hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 縁 」
検索結果: 1908件

仕事を辞めたいです。

仕事が暇すぎて苦痛で苦痛で仕方ありません。 私なりにどうにかこうにか掃除をしてみたり、セミナーに参加してみたりいろいろと工夫はしてきましたが、もう限界です。 事務所で一人何時間もじーっとしていることが増え、耐え切れず近くの公園で散歩して気分転換したり時間をつぶしたりしてどうにかこうにか毎日を過ごしています。 会社には社長以外ほかに社員は居ないので、社長が出かけると事務所に一人になります。 私は一人暮らしなので下手をすると一日誰とも話さない日があります。 趣味の友人たちとたまに会って話したりもしますが、気がまぎれるのもひと時のことで、暇だから会社をやめたいなんて言っても誰もこの苦痛をわかってはくれません。 年齢的にも転職するのが厳しいので自分の置かれた立場を理解し、こんなにやることもなく暇なのに雇ってもらっているありがたみも十分感じてはいるのですがとにかくこのままだとうつになりそうです。もうすでにうつかもしれませんが。 毎月ぎりぎりの生活で貯金もなく、彼氏もいないし将来がとても不安です。 こんな毎日をどうにかしないと!と焦るもののやる気も起こらず、辞める勇気もありません。このまま死んでいるのと変わらないような生活をして生きていくのかと思うと頭がおかしくなりそうです。 どうすればよいのか教えてください。

有り難し有り難し 130
回答数回答 3

母親との関係が悪化、結婚は大反対

こんにちは。 私は28歳の転職活動中で、2年お付き合いしてる同い年の彼がいます。 彼との結婚を考えてますが、私の親、特に母親が大反対をしていて現在親子関係が悪化しています。 何故反対しているかというと ①2年前に彼との子を中絶している ②二人とも貯金があまりない ③私の両親と彼の両親の子育てに関する価値観が合わない 上記が主な要因です。 特に①が主な理由です。子供ができた時は私は26歳で仕事を変えたばかり、彼も転職したばかりで収入も不安定でした。 親からは実家で援助をするから子供を産むべきとだと言われましたが、彼とたくさん話し合って、いい歳をして親を頼らないとなんとか出来ない自分たちで子供が育てられるのか不安で今回は諦めました。 その判断が親を傷付け、それから親子関係が悪化し始めました。縁を切ると言われました。 現在は彼と二人で二年で貯金を400万円貯めて結婚をして幸せになり母親に納得してもらおうと考えているのですが、母親との関係が悪化したまま結婚をして幸せになれるのか不安です。 彼のことは本当に好きですが、母親のことも同じくらい大好きです。両方とも失いたくありません。 母親は若くして私を産み、貧乏ながらにもたくさんの愛情を注いでくれました。お金のことでも仕事のことでもたくさん迷惑かましたが、見捨てず私を助けてくれ、いつでも私の味方でいてくれました。 そんな母親を傷付けてまで彼と結婚をしてもいいのか、彼とは結婚せずに新しい人を見つけ、母親を傷つけずに生きればいいのか毎日悩んで答えを出さずにいます。 何か助言を頂けると幸いです。 長くなってしまい申し訳ございませんが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

仏教を学ぶ際の宗派の選択について

 齢30を前を区切りとして、生来の性格と言動を見直した時、己の心の弱さ・下賤さ・欲深さを認知しました。特に、承認欲と嫉妬心が強いことに、ほとほと嫌気がさします。  色々な苦悩と対峙した人生を、今後も歩み続けるのだと、考えたとき、仏教の思想を身に着けることが、良き処方箋になるのではないかと思いました。2000年も前に同じような悩みを、哲学された御仁がおられるのですから。  どこかの宗派に属して、少しずつでも仏教の学びを深めてゆきたいのですが、はて、どの宗派を選択すればよいのか?どのような観点をもって選択すればよいのか、全くわからず困惑しています。  宗派の思想に共感した所を選べばよいのでしょうが、仏教やその歴に浅学な私が、適当に選ぶことも憚られます。また、(思想・精神的な面も含めた)戒律の制約なども関わるとすると、一層、選択が複雑となります。だからといって、自宅から近い、近所のお寺に伺うことも、どこか礼を失している気がします。  そこで質問なのですが、どのような着想をもって、宗派を選択すればよいのでしょうか?また、参考までにお坊様は、何を根拠に現在の宗派を選択されたのでしょうか?ご教示いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 25
回答数回答 3

死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 78
回答数回答 5
2023/03/15

死んだ人が何を思っていたのか知りたい

初めてこのサイトを使用させて頂きます。 お忙しいお坊さん達の労力を私が奪って良いのかと不安ですが、宜しくお願いいたします。                                         私はプロフィールにある通り、長いこと摂食障害を患っています。 そのせいで母はとても苦しみ、母が亡くなる一年前には祖母の自死(母が第一発見者です)もあって、私が22歳の時にくも膜下出血で急死してしまいましたが、くも膜下出血になったのはやはり私のストレスが凄かったからだと思っています。母が死んだのは私の事で悩み苦しみ過ぎたからです。                        母は、摂食障害で痩せて歩くこともできなくなった私に「悲劇のヒロインになるな」「もう勝手に死んで」など、そういった言葉をよく投げつけていました。 今思えば、母もいっぱいいっぱいだったからだ思うのですが 母との思い出は、楽しかった事はひとつも思い出せなくて、怒られたことや何故あんなことを私にしたのか等、苦しい事だらけです。                                当然、もう母になにか尋ねることはできません。 母が近くにいるとも思えません。 よくお坊さんは、亡くなった人は近くで見守っていると仰いますが、そんな風に思いたくても思えないのです。                                                                     無理とわかっていますが、母が何を考えて何を思っていたのか知りたいです。 母の姉(おば)は、母は私を愛していたはずだと言いますが、母親としての責任があったから愛しただけだと思っています。 死んだ人の考えていたことや思いは、もう知ることができないですよね? もう諦めるしかないでしょうか。涙が止まりません。 諦める良い方法あれば教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

有り難し有り難し 280
回答数回答 7
2022/11/25

人間と世界に強い不信感と恐怖があります

いつもつぶやき門前でお世話になっております。初めて質問させていただきます。 人々と世界への向き合い方や悩みについて、聞いてほしい事があります。 まず、私は人間不信で、常に人にも世界にも恐怖心を抱いています。 ニュースを見れば、世界がどんどん不穏で殺伐としていってるのがわかり、自分もいつ普通の日常が送れなくなるか、怖くて仕方がありません。 現実の世界でもネットの世界(SNS)でも、悪意を好んで自分の一時の欲を満たすために周囲を傷つけたり、自由を理由にして人に迷惑をかけても反省せず正しいと思ってる人間がたくさんいます。 正しさも思想も価値観も人それぞれ違うのはわかっています。だとしても、人の気持ちを無視する人が多すぎて、いつも悲しいと感じています。 そんな人達に私も大切な物を奪われていて、私が温かい内容で癒やしにするほど好きだった作品も作者自身が残酷かつ悪意を助長するような内容に変えてしまい、大きなトラウマになってしまいました。 私とかつて繋がりがあって親切にしてくれた人達にも、心ない行動をしてる人を尊敬したり称賛する人がいて、あまりのひどさに苦渋の決断で縁を切った事もあります。 今も繋がりが続いてる人にもそういう人がいたり、悪意を助長させるような事を好む人が少なくないです。 そういった人達の事も、本人なりの正義があると、人それぞれの価値観があると、受け止めないといけないのでしょうか。私にはもう、どうすればこれ以上苦しまずに人と良い接し方ができるのかわかりません。 人間は完璧ではなく欠点もあります。しかし、欠点というにはあまりにも情に欠けた人達が多すぎて、親切な人でさえもそうだったりするので、もう誰も信じられる気がしません。 誰もが敵になるかもしれないと常に疑ってしまいます。こんな苦しい悪循環から早く抜け出したいです。 もしかしたら、聞いてくださるお坊さんとも考えがすれ違ってしまうかもしれません。 どういった答えをくださるかも、正直怖いです。私の考え方は間違ってると思われるかもしれません。 でも、毎日同じ事で悩み苦しんでいて生活にも支障が出るほど抱え込んでしまい、死にたくなるほど限界が来ていて耐えられそうになく、寄り添ってくれる人がほしくどうにか状況を変えたいと思い、今回勇気を出して質問をしました。 私のその思いだけでも、届く事を祈っています。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

期待するのをやめたい

数年前、ご縁を結んだ相手に 「数年かけても絶対に投稿するから待っててください」 と言われて待ち続けました。 半分忘れてたけど、いつか投稿されるだろうと期待してたところもありました。 その頃、自分を集団リンチで叩く人たちに目をつけられてたので、ああ巻き添え食らいたくないから離れたんだなと残念だった思いもありました。 数年後、その人は別の方面に投稿してることに気づきました。その事に対しては特に気にしなかったのですが、それから半年後 その人が自分のフォローを切ってることに気づきました。 出来なかったら出来なかったと一言いってほしかったです。 いくら、上手で人気ある人だったとしても、一度言ったとことを実行できず、何年も待たせる発言をして結果出来なかったとしても 一言謝るくらいは出来なかったのか、残念です。 こういう人にぶち当たることは多く この人もか。となりますが 人ってどうしてできもしないことを大きく大袈裟に言って、いざってときに出来なかったら謝ることもせずにとんずらするのでしょうか 私はもうその人はこの世にいないものとして離れることにしました。 色々と文句も言いたかったけど、言ってどうこうなるわけでもないし、言って自分が貶められたり相手がいい人になられると反吐が出そうなので、そのまま成長しないようになにも言わずに離れました。 ただ、その人のことはクズだと思ってます。 また、離れたいけど離れたら周りに色々と言うだろう人がいて離れるのが怖い相手がいます 一度離れたときに周りに言われてしまって その後ご縁あったけど、とにかく他人と比べられ貶されることが沢山あり 見るに見かねてミュートにして放置状態です。 住所交換もしてしまってるので、繋がってる間はなにもしないだろうけど離れたらどうなるか怖いところがあります 自分がアカウント移動して一からやり直した方がいいか それともミュートのまま、もう存在を忘れる方向のがいいのか 分かりません 繋がってると相手に期待してしまい その分、落ち込んでしまうので もう、それもやめたいです。 反対に、話してて楽しい人がいます その人達と話すと気が楽になります こういう人と向き合った方がいいのでしょうか?

有り難し有り難し 16
回答数回答 1