能力と、やりたいことの不一致について
自分の望まないことで、評価されると、辛くなります。
小さいころから、勉強ができたらしくて、
親の熱心な教育の賜物でエリートみたいな学歴になりましたが、本来の私は芸事が好きで、考えることは嫌いです。
親の束縛を離れてからは、映画や音楽など、やりたいことを頑張ってきました。が、この世界は年齢的な制約も厳しく、またそう簡単には評価されません。が、それ自体はみんな一緒なので、多分問題ではないのです。
問題は社会に出ても難しい仕事ばかり押し付けられ、やりたくない仕事から引きがきてしまうことです。いいじゃないかと思うかも知れません。ところがこれがやっかいで、ものすごい自己否定感につながってしまうのです。
わかりづらいかと思うのでわかりやすく例えると、性同一性障害のかたは、似たような苦しみを味わうと思います。女性の身体で生まれたが心は男性、という人がいたとします。日常的に「あなたは女の子らしいわね」とほめられたとしたらどうでしょう。相手は女性だと思って見ているので何の悪気もないし褒めてるつもりです。ゆえに、本人は余計くるしい。
毎日だと気が狂ってしまうでしょう。
わかりづらい苦しみだし、もうわかってもらおうとも、思わなくなり、結婚してできる限り引きこもり、必要最低限の収入だけで暮らしてきました。
しかし、そうもいかなくなりました。前に勤めていた会社の有資格者がいなくなり、複数の派遣会社でも手配できず、呼び戻されてしまいました。資格を持った人がいないと営業停止になるそうです。なんとか時短にはしてもらったので、普通の社員よりは半分くらいの給料ですが、それでもアーティストとして得られる収入と比べると比較にならない破格です。わたしが熱意を持ってやっていることは、これよりも価値がないと言われているようなものです。頑張っていることが虚しくなります。
そこで、私が感じるのは、ああ、私の心がなければよいんだということです。私が、キャリアウーマンになることを望んでいれば、評価されたことを喜べるでしょう。困っている会社の人をもっと助けることもできます。集客できないライブに絶望することもなく、ライブに来て欲しいと懇願して、人を困らせることもない。なぜ、音楽で評価されたいなどと、望んでしまうのか、どうしてその気持ちをなかったことにできないのかと、日々自分を責めてしまいます。
有り難し 9
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