現在、父と母と父方の祖母と暮らしています。今は何事もなく平和に暮らしていますが、小学生時代から高校時代までは家の中がグチャグチャでした。 父方の親戚、(父の姉、亡くなった祖父の妹、亡くなった祖父の弟の嫁、その嫁の娘)この4人と同居している祖母が結託してわたしの母の事を攻撃していました。 父は祖母達の味方をしており母は心を病んでしまい自傷行為をわたしの前でするぐらいになってしまいました。幼いながらわたしもそれが辛くて辛くてロープを用意して死のうとしたこともあります。 時が経って高校にはいって、ある時祖母とその親戚達が揉めて疎遠になりました。 そのおかげか家庭内は平和になりましたが自分のやったことを全て忘れてその親戚達だけを悪者にして自分は被害者なんだと言っている祖母が過去のこととは言えどどうしても許せません。 祖母は高齢で肺がんを患っていて先は短いので、過去のことは忘れて優しくしてあげたいとは思いますがどうしても辛くあたってしまいます。 でも辛くあたってしまったあと罪悪感に襲われてしまって自分自身がとても辛いです。 なので今回お坊さんの意見が聞きたくて相談させて頂きました。 どんな回答でも良いです。お忙しいところ申し訳ありませんが良ければ回答をお願いします。
事情によりアカウントが変わっていますが昨日凄く怖いですというタイトルの質問をしたものです。解答してくださりありがとうございました。出会い系サイトにて不特定少数のかたに顔写真をおくってしまいました。先生たちは気にしなくていいと写真と出会い系を紐付ける証拠はないと声をかけていただきました。ですがそれでも私の不安は解消されません。出会い系を紐付ける証拠はなくても卑猥なメッセージごとスクショされて知り合いにしられている。スクショした画像を加工して他サイトで悪用されている等といった不安です。可能性は低いと思いますがその数パーセントが私にとっては大きいもののように感じます。3カ月前から大丈夫だなんとかなる。仮に誰かにみられても自分にそっくりな人なんだととぼければいい等と言い聞かせてきましたがもう限界なのでしょうか。とぼけても嘘はばれますし時間がたつにつれて不安が大きくなっているようです。誰かにみられている気がずっとしています。最近は死にたいと時折思うようになりました。今日は朝から涙がでてきて仕事にいくのがつらいです。もう本当にダメかもしれません。サイトの画像は3カ月前にほぼすべて削除しています。出会い系サイトは画像をダウンロードできない仕組みですがスクショされていたら悪用はできるようです。混乱していて文章がめちゃくちゃですね。先生のお声をもう一度だけおきかせください。同じような質問でもうしわけないです。この類いの質問はこれで最後にします。今まで色んな質問にこたえていただきお坊さんたちにはとても感謝しています。本当にありがとうございました。独りで悩んでいたら3カ月も精神がもたなかったとおもいます。
こんにちは。 昨日、私の彼女のお父さんが癌のためお亡くなりになられました。まだ若く70歳でした。 2年前の11月に年内までと余命宣告を受けておりましたが、お父さんの生きる気持ちが強かったのか余命宣告を受けた後もしばらくはとても元気に生活をされていたと聞いています。 ここ数ヶ月は体調の悪化で入退院を繰り返し、後半は酸素マスクが必要な状態となっており、私もそのタイミングで初めてご挨拶をさせていただきまして、そのちょうど1週間後に息を引き取られました。 彼女は、お父さんがいなくなった悲しみや「余命宣告されてから2年間もあったんだからもっとお父さんの写真や動画を撮ったり、親孝行しておけばよかった」といった後悔を感じているようです。 こうした悲しみや後悔の心の状況にある彼女にお坊さん方から、何かお言葉をいただけると幸いです。 また、これからもっと想い出を作っていきたかっただろう彼女の気持ちや、お会いした時のお父さんの顔を思い浮かべると私自身も辛くなる時があります。 私の心の持ち方や彼女にこれからどう接していくのが良いのかも合わせてアドバイスいただけたらなと思っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。
こんばんは。 恋愛感情の有効期限は3年と聞いたことがあります。 それって本当の気持ちじゃなくて、本能に従っている一時のものだろうなと思っています。 自殺者の9割がうつ病であると回答されていたのも拝見しました。 どちらも、強い気持ちで自分の本当の気持ちじゃないもの、もしくはそれより強い本能の欲求による感じるものだろうなと思っています。 だから死にたい気持ちが強くても、ふっと楽になりたいと思っても、一時の迷いで取り返しのつかないことをしたら、残された子供たちがひどいことになると思いいつもとどまってきました。 一人では難しく、いろんなものにたよりこちらでも大変助けられてきました。 私の悩みはどの機関に相談してもないがしろにされていることが本当に多かった。 そんな中、こちらではちゃんと回答をいただけることだけでものすごく大きな救いになりました。 ありがとうございます。 きっと私は解決方法が知りたいのではなく、ここまでひどくても寄り添ってくれる人がいると納得できるまで頼りたかったのだと思います。 今もまだ不意に死にたくなりますがこちらの存在は私にとって大きいです。 死にたくて辛い人が多いと思いますが、それが本当の気持ちそのものなのか、疑ってみてほしいと思います。 死を選ぶことはできますが、生き返ることはできません。 その前にその気持ちを疑ってほしいと思います。 そういう私もまだまだいろんな問題に直面していて辛い気持ちを抱え続けています。 お坊さんたち、ありがとうございます。 ここは本当に貴重なサイトだと思います。 大した恩返しができていなくてすみません。 これではまだまだ死ぬ資格がありませんね。
始めまして。 10月の初旬に巨大ハリケーンがハワイ島を襲い無人島が消えたというニュースを見ました。 その無人島は、ウミガメ・アザラシなどが暮らしている島です。 動物たちは生きていくことも厳しくなるでしょう。 今回は自然災害という形でしたが、人間の勝手でたくさんの動物たちの命や限りある自然が奪われています。 高価な鞄や服のために、たくさんの動物たちが生きたまま皮をはがれます。 無理やり繁殖させられた動物は、人間の勝手な価値観で優劣をつけられ待遇が変わります。 豚や牛、鳥、植物も人間のために命を奪われますが、日本の食料廃棄はとても多いです。 そのことを考えると心が痛いです。 人間なんていないほうがいいんじゃないかと思います。 お坊さんは、人間は存在してよかったと思いますか? 戦争をしたり、核実験をしたり、動物を殺したり、環境を破壊したりする労力と知恵を、地球を守ることに使ってほしいと思います。 私は菜食主義者ではないので魚も肉も野菜も食べますし、電気も使い原子の恩恵にあずかっています。 今できることは、必要なモノだけ買うこと。ご飯を残さず食べること。資源をリサイクルすること。 でもこんな些細なことが地球のためになっているなんて到底思えずに苦しんでいます。
私は23歳の男性です。 毎日写経が出来ればと思っています。 そこで幾つか思い浮かんだのがあるのですが、お寺で写経用紙を納めてください、と書いてありました。 詳しい事は良く分からないのですが、納める事を納経って言うんでしょうか? 写経と懺悔文について幾つか分かりやすく質問してみます、 1、写経用紙に般若心行を書き終えたらどうやってお寺に納めたら良いのですか?(自宅で写経をしています) 2、写経用紙の納め方はお寺でどうやってしたらいいですか? 3、写経用紙は何枚も書いても問題ないですか?例えば、1年間は365日ですから毎日書いたとすると365枚です。365枚納めたり…とか、1000枚書いたり2000枚3000枚… 4、お寺のお坊さんは驚かれるかも知れませんが、写経用紙を2年間毎日書いて合計730枚を直接渡しても問題はないですか? 5、懺悔文は1枚だけ書いて、あとはどうすれば良いのですか? 質問が多いですが、写経用紙を納める方法が分かればと思います。
いつもお世話になっております。 くだらないんですが、ずっと気になっています。 私は今の祈願寺に落ち着く前は、色んなお寺に行って 勉強していました。 どのお寺にも必ず、やたらとご信徒さんや観光のお客様に 絡んで迷惑かけるドアホ、変質者がいました。男女問わずです。 「若いのに偉い」という理由で突然接近してきて、 家が荒れてるんだよ〜とか愚痴ってきたり、 そんな姿勢じゃあいけないとか言いがかりつけてきたり、 目についたご信徒さんの悪口に勤しむバカもいたし、 坊さんと話していると断片的な仏教用語に反応するふりを して、「おねえさん、それ@@@のことですか!?」 とか絡んできたりする野郎もいたし、 別のご信徒さんに近づいて私のことを聞き出そうとした ストーカージジイもいました。そのご信徒さんは、 「知らない、知らない。僕も初めて会ったんですよ」 と言って守ってくれましたが。 ちなみに余談ですが、今の祈願寺は、非常に防災、防犯に 力を注いでいるので安心して修行することができています。 そう言う人も比較的少ないかな、と言った印象です。 本当にくだらない質問で申し訳ない。3年来の疑問です。
お坊さんの中には女性もおられますが、男性の方は女性だったらどう思うか教えてください。 乳がんの再建手術を強く希望しているのに、 タイミングや体調がうまく合わず約5年待ち続け、やっと来月やれるかと思ったら薬を変える話が出て、 その薬は始めたら再建手術は見送りになり、次はいつやれる体調になるかわからない。 もしかしたら一生あきらめないといけないかも。 勇気を出して医師に再建手術の強い希望を伝えると、再建を優先して薬を変えるのを後にしてもいいが治療が後手に回ることのリスクは自己責任だと言われた。 医師は完治しない乳がんを薬を変えてはなるべく再発転移までの時間をかせいでいくのが治療方針。 医師も家族も命のためなら再建は二の次だと思ってる。 私は生きる時間を長くしたいけど、最初の手術から再建ありきの話だったからやり残し感がずっとある。 切ってみて思ってたより病状が進行してたのは想定外だったけど。予定してた手術ができてない自分の体がいやだ。 こんな状態で考え込むと 心が暗く落ち込み無力感や不安感がおそってきて眠れなくなる。 命のため家族のためとは言え こんな精神状態で生きていくのがつらい。 迷っています。
こんにちは。 子供の名前について伺いたく質問をさせていただきました。 上の子の名前が今時の子にいるような、キラキラネームの部類に入るような名前で、ネットで検索すると歳をとったら可哀想、可愛いのは小さい頃だけなど良くない意見が多く子供に申し訳ない気持ちでいっぱい になりました。 その経験をふまえ、誰しもが読める名前を、歳をとっても違和感のない名前を考えようと漢字や読みに注意しながら考えたのですが、第一候補の漢字が画数が良くないとのことで、今の漢字にしたのですが他の読み方で読まれる事が多く、読みも今時の子にはいないような名前をつけてしまいました。(プロフィール欄にお坊さんのみ公開してあります) 上の子の名前は家族の意見を聞いて名付けたので、今度こそは自分がと、後悔のない名前をと周りの意見を押し通してまで付けたのですが、上の子の名前と全く関連していない事、上の子が今時の名前なのに下の子が今時でもなく古すぎる名前でもなく平凡な名前な事、友達や親戚から指摘されてしまい周りの意見をもっと聞いておけばと自分の意見を通すんじゃなかったと後悔の気持ちでいっぱいです。 周りがいい名前と言ってくれるような名前がつけてあげられず名前を呼ぶたびにこれでよかったのかと申し訳ない気持ちになり、堂々と名前を紹介する事ができません。 家事や育児を家族に任せてまで、名前について悩み、簡単には変える事ができないのに新しい名前を探し続ける毎日です。改名した方がいいと考えている自分に嫌気がさします。こんな私にアドバイスを下さい。
私の知り合いにたくさんヴェジタリアンがいますが、私は菜食とは言えない部類です。 インドをはじめ世界の菜食主義者は、もちろん宗教上の理由からくるひとがほとんどだと思いますし、まわりもそうなんですが、 菜食主義者の方に “肉というのはやっぱり血なんだ、牛でも豚でも、屠殺場というのは、それはそれは悲壮な声が響き渡っていて、 殺されるときに生き物は、涙を流しながらものすごく負のエネルギーを発する。 そうした肉を体内に入れるということは、そうした負のエネルギーをも取り込むことになるのだ。それに加え現在の牛、豚、鶏の飼育状態というのはおぞましいものがあり、せまい家畜小屋に押し込まれて、ただ肉となるために生まれ、そして死んで(殺されて)いくのだ” ということを聞いて以来、私の生活の糧になる為に殺されたんだと、なんとも言えない哀しい気分になってしまいます。 やはり、動物が殺されるときは、負のエネルギーを発し、食することでその負のエネルギーを取り込むということは本当にあるんでしょうか? お坊さんの中には、四つ脚の動物は食さない方もたくさんいらっしゃると聞いた事があるんですが、お肉は食されますか? また、人間の生活の糧になる為に殺されていく動物への感謝や供養の仕方はどうすればいいのでしょうか。 お忙しいと思いますがご回答いただければ幸いです。よろしくお願い致します。
こんにちは。またまたご相談させていただきます。 この前の相談では、大変励まされました。お答え下さったお坊さん方、本当にありがとうございました。 さて、私は悩み事が多い方なのでしょうか?これは、進路のときだけでなく、何をするときでもそうなのですが、わたしはすぐに自分を追い詰めてしまいます。何をするときでも、これを失敗してしまえば、人生終わる。みたいに思ってしまうのです。 わたしは、武道をさせて頂いていますが、試合のときは、どんなに有名選手でなくても、人は集まりますので、どうしても自分を見られます。審判の先生方もいらっしゃるので。そんなときになると、物凄い自分を追い詰めて、自分がやるものに集中するのではなく、失敗しないことだけを考えてしまうのです。そして、酷いときは、過呼吸や、吐き気、手が震えます。 就職活動中ですが、その試験でも、失敗したらと考え、精神的に参ってしまうのです。 なので、何かあると、いやでいやでたまりません。これから色々な事があると思います。人と仕事をする事、昇任試験など。 どうしてこんな風になったか分かりません。いじめにあったあらか、それとも失敗続きだったからか。人になにかを見られるや、結果が怖くて怖くてたまらないのです。 今の状況では、生き苦しくて、たまりません。何か、楽に生きれる方々はありませんでしょうか?
数年前、大学を卒業しました。当初は都会の会社に就職するつもりだったのですが、一人っ子ですので、どうしてもという家族の懇願に負け(その他でも様々な理由があるのですが)、なかば強制的に地元に帰ってきました。いま思えばあのときに親を捨ててでも思い切って都会に出るべきだったと思います、タイムマシーンがあったらそう言ってあげたいです… ですが、やはりこのまま過疎が進む地元にいて未来はあるのかな…今後死ぬまでこの土地に住むのかな…地元と心中するのかな…と思うとお先が真っ暗に思えて、なにもかもが嫌だなと暗くなってしまうのです。地元を好きになろうとがんばりたいのですが、新聞やニュースでそういう地方の暗い内容を見るともうウワーーッとなってしまって…。県外に出た、もしくは都会に生まれた他人や同級生を羨んでばかりです。 最終的に地元に帰る決断をしたのは自分ですが、後悔が消えないです…。一人っ子に生まれたことやこんな過疎化が進む地元に生まれたことって…理不尽だと思います…せめてきょうだいがたくさんいたらなぁ…地元がもっと未来ある土地だったらなぁ…たらればばかりですね…親のバカ!!!という気持ちです、八つ当たりだ…私もういい年なのに… とりとめのない文章になってしまいました。 お坊さんにお聞きしたいのは、①どんな心構えでいたら衰退する地元を悲観せず暮らしていけるようになるか②自分の希望に反して地元に戻ってきてしまったのも縁なのか③他人を羨まないためにはどうしたらいいか ということです。三つ全部でなくてももちろん構いません、ぜひ、お答えいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
お忙しいところ有難うございます 私自身(40代)の病気が少しずつ進み 終活をしなければ、と思います どこから手をつければよいのか 分からず、不安です 両親は離婚した事もあり、子どもの頃 お墓参りはほとんど記憶になく。 結婚して、婚家はきちんとお墓があり 初めてお墓参りや法事をさせて 頂けるようになりました その宗派は浄土真宗で、葬儀やお経を 聞いて、拒否的な感情はなく ごく自然な気持ちで受け入れられました 私が自分の終活をするのに、 残される夫の負担を少しでも 減らしておきたいと思います 長男ではないので、新たにお墓を 購入する必要があること、 葬儀の形、宗派、お仏壇などについて 少し決めておきたいと考えました 何となく、というだけで宗派は 選んでも良いのでしょうか? 結婚した嫁ぎ先の宗派になるのが 自然なのでしょうか? 婚家のお墓は私営大型霊園で、法事の たびにお坊さんをお呼びしています 特定のお寺さんなど相談できる場所が なくて悩みました 私が亡くなったら、子どもたちや夫が 時々お墓に会いに来てくれて お仏壇に話しかけてくれるといいな と思います 負担にならないように、でも話したい 時に話せるようにモノの形があれば 安心できるのかな、と感じています 分からないことばかりですみません 教えていただけると嬉しいです
カテゴリーに悩みましたがこれにしました。 私は好きな人がいました。というか、います。 この間で揺れています。 本当は諦めないといけない人です。 なぜなら相手は主治医だからです。 先々月、私の事情で、かかる曜日を変えなければならなかったのですが、その曜日に先生は外来に出ていないため、主治医を変えなければなりませんでした。 なので、お礼の菓子折りと共に、手紙を添えました。連絡先を書き、よかったら、連絡を下さいと。 しかし案の定連絡は来ませんでした。予想はしていました。先生は病院でのお立場を守るべきだし、先生を頼りにしている患者さんもいますから、その選択は当たり前です。 やらない後悔よりやって後悔!と思い渡したのですが、実行しても、先生に迷惑かけたと後悔の念。 そして先日、先生に、この間は困らせてごめんなさい、と書いた手紙を、クラークさんに託しました。勿論そこには何の連絡先も書きませんでしたが、御返事みたいなことは何も起こっていません。 心の中で、未だに連絡を待つ自分が居るから、本当にやるせないのです。 先生は先生の答えを出しているのに、諦め切れないどうしようもない自分がいて。 好きだからだと思います。いい歳こいて、夢見てます。 支離滅裂ですみません。 お坊さん、こんな諦めの悪い私に、何かお言葉を貰えないでしょうか。 よろしくお願いします。
こんにちは。初めて此方に投稿させて頂きますヒサシというものです。 お坊さん助けてください。 もう自分自身の心が分からなくて不安になります。 僕は不定愁訴になりました。不定愁訴とは診察しても異常がないのに病状があることです。 そこで医者にストレスか何かからじゃないですか?自分自身を整理してみては?と言われたんです。 それで自分自身を見つめ直すことにしたんです。 ちょっと目を閉じて自分とは何なのか?僕は一体どういう人なのか? そう考えていくと僕って何者なのか?この考えているのは本当に僕なのか?この精神、心とは何なのか? 何か考えても暗闇の中にスゥーっと消えてしまう。この心の中は宇宙のように広がっている無の空間、ブラックホールのように感じて死を思わせるのです。 そう思うと無性に怖くなって家を飛び出して3分ぐらい走っていました。家に帰っても震えがずっと続いていました。 その後、震えとかは収まりましたし、考えるのもやめようとしましたがご飯食べている時もお風呂に入っている時でも何をやってる時でも霞がかってモヤモヤします。 またたまに思い出してしまいとてつもない不安と震えが来ます。 こんなこと考えてるのをやめればいいとは思うのですが、やはり思い出したりして苦しいです。 何とかなりませんか?よろしくお願いします。
いつもお世話になっております。祈願寺の椅子席で足を組んで 座っていたら女性の修験者さんに 「こんにちは〜…あっ!ご祈祷始まったら足を閉じて お座り下さいネ!あ、まだ大丈夫ですヨ!」と言われました ✳︎ 素直に笑って謝りましたが、なんだかモヤついています。 私はいつも時間前に畳に降りて正座、マナーも守るし、経頭さん にも合わせます。お堂中の防犯カメラにいつも映っている筈です。 おまけに、「これから仕事ですか」と同じお坊さんにまた 聞かれて休みと返したら「日曜日だからね」とか言われるし。 ✳︎ 私は色々な意味で目につくんでしょうか。 熱心な若者は珍しいから見本になって欲しかったのか、 若い修験者さんだったので、新米警察官がやると言われている バン掛け練習のように、お客への注意の練習なのか。 だったら喜んで協力します。 ✳︎ それとも、以前ここでも相談したお嬢様が何か言ったのを 真に受けてしまったのか。 ✳︎ 仕事云々に関しては、あと1回我慢して、4回目となる次で苦情 言おうと思います。といっても、みんな私の事知ってるし…。 ✳︎ 「お勤めしてない人はお参りしたらいけないお寺なのですか? 私なんかよりもっと自分勝手やってる信者さんいますね? どれだけ我慢させられてると思ってるんですか。 私だって色々あるけどちゃんと周り見て考えてるんですよ?」 くらい言いたい気分です。 * なんだかな…ご意見頂けたら嬉しいです。
父が8月に46歳で脳幹出血に倒れそのまま亡くなりました。先々週に百か日を迎えました。 お坊さんから「百か日はこれまでの悲しみを乗り越えて普通の生活をするための節目」だと聞きました。 私は今の今まで父が死んだなんてことは実感しておらず長い長い出張に行っている感覚でした。いつ作業着で帰ってくるんだろう、と、そんな気持ちで待っている自分がいたんです。だから、倒れた時の父の顔を思い出したり写真を見れば涙は出ますが、普段悲しいと心の底から思ったことがありませんでした。 でも昨日、たまたま寄ったパン屋さんで流れていた曲が昔父と二人美味しいと言いながら食べたラーメン屋さんで流れていた曲で、その時初めて「あ、父は亡くなったんだ。もう一生あのラーメンを父と一緒に食べられないんだ」と実感しました。 昨日はたくさん泣きました。 いないと思えば思うほど涙が出て今も少し思い出すだけで涙が出そうになります。 今まで頑張って1位を取っていた定期試験もなぜか頑張るのが怖くなってしまいました。 褒めて欲しい人がもういないんです。 乗り越えたいなんて思えません。でも乗り越えないといけないのは痛いほどわかります。 私が今しなければならないことはなんですか? 父が今私にして欲しいことや私にして欲しい生き方がわかりません。私が今したいことは父とまた会話することです。おはようだけでもありがとうだけでも父に言って「なんもだよ」って言われたいだけなんです。
こんばんは。初めて質問させていただきます。内容は自分が友達にしてしまったことへの罪悪感についてです。 私は以前、バイトを通じて知り合ったとても仲のいい友人がいましたが、仲良くなったぶん、嫌なことろが気になるようになりました。そして別の人に友達の酷い陰口を言うようになってしまい、ある日それがバレました。陰口を言う自分は最低だという自覚はあったため、したことを謝りましたが、友達はすごく悲しんでいたし怒っていましたし傷付けました。当たり前ですが許してくれなかったと思います。 バイトをやめ、彼女とは絶縁しました。住むところも変わり、きっともう会うことはありません。ですが、10年近い時間が経ったいまでも後悔が消えません。どうして自分はあの時あんな酷いことができたのか、止められなかったのかと何かにつけて悔やんで苦しいです。そして、自分が他人に陰口を言われたときや理不尽なことをされたときも、あのときのばちを受けているのかなと思ってしまいます。 もちろん私よりも友人のほうが苦しんだと思います。ですのでこの罪悪感も当然と受け止め、一生この苦しい気持ちと罪悪感を抱えて生きていかなければならないのでしょうか。もし償えるのでしたらどうすればよいのでしょうか。勿論お叱りでもかまいません、どうかお坊さんのご意見をいただきたいです。
毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。
昨年、大学受験に関する相談をさせて いただきました。回答と時間のおかげで 今は楽しく生活しています。 ありがとうございました。 今回もどうぞよろしくお願いします。 半年程前から友人と計画していた 海外旅行出発1週間前になりました。 しかし友人が先日足を骨折し、松葉杖と 車椅子がないと生活できない状態になって しまったそうです。 誰にでも起こり得ることで仕方ないとは 思っていますが、本当に楽しみに していたので電話で報告を受けた際 ぎこちない反応になってしまいました。 友人はわたしに迷惑は確実にかかるが、 行けると思う、キャンセルの判断は わたしに任せると言っています。 私も友人も、初めての友達との海外旅行を 本当に楽しみにしていました。 だから行きたい気持と、 旅先でまたケガをしたらという不安、 私自身骨折をしたことがないため、 痛みも不便さも分からないので サポートできるのかなど 色々な気持ちが葛藤して どうするべきか全くわかりません。 最終的に決めるのはわたしと友人ですが、 お坊さんたちならどうするか 教えてください。 また、旅行するにしてもキャンセルでも 友人はわざとケガをしたわけではないので 責めたくありませんが、どうしても モヤモヤした気持が残ってしまうと思います。 しかしずっと仲良くしてきてくれた友人に こんな風に考えてしまう自分が嫌です。 こんな気持ちの鎮め方があったら 教えてください。