今年の1月に闘病中の祖母を亡くしました。年末年始に一時帰宅した時はまだ元気でしたが、以降一気に悪くなり、私を含め家族も心の準備ができていないままでした。祖母とは、私が社会人になってからの約6年間、ほぼ同居というかたちで一緒に過ごしてきたこともあり、しばらくの間は気持ちがふわっとしていて、受け入れられずにおりました。祖母の死から約4ヶ月も経ちましたが、いまだに気持ちがうまく整理できていません。母親からは『親よりもずっと一緒にいた訳だから当然よ』と慰めてくれますが、自分だけ祖母が亡くなった1月から時が止まっているような気がしてます。『あのときもっとおばあちゃんとお話をしておけばよかったかな』や『おばあちゃんとの時間をもっと大切にしておけばよかった』という後悔と、一時帰宅から病院へ戻るときに『元気になってまたお家に一緒に戻ろうね』と手を握りながら交わした言葉を思い出します。また、入院中の祖母や元気な時の祖母と過ごす夢を見て、泣きながら目覚めるということも何度もありました。 どのようにして気持ちを切り替えて前に進めることができるのでしょうか。 お忙しいところ恐れ入りますがよろしくお願い致します。
昨年の4月に悪性リンパ腫で私の息子は入院しました。医者は、8回の抗がん剤をやれば完治するとの事だったが、心配になり霊視占いにも見てもらったら、死にはしない!親より先に死ぬ事はない!治るとの事だったので安心してました。 ところが、7回の抗がん剤が終わった時に医者から腫瘍がまた大きくなっているから退院は無理と言われ更に強い抗がん剤をやったがダメでした。私達は、不安になり癌に効くサプリやお墓参りも何度か行き、神社にも毎日行き、神社では不思議な現象も何度か体験してもしかしたら治るんじゃないかと期待していたのですが、様態はどんどん悪くなり正月早々に亡くなりました。 息子は、23歳でしたが激しい痛みにも耐え根を上げず、ずっと頑張っていました。亡くなる最後の日私にハグをして、愛してる愛してる!ありがとう!の言葉を残し他界しました。 頑張っていた息子の為にも私は、残された家族のために頑張らなくてはいけないとは思っているのですが、仕事も家の事もやり気が出なくて泣いてばかりの毎日です。 息子は、私の言う事は信じて頑張っていました。亡くなる日に私は、息子にこんな病気何くそー負けるか!負けてたまるか!って言う気持ちでいなよ!絶対に治るから!と言ったせいなのか息子はかなり弱っていた体に力を振り絞って長い時間ベットの上で便を頑張り力尽きて亡くなりました。 私は、息子の寿命を縮めてしまった!かける言葉を間違えてしまったと言う後悔で息子に申し訳なくてこの先どう生きていけばいいのか分かりません。 無理なのはわかってますが、もう一度息子に会って謝りたいです。
久しぶりに質問をさせていただきます。 転職と実家を売り引っ越してから約2年は過ぎました。 経済的自立と精神的自立を目指して1度は一人暮らしをと計画し親に打ち明け、まずは不動産屋にというところまで決まったのですが、ワクワクしていた筈なのに、寂しくて不安で仕方がありません。 少し距離を取りたいとまで思っていたのに、甘えて家族に依存し今が続けば良いと望んでいたのだと実感しました。 ですが不安はそれだけではなく、普段から考えない様にしていた親の死が急に身近に迫ってきました。祖母が死に、側にいたのが当たり前ではないと実感してから親の死について考え、気落ちし考えない様にと繰り返しながら先延ばしにしていた事が、家を出る為に動いた事で私の心を支配してしまいました。 一人暮らし計画を辞めてずっと家にいたい。でもそれは自身のためにはならない。親が存命のうちに試してみたい。でも離れる事が擬似的な死別に思えて怖くて仕方がありません。 未知の恐怖がそうさせるのでしょう。時間が解決すると思っていても胃の腑が冷えて体が震えて仕方がありません。布団から一歩も出れません。 心の調子を崩し不安感が常に付き纏う様になってから、前向きになる事が難しくなりました。考えも極端なものになってきました。 心をどのように保てば良いのでしょうか。ご教授頂ければ幸いです。
愛犬の死の受け止め方を教えてください。 昨日10年7ヶ月一緒に暮らしていた愛犬のポメラニアンが旅立ちました。 数日前から元気が無く、食欲もない状態で心配になり動物病院へ行ったところ、血液検査はできず皮下点滴のみで帰りました。 帰ってからも脱力で横になっており、日付が変わる4日の2時頃腕の中で息を引き取りました。 1年前に血液検査で腎臓の数値が少し高いと言われ、その後経過観察でしたが、体重減少に気づかず、おそらく進行していたのだと思います。 どうして頻繁に病院へ連れて行かなかったのかと、自分を責めております。 それ以上に、愛犬との生活では私の出産、育児に追われている中で少なからずスキンシップが減ってしまい、寂しさからのストレスもあって、弱ってしまったのかなとも思います。 出産前は、国内旅行に連れて色んな景色を見せてあげたり、家で過ごす時には膝の上に置いてあげてました。環境の変化に戸惑いがあったと思います。 亡くなる少し前から、寂しそうにクッションに寝ていた姿が忘れられません。 闘病することもなく本当に飼い主孝行の愛犬で、最後看取ることができましたが、気遣いすぎる愛犬は本当に幸せだったのでしょうか。 教えてください。
小さい頃から、命が有限であることをネガティブにとらえ、生きることに執着してしまいます。 仏教の教えに従うことで、こうした心が安定するのを感じます。 しかし、一方で、「死を受け入れるしかないなんて虚しい」とも思ってしまいます。 心が安定する→虚しくなる→心が安定する→虚しくなる、この繰り返しです。 このまま死ぬまでこのループから抜け出せないのではないかと不安な気持ちでいっぱいです。 最終的に、死に対してどのように向き合えるようになれればゴールなのか教えていただきです。
私の父は3年半程前に自死しました。 長年病気をしながらもお酒、タバコがやめられず、アルコール依存や病気に苦しんだ結果、死を選んでしまったのだと思います。 まさか自分の父親をこんな形で亡くすとは思っておらず… 最後に病気で入院してた頃私は妊娠中。自宅安静だったこともあり一度もお見舞いにも行きませんでした。 退院した父親から報告の電話が来た際、「お父さんはもう頑張れないからな、お前は頑張れよ」と弱気になる父に「そんなこと言わず、孫の顔くらい見てってよ」とポンと言い返してしまいました。 そしたら、私の言葉通り孫の顔だけ見て半年、突然死んでしまいました。私の言葉が父を死なせたんだと言う思いが強く、眠る父を見る親族が「やっと楽そうな顔になった」と言う中、私にはどうしても苦しそうに見えて、父は何を思い、どんな気持ちで死んでいったんだろうと言う後悔のような気持ちでいっぱいです。 私はお酒を飲む父が嫌いで、酔っている父に娘を触らせたくなかった。だから父が娘を抱く写真は一枚しかありません。 こんな親不孝の娘、父はどんな想いで自ら死を選んでいったのでしょうか。 あの時の私の言葉の後悔、どうすれば楽になるのでしょうか。夜中に突然、なんで父は死んだのかな、私のせいかな…と考え、眠れなくなります。 そして、娘である自分もいつか同じ死に方をしてしまうんじゃないか、また母や兄弟たちが同じようにならないか、と恐怖でもあります。 自死した父は死後どうなるのでしょうか。
先日11年飼っていた猫が亡くなりました。最後までとても頑張り一生懸命生き抜いた猫を看取る事ができ、幸せにすら感じています。 そんな誇らしい猫の為にも悲しみや寂しさを引きずらずに明るく前向きに、生きようと努力していますが、一ヵ月経つ今でも涙が止まりません。色々納得しているはずなのに寂しくて寂しくて自分もあの世にもういってしまいたいと思うようになりました。 愛する者の死にどう向き合えばいいのでしょうか。答えが出ません。
人間は死んだらどうなるか誰も知りません。僕は死後の世界があり、生前親しかった人達と共に死後を過ごすと考えています。 しかし死後の世界があるとは限りません。だからもしかしたら死んだら無で家族や友達と一生会えないだけではなく自分自身、もう地上に戻れないという不安が湧いてしまいます。 僕自身1ヶ月前のように死の怖さを考えることなく生活していきたいです。回答よろしくお願い申し上げます。
祖父が先日亡くなりました。 祖父が生前よく行っていたお寺でお通夜とお葬式をして一旦は私自身も家族も落ち着きました。 ですが、もう姿形を二度とみることが出来ない、話すこともできないと考えるともっと連絡したり、会いたかったなど後悔でいっぱいです。 私は大学浪人をしていて、祖父はいつも私の進路や将来を気にかけてくれていました。 以前から何度も手術をし身体は弱っていましたが、生活は補助なくできるようにまでなっていました。ですが、家の前で突然倒れてまもなく亡くなったので、何の報告もできずに心配をかけたままで亡くなったのがとても悔いです。 受験が終わったら、旅行にいこうとか、祖父はビールが大好きだったので呑みにいこうとかそんな約束もしていたのに果たせませんでした。 せめて、最後に一言だけでも聞きたかったと毎日思います。 49日まではまだ修行をしているとお坊さんに教えていただいて、供養することでいいところに行けるからと言われたのに、このままではきちんと祖父を供養してあげることができないと分かってはいるのですが。 大好きな祖父だったのにまだまだこれから祖父のいない時間を過ごさないといけないことが悲しくて仕方ありません。 祖父にとってきちんとよい最期を迎えられたのか、納棺の際に祖父の胸元に手紙を入れたので、読んでくれたのかなとか死者となってしまった今聞くことはできませんがとても心配です。 夜もなかなか眠れません。 心を落ち着かせるにはどうすればよいのでしょうか。
母の三回忌を昨年秋に迎えました。 未だに母の死に向き合えず、後悔の念ばかりが出てきます。 母は癌を再発し、抗がん剤治療を続けていました。 その間に鬱から認知症を発症し、父親の老々介護だったこともあり、精神科に入院し、後、施設にて過ごしていました。 私が幼子の育児で大変だろうからという理由で、私には『大丈夫。心配するな』と常に言っていた両親でした。 姉夫婦から事後報告を受けるのみでした。 看護や介護に何も関わることなく、孫を逢わせに短時間だけ行くだけでの私で良かったのか。 『家にいつ帰れるの?』『もうすぐ帰るんだ』と自宅で過ごすことを楽しみにしていた母だったのに、父親の精神面や身体面から帰宅させなかったことが良かったのか。 子供が親を看護・介護することは当然なのにそれをしなかった私を怨んでいないか。 なんで私が最後まで寄り添ってあげなかったんだろうと悔しさでいっぱいです。 母の死ときちんと向き合うための心の整理の仕方や気持ちの切り替え方を教えて頂けると嬉しいです。 よろしくお願い致します。
小学生の頃から今に至るまで希死観念があります。 今まで特別辛い事があった訳ではなく、概ね幸せな人生を送ってきたと思います。 なのに、昔から死んでしまいたいと思う事があり遺書の様な物を書いてみたり、死に方を調べてみたりしてしまいます。 自分は幸せなはずなのにどうしてこんな事を考えてしまうんだろうと悩んでいます。 今年社会人になったばかりで、これからの社会人人生において希死観念を捨てて強く生きていきたいです。 どうしたら希死観念は捨てられますか。
わたしの周りには、3人自ら命を絶ってしまった友人、従姉妹、友人の娘がいます。思い出すと、とても悲しく心が苦しいです。 自ら命を絶ってしまった人の魂は、いつまでも苦しんだままだというような事をよく聞きますので、死んでもなおその3人が苦しんでいるのだろうか? と考えただけで自分の心も苦しいです。 仏教では、そのような魂についてどのような教えなのでしょうか? また、自分の悲しみの癒し方、もっと身近にいるご家族の悲しみをどうやって癒したらよいのか、なんと声をかけたらよいのか、教えをいただきたいです。病気などで身近にいる人を亡くした時とは違う、ものすごい喪失感と心の痛み苦しみが身体まで蝕んだような日々を過ごしています
長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?
以前に母の事ではお言葉をもらいました。 もうすぐ49日です。 一人暮らしも少しは慣れましたがやはり寂しいです。仕事から帰って来ておかえりなさいがないとやはり寂しいです。 母は心配性でよく私が遊びに行くと電話が来たものでした。 未だ母は私の事を心配してるのでしようか? 私なりに仕事、家事頑張ってるつもりです。
3回目の相談です。 前回までは、元夫の孤独死について相談させていただきました。多額の借金から逃げ、満足な医療を受けられず、おそらく自暴自棄になり、セルフネグレクトの結果の死だと私は理解しています。 元夫の父、義父も自死しています。会社を起こし一時はかなり業績も良かったそうですが、大きな負債を抱え自身の生命保険で補填したのだと聞いています。元夫は、ぎふを義父をとても尊敬していました。家族を守るために命を犠牲にしたと言っていました。 私は生前、元夫に義父のような最期を迎えないで欲しいと言いました。遺された家族の悲しみや苦しみは、あなたが一番知っているはずだと。私は離婚していましたが、子供に同じ苦しみを残さないて欲しいから、生き抜いてほしいとお願いしました。しかしその言葉は届きませんでした。私は今でも彼を見殺しにしたのではないかと悔やんでいます。 今でも元夫の死は悲しくて辛くてたまりませんが、もしかして子供も同じ道を選ぶ可能性があるのではないかと、それがとても怖いです。私は命に関わる病気をし、大変な治療を受け今は健康を取り戻しました。それは私自身が健康になりたいというだけだなく、子供のためにも生きていたいと願ったからです。 元夫は、借金や様々な苦しみから逃げられて楽になれたかもしれません。でも遺された子供と私は様な後始末を今でもしています。 そう考えると、元夫は大きな悲しみと苦しみを残して逝ったのです。 悲しいけど恨む気持ちも生まれました。これから子供と供養はしていきたいでが、子供の未来に陰を落とすならば許せない気持ちでいっぱいです。
昨年、兄が突然他界しました。以前から糖尿病や心臓などの問題があると聞いていましたので、それが原因だったようです。私は現在アメリカに住んでいます。父は3年前に他界しました。父はアルコール中毒でしたが、私が中学高校大学中、お酒は完全に絶っていましたが、定年退職後、飲みはじめ、長い間病院で生活していました。何かあると、母が兄に連絡し、兄が助けていました。両親、兄、私の関係は、いい状態とはいえませんでした。会話のあまりない家族でした。しかし、兄は私のことを心配し、何かあると助けてくれていました。兄は結婚し子供がいましたが、子供が小さいとき離婚し、それ以来子供に会っていませんでした。元の奥さんは、変な宗教にはまり、離婚後も、私の家族といって、実家に立ち寄っていました。そのたびに、母の血圧が上がり、こまっていました。私が、兄と、その元奥さんの間に入って、必要な連絡(ほとんどが理解できないこと)を兄に伝えていました。でも、兄が死んだとき、母と私は、兄が、中学の時の同級生だった女の方と10年以上も暮らしていたことを知りました。私は、前から感づいていたのですが、それを知って、ほんとうに兄が一人でなくてよかったとうれしく思いました。今年に一度帰省するようにしていますが、そのたびに、少しの時間ですが、兄は私と旦那(アメリカ人)と一緒に食事してくれました。おととしの12月の帰省のときに兄にあって、その後新年の2月に突然兄は他界しました。私は電話中で、その電話を切った直後に母から電話があり、兄が死んだ、と告げられました。何も考えずに飛行機のチケットをとり、日本にかえりました。涙は、まだ全くでません。お葬式には間に合いませんでした。それ以来、母のことが心配で、不安でしかたありません。母は3年前に脳梗塞で倒れましたが、奇跡的になんの後遺症もなく助かりました。毎日今、スカイプで2回連絡していますが、母が何かの用でスカイプに出れないとき、心臓がどきどきしてパニック状態になります。今朝、兄の元の奥さんから思いもかけずメールが届きました。その奥さんからのメールで、また心がパニック状態になったりします。いつも、毎朝兄と父に手を合わせて、母のことを守ってくれるよう祈っていますが、とても不安で不安でしかたありません。これも人生、流れにまかせるしかない、とわかっていますが、むつかしいです。つらいです。
最近、家族の死について考えてしまいます。特に祖父母のことについてです。 私の親は共働きなので、保育園と小学生のときはよく祖父母の家に預けられていました。保育園のお迎えはおばあちゃんがしてくれました。買い物はいつも一緒に行きました。風邪を引いたらおじいちゃんが病院に連れて行ってくれました。旅行も数えられないほど行きました。 このときの祖父母とは親よりも一緒に過ごす時間が多かったかもしれません。そのためか今でも祖父母のことが大好きです。 この間、久しぶりに旅行に行ったとき、祖父母よりも背が高くなっていました。耳も遠くなっていました。2人とも80近いので当たり前なのでしょう。でもやっぱり時の流れを感じると切なくなってしまいました。 最近は「いつ死ぬかわからない」とか「もう先は長くないから」などと言っています。でもそんなこと言ってほしくありません。ずっとずっと元気でいてほしいんです。永遠なんて無いとは知っています。でも大好きな祖父母が死んでしまったらと考えると涙が止まらないんです。 恩返しもまだしていません。何をすればいいのかもわかりません。 この恐怖がどうしたら落ち着くのかもわかりません。 どうか教えてください。
数年前に、家族を自死で亡くしました。 原因はうつ病でした。 一時、残された家族はどん底まで突き落とされましたが、 穏やかな日々を送れるように、前向きに頑張っています。 それでも、数年経った今でも「○○(私や他の家族)のせいでこうなった」と家族から言われる事があります。 精神的に不安定なのが理解できますので、 何も反抗する事無くその発言を聞き入れ、じっと耐えています。 精神科の受診も勧めましたが、気が進まないのか今まで行った事はありません。 なるべく刺激しないよう、あまり連絡はとっていませんが、間違った行動を起こさないか、いつも心配です。 どのように接していけば良いでしょうか。
父が余命僅かな状態です。 元々厳格な性格の父でしたが、心の病を患った事により、引きこもり、家族に対して理不尽な暴言や暴力を奮うようになり、家族を完全に支配していました。 幼少期より父に対して恐怖心があり、思春期の頃には毎日死んで欲しいと願っていました。父の言いなりの人生で、父が死んだ後、本当の自分の人生が始まると思っていました。 大人になってからは、さすがに毎日死を願う事はなくなりましたが、それでも苦手意識は変わらず、同じ空間にいると怯え、吐き気がする状態でした。 人に言えば、いい歳なのだから親のせいにするのはおかしい、自分の人生なのだからと言われてきましたが、どうしても父に対する恐怖心が拭えず、怒られない・バレない選択をしてしまい、思うように生きれませんでした。普通とは違う、自分の家庭が嫌で嫌で仕方がありませんでした。 歳をとり性格が丸くなり、父がこちらに歩みよろうとしている事は分かっていましたが、受け入れる事はできませんでした。父から受けた人格否定や暴力、辛くて毎日死にたかった過去の日々をどうしても水に流す事はできなかったのです。 そんな父の病気が発覚し、想像していたような開放感はなく、悲しみや、父の不遇な人生が可哀想に思いました。しかし、父をただただ心配し悲しむ家族の中での疎外感も感じてしまいます。 私も父を許し、最期の時を過ごすべきなんだろうと思います。父が悪人ではなく、病気がそうさせていたのだと、分かっています。しかし、納得できない自分もいます。 結局は、私が全て飲み込むしかないのかと。 長年連れ添った伴侶を亡くす母の気持ちも痛いほど分かっており、できる限り助けたいと思っていますが、当たり前のように支援を求めてこられると腹を立ててしまいます。私の心の葛藤にも目を向けて欲しいと思ってしまいます。 父に対して、穏やかに、できる限り苦しむ事なく最期を迎えて欲しいという気持ちは本当です。仏教ではどのように考えるのか分からないのですが、次の人生があるならば、次は幸せな人生を送って欲しいと願っています。私には関係のないところがいいですが… まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。私は自分の心をどのようにもっていけば良いのでしょうか。父の最期の時にどのように接すればよいのか、どうかご教示下さい。
当然ですが、死は誰の目の前にもあって、それを余命という形で知らされた時は感謝すら覚えました。言葉どおり、死ぬ気で生きて来ました。 宣告された期間を超えた今、すでに余生な生活の感覚で、 すでに亡くなっている数人の友達を思うと、自分の死んだ後の周囲の人間は、こんな感覚なんだな、という経験もさせて貰い、恐怖より安堵でした。 ところが最近、夫に、ここ10年の間、(私から)愛されていると思えない、と言われました。 がっかりして、身体中の力が抜けました。 私なりに愛してきたつもりでしたが、彼の求める形では無かった事、ずっと彼はその想いを持っていること。私には同じ10年という時間は残されてない。その上、体力が明らかに落ちてきて出来ないことが増えてきているのが分かります。彼は、病気の事は知っていますが病状は知りません。 でも、そんな言い訳よりも私の気持ちが落ち込み過ぎて、家にいるのが辛いです。 何をする気も起きず、生きる素晴らしさを毎日見せてくれていた植物たちの世話すら出来ないのです。 ましてや生きている大切な娘の前で元気に振る舞えず、『大丈夫?』と言わせてしまっています。 娘が情緒不安定になるかもしれない、と心配です。 私が元気に明るく居ることが1番良いとは思うのですが、どうしてもできず、かと言って家を出ることもできません。 心を落ち着けて暮らす(少なくとも娘の前で)には、なにか試す方法はありますか? 教えて頂きたいです。 いつ死んでもおかしくない状態で生きる気がなくなった今、早く死んだほうが周りの人にも良いのだろう。 彼は私が居なくなった後の事を思い、今は耐えているのなら、早く死んであげたい。 いつ死ねるかな。 と、だいぶネガティブです。