私は現在大学生です。昨年母を亡くし、受験で何もしてやれなかった後悔が今も残っています。亡き母への恩返しと思って、法律の勉強に励んでいるのですが、結局それも自己満足なのではと思ってしまいます。また、友人が母とのエピソードを話しているのを聞くと、ついつい自分と比べてしまい、そんな自分がとてもいやです。最近は自分の身の回りの人、祖父や祖母などがいつか死んでしまうことがとても怖いです。 三兄弟の長男だから、しっかりしないといけないことはわかっているのですが、こうした事を誰にも言えず、とてもしんどいです。
私は死が怖くてたまらないのです。毎日朝から晩まで死のことを考えない日はありません。病気の不安もすごくて、こんなに死が怖いなら、死んだ方がまし。と、自分でも、訳の分からないことを考えてしまいます。死の何が怖いのかもわかりません。主人とか、子供達に聞いても、意外とあっけらかんとしています。生に対する執着が強すぎるのでしょうか?でも、苦しいのは確かなのです。病気のせいでしょうか?死の恐怖心に苛まれている私に、何か救いのあるアドバイスをください。本当に困っています。どうぞ宜しくお願いします。
10年前に、大好きな父が胃ガンで亡くなりました。 病気が発症した時にはすでに末期で本人にも告知してありました。唯一の治療として少なからずの延命で抗がん剤治療、あとはひたすら痛みを取ってあげることしかできませんでした。 死期が近くなるにつれ、痛みも強くなり、モルヒネの量も多くなりました。 私は、一人っ子で両親にたくさんの愛情をもらい育ててもらいました。時に厳しく叱ってもらい、時にはたくさん遊んでもらい、自分が大人になっても仲良しでした。 父がモルヒネの量が増えるにつれ、私が毎日、面会に言っても副作用のせいで、誰だかわからなくなってきていました。もちろん、私だけではなく、母にも妻という認識も薄れてきていました。 私は仕事柄、医療従事者なので、父が告知を受けた時から死期をどう迎えるか、どう向き合うか、覚悟はできていました。 ある日、父がモルヒネの副作用で暴れたことが一度ありました。 私の胸ぐらを掴んで、死期が近いとも思えない力強い力で殴ろうとしたんです。 私は、今までそんな怖い父を見たことありませんでした。 もちろん、副作用で私が娘だと認識はもぅできてませんでした。 聞いたこともない汚い言葉を使い、私を罵り、、、 副作用が言わせてると頭では理解できてたけど、やっぱりすごくショックでした。 それが父との最後の会話になり、父は旅立ちました。 10年たった今でも、父が暴れたことが忘れられなくて、本当は副作用ではなく、私に対する憎しみの、表れだったんじゃないかと思っています。 もし、憎しみであれば、わかってあげられなかったことを謝りたいと思っています。 10年の間、ずっとモヤモヤです。
死の恐怖が和らぐ事は出来るのでしょうか。 周りの方や、芸能人が亡くなる話、ニュースなどを見ると、考えてしまい、辛くなり、最近は毎日思ってしまいます。こちらで他の方の質問の回答を見ても前を向くことが出来ず。 何歳になってもこの気持ちは変わらないのかなと思うと自分が情けないし、怖くて。最近はずーと生き続けるのも怖いことなのかな。と思って見たり。生まれ変わって永遠に続くのも、怖いし、終わりがあるのも怖いと思ってしまい、こんな考え方を治したいのに、変わらないです。 子供ができても自分と同じような考え方になったら、どうしようと思い、子供が死ぬ事を意識しパニックになった時にどう言って伝えたらいいのかと、思うと妊活するのを、戸惑ってしまっています。主人の事はとても大好きなのに、赤ちゃんが欲しいのか欲しくないのかも、わからなくなっています。
よろしくお願いします。 地面と、窓から見える排気ダクトに鳥がたまごを産んでいました。地面のたまごは毎日無事かなぁと帰り際見たり、廃棄ダクトは親鳥が巣を作っているのに気付いてから何気なく見ていました。そのどちらも今日死んでしまいました。地面のたまごは大雨によって。廃棄ダクトのたまごは機械を動かしたか?によって巣ごと落下していました。雨なんて予報で分かっていたし、廃棄ダクトだって巣があることを伝えることだって出来ていました。どちらもしなかったことが悔しく後になってそんなことを思う自分が不快です。あんなに頑張って巣を作っていた親鳥や、たまごに近づく人間に威嚇していた親鳥を思うと悲しいし、わたしは結局何もしなかったのに悲しんでいることに何なんだろう自分は、と思います。 そして生き物の命はこんなにもあっけなく終わってしまうのかと悲しくなりました。これからやっと産まれるところだったのに。地面のたまごは割れて今から産まれるところだったようです。それなのにあっけなくです。生き物の過酷さをみて人間の甘さを思いました。自然だから仕方ないのかもしれませんが、やはりショックです。全ての生き物に言えることかもしれませんが、こんなに簡単に死んでしまうのかと思うとやりきれません。
母が急死して2ヶ月ちょっと経ちます。 倒れてから意識なく2日でなくなりました。 毎晩泣いて、 最近やっと泣くことが少なくなってきました。 涙が出なくなったけど日に日に孤独、虚しさが増しています。 生きる意味、生き甲斐、生きる楽しさがなく早く死んでしまいたいと思う毎日です。 寝ている間にとか、事故にあって死んでしまいたいとさえ考える毎日です。 2世帯で弟家族が上の階に住んでいますが、なんの会話もありません。 この家で私はお荷物、この家にいることが迷惑なのではと、 家にいても怖くて、怯えて、遠慮してそんな思いが日に日に増しています。 お母さんに会いたい、 お母さんのところにいきたい。 苦しくて苦しくて、 早くこの苦しみから逃れたい、 どうしたらこの様な思いをなくすことができるのでしょうか? アドバイスお願いします。 乱文にて失礼します。
9月6日朝、もうすぐ15歳になる愛犬が息を引き取りました。 3ヶ月前に突然後ろ足が動かなくなり、ほぼ寝たきりでした。病院に何度も通い、重度の貧血や肝臓に腫瘍があるとも診断されました。 でも私達の前では、元気な頃と変わらず、食欲もあり面白い事をして笑わせてくれていたので、そこまで体調が悪いと思っていませんでした。 心構えができないまま旅立ってしまった為、もっと一緒の時間を過ごしてあげればよかったと後悔してばかりです。 自分はいいお姉ちゃんでいれたか、なぜ体の痛みをわかってあげられなかったのかと考えては涙が止まらなくなります。 自分が辛い時は、何かを感じとったかのように黙って側にくっついてきてくれたり、ドックフードをくれたりしてくれたのに、自分は何もしてあげられなかったのが悔しいです。 こんなに早く別れがくるとは知らず、休日も趣味を優先して出かけてばかりいた自分が情けないです。 仕事中も、あの時こうしていれば…、家に帰っても待っていないんだと考えてしまい、急に涙が込み上げてきます。 前向きになるようにはどうしたらいいのでしょうか? こんな状況になって、自分が愛犬にどれだけ支えられてたかと感謝すると同時に、これから辛い事があったら支えてくれる人がいるのかと不安になってしまいます。
私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。
初めまして。優子と申します。 私は幼い頃から『人は死んだらどうなるんだろ。死んだあと残された家族が悲しんでいる姿を見るのは怖いな…』等良く考えていたのですが、数年前に頭の手術をしてからその思いが強くなりました。 月に数回なのですが、たまたま息苦しさを感じたり頭痛感じたり些細なことで 『寝ている間に死んでしまうのでは…』 と、ほぼありえないのはわかっているのですが不安になり考え込んでしまう事があります。 家族に相談しても『考えすぎ』と言われて終わりです。 このような気持ちになったときどうやって気持ちを切り替えれば良いのか教えて頂ければ幸いです。
以前も別の事で相談させていただき、とても感謝している者です。 今回は今年4月18日に亡くなった母についてです。 忙しい手続きなどで母がいなくなった事を思っていた程寂しく感じていませんでしたが、数ヶ月経ち、どうしようもない寂しさ、後悔、苦しさを感じる毎日です。 母は結婚してからずっと苦労ばかりだったと繰り返し私に話していました。それなのに私はわがままに育ち、自分勝手で、母を10年以上介護していた間も、今思えばもっともっとなんで優しい言葉をかけれなかったのか、いらいらして暴言も吐いたりして後悔ばかりです。私が母の命を縮めたのではないかと苦しいです。 母は亡くなった今、幸せに何も苦労無く過ごしているのでしょうか? 亡くなった「今」の事だなんて変な質問と思われるでしょうが、幸せでいて欲しくてたまりません。 何でも良いです。教えて下さい。 お願いします。
長生きするメリットがわかりません。 若くて綺麗なうちに死にたいです。 振り返ってみれば子供の頃から何かとタイミングが悪いこと多く、 ツイていない人生でした。 それでも生き続けること以上に死ぬほうが怖いです。 でも生きていても何も楽しくないです。
どうして人は生きなければいけないのでしょうか? どうして人は簡単に自殺してはいけないのでしょうか? お坊さんの知見が知りたいです。
お世話になります。 母一人子一人で一人っ子の私が嫁いだ先の近くに母はアパートを借りて住んでいてくれました。(他県にちゃんと家があるのに…) 先日、いつも連絡する時間に電話しても出ないのでおかしいと思い、母のアパートに出向くと布団の上で冷たくなっていました。死後硬直も始まっていました。 死因は脳内出血とのことでした。 うつ伏せで亡くなっていたので、顔が穏やかとは言えない感じになっていて、本当にショックでした。 しかも私は一ヶ月半前に出産したばかりで母に八つ当たりして酷いことばかり言っていました。謝らなきゃと思っていた矢先にこんな事になってしまい、後悔してもしきれないです。 昔からケンカが多かったけど大好きだった母。突然あんな形で逝ってしまい悲しいし、淋しいしで身体が張り裂けそうです。 どのように受け入れたら良いのか… こんな事にならないために、近くに住む事にしたのに、一人で死なせてしまった。 もう一度会って母に謝りたいです。 助けて下さい。
この前、精密検査をして結果が出る間 不安で不安ですごくうろたえました。 (ほとんどパニックでした) 自身のあまりの「生への執着」に驚いています。 ネットを見ると、私より若い方々が余命宣告うけて それでも強く受け止め、戦ってらっしゃる姿を拝見します。 ホントに心から尊敬します。 自分よりも家族の為に生きれば、恐怖は薄まるのでしょうか? (一応、そのつもりでしたが…) それとも、もともと無だからそれに戻るだけなのでしょうか? どのように考えれば、住職さまのように心穏やかに死への恐怖を 克服できるのでしょうか? これからの人生、うろたえるコトなく過ごしていきたいです。 難しい言葉ではなく分かりやすい言葉で アドバイス頂ければ幸いです。
啖呵切ってハスノハとはお別れ宣言したのに出戻りですみません 結局私はここでしか辛い苦しみと悲しみを吐き出せません どうして死んではいけないのですか。 自殺率世界一位、幸福指数世界最低のこの国で、どうして死は許されないのですか 生きたかった筈の生命の中絶ですら許されているのに 命に別状がない程度の、だけど治りやしない病を永遠に抱えていく人生で、辛くて辛くて死にたいです もう体は勿論心も痛くて辛くて死にたいのです。生きてきた間、こんなにも辛い思いをしているのですから、せめて最後は安らかに死にたいです。もうあらゆる事から許されたいです 私は医者が大嫌いです それでも今日、耐え難い痛みに苛まれて病んだので、嫌な気持ちを我慢して、病院にいきました 医者は、貴方程度の患者は星の数ほどいると言い、多少の嘲笑も交えて。ろくな内診も診察もせず 医者にすら病の苦しみを理解して貰えず、私は心底悲しみ、生まれてきたことすら後悔しました。介護してくれている親にも申し訳ないです もう何もかもが嫌です。死にたいです。死にたいです 本人は辛くて生きていたくないのに 社会は自殺者に対して非常に厳しく 安楽死に否定的です 自分で命の決着を決める尊厳死の制度の何がいけないんですか 死にたいです。辛いです。毎晩生き恥をさらし心身の苦痛に泣いてます どうしたら良いのかわかりません 死にたいです 大好きな親にそっと息の根を止めてほしいと思ってしまいます もう限界です 答えにくかったら回答は不要です 辛い気持ちを吐き出させて頂きありがとうございました
お世話になっています 皆様の質問と回答を参考にさせてもらっています 自分について考えてみたのですが私は子供の頃から死恐怖症なのかもしれません 子供の頃から死を連想させる物が苦手で避けてきました お葬式や法事だけでなく歴史の授業や空や海も死を感じさせるせいか嫌いでした 知り合いに赤ちゃんが産まれたと言われた時ですら嫌な気持ちになりました 子供の頃から色々な物が怖かったです 時間が経つ事そのものが怖いです 若い頃は嫌な気持ちになっても音楽や映画など好きな事して何とか若さで誤魔化せていたのですが、最近は今まで好きだった趣味などにも興味が無くなってきて誤魔化せなくなってきました 何を見聞きしても頭の中が嫌な気持ちや恐怖心でいっぱいになってしまい生活しているだけで疲れます 孤独感も感じます こんな自分を変えて死恐怖症を克服したいです 穏やかに歳を取って死にたいです どうすれば良いと思いますか よろしくお願いいたします
9月13日、実家の愛犬を亡くしました。 交通事故でした。 16歳になり、足腰もおぼつかず、目も白内障になってほとんど見えないおじいちゃん犬でした。 両親は旅行中で不在、地元に残る私が世話を任されていました。 夕方、仕事から一時帰宅し、猫に餌をやり、愛犬はトイレに行きたがっていたのでいつもどおりリードをつけずに外に出しました。 よたよたといつも家の周りを歩いているので大丈夫だろうと、私もトイレを我慢出来ずに用を足しに行きましたが、ふと嫌な予感がしたので終わってからすぐに様子を見に行きました 敷地中探しましたが見つかりません。家から30m程の対向車線側にあるバス停のそばに何かの塊があるように思え近づいて見ると、居なくなった愛犬でした。 轢かれた時の衝撃で前足の関節が外れ、歯が折れた影響で顎も砕けたのか、ぐったりと地面に横たわっていました。 何が起こったのか分かりませんでした。 私が目を離さなければ、こんな事にはならなかったのに。家族にもすぐ連絡はしましたが到底顔向けできません。 愛犬にもたくさん謝りましたが、こんなことでは済まされない、大切な命を私が奪ったも同然だと思っています。まだまだ長生きできたかもしれない、とてもいい子だったのに‥‥。近頃老化が著しく、最期の日も近いかもしれないと感じていたので、その時が来たら安らかに眠ってほしいと願っていたのに、最期まで苦しい思いをさせてしまいました。 対向車線側のバス停まで距離があるのに、どれだけ苦しい思いをしたことか、痛かったのだろうか。ご飯をあげる前で、お腹をすかさせたままひとりで死なせてしまった事、本当に何から何まで酷い事をしてしまいました。とても申し訳ない事をした、小さな命を守れなかった自分に対して自責の念でいっぱいです。 家族が帰宅するまでの間火葬せずに遺体を安置させることになりましたが、一人家に帰る度、心が押しつぶされそうになります。 轢かれたのは夢だったのではないか、今も玄関の戸を開けたら出迎えてくれるのではないか、そんな妄想が浮かんでは消え、心の整理が全くつきません。 火葬は17日の予定ですが、残った時間でこの子に出来ることはまだありますか。生き残ってしまった私に何が出来るのでしょうか。よろしければご助言ください。
最近「希死念慮」という言葉を知って、まさに自分が思っていたことだと思いました。 自ら命を絶ちたいとまでは思いませんが、何のために生きているかわからないと思って毎日過ごしています。 趣味はありますが、生きているからやるのであって、趣味があるから長生きしたいとは思いません。 なぜ希死念慮があるのか、自分なりに考えた結果、肉体的に少しずつ衰えはじめていること、配偶者や子どもがいないので張り合いがないこと、「早く逝きたい」が口癖の祖母の存在の3点によるものと考えました。 一度希死念慮があることを知り合いに言って自殺願望と勘違いされたので、それ以降は誰にも話せず、もちろん家族にも話せず一人で悶々としています。終わりが見えずに苦しくなって、最近は残りの寿命を15年と仮定して人生について考えるようにしています。 昨日、母代わりだった祖母が老衰で亡くなりました。91歳まで生きました。そこで改めて希死念慮について考えているうちにこちらのサイトを見つけました。 私のような考え方はおかしいでしょうか。またどうしたら長生きしたいと思えるようになるのでしょうか?
前回は、私や亡くなった母に南無阿弥陀仏を唱えてくださりありがとうございました まもなく四十九日を迎えます ショックは軽減されて来ているのですが、ふと母のことを思い出すと苦しくてたまらなくなります 母は今は安らかだとわかっているのですが、亡くなる直前の母を想像してしまい、それを考えるととても苦しいです どんな気持ちで、どんな顔でその行為をしてしまったのか… 母は縊死だったのですが、あれから私も呼吸がしづらく夜中に目が覚めることもあります 時間薬とはよく言いますが、自死遺族の傷は癒えるのでしょうか 母が亡くなってから、残された実家の家族も精神的に落ち込み持病が悪化したり仕事に支障を来したりして生活もままなりません ゆっくり、穏やかに傷を癒やすこともできません 日に日に全員が病んでいっています 母の死をきっかけに、緩やかに家族が崩壊しているように感じます それが辛くて、本当は私も死を選んでしまいたい 毎日が辛くて苦しいです 逃げたいのです でも、私までも自死を選んだらそれこそ家族がしんどいと思うのでなんとか踏みとどまっている状況です みんながしんどいのは、わかっているので… 役所なども頼っていますが、皆さん親切にしてくれるのですが「できないものはできない」「支援のないものはない」 この国は、一体誰のためのものなのかわからなくなり、絶望してしまいます お金がなかったり、メンタルの弱い家族は生きていけないのでしょうか 一家心中も考えてしまいます みんなで母のところへ行けたら… 時間薬が助けてくれるでしょうか それとも、私がもっと強くならなければいけないのでしょうか あと、お仏壇を処分するにあたって魂抜きをするお金がありません… そのまま処分しても、御先祖様は怒りませんか? もう、どうしていいかわかりません…
10日まえに母親が亡くなりました。約10年前に肝硬変と診断され5年前位より肝臓ガンになりカテーテル手術を数回致しましたが、1年前より肝臓ガンが大きくなり、年齢も考えると体力もなく手術もできなくなりました。食欲もなく体力もなくやせ細り、最後は苦しみながら旅立っていきました。亡くなる前に家に連れて帰りましたが、姉と一緒にみましたが以前よりの看病疲れや仕事の疲れも重なり、母が間なしに水をというのに対して、怒ってしまいました。今更ながら後悔していることがたくさんあり、毎日自責の念、後悔、悲しみ、虚しさ、これからの人生どうすればという気持ちがこみあげてきます。 日によって、時間によって悲しみの波が押し寄せてきます。 私はバツイチで子供もなく両親と同居してましたが、母親とはケンカすることも多く、亡くなる一年前は母と口を聞かないことがあり、また色々なことでものすごく親不孝してきました。母親は姉に亡くなったあとの私の行く末について心配していたそうです。私はかなりの情緒不安定なので、冷静になり物事を考えなさいとの事も言っていたそうです。母の遺言を受け、改めて生きていかなくてはと思ったり、もう生きていきたくないと虚しさがあったり。どうしていいのかわかりません。母親に対して、申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいです。 母親は許してはくれないでしょうね。苦しみから解放され天国へいってることを信じたいです。長くなりすみませんでした。とにかく後悔、何故母親を苦しめてしまったのかと、そして、母親が成仏してくれることを願いたいです。生きる気力をなくしました。私も母の元へ行きたい気持ちもあります。