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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 嬉しい」
検索結果: 545件
2023/07/20

両親が死んでしまうと考えてしまいます

心が疲弊してしまい涙が止まりません。助けて下さい。 私は都内の専門学校に通っている学生です。 実家は関東の田舎にあり、数ヶ月に1度程度で帰省しています。 私は今少し精神的に参ってしまい上手く学校に通えず、家で出来る課題を常に頑張っています。それと心のケアとして、テーマパークなどに遊びに行ったりして少しずつ精神は落ち着いてきたように思っています。 しかし自分が楽になった!と思ったくらいに急に来るのです。「もし今実家が倒壊して両親や祖母がいなくなってしまったらどうしよう」という気持ちが。 こんな事を考えてしまってはどんどん負の感情で埋まってしまうのは理解しているつもりですし、全然関係ない好きな曲を聴いて紛らわしたりしてきますが、やはり1度脳裏に浮かんでしまうと考えたくない事がずっとずっと巡ってしまい、動悸が止まらなくなってしまいます。 私は親に幸せにずっと生きていて欲しいと願っています。 身体がどんどん悪くなっていく親を見てその痛みを代わってあげたいとも思います。 それなのに脳を過ぎるのは「親が死んだら」「親がいなくなってしまったら」等のマイナスな事ばかり…… 私は疲れてしまいました。親の幸せの為、自死を選びたくはありませんが、この話を知人にはする事が出来ず1人で抱えています。 私はどうしたらこのぐちゃぐちゃとした気持ちと離れられるのでしょうか? 考えが上手くまとまらず拙い文になってしまいましたが、読んでくださった方なりの考えをお聞かせいただけると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

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2024/10/07

父が突然意識不明になった

今から2週間前のお彼岸の頃、父が突然倒れ、意識不明になりました。 私は、実家へ戻り、父が眠り続ける病室へ見舞いに行きました。話しかけ続けると、うでを動かしたり顔をしかめたり、喉や口を動かして、反応をしてくれます。 でも、お医者さんに言わせれば脳波は既になく、人工呼吸器も経管栄養も本人を苦しめるだけとの事でした。近々、療養型の病院に転院します。 言い方が悪いですが、そこで「死」を待つ事になりそうです。長くて6ヶ月との事でした。 父と最後の会話をしたのは3ヶ月前に帰省した時で、「関東から車に乗せて、秋田の田舎まで連れて行ってやるよ」と言った事を覚えています。 土地勘が実際にはあまりなく、いい加減な事を言ってしまったな…と、思いました。でも、こんな事になるなら、多少無理をしてでも、連れていけば良かったです。 父はおじさんと、お彼岸にお墓参りに行く約束をしていたそうです。もしかしたら、先に亡くなった祖先の方たちに呼ばれたのかもしれません。 父も、もう80歳で、平均寿命です。 でも、出来たらまた一緒にお酒を飲んで、バカな話をして笑いたかった。 父が飲み残したウイスキーを飲みながら、涙が出てきます。 可能であれば、仏様のご加護がありますように、一緒に祈ってくれると嬉しいです。

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人並みに生きたいです

こんにちは、ぼんと申します。 初めての相談になりますので読みにくさあるかと思いますが、ご了承いただければ嬉しいです。 私は現在無職です。 会社に勤めていた頃は全く仕事ができず、よく上司や先輩からも叱責されていました。別にサボっているわけではないのに、指示を間違えて聞き取ったり、ミスをしたり、忘れたりと努力をしてもうまくいきませんでした。その後、体調が悪くなり一度休職をして復職後しばらくは働けましたが、症状が再発し再休職しました。 休職中は自分なりに、休職しないための対策をして臨みました。 具体的には仕事の進め方や人間関係、コミュニケーションについて勉強したほか、考え方を変えるために認知行動療法を日常に取り入れました。 しかし復職して1ヶ月もたたずに、再々休職になり少し前に退職もしました。 職場の人から冷遇されることも、仕事で苦労することも承知の上で、戻ったつもりです。 ただ私の予想以上に、上司からの度重なる嫌味やあからさまに私を辞めさせたい態度や行動が多く、その結果症状が再発しました。 管理職にも一度相談しましたが、嫌味な上司の味方で逆に責められただけでした。 今は転職活動もせず、資格勉強もせずただだらだらと過ごし、時には希死念慮も出ます。 前みたいに頑張ろうと思っても、体が動きません。 別に何か人より優れたいわけじゃないし、特別成功したいわけでもないです。 みんなが持っている普通の能力や幸せが欲しいだけ、自立した人並みの生き方をしたいんです。 どうすれば私のような不出来な人間でも、社会に認めてもらえますか? 努力をまたできるようになるために、どう考えて行動したらいいでしょうか? 長文になり申し訳ありません。 よろしくお願いします。

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このまま報われないのか

去年、失恋が辛すぎてハスノハにたどり着きました。また頼ってしまうこと、申し訳ありません。 失恋が苦しくて苦しくて苦しくて、毎日毎日泣き続けて、でも心は動けなくて…約1年経ちました。 この1年、失恋の苦しみから逃れたくて、忘れたくて、仕事を頑張りました。 そして、責任ある仕事を任させるようになりました。任されたときは、頼りにされたことが嬉しくて頑張ろうと心に誓いました。 ですが、上司や同僚、後輩その他多方面から色々なことを言われ、上下から揉まれる毎日に溜まっていたものが溢れだしてきました。 責任者になってまだ半年だというのに、辛くて逃げ出したい気持ちで一杯です。 世間一般の過労死ラインに近い位働いても、昇給やボーナスの類いは一切なく、同僚と同じ額の給料です。 入社して約2年半、この仕事自体は好きだし続けたいです。でも、好きなだけでは気力が保てなくなってきました。 好きな人にも振り向いてもらえず、打ち込んだ仕事も思うように進んでいかない… 報われないのは頑張りが足りないからでしょうか?仕事に打ち込んだ理由が不純だったからですか? 私は、誰からも認めてもらえないんじゃないかとさえ思います。

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心が弱い

心が弱く、目の前の現実と向き合うことができません。 希死念慮が昔からあります。 HSPだとわかり、一時期は楽になりました。 しかしふとしたきっかけで落ち込み、辛さを感じると(HSPは気質で治るものではない為)私はこの先もこういう感覚を持たなければいけないのか、できればもう味わいたくない、とくじけそうになります。 自分で自分の気持ちに心を潰されそうになるような感覚です。とても苦しく、消えたいと考えます。 HSPはいい面もあり、美しい景色やアートなど、人より敏感に感じ取れ人の何倍も感動できるといいます。 その面は嬉しいですが、やはり前述したものが辛いです また、ショッキングな出来事にも心が潰れそうになります。 そうなると現実と向き合えず、心が泣いたままその現実が終わるのを待つようになっている気がします。物理的に逃げてはいないけど心が逃げているというか、心が傷つくのできちんと受け止められていない、そんな感じで過ごしています。 それは常に自分の心と戦うような感覚で、自分の心を守るばかりで人のためになにかをするということができていないように感じるのです。 普段は、以前よりは自分も周りも心地よく過ごせるように行動できるようにはなりましたし、それはとても幸せに思います。ただなにがきっかけで落ちるか自分でもわからないため不安です。 死にたいわけではないけれど消えたいという気持ち、心が潰される感覚をもう味わいたくない、そんな自分がこれから健やかに心を育てるにはどうしたらいいでしょうか。

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会ってない父が死に色々考えてしまいます

3年ほど会っていなかった父が亡くなりました。いい父親というわけではありませんでしたが彼なりに子供思いの父でした。 最後に会った時は私の離婚騒動で、再構築するにあたり迷惑をかけたお詫びに行った時です。 そのあとは2、3ヶ月に1回父から「大丈夫か?優しくしてもらってるか?」などの電話が来て少し話す程度でした。 神奈川と埼玉、遠いいけど会えない距離じゃない、いつでも会える、と思い次は会おう来年は会いに行こう、などとずるずる時間が立ってしまい会えずじまいでした。 祖母が入院して、世話をしながら1人で耐えられずお酒に逃げた父を思うととても申し訳なく辛くなります。安らかな死ではなかったです。 いつも私を思っていてくれたのに、私は自分の生活で父のことなんてあまり考えてはいませんでした。 あの時あっていれば、電話していれば、ずっと考えてしまいます。時間が経てば幸せな記憶と一緒にたまに笑顔を思い出し安らげる日が来るとは思いますが、今は後悔ばかりです。 いい娘ではなかったし迷惑や心配をかけっぱなしでした。 声が聞きたいし顔が見たい。 いつか記憶の顔が朧げになるのが怖い。 親不孝ばかりした私を嫌いになってしまわないか。いつか会えるのか不安でたまりません。

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2023/10/17

大切な愛鳥の命を奪ってしまいました。

一昨日、大切な家族である文鳥のピノを殺めてしまいました。 まだ生後7ヶ月でした。人生で初めてお迎えした家族でした。挿し餌から育てた子で我が子同然でした。 ピノは私にもったいないくらい可愛くて良い子でした。そんな子を、私は側にいて欲しいというエゴで殺してしまったのです。 きっかけはピノを自分のかけていた毛布の中に入れてしまったことです。 もともと寒いだろう、温めてあげようという気持ちからよく毛布に入れていました。 しかし、その日はピノを毛布の中に入れた後、腕で押さえつけて、疲れからか意識を失いうたた寝をしてしまいました。 そしておぼろげな意識の中で、私はピノを力をかけて押さえつけていました。 殺意はありませんが、本当にどうして死なせてしまったのかわかりません。 心の底から愛していたピノを苦しめてしまいました。なぜそんなことをしてしまったのか、自分が恐ろしいです。 意識が戻り、ピノの声がしないことに気づいて、遺体を見つけたことで死なせてしまったのだと気づきました。 ピノはまるで眠っているかのようで、また目を覚ましてくれるのではないかと考えてしまいました。 何度も目を覚まして欲しい、ごめんね、愛してると呼びかけましたが目を覚ましてはくれませんでした。 本当に可愛想なことをしました。こんなひどい最後を迎えさせてしまい胸が苦しいです。ピノはもっと苦しかったと思います。 最低な飼い主でした。 償うことも代わりになることもできず、自分が許せません。 ピノが亡くなった日は家から出れず一日中泣いていました。 ずっとピノのことを考えてしまい、辛くて眠ることが出来ません。 また、火葬して頂いた際に骨に傷はなく、腎臓など内臓系が悪かったみたいだと聞きました。 そんな体で私のために一生懸命生きてくれていたのに、追い討ちをかけて死なせてしまったことが辛いです。 窒息死であれ、ショック死であれ自分の手で殺めたことに変わりはありません。 叶うならピノに本当にごめんね、愛していたのは事実だ、大好きだと伝えたいです。 家族や周りはピノは凄く愛されてて幸せだったと言ってくれます。 私はピノに毎日幸せを貰っていました。 だけどピノは本当に幸せだったのだろうか… 永遠に出ない答えを探してしまいます。 今後、ピノがいない日々を過ごすことが辛いです。

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これからどう生きていけばいいか

先日、私の元アルバイト先の後輩が亡くなったことを知りました。亡くなった理由は自殺だそうです。 私は4月から社会人でアルバイトは3月末で卒業し、今回コロナの影響でアルバイト先の皆と会うことが叶わず、すごく不甲斐ない気持ちです。 後輩の子はちょうど一年前に入り私にとっては初めての後輩ですご嬉しく、大事に成長を見届けたいなと思い、関わっていました。今年の4月から後輩の子は契約社員として働くと聞き、本当に嬉しかったです。 私が最後のシフトの時も隣に来て私より号泣してくれて、「私の憧れです、でも寂しいです」って言ってくれて。1年しか一緒にいなかったのにこんなに思ってくれる妹みたいな存在ができて幸せだとと思ってました。 コロナの影響で外出(勤務)もできず、不安や悩みをきっと誰にも言えず自分をいっぱい責めて亡くなってしまったのではないかと思います。 ずっと慕ってくれた後輩に先輩として、人として何に悩んでいたのか、何に傷ついていたのか何も知ることもできず、何もできませんでした。 もっと声をかけてあげるべきだったと後悔してます。こんな形で人との関わりが大事だったと気付かされた自分が嫌です。 周りから自分を責め過ぎないでこれからその子の分も幸せになることが後輩の本望だよと言って頂き少し落ち着いてきましたが、後輩のことをふと思い出し自分は何をすべきだったか考えてしまいます。 もうこんな辛い思いを他の人にして欲しくないと思います。でも後輩は私達のことをどう思ってたんだろうとか考えてしまい、この先どう進めばいいのか悩んでいます。 とても抽象的な悩みになってしまい申し訳ないです。でもどうか向こうの世界でも後輩が幸せに過ごしてほしいなと心から願ってます。

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2022/09/15

自分との向き合い方、親との接し方

小さい頃からメンタル面が弱いです。 今でも、成人男性や酔っ払っている人が非常に怖かったり、自分に自信がとにかく持てず、私自身のことを褒められてもしっくりきません。 丁寧に説明されると嬉しいことには嬉しいのですが、心の隅では「過剰評価だ」と感じてしまいます。 それらについてネットを中心に調べてみたところ、親からの影響だとか、愛情不足だとか、幼い頃に褒められてないだとか……そういった言葉が様々な場所で「あなたは悪くありません」と一緒に、頻繁に書かれていました。 確かに、親に褒められたことを思い出そうとしても出てきませんし、抱きしめられたり頭を撫でてもらったことも思い出せません。 けれど、10代の頃こそ親に愛されていないと思い込んでいましたが、今現在では「あれが両親の言うところの愛情だったのかもしれない」と思い当たる出来事も数個あります。 思っていたように育児がうまくいかず親も苦しかったのだろう、と、親へある程度の共感や理解もできるようになりました。 一方、考えれば考えるほど、どうしてあんなことができたのかなぁと不思議に思ってしまいます。 向こうが「愛情だ」と言っていても、私からすれば苦痛でしかありませんでした。 それでも、きっと両親は嘘をついていなくて、本気で私と弟を愛しているのだと思います。 頭では「愛されていた」とわかっていますが、完全に割り切れているわけではありません。 親に裏切られたこと、傷つけられたこと。それらを忘れることもできなければ、許すこともできそうにありません。かといって、縁を切るほど憎みきれているわけでもありません。 本題に戻りますが、 私の持っているトラウマや自己肯定感の低さ、希死念慮、そういったものを全部親のせいにしても良いのでしょうか。 みんなの言う通り、私の努力不足や能力不足だったり私が怠けているだけではないのでしょうか。 また、愛憎半ばな親にはどう接すれば心身穏やかに暮らすことができるでしょうか。 実家から出るメリットが「親と離れられる」しか思いつかず、且つそれが(少なくとも今は)特別大きなメリットでもないため、心構えなどを中心にお言葉をいただけるとありがたいです。

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子供が欲しい私といらない夫

現在小学生の子供が2人います。 30歳になり周りが出産ラッシュに入り、次々と嬉しい報せが来ます。すごく嬉しい反面、私ももう1人産みたいなという気持ちが大きくなってきています。 今までは子育てや両親の死祖母の介護に追われて正直子供を産むのは無理かなと思っていましたが、やっと落ち着いた生活を取り戻しました。 今ならゆっくり育児ができる。とおもっていますが、夫は反対しています。 夫の子供を持ちたくない理由は、お金はかかる。子育てがあと半分というところで一から始めたくない。子供が独り立ちしたら趣味のパチンコが好きなだけできる(今も毎日のように通ってます) 子供が好きな行楽地は楽しくない。という感じでまた幼児に手をかける事が面倒だと感じているようです。 育児には向かない夫なのは百も承知なので、イクメンじゃなくても子供が可愛いと思ってくれて、稼いできてくれるだけで充分だと思ってきました。 私が子供を諦められずにいてそのことでよく喧嘩になります。夫の嫌がることを諦められないので仕方ないのかもしれませんがわがままな人間と思われているようです。 多分夫が折れることはないだろうと思っています。でも諦められないです。 子供が成人したら夫婦でしたいことと言っても、たまに子供を預かってもらってのデートもパチンコ。それは変わることはないだろうな。と。 旅行も私は海外へ行きたい。でも夫は国内がいい。私は美しい景色を見たいけれど夫は美味しいものが食べたい。夫が食べたいものがある土地へしか旅行もいかないのでそれも変わらないかな?と思います。 将来を思い描いても、やはり子供を持つことの方が有意義に思えてしまいます。 普段の生活面では夫にわがまま言うな!とも言わず合わせる事ができるのに、子供だけは諦めきれないです。どうやったら諦める事ができるでしょうか?

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2024/11/18

自傷行為に走りたくなる

こんばんは。毎度お世話になっております。また相談させていただきます。 ネットでは「相談に乗ってくださる方も時間が空いたときに回答してくれるので大丈夫」という意識があり、こうしてご相談することができていますが、現実の生活の中だと「相手も忙しいだろうに相談されても困るだろうな」「相手の時間を奪って迷惑をかけてしまう」との思いがあり、なかなか相談やお願い事ができず、自分の中で悩みを蓄積させてしまうタイプです。 故にストレスが溜まっても相談して発散することがあまりできずに、自分を心身ともに傷つけることでストレスを発散させたくなってしまいます。 またストレスと言っても自分の努力ではどうにもできないタイプの悩みに対するものなので、解消することもできません。 根底には僕が自分自身がとても嫌いだというのがあるかと思いますが、精神疾患だった母の元で育った環境が原因か、遺伝か、はたまた気質かは分かりませんが、自分も気分障害だと精神科の担当医より言われました。 服薬してはいるものの、自分の心根のせいか、後ろ向きな思考が拭えません。 幸い、「自傷行為をして精神科に入院になるのは嫌だ」という一心で食い止められてはいますが、どうすれば軽くて自傷したいという欲求・重くて希死念慮を無くすもしくは軽減させることができるのでしょう?

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下血しても生きている私(※貴方に贈ります)

数年前、私は大量の下血をしました。 その当時の私は、生きることに疲れていました。 主治医からは「命に関わることですよ!」と言われましたが、私は「ラッキー!」と思い、検査を断りました。 それから1年が経ち… 「まだ生きているやん…」 そこで「じゃあ、一周年記念に」と、大腸検査を受けに行きました。 特に問題なしとのこと。腸内には傷も何も残っておらず、「また定期的に検査を受けに来て下さいね」と言われただけでした。 なので、そのままに。 定期検査にも行くことなく、今に至ります。 でも、実は今年に入ってからも、また下血を繰り返している時期がありました。 「またか…」という気持ちです。 まだ検査は受けていません。放置していたら、また下血しなくなったので、何だか行きそびれましたね。 でも、「まぁ、いっか」と思っています。 体調が悪いことには慣れてしまいました。 今は、別の病気で、別の精密検査を受けているので、大腸のことは「まぁ、いっか」と。 人間、なかなか死ねないものです。 思っている以上に、頑丈に出来ているのですよ。 多分、死にたい時には死ねません。 しかし、死にたくない時に死ぬこともあります。 自分でコントロール出来ないのが「死」です。 誰にもコントロール出来ないのです。 でも、いつか必ず死は訪れます。 だから、何も焦る必要はありません。 「今」を精一杯生きていればいいのです。 私は、「いつ死んでも後悔しないように生きる」をモットーにしています。 辛い時も苦しい時も、楽しい時も幸せな時も、全てが「今の私」なのです。 頑張らなきゃならない時は頑張りますし、頑張らなくてもいい時は頑張りません。 私は、1人ではありませんよ。 hasunohaで出会ったお坊さまだって、たくさんいます。 だから、皆に感謝して生きています。 時々、暗~い私もhasunohaに訪れますが、何もなくて幸せ~な私もhasunohaに訪れます。 hasunohaは、私が頼る場所であり、同時に勉強する場所です。 他の方の質問も読ませていただいております。 そして、それに対してお坊さまがどのようなアドバイスをなさるのかも注視しています。 生きている限り、私の「学び」は続きます。 今私が頑張れるのは、皆が存在するお陰です。 皆様「ファイト!」です。

有り難し有り難し 23
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