hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6154件

人生をやり直したくて死にたい

始めから少し自分語りになってしまいますが、自分の今までの生き様に対し後悔の念や嫌悪感に数年押し潰されており、ここ最近になって酷くなってます。 どのような後悔かと聞かれれば、勉強もロクにせず頭が悪く学費を無駄にしてしまった事や、 周りから自閉症やアスペルガーを疑われるような人格や性格、 そのせいで人間関係も下手で自分のせいで不快にさせてしまった人が少なからずいる(実際に自分のせいで兄に迷惑をかけてしまったり、 同級生の親と自分の親の関係が拗れてしまったりしました)こと、その愚かさに20代前半〜後半になってようやく気付いた事への更なる愚かさ。 リアルやネットでは学生のうちからちゃんと人格形成もされてて勉学もしてるのに自分は……と、 はたから見れば呆れるような理由ですが、最近の自分の希死念慮の原因です。 診断こそされてはいませんが、おそらくアスペルガーなのだと思います。 人生は一度きりとは言いますが、輪廻転生を信じている身としては、 今の生を捨てて新しい生から人生をやり直したいと強く願っております。 先程述べた理由で「死にたい」と思うのはやはりおかしいのでしょうか。 その理由で死んだとして、自分はまた人間としてやり直せるでしょうか。欲を言えばまた日本人になりたいとすら思っています。 自ら命を絶った人間にそのような権利はやはりなくなるのでしょうか。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

知恵との付き合い方

どんなに貧しくとも共同体を作ることで人は一定の満足を得て過ごすことが出来ます。仏教のサンガがもう一度日本民衆の支えとなれる存在になってほしいのです。孤独死なんてどう考えてもおかしい。なんで偉い人や頭のいい人が一生懸命議論していろいろな法制度を整えたのにこうなっているのでしょうか?アマゾンやアフリカの部族のほうがそんなシステム化しなくてもよっぽど上手に回っているのに。 私はもう分かりません。勉強したからって救われるのでしょうか?文明人が進歩だと思ってやってきたことは正しかったのでしょうか?基本的には人間は群れを作って初めて生き延びられる動物で本質はアフリカで人間が誕生した時から変わっていないのではないでしょうか?群れのために尽くす事と生きがいを一致させたら群れがどんな方向に向かっていくかなんて悩まなくてもとっくに人は救われているのではないでしょうか? ちょっと混乱しています。意味が分からないことを言ってすいません。自分でも道を追求しているつもりで様々な哲学・思想書に手を出しましたが、何だか盆栽をいじくり回して結局何も手を加えなかった方が立派だった様に感じて自分がちんけな存在に思えるのです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2

12月までに死ぬことに決めました

もう生きることに疲れました。 31歳の誕生日を迎える前に死ぬことにします。 私は毎日明るく楽しく生きています。 職場でも頼りにされムードメーカーとなり、成果が認められ1月から希望していた営業に移籍することも決まりました。 ですが、全て本当はどうでもいんです。 幼い頃から機能不全家族で育ち、お前は家族じゃないから家から出ていけと言われ、日常的に殴られたりしていました。 親に愛されず自分は必要ない人間だと思っています。 そんな私ですが、友だちには恵まれ本当に私のことを愛してくれる人達ばかりです。 ですが、いつも満たされず孤独で虚しい思いを抱えて生きてきました。 自分を必要として欲しいという思いと容姿のおかげか恋人は途切れませんでしたが、結局最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖くて自分から別れを告げています。 今年の5月から会社の課長から誘われ不倫を始めました。 すごく優しくて大事にしてくれ愛してくれ、この人は私のそばに居てくれると勘違いしてしまいました。 当たり前ですが奥さんの方が大事ですし、私が1番辛い時も彼は奥さんの方を取ります。 それは仕方ないけど、私が辛くて耐えきれなくなったので別れを告げました。 それから、私はやっぱり誰にも必要とされない人間なんだと確信しました。 馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。 だって、不倫なんてそんなもんだから。 自分でもわかっています。 けど、これはあくまできっかけでこれが自殺のトリガーになっただけです。 最近彼とまた会ってしまい、関係を持ってしまいました。 その時、ちゃんとせフレになろっかと言われました。 そう言われた瞬間、少しでも期待していた自分がほんとに愚かに感じました。 別れる時に彼にどれだけ想っているか、だからどれだけ辛いかを伝えたのに、そういうことを言われてしまうような価値のない人間なんだと確信しました。 友達や姉に死にたいと告げると、とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもすると言ってくれました。 それを聞いて、私はこんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心しました。 ここに投稿させて頂いたのは、こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかったのかもしれません。 こんな拙い文書と醜い気持ちを読んでくださりありがとうございました。

有り難し有り難し 239
回答数回答 4

愛猫に苦しい最期を迎えさせてしまいました

懺悔もかねて相談させてください。よろしくお願いします。 昨日、愛猫を看取りました。まだ7歳の若い子ですが、末期がんで治療ができず、緩和ケアの末に自宅で亡くなりました。 子猫の時からいろんな病気と闘ってきた子で、短い人生の中で何度も入院し、注射や点滴は数え切れないほど経験してきました。 亡くなる前、獣医さんからは安楽死を数回提案されましたが、 「短い一生だけど、1日でも長く生きてほしい」 「最期までがんばって生きようとしてるこの子の気持ちを尊重したい」 「天命を全うして自然なタイミングで旅立ってほしい」 「注射が大嫌いな子だから、せめて最期は注射で終わらせたくない」 そんな思いから、安楽死を選びませんでした。 でも、実際は「この子の人生を自分の選択で終わらせる大きな責任から逃れたい、安楽死を選んだことを後悔して引きずるのがこわい」というずるい本音もありました。 しかしその結果、あの子は苦しい最期を迎えることになってしまいました。亡くなる前の1日はずっと呼吸が辛そうで、発作→少し落ち着く→発作を繰り返し、最後はこれまでに聞いたことがないような声で何度も叫んで、のた打ち回って亡くなりました。最後の最後まで必死に生きようと闘ってもがいて、まさに命のエネルギーをすべて燃やし尽くして息を引き取りました。 今にして思えば、人生で何度も病気で辛い思いをしてきた子だから、最期くらい苦しませず安らかに終わらせてあげればよかった。そうしたらあんなにこわくて辛くて、自分の身に何が起こっているかわからない混乱のまま逝かせることにはならなかった。 ですが、私のずるい責任逃れで安楽死を選んであげなかったことを謝りたくても後悔したくても、それはそれで必死に闘ったあの子の最期を否定してしまうような気がして、気持ちの持って行き場がわかりません。 私はどうしたらいいのでしょうか?また、命のすべてを燃やし尽くして苦しい亡くなり方をしても、あの子の魂はきちんと成仏して天国で安らかに楽しく過ごせているでしょうか? あわせて、私たちは海外に住んでおり、お仏壇を用意できません。遺灰と遺影に手を合わせてごはんとお水を供えていますが、あの子が天国で楽しく過ごせるように何かしてあげられることはありますか? 長くなってしまい申し訳ありません。ご回答いただけましたらうれしいです。何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

一生治らない病。まだ苦しむなら今すぐ死にたい

現在、心身の不調により幾つかの病院に通い続けておりますが、どの病院でどんな治療をしても、全く良くなっておりません。 むしろ悪化しております。 幼少期より、あらゆる箇所に不調が現れ、その頃から手探りで病院に行っておりました。 高校生の頃から、幾つかの病院へ本格的に通うようになりました。 それでも どんどん悪化し、今は20代前半ですが、ほとんど動けず、寝たきりに近い状態です。 安静にしていても、いじめ等、過去の辛い記憶が頭を支配して非常に辛いです。 かなり前より希死念慮はありましたが、年々強くなっております。 検査で明らかな異常が出るわけでもないためか、お医者さんは未だに病名を断定しにくいようです。 心と体の両面を、行政にも相談しましたが(電話や対面で医療相談が出来るもの)、とても面倒くさそうで、適当な返答をされるだけでした。 検査で明らかな異常も出ないため、周囲にも理解されず、ただ怠けていると思われているようです。 (動きたいときに動ける方から見れば、そう思えても当然かと思いますが、やはりショックです…) 何をしても改善されないため、この病気が治るのか以前から疑問に思い、何度か医師に聞きましたが、あまり相手にされませんでした。 しかし先日改めて聞くと、 「こちらも困ってるんですよ」「あなたはもう治らない」「一生病院に通って薬を飲むしかない」 とのことでした。 覚悟はしていましたが、この状態が自然死するまで続くとわかると、今すぐ終わりを選びたいと、更に強く思います。 仕事も出来ず、話し相手もおらず、1日中 家の中で孤独に横になる生活が何十年も続くのならば、今すぐ死を選びたいです。 誰かに殺されるのでも構いません。 日本にも安楽死の制度があれば良かった。

有り難し有り難し 56
回答数回答 3

PURIFICATION

15年程前に遡ります。私は、ある医療ミスを発見しましたが、圧力に負け、揉み消されるがままに、私も口を閉ざしてしまいました。ご遺族に真実を伝えたい、そう思い、上層部がゴチャゴチャしている間に、集められる限り全ての被害者の医療情報をかき集め、内部告発を覚悟に、準備を着々と進めていきましたが、外部の、信頼できる医療関係者に、事実を公表すべきかどうか相談したところ、「あなたがこの世界に二度と戻れなくなる」→「事実を伏せるべき」との結論を、結果的に飲み込む形になりました。もし、その後ご遺族の方が、「何かおかしい」と真実を求めてきたならば、私は事実を公表しよう…。そう思っていましたが、案の定、告発されるようなことはなく、ごく限られた職員のみが、その医療ミス=死亡事故を「知っている」「黙認している」状態で「なかったこと」になってしまいました。私は、口を閉ざしたと共に、心も閉ざしてしまいました。その事件が、今の私の病気の始まりになります。「浄化されたい」その思いから、毎日、下剤を110~160錠…。当時は、cleanse the intestines → cleanse my soul(腸内を浄化する→私の心・精神を浄化する)しか考えられないような日々。摂食障害、うつ、脅迫性障害など、次々と病気が私を襲いました。今は、完全に下剤も絶ち、精神面も随分落ち着いてきましたが、悶々とした気持ちは消えることはありません。亡くなられた方やそのご遺族に対して、無言を貫いたことを謝りたい…しかし、今更…というのもあります。生と死の狭間に立ち続け、生と死の重さを感じ続けながら、生きていくしかありません。学生の頃から、「死」と直接向き合うような様々な活動を、1人で積極的に行ってきましたが、社会人になり、たった1か月程で、私は地に落ちました。落下してしまいました。今でも学生の頃の「信念」は変わらないのに、死を見逃す…まさに衝突、逆行しています。真の『浄化』とは?今の私に何が出来るでしょうか?ご意見賜りたく存じます。

有り難し有り難し 36
回答数回答 2
2024/08/25

大好きな彼が自死しました

片割れのような存在だった彼が自死して、ちょうど四十九日になりました。 職場も昨年末まで同じで、仕事をする上での価値観や、好きな食べ物や音楽、笑いのツボなどとにかくフィーリングが合う人でした。 他の誰と居るよりも楽しく、本当に輝いた時間を過ごしていました。 ただ、出会った時からずっと大きな闇を持っていました。 ◯月には死ぬ、◯歳には死ぬ、などの宣言はよくありました。 でも、精神科も変えたばかりだし、カウンセリングも真面目に通っていて、本当に頑張っていたと思います。 将来の話もたくさんしていましたし、それに嘘はなかったと思います。 きっと、生きたいという希望と死にたいという希望、本当にずっと半分半分だったんだと思います。 でも、まさか、こんなに早く死を選んじゃうなんて。。 まだまだ2人の未来があると思い込んでいました。信じたくないですし、悲しすぎて言葉になりません。 ただ、会って抱きしめたいだけなんです。 大好きだと伝えたい、最後に会った日の自分の態度を謝りたい。 彼のいない世界では、生きる意味がないと思います。 死んだら会えるかもしれないから、というより、この世で生きることに価値を見出せず、わたしも早くあの世に帰りたいという気持ちです。日に日に強くなります。 焦燥感があり、心臓のバクバクが止まらなくなります。 締め付けられて息をするのも痛いです。 涙が止まらない時もあれば、現実だと思えずに涙すら出ない時もあります。 彼もずっとこんな気持ちだったのだと、やっと理解しました。 彼の死をきっかけに、周囲からの愛もたくさん受け取りました。すごく感謝しています。ただ、どう頑張っても彼の存在1人分に満たないのです。 なぜこんな試練が与えられるのでしょうか。 彼のした決断は尊重したいですが、なぜこんな生き地獄を味わう必要があるのでしょうか。 わたしが死を選ぶための道筋なのかとすら思えてきます。 これから先、どうしたらいいのでしょうか。自死はいけないと頭でわかっていても、心が止まりません。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

未来はすでに決まっている?生きて死ぬとは

よく当たると噂の鑑定士がいます。 配偶者の5年先が見えないと言われて現役だったのに3年後突然病で亡くなったり、死期が近い人は死臭がしてきついとか3年先の未来までは見えるそうです。一応鑑定で食べていっているけどお金は設定されておらず気持ち程度でいいし、人の人生を見るから不安だけを残せないと言う理由から制限時間なしです。私はお会いした事ないですが友達や家族が見てもらっています。四柱推命やその人が前に座るだけである程度わかるそうです。私は、大切な恩師を亡くしてから自分で切り開いて生きてきました。周りの人のおかげで今は元気に過ごせています。恩師は占いは一切信じず見たものだけ信じていました。でも、その恩師すら実は未来は既に決まっていて自分で切り開いて生きてきたつもりでも実はもう定められた中で生きていたのかなと思うと怖くなります。四柱推命も然りです。その方は当たりすぎてテレビにも呼ばれていますが断っているそうです。私は白黒はっきりした性格で、占いや運命、宿命などつかみどころのない物事に弱く不安になる傾向があります。私は人が生まれてきた意味はなく、ただ生まれて死んでいくだけと思っています。 そこに意味も価値もないです。ただ生きてきた以上は人の役に立ちたいし意味や価値は自分で見出したいと思っています。あくまでも自分の人生は自分で切り開き、一つ一つの選択次第でいつでも人生を豊かにすることができると信じています。私は不安や恐怖を抱きやすいのですが、生まれてきたことや死んでいくことをもっと自分なりに噛み砕いて理解したいし、いつか死ぬのに死に対して恐怖があるので、死を受け入れて恐怖を無くしたいとも思っています。せっかくこの世に生まれてきて、大切な人たちに出会えて恵まれて、人生の困難も学びとして捉え、今日より明日が充実しているように、生きていることをもっと心から楽しくなれるようにしたいのに鑑定士の話を聞いて恐怖に思う自分がいます。恩師の死も既に決まっていて、私も自分で切り開いて生きているようで決められた枠の中で生きているのかと思うと、怖くてたまりません。ロボットのようにあることなすこと受け入れて定められたように生きるのが人生なのでしょうか?勇気を持って出した答えも決断も、生まれた時から決まっていたのでしょうか?人は、そんな風に生まれて死んでいく人生なのでしょうか。

有り難し有り難し 25
回答数回答 2

亡くなった父を殺したのは自分だと思います。

約3か月前に父を亡くしました。父は進行性の難病を持ち、それでも本当に難病を持っているのかと思うぐらい、自分のことをは自分で行い、シッカリした生活を送っていました。 母は体が弱く、自分のことで精いっぱいながらも父のことを診てあげていました。 父は、穏やかな性格で、誰からも優しい人だといわれていました。自分のことよりも人のことを考えるような人でした。 そんな父に私は、日頃から厄介者的な発言をしては、父に涙を流させてしまっていました。 そんな父が、軽い肺炎から心臓が悪いことが判明し4週間の入院となりました。突然死もあり得るといわれました。でも、無理をしなければまだ生きることができるかもしれないともいわれました。 厳しいが、死を宣告されたわけではありませんでした。 退院後、帰宅を願う父に対して聞く耳を持たずに、自宅から近い老人介護施設へ自宅に戻らず入所させました。 それが母にとってもいいと勘違いしていました。 父は入院中から、難病からかと思われる無呼吸状態に頻繁、「息が苦しく辛い」訴えていました。 施設入所時は、話すこともおぼつかないぐらい弱り、延命的な治療は断り、本人の希望もあり、息が苦しいことを取り除く緩和を行いました。 食事は、入院中から私が「本人がほしがらなければ無理させないで」と言い、徐々に食べなくなりました。本人のことを思ってではありませんでした。勝手に父は死に向かっていて、苦しまないで逝かせてあげると解釈して行ったことでした。 徐々にモルヒネが増え、意思の疎通ができない寝たきりの状態になり、ほんの少し口にしていた食べ物もまったく口にしなくなり、枯れるように静かに逝きました。 最期は、私が看取りました。 ずっとつぶっていた眼を少し開けて遠くを見るようにしていきました。 私は父に対して最初、助からなくてもいいという思いを持ち、対応をしていました。父のことを考えず、自分が大変にならないことを基準にしてことを進めました。 私の行動は確実に死に向かわせていました。 助からないと分かった最期の4週間ぐらいから、やっと気が付き今までのお礼や詫びを伝えたりしました。 でも、父はもっと生きることができたと思います。奇跡もあったかもしれません。 父から受けた大きな恩を、私は大きな仇で返してしまいました。 今は泣いて暮らす日々です。 今私にできることを教えてください。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

死ぬのが怖くて仕方がない

怖いこと 自分の命が有限なんだと 毎日ふとした時に感じられて 今在る私がいつかバラバラになるのだと思ったら 怖くて怖くて仕方がない。 目の前の現実世界が 崩壊していく様な気がして そうなるとそれ以上耐えられなくて 思考も動作も停止して、 背中が冷たくなるようです。 動物のひた向きに生きる姿は、 尊敬に値するものだと思ってます。 一生懸命生きている、 素晴らしい存在です。 しかし最近、 某福祉施設内で個人的に可愛がっていた老犬が 恐らく病気で死んだことや、 道の途中で事故にあったらしい猫の死体を見たことで、 死というものは誰にも容赦なく 愛しい存在でさえ突然命を奪っていくのだ、という 現実に向き合わされました。 それが翻って、 私にもいつかその番が、と思ったら 怖くなりました。 この世界から、 ある日消えて無くなるという現実が 急に見えたのです。 私は既にいい大人ですが、 昔から体が弱く気も小さく 器量が悪くて会話も下手で、 他人から嫌われて暴言暴力に遭うことも多いので、 明日がくることは恐怖でしかなく、 自殺を考えることも多いのですが。 現実の「死」はあまりに残酷で心で 受け止めることができない。 犬は病気で苦しかったのでは? 猫の遺体は酷い怪我をしていたので、 想像つかないほどの痛みの中で、 亡くなったのかと思うと、 本当に本当にかわいそうで、 そのような「死」が重過ぎるのに、 死の世界は実は日常と隣り合わせであり、 怖いという感情に襲われます。 仏教ではこういう問題には どのように考えますか? いつか必ず死ぬ運命を どのように受け止めたらよいですか? 動物に執着し過ぎるのは 良くないという意見は 人間の都合しか考えてないと思いますので、 ご遠慮頂けますか? 地球上で今もたくさんの家畜が 人間の為に犠牲になっていると思うと 暗澹たる気持ちになります。

有り難し有り難し 149
回答数回答 1

どうすれば自分を受け入れられるでしょうか?

 以前、"結婚できなかった、これからの人生が見いだせません"で質問させていただいたものです。  それ以降もいろいろな人に支援をいただき、いろいろと考えてきました。しかし、どうしても考えは次のようにループするだけで、ちっとも考えが前に進みません。  私は40歳ですが、それまでいろいろと恋人を作りたいと努力はしてきました。お見合いも50人はしたと思います。しかし、女性と恋愛関係を構築することはとうとうできませんでした。私の周りで40歳にもなって恋人の一人もできなかった人は聞いたことがありません。もう、恋愛も結婚も無理だと思います。そして、もう残りのイベントは死だけだと思います。しかし、そのとても固定的な残りの人生をとてもつらく思っています。  一方、周りの人はほとんど結婚して子供もいます。先々いろいろあるかもしれませんが、幸せの選択肢を彼らはたくさん持っています。そして、私一人だけが残りの人生孤独が決まっています。  正直、周りの人たちが憎くてたまりません。私が生涯孤独ならば、人の結婚式はおろか、会社の飲み会にももう行きたくないのです。人の幸せを感じ、自分は一生孤独であることを自分自身で再認識することがつらくてたまりません。  ただ、問題も認識しています。どんな女性がいいのか?どんな結婚生活を送りたいのか?正直、あまりリアルに考えたことはありません。ですが、まず恋愛し、その人と一生いたいと自然にいたいなぁと思って結婚するということにあこがれるのは、40歳の老体にはあまりにセンチメンタリズムに過ぎるでしょうか?  お世話になっている精神科の先生には「宿命を受け入れなさい」と言われています。けど、私には生涯孤独を受け入れられそうにありません。  なぜ、「人が結婚していれば、あなたも結婚しなければならないか?」とこちらで言われました。ですが、人と同じくらいの幸せを私も得たいと思うのは私の煩悩でしょうか?  仮に残りの人生死しか待っていないとして、どのようにすれば死を受け入れられるでしょうか?もし、幸せになれないのであれば、、、、。消極的に死がやってくればいいのになぁとすら思います。

有り難し有り難し 46
回答数回答 4

白骨の御文章に思う

広島在住で、いわゆる安芸門徒と呼ばれている地域の者です。 葬儀と言えば導師による読経の後、定番となっている《白骨の御文章》の拝読があります。 拝聴している遺族、縁者にはこの御文章の言葉ひとつひとつが重く胸に突き刺さり 感極まって涙する姿は参列者の心をも締め付けるものがあります。 そこで以前から私には一つの疑問がありました。 法話を聴聞する為にお寺参りをした折、読経後に住職あるいは講師としてお招きした僧侶による御文章拝読がありますが  この御文章は数ある章の中から日替わりで読まれている様です。 しかし なぜか私の地域では《白骨の章》にだけは巡り合う事が殆どありません。 普段のお勤めの祭には意識的に避けて、葬式の時に用いる切り札として温存している様にさえ思えるのです。 (もし、他の地域あるいは他宗派では違うのであればごめんなさい) その理由として お寺参りと言えばどちらかと言えば余生短し老人が多いので 死を意識させる話題には触れないでおこう。 そして葬式に限り《白骨の章》で締めれば無難であろうといった僧侶の方々の思惑が働いているのでしょうか? “人の死 ” というものは日常においては誰だって考えたくはないし、忌み嫌われる事はわかりますが 死 という事ほど絶対的に決まっていることはありません。 なので 子供のうちから葬式以外の日常の中で《白骨の章》を耳にするチャンスをたくさん頂くとか 御文章に綴られた深い意味に気付かせて頂く機会が多い生活を送ることは決して悪いことではないと考えるのです。 いつか必ず自分の番が回ってくる死に対しては 若くて元気な時から真剣に考えておかなければならない大切な事だと思うのです。 そうすることが 今の人生を真面目に正しく生き抜く力になるのではないでしょうか。 とは申しましても 現実問題として 住職様の立場から言えば「お寺参りの度に《白骨の御文章》を聞かされたのではたまったものじゃない!」と門徒の方から批判を受け、お困りになるかも知れませんが 私の様な考を理解して頂ける方はおられないものでしょうか? また《白骨の章》を敬遠しないで日々の暮らしの中に活かせる良い工夫があれば お聞かせ頂きたいと思います。

有り難し有り難し 37
回答数回答 2
2024/07/28

即身仏になるにはどうしたらいいですか?

 自死を検討中です。前向きな考えからくるものです!  昨年の大きな実習での、自分や同期へのパワハラや嫌がらせなどの体験をトリガーとしてバランスを崩し、最近になって双極性障害と診断されました。ですから、もしかしたら今日のこの質問も、おかしな状態の私が、おかしなことを言っているだけかもしれません。でも、もう考えるのに疲れ、スパッと綺麗に終わらせる決心がついたので、このタイミングを逃さないよう、文字を打ち込んでいます。  趣味にも取り掛かれず、這うように大学に行き、ゼミの活動をしています。生産性の無い日々に耐えられません。  首をくくるのが楽ですが、自宅での自死は家族に迷惑をかけるばかりか自宅を事故物件にしてしまいますし、他所ならその建物や敷地の持ち主にご迷惑をかけます。線路への飛び込みは多くの人にトラウマを与え、服毒や練炭は苦しいと聞きます。  誰にも迷惑をかけず、なんなら死を持って何かに貢献したい……と、そんな中、もし私が真心から祈りながら、救世の祈りに殉じれば、少しは世間様の役に立てるのではないか、と思い至りました!  そこでタイトル回収なのですが、なんとか即身仏になる方法はありませんでしょうか?  大変な修行の末、仏になられた先人の皆々様に大変ご無礼かつ、傲慢な考えであることはわかっています。法律のいくつかが妨げになることも存じております。しかし自分の命が何かに役立つとすれば、真心から祈りながら即身仏になることを目指すしかないと思います。  持病があり、健康優良児とは言い難く、持病の治療薬のために献血もできず、臓器提供にも向かない身体です。肉体で貢献できない以上、精神的なことでしか何かに貢献できません。近く死ぬ予定を立てたので、即身仏について前向きに検討したいです。  具体的な質問内容は、以下の二つです。 ①即身仏(それに近い別物でも良いです。死を持って達成される意味のある結果を探しています)になるには、具体的にどうすれば良いでしょうか。ネットで調べても良い答えが見つかりませんでした。このままではただ餓死するだけになってしまうので、具体的なプロセスについて、有識者の方に教えていただきたいです。 ②ご迷惑をおかけした家族や、今まで関わった皆様に最後のご挨拶をしたいのですが、どのように伝えれば良いでしょうか。  ご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

生きる意味について

 昨年亡くなった母の死がショックで先日「かけがえのない母の死、死について」でご質問させていただき回答いただいておりました。  お坊様方からいただいた回答を読み返しながら日々頑張っていこうと思いましたが、今まで両親の介護と仕事、家庭を両立させていたせいか毎日一生懸命頑張っていたのに父そして今回母が亡くなって気が抜けたようになってしまいました。  どうしても母の死に間に合わなかった悔やみ、亡くなった時の母の顔、今までの思い出が蘇り悲しくて仕方ありません。今まで自分を守ってくれた父母の介護をするため自分なんか結婚しなくても構わないとまで思っていましたが、縁があってひっそりと結婚をし夫と別居して母の世話をしていました。その後、母の容態が段々と悪くなり寝たきりとなり施設や病院も転々とし、順番待ちでようやく入れた施設が勤務地から遠く母は私が職場から駆けつける途中で亡くなってしまいました。一人ぼっちで逝かせてしまったことが悔やまれ、それでも仕方ないとは思いつつなぜもっと近い施設に預けることが出来なかったのか、私が結婚すると一人になるのではないかと心配していた母が私が結婚したことがショックで病気が悪化したのではなかったかと自分を責め続けてしまいます。  その結果心の病になってしまい、たった一人の家族の夫にも心配をかけ残業後で疲れているのに夜中に私が疲れて眠るまで付き合ってくれました。  そんな夫にこれ以上心配をかけたくないし、以前のように家事をこなしたいのに料理も作れなくなりご飯も食べれなくなってきてしまいました。  今は生きているのが楽しくない、何のために生きているのか、夫を楽しませてあげたいのに食事や旅行に誘われても以前のように行く気が全くしない、生きがいが見いだせない、生きる意味が分からないのです。  これは、長年一生懸命勤務してきた人が退職して呆けてしまったという話をよく聞きますがそれと一緒なんでしょうか。  それはどのようにして乗り越えていけば良いのでしょうか。ご教示をお願いいたします。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

日々、死にたいと思う心が強くなって来ています

つたない文章ですがご容赦ください。 30代女です。子供はいません。同じく30代の夫の死を受け入れられないでいます。 長く付き合って、この人しかいないと思って、でもすぐには結婚できなくて、色々あってやっと入籍出来た矢先、数週間で夫は亡くなりました。 進行性の早い癌であちこちに転移していて入院した頃には手遅れで・・・。 「誰のものにもならないでほしい。」そう言い遺して亡くなりました。 「ああすれば良かった。こうすれば良かった。」「もっと早く病院に連れていってあげていれば。」そんなことばかり考えて日々なにもする気が起きず、泣いてばかりです。 彼の事を思い出す物を見れば涙が溢れ、出掛けても彼と一緒に来たかったと泣き、TVを見ても何をしていても何もしていなくても思い出して辛いです。 母と二人暮らしなので死ぬわけにはいかないと頭のなかではわかっているのですが、日々、死ぬことばかりを考えてしまいます。 大好きだった人の死があまりにも辛すぎて耐えられそうにありません。 どうすればいいのでしょうか。 我慢するしか無いのでしょうか。 死ねば彼に会えるのでしょうか。 自ら死を望めば例え病気で死んでも自殺になりますか? 皆は言います。 「彼はあなたが死ぬことを望んでいない。」と。 確かにそうかもしれません。毎日「愛してるよ。」「大好きだよ。」と言ってくれていた彼が私の死を望まないことはわかっています。でも私は辛いのです。彼の気持ちどうこうではなく、私が辛いのです。その言葉を聞くと「我慢しなさい。」と言われているようで結局それしかないのかと・・・。 時間が解決してくれると言う人もいました。 では、時間が解決してくれなかったら?ずっと苦しく辛いままだったら? 死ぬことを考えない日はありません。 自殺をすれば彼と同じところに行けないと言う人もいました。 でもそれは一つの考え方であって死後の世界は誰にもわからないのではないでしょうか。 気持ちを押さえる術がわかりません。 ネガティブなことしか思い浮かびません。 どうしたらいいのでしょうか。 この苦しみから解放されたい。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1