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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2023/03/12

人間は生きているだけで罪を重ねている?

いつも相談させていただき、本当にありがとうございます。 回答僧の皆様のお陰で、罪悪感に苦しみながらも日々の生活を送れています。 何度も質問しておりますが、私は一年前に愛犬を殺してしまいました。 その罪に気づいてから(初めは自分が殺したことにも気づいていませんでした)、今まで他にも数えきれないほどの罪を犯してきたことに気づきました。 hasunohaに出会い、仏教を少しづつ学んで知ろうとしています。 最近は私の今後の人生は償いのためにあるのだと思いながら生きています(これは私の勝手な考えです) 正しい言動を心がけ、ボランティアなどにも取り組んでいます。 しかし私自身や他の方の問答を拝見し、また、自分でもいろいろ学ぶうちに 私は生きているだけで罪を重ねていると感じます。 虫なども積極的な殺生はしませんが、知らぬうちに踏んだりして命を奪っています。 食べ物も命です。 私はお医者さまから指導されても飲酒もやめられません。(飲酒も罪ですよね) 話を盛ったりしてしまうのも嘘をつくことと同じです。 勿論食べ物は「命を頂きます」「ご馳走様でした」は必ず言いますが…。 罪を増やすことになるのにそれでも生きるのは、この世で生きることは修行ということなのでしょうか? 極楽にいくまでの修行が現世なのでしょうか?私は絶対地獄行きですが…。 宗派などで違うのは承知の上ですが、仏教の考えを教えていただけたらと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

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密教僧になるにあたり

お世話になります。早速てますが、廃仏毀釈まで修験寺でした。その為か小学校から今現在、38歳になりましたが、その夢は変わっていません。学生時代は人と夢が違いすぎて揶揄われましたが… この人の弟子になりたいと思う成田山系の尼僧さんに頼み込み私は弟子は取らないと仰っていましたが、解ったとまで言って頂けたのですが、急死してしまいました。そんな時、東京でマイナーだけど歴史ある真言宗の古義の住職と出会い、この方も在家からで昔はかなりヤンチャされており、妻子が居ましたが、色々な物を売り得度しました。勉強量が凄く、自分でお寺を建て他にも九州の方に2寺兼務して、週末は必ずと言っていい程法事依頼があるそうです。それ以外は兼務寺迄飛び回っております。その為か分かりませんが、門開かれている。熱意さえ有れば弟子を取るという方で(金儲けでの形の名前だけの得度させる方では無い)私もその一員になる寸前でしたが、コロナ第一波の時に得度する予定でしたが、延期になり、今に至り、ネガティブな考えや相談事を受けたり、チャプレンや小さな庵を作りたい私ですが、スムーズに行かないのは今はまだ早いという事。得度の話があった時も急遽1月半後に決まっていましたが、他の弟子達は何をしたらいいか今何が出来るか等、毎日の様に連絡が来たが君は何故ないの?と言われてしまいました。正直、私は決まった事は嬉しかったですが、夢が叶う一歩にいざ立つと不安もあり、不安が増すのではと敢えて連絡しませんでした。ぶっつけ本番的に引き返せない形で得度しようと思っていましたが、住職からしたら私の行動は悪印象になった様です。今でも関係は続いていますが、熱意、思い、僧侶になっても、そんな悩んでばかり、ネガティブな貴方が僧侶になって何が出来るのか考える様に言われました。8人程弟子が居るのですが、その様な目標や熱意があった1人しか僧侶として食べて行けていないから君にはそっちに入って欲しいが、今の段階では…と。急には性格もネガティブな考えも変えるにはかなりの努力と時間が掛かってしまいます。その方を納得、やりたい事がやれる僧侶に導くと言う思いになって頂く為には私は今、何が出来るのでしょうか?何をしないといけないのでしょうか?助言を宜しくお願い致します。

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2023/08/03

天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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