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検索結果: 452件
2022/08/11

死生観や魂についてご教示いただきたいです

 看取りを目的とした入院患者の多い病棟で勤務している看護師です。仕事柄、死というものは身近に感じております。  緩和医療の分野において、スピリチュアルケアという考え方があります。  世界保健機関で健康とは身体的、精神的、社会的に良好な状態であり病気の有無に関わらないと定義されているのですが、そこにspiritual health(霊的な健康)という概念を追加してはどうかという提案が2000年頃にありました。現在において、霊的な健康は概念に追加されていませんが、看取りの場において霊という概念は必要であると愚考しています。  私は人間を「尊厳を持つ存在」「胎児の頃から逝去されたのち、遺された人の心から消えるまで」と考えています。命が尽きると人間でなくなるのであれば、遺体はただの物体であり、丁寧に扱う必要のないモノとなってしまうと思うからです。看護は患者が逝去したのち、死化粧をし、身体を洗い、着衣を整え、御遺族へ患者という人間を引き継ぐ役目があると思っています。  私の考えの根底に魂というものがあるが故に、上記のような考えをしているのだと思いますが、不勉強ゆえ魂というものを言語化できません。地獄や憂き世、極楽といった様々な宗教観の言葉がある日本において、皆様は魂をどのように捉えているのか知りたく思い、質問させていただきました。

有り難し有り難し 8
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死にたい願望が絶えません

真言宗の信者です。新興宗教は全く信じないものです。死ぬ、これは誰にも与えられたものですが、親よりも先に逝こうと考えてます。仕事の事とか、経営している店の事とかで、もう、手一杯でにっちもさっちも行かない状態で。死ねば楽になる、なんて思っても見たりしてます。小さい頃から仏教には興味があり普通の人には地獄、天国など信じ難いものかも知れませんが結構、気にして生きて来ました。今では般若心経、幾多のお経も唱えられます。自分が死ぬ事(自死)にあたり、お経を唱えながら死ねば極楽浄土と言いませんが、成仏出来るのでしょうか。若い頃は霊感とかもありましたが、歳を取るごとに全く無くなって来ました。今ではあの霊的出来事も嘘の世界とか思ってもみたりします。誰しもが、死んだ後はどうなるか、なんて具体的に答えられる方は誰一人いません。こうやって書いて自分を慰める事自体、自慰行為の何者でもない事は分かっています。ついでかどうかはわかりませんが、鬱病で大学病院に通院してます。鬱の薬は自分では麻薬の様なもの、と思っています。家内が薬の量を調節してくれて、今ではかなりの量を減らす事が出来ました。それまでは手のひら一杯、ラムネの如くてんこ盛りで飲んでいた時期がありました。病気と自殺願望は切っても切れないものと思います。やはり自分の意思が弱いのでしょうか。それともわたしの意としていない、何か(誰か霊的な物)がそうさせているのでしょうか。就寝前には大体、毎日とは言えませんが般若心経、一通りのお経を唱えて寝てます。勿論、先祖供養とかその他の供養とかですが。私自身、信心深いと言えばそうかも知れませんが、神、仏、信じられない時があります。何故、ここまで試練を与えられるのか、とか。私自身、家内を2度(二人)も自死で亡くしております。普通にこんな苦しい思いをしてる人って居ませんよね。どうか、助けて下さい。お願いします。

有り難し有り難し 33
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2021/09/07

浄土宗・浄土真宗の方へ質問

2か月前に20代の娘を自死で亡くしたシングルマザーです。 (高校・短大の時に未遂を起こしており、鬱を患っておりたしたが社会人になってから遂にやり遂げてしまいました) 有り難くも、周囲の温かい見守りとフォローのお陰で、今では仕事中に泣くことも減り、ほぼ以前のように生活出来ております。 葬儀は、無宗教だった為身支度や湯灌などは仏教に倣いましたが、読経は無く娘の好きなアーティストさんのアルバムを流して、私と故人の弟にあたる息子、そして10年来の私のパートナーの3人で見送りました。 とても優しい葬儀屋さんにも恵まれ、自宅に用意して頂いた仮祭壇は来て頂いた方が焼香しやすいようにお線香やお鈴など体裁を整えて下さいました。 コロナ禍ではございますが、思っていたより多くの方に家まで来て頂き、遠方に居る友人からもお供物を送って頂いたりと、沢山悼んで頂き幸せな子だと感じます。 私の実家は母がカトリック、父は無宗教でした。 私を可愛がってくれていた、近場に住んでいた母方の祖父母が真言宗の檀家で、何となく沁みているのか毎日ご飯とお線香をあげて話しかけ、7日毎にお花や果物など供えて今回は泰広王、次は初江王…と中途半端に仏教的な供養をしております。 他の方も心配しておりましたように、私も基本亡くなると272の地獄の何処かへ堕ちると刷り込まれて?おりましたし、自死をすると永遠にその日を繰り返すなど、怖い情報を目にしてしまい、残った私に出来ることを探して辿り着いたのが、このサイトで阿弥陀様の本願により極楽浄土へいけるという回答でした。 現在、法然上人の事から勉強中です。 親鸞聖人についてもこれから勉強します。 本題は、1.人生折返し地点を過ぎ、今から入信してその宗派のお仏壇を持つのが難しい(息子も無宗教、パートナーの家は臨済宗で入籍の可能性あり)私ですが、お念仏を唱え続ければ回向は可能でしょうか? 2.入信は難しくとも、勉強し理解に努め、hasunohaに参加されているどなたかを通して阿弥陀様へお布施する形でも、娘を極楽浄土へ連れて行って頂くことは出来るでしょうか。 無宗教だった娘を私が特定の宗教で縛ることにならないか心配ですが、来世は娘が望む形で幸せにと、少しでも何か出来ないか模索しているのです。

有り難し有り難し 37
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暖かい家庭というものは存在するのですか?幻想ですか?

私は今、母と暮らしながら正社員として働いている28歳女性です。 本題の前にかいつまんで生い立ちを説明させてください。私の父は私が3歳の時に死に、それ以降は母と母方の祖母との3人で暮らしてきました。 父の死直後から私が成人する頃までずっと、母も祖母も薬物依存の症状がひどく、家庭は安心できる場所ではありませんでした。と言っても、外では2人とも普通の人間のように振る舞えたため、側から見たら普通の家庭だったと思います。事実、遺族年金で生計を立てていた割に余裕のある生活を送っていたため、私は周りから「恵まれている」と言われながら育ちました。私も、毎食ご飯が食べられて、大学まで通えたのでその点は恵まれていたと思います。 ただ、前述の通り、母も祖母もかなりきつい精神安定剤を常用しており、気分次第で罵倒されたり、夜寝ている時に枕元の壁を包丁でガリガリ削られたり、衣服を切り刻まれたり、生命の危険を感じる事が多かったので、私にとって家庭は安らげる場所ではありませんでした。家族で集まる夕食の時間がまるで拷問のようで、太宰治の「人間失格」に出てくる団欒シーンとまさに同じ、家に住む亡霊に祈りを捧げるために集まっているのかと錯覚するような耐え難い時間でした。 そんな育ちのため、最近まで、私は家庭を持ちたいとか、結婚したいなどと露ほども思わず生きてきました。 ですが、成人して何度か好きな人ができ(恋愛も上手くはいかないので結局振られる結末ですが)、段々と「好きな人と築くなら、家庭って幸せなものなんじゃないか」「テレビで観て嘘だと思ってた、いわゆる暖かい家庭ってもしかして現実に存在し得るのか」と思うようになってきました。 その一方で、家庭が地獄でないはずがない、という思いもあります。自分の経験は少し特殊だとわかっていますが、周りの既婚者も、なんだかんだ家庭の愚痴をこぼしているのを聞くと、やっぱり暖かい家庭って幻想なのかな、と思えます。 家庭ってふつう、どういうものなんでしょうか。 世の中の人は皆、口に出さないだけで地獄に耐えて生きてるんでしょうか。 私が上手く対処できなかっただけで、そういう地獄にも上手に対処して維持されるべきものが家庭なんでしょうか。 それとも、むしろ率先してその家に帰りたいと思える家庭も、中にはあるのでしょうか。 とりとめのない質問で恐縮ですが、教えていただけると助かります。

有り難し有り難し 24
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主人の友人が自死しました

こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 81
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2023/08/03

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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老いて死に向かう事

介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?

有り難し有り難し 37
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ハムスターを死なせてしまいました

先日、急遽家を空けることになり、2歳のハムスターを1週間放置してしまいました。以前も1週間留守番させたことがあったのですが、大丈夫だった為、今回も大丈夫だろうと思いました。ですが、2歳という高齢だったこと、1歳半を過ぎた辺りから、腫瘍が出来出血していた為もあり、帰宅したら亡くなっていました。餌を充分与えたつもりでいましたが、足りなかったのが一番の原因です。 このハムちゃんは、なつくことはありませんでしたが、とても生命力が強く、元気があり、腫瘍ができても一生懸命生きていました。ですが、なつかなかったことで時折目が行き届かないこともあり、結果的に私が死なせてしまいました。帰ってきたときに、餌は全て無くなり、うんちもきちんとしていた為、まだまだ生きれたと思います。 もっともっと生きたかっただろうと思うと、本当にかわいそうなことをしてしまいました。きっとハムちゃんは私を恨んでいると思います。腫瘍も、ストレスが原因でなってしまったみたいです。 ハムちゃんは私なんかに飼われて不幸だったと思いますが、どのように弔ってあげればよろしいでしょうか? 私は一生ハムちゃんに恨まれ、地獄にいきますか?? 教えてください。

有り難し有り難し 42
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明けましていきなりですが、作麼生・説破(そもさん・せっぱ)

明けましておめでとうございます。 昨年は色々とありがとうございました。 新年になり、ふと思い出したことがあるので二つ質問です。 一つ目はある私の大嫌いなパンクな僧侶が、 『門松は冥土の旅の一里塚めでたくもあり めでたくもなし』 という歌を残して、正月に京の街をシャレコウベを持って『ご用心なさい』と言って練り歩いたという逸話があります。 最初は、死に近づいてるのだから有難がるなよ、髑髏のような死体になるから気を付けなさい、という意味かと思っておりました。 しかし最近は、『寂滅為楽の涅槃に近づいた。めでたいな。でもまだ涅槃への道は遠い、めでたくないな(浮かれてはいられないな)。用心してしっかり行かないと』 と考えるようになりました。皆様の解釈はいかがでしょうか。 (死や死に向かっていく事に対してはめでたいも、めでたくもないのですが) 二つ目は、婆子焼庵という公案です。 内容は以下転載です。 『ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、 衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。 そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が 寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と 言って、娘の誘いをはねのけた。 娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話 してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、 修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。 さて「婆さんの真意はいかに」というもの』 私なら、何故私を気に入ったかを聞いて顔や身体です、とか言われたら返事を翌日まで保留にして、そのまま旅に出ます。 性根や内面が気に入った、とか言われたら、一緒に出家しようと誘います。 片方が顔や身体を気に入って、もう片方の人が内面とか言われたら内面が良いと言ってきた人を出家に誘って、庵を出ていきます。 皆様はどんな解釈や回答になりますか? (作麼生・説破の使い方が違うのはお許しください)

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

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