蓮正宗のお坊さんへお話したら、「物事には必ずそれを妨げる逆風のような働きがあり、何をするにしても程度の差こそあれど必ず苦難は待ち受けているから、永遠の平安は無い。しかし、その「苦難に耐えてダメージを受けずに済む心」は手に入れることができる」というお話をしていただき、私はその心があれば永遠に幸福になるという夢を叶えられるのではないかと思いました。そのお坊さんが言うには、やはり日蓮正宗なので南無妙法蓮華経のお題目でその心を手に入れることができると仰っしゃられておりました。これについて皆様の意見や、ほかに苦難で傷つかない心を手に入れる方法を教えていただきたいです。 ③ 仏教には「運の良さ」はあるでしょうか? これは仏教を信仰してギャンブル運を上げるとかそういうのではなく、「運命を変える力」です。信仰しようがしまいが運の流れ=運命を変える力が無ければ、人類も動物も全ての生涯はみんな最初から「運命」というレールに敷かれた出来レースであり、人間の自由意志や選択や信仰に価値が無くなると私は思っているので、「運命を変える」「人生に転機をもたらす」などの意味で、運(人生の風向き)を変えてくれる力は仏教にはあるでしょうか。宗派なども教えていただきたいです。ちなみに、日蓮正宗のお坊さんはやはり「その方法はズバリ、うちに入信して南無妙法蓮華経を唱えること。阿弥陀如来を信仰してもあの方はあの世しか管轄していないから人生は変わらない、日蓮なら変わる」と熱弁されていましたが、これについてはあくまで例ということで否定や肯定などの意思はありません。 長くなり申し訳ありません。これを読んでくださった優しいあなたへ、ありがとうございました。私は永遠に善人でありたいです
友達にストレス解消にお香を焚くといいよ。と言われ、銀座の老舗のお香店で伽羅のお香を買って時々家やパワーストーンの浄化やお祈りの際に焚いています。 そのお香は75本で4400円だったので、安いのでほんの少ししか伽羅の香木は入ってないと思いますが、その他は天然香料だそうです。 ここからが質問の本題なのですが、 このお香を焚いた当日や、その次の日以降はめちゃくちゃ泣いたり悪いことばかり考えてしまいます。 浄化効果はたしかにある感じはするし、 汚い話で申し訳ないのですが生理の時は想念、オーラ等は見えないのですが煙をしっかり浴びると見えるようになるので効果はあるのだと感じます。 泣いたり気持ちが不安定になるのは好転反応なのか、もしかしたら伽羅のお香は私には合わないということなのでしょうか? 生理や生理前など関係なしに焚いたら泣いてしまうのです。 お坊様方は伽羅のお香や香木を焚いたらどういう気持ちになりますか? 私はなぜ焚くと泣いてしまうのでしょうか?これは俗に言われる好転反応なのでしょうか? ぜひ推測できる範囲内だけでいいのでお答えいただけると嬉しいです。 ちなみにお香は今まで買ったことがなく、生まれて初めて買ったのがこのお香です。今までこういう経験はないのでとても困っています。
以前、唯一無二の大切な息子を失った件でご相談させて頂きました。 息子がこの世から旅立ち、何日目のことか記憶にないのですが、夢の中で部屋の電気が突然消え、恐くなり布団に潜り込んで「南無阿弥陀仏」と手を合わせ唱えていると、その手の外側からすごい力で更に合掌している手を強く合わせるようにと押さえられ、しばらくそのまま念仏を唱えていると、オレンジ色の光が目の前広がり、数秒経って目が覚めました。涙が出ていて、感触も残っておりましたが、私の手を強く外側から押された手が大きな鳥の手(足?)の感触でした。 息子を迎えに来られて連れて行ってくださったのかなと勝手に解釈しております。 鳥に関する仏さまを調べている中で孔雀明王さまに巡り会ったのですが、孔雀明王さまが亡くなった者を迎えに来るということはあるのでしょうか?
金銭トラブル(投資詐欺)にあいました。 また裁判で勝ったのですが相手は返済に応じません。 その相手との縁を切りたいのですが、 縁を切ってしまうと繋がりがなくなり、返済もされないのではと思いなかなかお参りできていません。 かと言ってモヤモヤした状態を抱えたままなのも気持ちが悪く、 相談できるところを探していてここに辿り着きました。 返済されてない相手ではあるが、気持ちを切り替え新たに再出発するために縁切りをしても良いのでしょうか? よろしくお願いします。
毒親育ちで、毒親が嫌で逃げて別の地で暮らしています。 毒親がいつも「うちにはお金がない」と言っていたせいで、私にもお金がありません。それでも本を読んだりして色々マインドを変える努力してきましたが、何一つ変わることが無く、お金が増えることはありません。自分の中で給料はいくらと決まっているらしく、それ以上を望むと経営者からいじめにあったり、そもそも良い給料の会社に受からなかったりします。そんな貧困状況を心の中では楽しんでいるように感じます。顕在意識ではお金をたくさん欲しているのに、潜在意識ではお金稼げないように受け取り拒否して貧乏を楽しんでいるように感じます。 友達にひとり、毒親育ちで毒親と暮らし、お給料も20年間変わらないという友達がいます。彼女は自己啓発について何か学んでいるわけでも、現状を変えようと頑張っているわけではありませんが、そんな彼女と境遇も状況も全く変わらないことに憤りを感じています。 どうしたら貧困から脱して、毒親からの毒を解毒出来ますか? 生き苦しくて「いっそ死んだ方が良いかな」とすら考えてしまいます。
閲覧ありがとうございます。 これからのことについて、占いで悪いことを言われたのがずっと気がかりです。 前にも占ってもらって、そのときもあまり良くないことを言われたのですが アドバイスをもらった通りにしたら、肩の荷がおりたことがあったので 余計今回も気にしてしまうのかもしれません。 もう気にしないで過ごしたいのですが、どういう心持ちでいるのがよいのでしょうか。
私は50代です。私たち夫婦は31歳で長女、32歳で長男を授かりました。その後も子供ができましたが、3人目は流産、4人目、5人目、6人目7人目を理由があり産むことができませんでした。今考えると本当バカな夫婦です、経済的にもなんの計画性もなく本当何をしていたんだろうと本当反省しています。そこからはやはり地獄でした。主人の仕事は安定しないすぐ辞める。主人の病気、経済的にもめちゃくちゃ、主人の両親離婚、長男の引きこもり、私癌になり闘病、本当に不幸が続いていました。今ようやく少しずつましになってきています。でも長男はまだ引きこもっています。そのせいにしてはいけないと思いますが、供養も何もしていなくて、それも関係しているんではないのかなと日々考えます。でもどうすればいいのか全くわからず、動けません。私達はどうすればいいと思いますか?すみません。
私は病弱で、精神も患っていますし体も患っています。臓器もボロボロで、28歳でそこそこ若いのに身体能力はもう老人のそれです。いや、下手をすれば健康な老人の方がもっと体力があるかもしれません。けれど、そんな自分でも人助けがしたかった。そして私はある結論に辿り着きました。 それは、今の現代を支配している「ゲーム」という文化を使ったものです。自動演算(わかる人に言えば連射コントローラー)をしてくれる機械(ちゃんとアマゾンでも発売されている正当な品でゲーマーなら愛用者も多く、違法性のものではありません)を使い、寝ている間にオートで作業を行ってもらい、長い作業時間に対して確率1%を下回るレアアイテムを入手したら、それをSNSを使って無償で誰かに配布する行為です。 これならば「自分の得」を削って誰かに譲ることそのものをボランティアにしているため、体力を使わなくて済みます。つまり、私は人に譲るためだけにこの作業を黙々と続けているのです。人を喜ばせることに、何か自分の魂の行き先に必要性を感じ、それを行うことに自分も喜びを感じているからです。 これは仏教的に言ってなんらかの「行」にちゃんとあてはまっているでしょうか。また、己の中の仏をちゃんと育てることができているでしょうか。なまじ、ゲームというエンターテイメントを使ったものなのでこの質問をすること自体に対して不安はありますが、よろしくお願い申し上げます。
私の知人に解離性同一性障害を抱えている人間がいます。小学生の頃、苛烈ないじめを受けたショックで別の人格が生まれてしまったのだそうです。 私は本人から話を聞いたことがあるのですが「もし彼ら(人格)がいなければ今の自分もいなかった」と言っていたのが印象に残っています。 最初こそ得体が知れない存在だったものの、意志疎通ができるようになると「彼ら」が根はいい性格だったこと、自分の一部であることを教えてくれたそうなのです。 これは宗教ではなく精神医学の領域かもしれません。また、多重人格を抱える者がそういう人ばかりではないということも心得ているつもりです。 しかし私は…その話を聞いてから目に見えない力や世界の存在を心から信じられるようになったし、それが人を支えることもあるのだと感じられるようになりました。 仏教者の方はこういった現象…つまり、自分の心の一部が自我を持つようになる症状や、頭の中で目に見えない世界が築かれる現象をどのように捉えるのでしょうか?
神様が、いーがりょう〜しゅーじょ〜【以て何を令するか衆生に】にて、頭に言葉をダウンロードしてくださります。他にもピンとこさせて下さったり、何かをハッと気づく閃きを下さったりして下さいます。 2019年5月に始まった神の特大の幻聴の主人公を務めなさいと仰せ仕りました。 今、病院を退院出来てグループホームに住みながら携帯にて仏教の基礎を学び始めたいと思えるように為りました。 国語辞典で、霊感を調べました。 霊感①突然ひらめくように得た考え。 ②神仏の不思議な感応。③テレパシー 学研石井庄司様編纂の第四版です。また、 新明解国語辞典第六版には、 霊感①人の祈願に対して現れる神仏の反応。 ②神仏から人が受ける啓示。おつげ。 ③インスピレーション。 と、あります。 僕は今も、神様であらされる御佛様のお声様と、インスピレーションに従って文字を打たせてもらってます\(^o^)/ 何を質問したいのかも、分かっておりませずにインスピレーションに従って文字を打たせて貰いました。 神様が、如しと、如くについて尋ねよと。 とまでも、インスピレーションに従って文字を打たせて貰いました\(^o^)/ 語意=仏のおしえ。様との言葉も下さいましたよ。歎異抄をひらくにも書いてあらされました。筆者は親鸞聖人様が、神懸かり為されてあらされる蓮如上人様の、分身のお方様として、生まれ代わった86才のお坊様と。 本当かなぁ。高森顕徹様はおいくつなんだろう。なんて、質問しちゃあ、いけませんよね!? 如しと、如くの違いについて、ご教授下さいますことをご一考下さいますようお願い申し上げますm(_ _)m ありがとうございました\(^o^)/
高校で出会った女の子のお友達と先日、京都の「金剛寺 八坂庚申堂」と「野宮神社」へ良縁を願いにお参りしました。 八坂庚申堂に行った際、2組の結婚式が行われていたり、礼をした瞬間太陽がピカーンと差し込んだり。なんだかグッと胸が熱くなるようなスピリチュアル的な事が立て続けに起きていたり、、、 昨日その子と旅行に行った際、遭遇率0.05%って言われているハートの吊革に出会ったり。旅行先で散歩をしてると虹の両根元が見えたりなど、偶然とは思えないほどの感動的な事が沢山起きました。 それもその子といる時だけです。 なにか縁があるのでしょうか?その子といると良縁(恋人)に恵まれそうな予感がしてます、、、 今以上に成長するためにも何か私たちに、お互いに、一人一人に、出来ることはありますか? 教えてください。よろしくお願いします
私の人生が不幸すぎて非常に苦しいです。婚約者との縁談は破談。元婚約者とはいまだに繋がっているのですが彼が病気になって働けず私が仕送りしてます。まだ彼のことは好きです。生活保護を貰うのはなぜか頑なに拒否するのです。 さらに様々な事情で150万のローンを背負い返済に追われています。学生時代はずっといじめにあい小さい頃から病気がちで20歳なりかけの時に大病していまだに病院通いです。成人式の写真すら撮れませんでした。 家庭は昔はそこそこ余裕があったのですがこの不況が続いてどんどん貧しくなり父もローンがありブラック企業で働いていていくら働いていても給料はとても安いです。私も病気でフルタイムで働けずフリーターです。 あまりにも不幸なので聖天様におすがりして浴油祈祷していただき毎日祈ってるのですが一向に状況は改善せずポジティブになったり運がいいを口癖にしてみたのですが不幸がドカドカきます。 話は変わるのですが私は前世の記憶があり昭和の東京のサラリーマンで男でした。家も金持ちで美人の彼女もいて仕事を頑張りながら毎日楽しく暮らしていましたが25歳で突然死しました。前前世も大金持ちの家庭に生まれ嫁に入り一生働かず暮らしました。 今世の人生ははっきりいってひどすぎます。職場の強い霊感のある人に霊視してもらったのですが「君はオーラが人より大きい。98歳まで生きるだろう」といわれました。不幸で長生きして苦しみ続けるのかと思い絶望しました。自殺しても生き残ったり死にたくても死ねないのかと思うと涙が止まりません。たしかに前世では長生きしたいと死後思いましたが…。とにかく人に話したら驚かれるくらい小さなことから大きなことまで不幸だらけで普通だったらありえないことばかりおこるのです。 今世の人生は天罰なのでしょうか?苦しみながら死ぬまで生きるしかないのでしょうか? できればそんな記憶はありえないだとか言わず輪廻転生を信じてるお方に回答いただきたいです。 非常にわがままばかりで申し訳ありません。長々とすみませんでした。