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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5036件

消えたいです。

もう半年ほど前になりますが、私の兄が自殺しました。 しばらくは茫然自失といった感じで、あまり現実味もなく葬儀など終わらせ、とにかく仕事に打ち込む毎日でした。 その間は家に帰り1人になったとき涙が勝手に溢れたり、言いようのない自己嫌悪に苛まれていました。   最近になって兄について頻繁に思い出すようになり、まるで首を絞められているような感覚と、朝起きた瞬間から激しい動機や倦怠感を感じるようになりました。 いけないとは分かっていますが、自殺を考えてしまいます。 幼少期より家庭環境は悪く、私にとっては唯一の家族といえる兄がいなくなってしまったことで、昔から抱えていた辛さなどと重なって、もう耐えられないのだと思います。生まれてきたことが間違いだったと強く思います。   しかし、どういった方法であろうと死ぬことはほかの皆様に大変ご迷惑をおかけします。なんとか心療内科に連絡はできたので、少なくともそれまでは生きなければと思います。 そうして生きる理由を無理に作って死のうとしない自分にも嫌悪感を抱きます。   こういった時、気持ちを静めて希死念慮をなんとかやり過ごす方法はないものでしょうか。 まとまりのない読みづらい文章で恐れ入りますが、お教えいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
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2023/06/19

もう会えない相手を幸せにするには

先日、僕の行き過ぎた言動が原因で以前から交流のあった方と絶縁することになりました。 言動の内容は伏せますが、一歩間違えたら警察沙汰になるような醜い行為でした。 その方には相応の賠償金を支払い、今後一切の接触をしないことを条件に赦しをいただきましたが、僕は自分の愚かさに失望する日々を過ごしています。 絶縁された以上は直接的な謝罪ができないため、僕は自分をとにかく責め抜いて理不尽にでも罰することにしました。 最初は死をもって償うためにさまざまな方法を考えましたが、「1銭の価値も無い僕が死んだところで僕が満足するだけではないか」という結論に至りました。 そこから自己否定について考えていましたが、まだ日も浅いのに緩みを感じています。 飲食も睡眠もせずに相手の幸せを願うべきなのに、僕は迎えるべきでない明日に備えて食事をして眠ってしまっています。 本当はこの先の人生から快い感情を消し去り、惨めな最期に向かって暗い道のりを歩むべきなのだと思います。 前置きが長くなってしまいましたが、ここから質問です。 僕がもう会うことのできない相手に対して罪を償い、相手を幸せにするためにすべきことは何でしょうか。 やはり自己満足でも自死を決行すべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 21
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自殺についての捉え方

初めての質問で、ずっと考えていた、人に話したことの無い私の人生観の相談になります。 表題からまず、誤解せずに頂きたいのは、私は別に苦しいからつまらないから死にたいとは思ってません。 逆に、なぜ皆、自殺=悲劇、悪、禁忌という考えなのか理解出来ません。 私は自分の人生において、ある年齢に達した時に自ら死のうと決めております。 それは人生がつまらないだとか苦しいからだとかという理由ではなく、そこを自分の終着と決めたからです。 やり残したことや後悔などはきっとすると思いますが、それは生きている以上無くならないですし、無くしてはいけないものだとも思っているので、それも受け入れて自分に幕を引きたいと考えているのです。 その行為によって、自分が納得しているか否か関係なく周囲に必ず迷惑がその後にかかるということも承知してます。 それでも、人に気を使って私の自分で決めた終わり方をやめようとは思えません。 それゆえの、表題での根本的問いです。 本人が満足し、納得した自殺をなぜ悪く言うのですか? そもそも死が忌避される理由すらもわかりません。 世界の一つの理に対して人は勝手に忌避を覚えることに疑問です。 絶対に抗えない世界の理に対する意識とは『忌避』ではなく、どう捉え、受け入れるべきかなのではと考えています。 自然死を待つ、というのも考えてはいました。 幼い頃は長寿を望んでいましたが、なぜ長寿を望んでいたのかを考えた時、特に理由もないことに気がつきました。 で、あるならば、私はいつ死ぬべきなのか。 現時点で私は事故で死んでも、後悔、やり残しがありますが、それでも納得して死ねると思っています。 誤解されそうですが、死を美化して捉えているわけではありません。 自分自身で終着を決めることで日々生きているのだという実感を得ることが出来、そして自身で決めた終着にて、私という存在に幕引き、人生が完成を迎えるのだと思っているのです。 だから問いたい。 自殺への忌避と悪、そして逃避という捉え方は違うのではないかと。 仏教において、聞きかじりで申し訳ないですが、仏教は自殺が=で罪ではないということから、このような形で長年の疑問をご相談させて頂いております。 お坊さん方は、みなさん、自殺をどう捉え、そして生きているのでしょうか?

有り難し有り難し 23
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不幸が続くことについて

自分にとって大切な物を次々と失っていくのですが、私の行いが悪いからでしょうか? 2013年に飼い犬(15歳)が死にました。(私には犬はすごく大切なものです)この犬は癌でしたので看病もし死自体には後悔や苦痛はありませんでした。ちゃんと送ってやれたという気持ちだけです。 2014年に30年ほど付き合った人が倒れ籍が入っていなかったため音信不通です。(会社の人とかの情報で死んではいません)74歳。 2015年8月に従妹(53歳)が死亡しました。突然の死でした。ただ、深い付き合いはなく、30年位音信不通で昨年くらいに従妹から連絡があったくらいです。 そして、2015年10月15日、母(88歳)が病院で亡くなりました。 先月から圧迫骨折で入院し、今月末には退院する予定でした。 認知症も発症していて、入院前から日常生活もだんだんできなくなり食も細くなっていました。 突然、容態が悪くなり、心臓は動いているが呼吸していない状態になりました。以前から、延命はしないと家族で話し合っていましたので医療者から「あとは時間の問題です」と言われ呼吸器を外しその後亡くなりました。 苦しまず安らかだったのが救いです。 一人を除き、皆、高齢ですので寿命と考えることもできるのですが、とにかく、私の周りで毎年大切なものが失われていきます。 私の生き方が悪かったからなのでしょうか? (私は因果とかを信じないのですが) 因果とかではなく、偶然だとしたら、こういう事態をどのように受け止めていけばいいのでしょうか? アドバイス お願いいたします。 ご回答いただいてすぐにお礼ができないと思います。 というのは、明日から帰郷します。 ガラケ―使用でサイトに入れないと思います。 ご回答を読むこと自体、遅くなりますがよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 292
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愛猫に苦しい最期を迎えさせてしまいました

懺悔もかねて相談させてください。よろしくお願いします。 昨日、愛猫を看取りました。まだ7歳の若い子ですが、末期がんで治療ができず、緩和ケアの末に自宅で亡くなりました。 子猫の時からいろんな病気と闘ってきた子で、短い人生の中で何度も入院し、注射や点滴は数え切れないほど経験してきました。 亡くなる前、獣医さんからは安楽死を数回提案されましたが、 「短い一生だけど、1日でも長く生きてほしい」 「最期までがんばって生きようとしてるこの子の気持ちを尊重したい」 「天命を全うして自然なタイミングで旅立ってほしい」 「注射が大嫌いな子だから、せめて最期は注射で終わらせたくない」 そんな思いから、安楽死を選びませんでした。 でも、実際は「この子の人生を自分の選択で終わらせる大きな責任から逃れたい、安楽死を選んだことを後悔して引きずるのがこわい」というずるい本音もありました。 しかしその結果、あの子は苦しい最期を迎えることになってしまいました。亡くなる前の1日はずっと呼吸が辛そうで、発作→少し落ち着く→発作を繰り返し、最後はこれまでに聞いたことがないような声で何度も叫んで、のた打ち回って亡くなりました。最後の最後まで必死に生きようと闘ってもがいて、まさに命のエネルギーをすべて燃やし尽くして息を引き取りました。 今にして思えば、人生で何度も病気で辛い思いをしてきた子だから、最期くらい苦しませず安らかに終わらせてあげればよかった。そうしたらあんなにこわくて辛くて、自分の身に何が起こっているかわからない混乱のまま逝かせることにはならなかった。 ですが、私のずるい責任逃れで安楽死を選んであげなかったことを謝りたくても後悔したくても、それはそれで必死に闘ったあの子の最期を否定してしまうような気がして、気持ちの持って行き場がわかりません。 私はどうしたらいいのでしょうか?また、命のすべてを燃やし尽くして苦しい亡くなり方をしても、あの子の魂はきちんと成仏して天国で安らかに楽しく過ごせているでしょうか? あわせて、私たちは海外に住んでおり、お仏壇を用意できません。遺灰と遺影に手を合わせてごはんとお水を供えていますが、あの子が天国で楽しく過ごせるように何かしてあげられることはありますか? 長くなってしまい申し訳ありません。ご回答いただけましたらうれしいです。何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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自死した息子の供養

もうすぐ亡くなった息子の四十九日法要です。 今日は公立高校の合格発表でした。受験出来ていたら勉強がよく出来ていた息子が『受かったよ!』って言って笑顔で帰って来そうです。 仏壇の横の学生服がポツンと寂しそうに見えます。 こちらで今まで何度か相談に乗って頂きました。温かい言葉で励まして頂き本当に感謝しております。 辛くなった時には、何度も何度も繰り返し読んでいます。 辛さ、苦しさ、寂しさ、悔しさは癒えません。自分を責めてばかりで前に進む事の難しさを思い知らされています。 ここに同じ様に最愛の方を亡くされた方々の相談などを見ていると皆さんも辛さが癒える事が無いように感じます。 先日こちらで相談に乗って貰ったのですが、自死という亡くなり方をしたので、周りの方から『自死すると成仏出来ない』など心ない事を言われたりしたので、悩んだ挙句、どうしても息子の今が知りたかったので、高野山で修行をされた真言宗の霊視が出来る方に息子の事を相談に行って来ました。 地元では、かなり有名な方です。 私1人では自信がないので見極めて貰おうと思い主人と娘とで行って来ました。 高額の物を買わされたり高額なお布施などの詐欺まがいな人もいるし、今は、息子の事になると付け込まれる隙だらけの私ですから。 結果は『迷い仏?では無い』と言われて『まだ、暗闇の中にいる』との事で『両親が心を込めて真言をあげて成仏させてあげなさい』と言われ1日に最低108回、1週間毎に薬師如来様、観音菩薩様、勢至菩薩様、阿弥陀如来様、阿閦如来様、大日如来様、虚空蔵菩薩様の順に真言をあげなさいと教えて頂きました。 勿論、仏壇の前で真言をあげるのですが、浄土真宗の仏壇であげても構わないのでしょうか? 以前、お寺さんに気持ちを聞いて頂き『息子さんは、成仏していますよ。安心して下さい』と言われたのに私達は大変失礼な事をしていると思いますが、心ない人から『自死では成仏出来ない』と何度か言われて藁をも掴む様な気持ちで真言宗の方に頼ってしまったのですが、本当に暗闇の中にいるなら息子を救ってあげたい。絶対に救いたい。 その様な事をしても阿弥陀様は許してくれますでしょうか? 浄土真宗の私達が真言をあげても大丈夫なのでしょうか? どうか教えて下さい。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 36
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2023/12/31

家族を失った悲しみ

今月41歳の兄が自死をしました。 兄とは普段連絡はたまにとっていたのですが、些細な事で一カ月前くらいにブロックをして最近解除していたのですがたまたま自分からも連絡をしておらずその間に亡くなってしまい後悔だらけです。 兄は精神薬を長年飲んでいて最近は肺や足が悪くなり、食事をしても吐くような状態で最後らへんは栄養飲料を食事代わりに飲んでいたようです。遺品整理をしていた時に大量の缶を見て初めて知りました。 自死の理由がどの理由かははっきりはわからないのですが、母に話を聞いてほしいと以前電話がきたらしいのですが母は抗がん剤中や、義母の認知症が進み忙しく、話もろくにきいてあげられなかったらしく後悔しています。 亡くなった日は病院に行った形跡があって肺の検査もしていました。強い吸入器が処方されていました。 母の大変な状況も理解していて、迷惑をかけまいと1人でいってしまったのかなと色々考えてしまいます。 そんなに悩んでいたなら連絡をしたり支えになってあげればよかったと毎日悔やみます。 兄を助けてあげたり、辛さに気づいてあげることもできず、優しい言葉もかけてあげられなかった 自分が生き残っていることにすごい罪悪感で自分が幸せになる資格があるのかと思ってしまいます。 遺品整理をしたときの、血のついたナイフや 部屋の光景、最後の骨になった姿がショックすぎて忘れられません ただ、一番最後に見た顔は安らかに見えたので少し安心はしました。 兄を救えなかった事に、毎日罪悪感と後悔です 今後どんな気持ちで生きていけば良いでしょうか お言葉頂けたら幸いです

有り難し有り難し 28
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前を向く方法がわかりません

先日、母の自殺の件で相談した者です。その節は、アドバイスをありがとうございました。 母に対する後悔、そして感謝の気持ちを忘れることなく、前を向いて生きたいと思います。 ただ、どうしたら前を向けるのかわかりません。 わたしは精神疾患です。そのため、希死念慮に襲われたり、人が怖くて外に出られなかったり、抑うつ状態になったり...もう2年近く、日常生活に支障をきたしています。 もちろん、自分にできる最善は尽くしています。でも、精神疾患の症状が和らぐ兆しが見えません。いつまでこの状況が続くのか、生きている意味はあるのか…と不安ばかりが募ります。「前を向く」とはほど遠い状況です。 母は生前、こんなわたしに対して「どんな状況も受け入れて、最善を尽くせるあなたのことを尊敬する」と言ってくれました。「元気になって、またお出かけできるようになるといいね」と常に願ってくれました。 それなのに、不安が大きすぎて母の想いや願いを忘れてしまいそうです。 母が突然いなくなった現実に向き合うだけで精一杯。朝起きるだけでも精一杯。”今”に必死で、趣味や好きなことを「たのしい」と思う精神的な余裕すらない状態です。 また、心に余裕がないせいか、ちょっとしたことでイライラしてしまいます。 このままだと父(今は父と2人暮らしです)に八つ当たりをしてしまいそうです。母に八つ当たりしたことを後悔しているのに、同じことを繰り返しそうな自分が怖くて仕方がありません。 家族に気を配ることができず、「ああ、今日も冷たい言い方をしてしまった」と反省ばかりしています。 亡き母のため、一緒に暮らす父のため、そして自分のために前を向きたいのに、それができません。 病院にも通い相談していますが、お医者さんやカウンセラーとは違う観点からも智慧をお借りしたいと思い、再び投稿いたしました。 アドバイスをいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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