いつも本当にありがとうございます。 金銭面でとても大変で子供の事で主人は働かずに節約してと言われてます。ですが節約しようにも主人の 給料だけではできません。 先日お坊さんが色々アドバイスしてくれてたのですかわ自治体、社協など知り合いがいてバレたくありません。 にっちもさっちも八方塞がりだしこれから借金地獄になりそうなので死を選ぼうと思います。 子供や主人には大変申し訳ないのですがもう、こんな私は死んだ方がいいと思います。 いつもありがたいお言葉とても嬉しかったです。 まだまだコロナ禍やウクライナ戦争で大変だとは思いますがお坊さんやここに来ている方の幸せや悩みが一人でも多く解決することを心から願います。 私一人の命と引き換えにたくさんの人が救われますように。
息子の様に可愛がっていた娘の友達が自殺をしました。通夜に参列しましたが、日蓮宗と生前聞いており、私もそうなので、顔を見ながらお題目を上げて来ました。突然のことで動揺していて翌日思い返すと、お経も、お坊さんもいない、いわゆるお別れ会のようなものだったと気がつきました。 火葬や今後の事を聞く事は出来ず、そのまま帰宅しましたが、螺旋の線香はついていたものの、ろうそくの火は消えており、自死であることも気になり、この子がちゃんと旅立てるのかと、もし、迷ってしまうことがあるなら、ちゃんと道を示してあげたいと思いました。 故人の見送りは多様化されている様ですが、死後の世界は全くわかりません。ただ、あの子が向こうの世界でも苦しまない様に守ってあげたいと思うのです 人によっては憑かれてしまうからだめだとか、ご家族の意向があるからと言われますが、仏教の教えの中であの子が穏やかに過ごせるために現世で私が出来る事が知りたいです。 前日まで普通に過ごしていたのに、これが魔が差すという事なのでしょうか?あの子が死ななければならなかった理由がわかりません。
私は死ぬのが怖いです これは、7月位から始まりました。 「がんかも?」と思い Googleで症状と合わせてたくさん検索しました いい結果(ガンじゃないと思う)が出たら すごく元気になれて、人生を楽しめます でも悪い結果(ガンかも、病院に行っては?など)が出ると 吐き気、寒気、微熱、血の気が引く感じ、倒れそうになる といった症状が出ます そして今ものすごく怖いんです この前、死ぬのが怖くなって(死ぬ気がして?) 「死ぬ前 症状」で検索したら やすこの顔占い、死相、というページにたどり着きました そのページには 「死ぬ数ヶ月前の人は口から黒い線が出る。私が見たこの死相の人は2ヶ月後に死んだ」というようなことが書いてありました 昨日の夜、、、私には書いてあったような症状が出ました 13歳なのでほうれい線などはないです でもなんか、 黒い線が右端から頬にかけて流れてる?んです 確実に死ぬんですか?死にたくないです 死ぬのが怖いわけじゃないんです ただ、死んだ後のことを考えると怖いです 「お母さんはどうするのかな、寂しいだろうな」とか。 Yahoo知恵袋や、Googleの質問コーナーでも質問しました。 それで、「釣り乙、占いなんか当たるわけないだろ、気のせい」など たくさんの事を言われて・・・ ここにたどり着きました ダメ元で質問してます。 お願いします。 今はお母さんのアカウントを使ってます まだ中学1年生です 死にたくないです 80さいまで生きたいです お坊さんは死相を信じますか? 私は死ぬんでしょうか?
2月に父が亡くなりました… 我が家は曹洞宗なので葬儀屋さんに紹介していただいたお寺で戒名を付けていただき、そのお寺のお坊さんに葬儀から四十九日法要までお務めいただきました。 父の葬儀から四十九日法要まで心をこめて、お務めしていただいた姿が印象に残っています。 本当は四十九日法要の終わった後に直接言えば良かったのですが言えず… それで、お務めていただいたお礼の手紙を書こうかな…と思っています。 四十九日法要が終わってから3週間ほど経ったのですが今頃出しても大丈夫でしょうか? こういうお礼の手紙をもらうのは迷惑でしょうか? あと、お務めいただいたお坊さんのお名前、住職様なのか副住職様なのか分かりません。 こういう場合は、どうすれば宜しいのでしょうか?
死に時なのか、生かされる時なのか、試されていると思っています。 人間関係が劣悪で同僚が酷かった。家族も冷たい。職場でも家でも誰からも必要とされない。生きていて楽しくない。苦しい。死にたい。消滅したい…自殺も何度か考えました。 2年ほどそう思っていたら急に大きな腫瘍が出来ました。自分の負の念が自分自身を病気にしたと思います。同僚のマイナスの念波の影響が私には耐えがたかったから、その影響もあると思っています。 (今はジョブローテーで他部署に異動になりました) 現段階で手術すれば5年後の生存率は80%程度だそうです。放置すると腫瘍は悪性になり死に至る可能性があるから医師は手術を勧める。 切開してみないと分からないし、切開しても分からないかもしれない。手術しても死ぬ可能性はあります。 ならば、と思い 天に任せて何も治療しないという考えは、仏教的にみて自殺でしょうか? 死にたい自分、運命を委ねたい自分、手術が怖い自分…手術するか迷っています。 お坊さんの意見を聴きたいです。よろしくお願いします。
体が変な感じが治りません。 昨日も今日も目が覚めた時から頭の中も一日中変です。 お坊さんに失礼なことをしたからバチがあたってしまったのでしょうか?
最近一回相談させてもらったのですが、また怖くなってしょうがないです。 ニュースを見ていると、人がどんどん死んでいき、自分もいつか殺されるんじゃないかと恐怖を感じます。現在アフガニスタンなど、荒れている地域の報道を見ただけで泣きそうです。 死ぬ時って、苦しむのでしょうか、身近な人も無くなっていくのが、怖くなってきます。人は死から避けられないのは、なんとなく理解しているのですが、自分がいつ死ぬのかもわからないのが怖いです。意識が急になくなり、次はどこへ行くのか。非常に怖いです。 ふと思いつくと、寝れません。まだ高校生なのですが、これから先が怖いです。
母子家庭の高校生です。 母方の家系は霊感?というものがあるらしく 曽祖母も祖母も母も霊と呼ばれるものが見えるそうです。 私は幼い頃は見えていたようですが今はあまり信じていません。 とりわけ母は見る力?が強いらしく今でもよく何かが見えるそうです。何かによって今まで良くない目にあったこともあるそうです。 ここから本題に入ります。 私の母は幼い頃からほぼ毎日悪夢を見ています。 化け物が出てきて、夢の中で殺されたら 実際に死んでしまうと言われて襲いかかられる夢だそうです。その夢の中でまだ幼い母は自分がいつ死ぬかを告げられたそうなのです。 その「自分の死ぬ日」というのは 母の誕生日でもある10月6日なのです。 今年のです。 先ほど母から「自分は近々死ぬ、あなたを幸せにできたかな?」 といったようなメールが来ました。 母は夢で告げられた死を信じきっています。 そんなことあるわけないと私は母に何度か言ってみましたが 幼い頃からほぼ毎日のように刷り込まれてきた死の印象には太刀打ちできません。 夢で言われた通りに死ぬ、なんてことあるはずが ないと言いながら、私も多少信じてしまっている部分もあります。 本当にその日に母が死んでしまうかもしれないと考えると怖いのです。 せめてその日は母の側にいたいのですが、部活の大会があり遠くに行ってしまいます。 何かあっても私にはどうすることも出来ません。 こういった事もあって「何かが母を守るものを引き離しているんじゃないか」と非現実的なことを考えてしまいます。 私1人じゃどうすることも出来ません。 母は正直生きることを諦めているような感じがします。 それに先ほども述べましたが母は今までにそういった霊や不思議な力?でひどい目にあったこともあるそうなので今回も抗う気が無さそうです。 私はこんなことで母が死ぬと思いたくありません。でも例えばその日にもし母が事故にでも遭ったとしたら生きようと救急車を呼んだりせずに死を受け入れてしまったりしそうで怖いのです。 母を失いたくありません。 私はどうしたら良いのでしょう。 助けてください。
我が家は菩薩寺がない状態です。 昨今は宗派を問わない民間の祭儀場があり、近隣住民もそこを利用しています。 末代の私が宗派変えを言い出したため、総本山で近辺の菩提寺を探してもらったのですが、檀家を取っていないとのことで、菩提寺探しに難航しています。 急ぎで法要や葬儀があるわけではないのですが、私自身が素人信者なため、経験の深いご住職や僧侶様の教えを頂戴したいと考えているところです。 教えを乞う、というのはおこがましいのでしょうか。素人仏教徒にとって必要なものは一体なんでしょうか。
私の両親は50代で病気もなく健康体です。ですが、私自身「もし両親が急に死んでしまったらどうしよう」というどうしようもない不安を常に抱えて生きています。 先日家族旅行に行き、帰りの空港でもこの旅行が家族での最後の旅行になったらどうしようと考え、1人でこっそり泣きました。また、この空港でのエピソードを友人に面白おかしく話そうとしたところ、その時の感情を思い出して再び泣いてしまいました。 私自身、予想もできない未来に不安を抱いて生きるより、今一緒に過ごせている時間を楽しく過ごした方がいいことは十分理解しています。むしろ私自身もそうやって過ごしたいのですが、楽しい時間を過ごしている時ほど、終わりを考えてしまいます。 私自身、身近な人を失った経験が現時点でない為、人一倍死への恐怖が大きいように感じます。家族との別れを想像しても、乗り越えられる気が全くしていません。小学生の時から20になる今までずっとこの考えで生きてきたので、根本から変えるということは難しいのかもしれませんが、少しでも楽に家族といまこの時間を過ごせるような考え方はないでしょうか、、 お坊さん自身が、ご家族との別れについてどのように考えているかだけでも教えていただけたら幸いです。
最近、CMで沢山流れている『お坊さんの居ないお葬式』を御覧になられた感想をお聞かせください。 名古屋にある、ナインアンドパートナーズ株式会社が運営しているみたいです。 全国の仏教会から抗議、批判があっても当然かと思いますが、如何でしょうか?
以前書き込みした「葬儀が無くて暇」の寺での話です 某有名人の葬儀をしたのがよほど嬉しかったらしく 住職がその様子をいろいろ話してくれました。 この業界で有名人の葬式を行えるのは ステータスか何かですか? 遺族の悲しみを想像すると坊さんの嬉しそうな様子の ギャップが未だに埋まりません。 とある質素な葬儀を悪い見本のように言い 盛大な葬儀を良い見本のように聞かされたこともあります。 お寺さんから見たら人の死はそのような扱いなのでしょうか? そもそも個人的なに葬儀の内容を他所で話されるのは 有りなのですか?
どんどん悪くなっています… 仕事も自分の精神も…自業自得わかっています。 しかし死ぬ訳には生きません。どうすれば過去の悪行のカルマの清算出来ますかね?功徳、詰み重ね…この状況から抜け出したい…来世ではお坊さんになりたいと思っています。なのでこの人生で自死を行う訳には行きません。アドバイス宜しくお願い申し上げます。辛い…辛い…辛い…毎日毎日毎日ビール飲んでいます。勿論悪い…わかっていますしかし飲まないと眠れないです…
自分を守るために死を選ぶのもありだと強く強く思うようになりました。 詳しく何々があり、こういう事に苦しんでいるという具体例をあげるのが本来でしょうが、ごめんなさい、いろいろと小さい事がたくさん積み重なった結果で、何をどう書き示したら良いのか分かりかねてしまぃした。 そこで、お坊さんの心の自己防衛法を教えていただけませんか? また、心は修復可能なのでしょうか?
今年の1月に実母が病気で亡くなりました。 もうすぐ亡くなって1年がたつのですが、今でも病室で苦しそうにしていた母の様子を思いだし、悲しくなってしまいます。 病室にお見舞いに行く度に、衰弱してゆく母の様子を見るのは辛かったです。 きっと母は、そんな辛い病気の時のことよりも、楽しい想い出を思い出して欲しいのではないかなと、勝手に思っているのですが、 夜中に目が覚めてしまった時などに、いつも病室の苦しそうな母を思い出してしまいます。 時々、今でもとても悲しくなってしまいます。 私はどう過ごせば良いのでしょうか? よろしくお願いします。
人を選びながら困っていたら手助けし、人を痛みつけたり暴言を吐いたりしていませんが… 自分に降りかかる出来事が良い事とは思えず、暴言や無視や暴力を受け…そうする人と距離を置くべきですが、距離を置いてもまた他の形で痛い目にあいます。 唯一安心できるのは、4年付き合っている彼と会う事ですが最近連絡してもなかなか返事が来なく辛い気持ちを伝えても考えなきゃいいだろ。 の一言で終わり…唯一安心できる場所も無い状態です。 毎日他の事をして気を紛らわそうとしていますが、日に日に何とも言えない辛さ、悲しさ、虚しさを感じ、たまに息苦しくなります。 生きるのも死ぬのも選択できず辛いです。 お坊さんでも、生きていくのが辛いという気持ちになった事はあるのでしょうか? あるとしたら、どう乗り越えてきたのでしょうか… 本気で死を考える人は周りに死にたいとは言わない、と聞いた事がありますが… 私の中では、これが最後のSOSになると思います。 お坊さんや周りの人達から見たら、甘えてんじゃない、人に頼るなと言いたくなると思いますが…
以前から拝見していましたが、ご助言をいただければと思う出来事があり、、初めて質問させていただきます。 娘の保育園の関係で親しくなった一家の旦那さんが、少し前に若くして病気で亡くなりました。 その家には2人の子どもがいますが、お母さんは気丈にがんばっています。 私もなるべく力になれればと思い、一緒にご飯を食べたり、話を聞いたり(とはいえあまり自分の辛いことを話さない人なので、世間話や仕事の話、子どもたちの話題ばかりですが)、大変なときは子どもたちを預かったり、、というようなことをできる範囲でしています。 子どもたちも小さいなりに(小学1年生と4歳)父親の死を理解しているのですが、特に上の子(男の子)は小学校という新しい環境に入ったばかりということもあるのか、穏やかだった以前とは違って最近はいつもイラだっているか、自分の欲求をまわりにぶつけて、意に添わないと一緒に遊んでいる妹やうちの子をいじめたり暴言を吐いたりしています。 この年頃の男の子は多かれ少なかれそんなものだとも思いますが、やはり寂しさや、どこにもぶつけられないモヤモヤが、怒りやイライラとなっているのではと思うと、かわいそうになります。 お坊様がたにお聞きしたいのは、 このような場合、周囲の大人は小さい子どもたちにどのように接すれば、少しでも安心感をあげられるか、そしてお父さんの死を、どのように扱えば良いのか、ということです。 子どもたちには特に、今までどおり何も変わらない接し方を心がけていますが、もし伝えてあげたら子どもが少しでも楽になれるような言葉があるのなら、伝えてあげたいです。 こうして書いていると、お坊さんではなくて児童カウンセラーに質問すべきことかしら…と思えてきましたが(汗)、色んなお立場からのご助言をいただけたらと思い、質問させていただきます。
初めての質問で、ずっと考えていた、人に話したことの無い私の人生観の相談になります。 表題からまず、誤解せずに頂きたいのは、私は別に苦しいからつまらないから死にたいとは思ってません。 逆に、なぜ皆、自殺=悲劇、悪、禁忌という考えなのか理解出来ません。 私は自分の人生において、ある年齢に達した時に自ら死のうと決めております。 それは人生がつまらないだとか苦しいからだとかという理由ではなく、そこを自分の終着と決めたからです。 やり残したことや後悔などはきっとすると思いますが、それは生きている以上無くならないですし、無くしてはいけないものだとも思っているので、それも受け入れて自分に幕を引きたいと考えているのです。 その行為によって、自分が納得しているか否か関係なく周囲に必ず迷惑がその後にかかるということも承知してます。 それでも、人に気を使って私の自分で決めた終わり方をやめようとは思えません。 それゆえの、表題での根本的問いです。 本人が満足し、納得した自殺をなぜ悪く言うのですか? そもそも死が忌避される理由すらもわかりません。 世界の一つの理に対して人は勝手に忌避を覚えることに疑問です。 絶対に抗えない世界の理に対する意識とは『忌避』ではなく、どう捉え、受け入れるべきかなのではと考えています。 自然死を待つ、というのも考えてはいました。 幼い頃は長寿を望んでいましたが、なぜ長寿を望んでいたのかを考えた時、特に理由もないことに気がつきました。 で、あるならば、私はいつ死ぬべきなのか。 現時点で私は事故で死んでも、後悔、やり残しがありますが、それでも納得して死ねると思っています。 誤解されそうですが、死を美化して捉えているわけではありません。 自分自身で終着を決めることで日々生きているのだという実感を得ることが出来、そして自身で決めた終着にて、私という存在に幕引き、人生が完成を迎えるのだと思っているのです。 だから問いたい。 自殺への忌避と悪、そして逃避という捉え方は違うのではないかと。 仏教において、聞きかじりで申し訳ないですが、仏教は自殺が=で罪ではないということから、このような形で長年の疑問をご相談させて頂いております。 お坊さん方は、みなさん、自殺をどう捉え、そして生きているのでしょうか?
いつもコメントをくださる皆様ありがとうございます 母の自死からなんとか立ち上がろうと何度もここを頼らせていただいています だけど…限界を感じています 母の死を受け止めようとしましたし、残されたいざこざもなんとかしたい・なんとかしようと思ってきたのですが… 心と体が悲鳴をあげています なんでもない瞬間に涙が出たり、ただただそこにいることがとても恐ろしくなり…例えばベランダから飛び降りそうになってしまうのです それを抑えるのにも大変な労力が要ります たぶんですけど、母もこんな状態で死んでしまったのかもしれないと思いました とても悪い意味で「心が震える」という感じでしょうか… 胸が痛く、苦しく、呼吸もままなりません でも、どこも悪くありません すべてストレスでしょう きっと、私の自然な死はまだまだ それまでこんな心と体の苦しみは続くのでしょうか 残された実家の家族を、私には支えきれない 手を離したい でも、 私が手を離したら…きっと家族の誰かが母の後を追う 福祉に繋げたつもりだったけれど、家族が福祉を拒みました… もうどうしていいかわからない… 私にできることはない… 勝手に手を離しても、「家族」だから いつか私に尻拭いがやってくると思うと… 生きている意味があるのでしょうか ただ苦しいだけです 人間誰しも、楽しいばかりではないです みんな何かを抱えている わかっているのだけど… それを乗り越えられる強い人がいて でも、乗り越えられなくて自ら死を選ぶ人もたくさんたくさんいて 私は後者なのだととても強く感じています 私にはずっと希死念慮があったけど、 それとは違う「限界」を 今まさに感じています できれば家族のためにもここは乗り越えたいです 一時的なものでも構いません 何かアドバイスをいただけないでしょうか… よろしくお願いいたします
こんにちは。 昨日、私の彼女のお父さんが癌のためお亡くなりになられました。まだ若く70歳でした。 2年前の11月に年内までと余命宣告を受けておりましたが、お父さんの生きる気持ちが強かったのか余命宣告を受けた後もしばらくはとても元気に生活をされていたと聞いています。 ここ数ヶ月は体調の悪化で入退院を繰り返し、後半は酸素マスクが必要な状態となっており、私もそのタイミングで初めてご挨拶をさせていただきまして、そのちょうど1週間後に息を引き取られました。 彼女は、お父さんがいなくなった悲しみや「余命宣告されてから2年間もあったんだからもっとお父さんの写真や動画を撮ったり、親孝行しておけばよかった」といった後悔を感じているようです。 こうした悲しみや後悔の心の状況にある彼女にお坊さん方から、何かお言葉をいただけると幸いです。 また、これからもっと想い出を作っていきたかっただろう彼女の気持ちや、お会いした時のお父さんの顔を思い浮かべると私自身も辛くなる時があります。 私の心の持ち方や彼女にこれからどう接していくのが良いのかも合わせてアドバイスいただけたらなと思っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。