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検索結果: 822件

最愛の彼が他界して、気持ちがついていかないです

最愛の彼が他界しました。1月中旬に体調不良をうったえ、病院に行ったところ、そのまま入院となり、2か月間の闘病のすえ、残念ながら、3月末に亡くなりました。 17年ともに暮らし、亡くなる3日前には病室でプロポーズをしてもらいました。 彼は、いつもそばで支えてくれて、ともに笑い、涙し、一緒に夢を描いていました。 純粋で、穏やかで、優しくて、ユーモアがあって、強くて、とっても愛がある彼はたくさんの人に愛されて、可愛がれていました。 辛くて、不安で、こわい闘病中も、周りを気遣い、冗談を常に言い、病棟でも看護師さんたちの人気者でした。 入院中は家族のみの面会でしたが、特別に許可をもらい、毎日病院に通い、時間をともに過ごしました。わたしの訪問をいつも楽しみに待っていてくれました。遠方にお住まいのご家族はなかなか病院に来ることもできず、親友にも会うことができず、、、 最期の最期まで、絶対に復活することを信じて、辛くても、苦しくても「大丈夫、大丈夫」「OK、OK」「想定ない」と常に強気に言っていました。 一緒にこれからも生きることを描いて、一日、一日、必死に生きていました。病床では、退院したら、あれをしよう、これをしようといつも話していました。残念ながら、ひとつも叶えることができず、この世を去りました。 本当に死の直前まで、彼は生きることしか考えておらず、、、彼の想いを考えると、涙が溢れて、とまりません。 彼の仲間から、「たくさんの人に愛されて、趣味に生きて、最期は1番大切なあなたに看取ってもらえて、彼は『楽しい人生だった!』と絶対に言ってるよ」と言葉をかけてもらうのですが、彼はいまも悔しさでいっぱいなのでは?と思い、本当に苦しいです。 また友達から、「唯一の心残りは、あなたのことだから、ずっとそばにいて、見守っているよ」、とも言ってもらえるのですが、明後日はもう四十九日の法要です。彼はわたしのそばを離れていってしまうのでしょうか。 彼の人徳のおかげで、わたしの友達だけでなく、彼の友達もわたしを心配して、気にかけてくれて、いろいろ支えてくれています。 また坐禅を何度か試みたのですが、彼への想いが強くなり、涙がとめどとなく溢れてきます。 彼はいま何を想い、何をしたいのでしょうか。 どうやって2人の想いを整理して、前を向けばいいのでしょうか。 まとまりがなく、すみません。

有り難し有り難し 9
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2022/06/10

火葬場で集合写真

こんにちは。 私の母の話しを聞いていただきたいです。 正直私も母から話を聞いてドン引きしています。 先日、母の従姉妹にあたる方が急死しました。 母の従姉妹なので私はその方にお会いしたことはなく、葬儀には母と(私の)叔母のみが参加しました。 母と叔母は葬儀に参加した後すぐに帰ってくる予定だったのですが、コロナ禍ということもあり参列者はごく少数の近親者のみだったらしく、親戚の方から「参列者も少ないし、よかったら骨を拾ってもらえないか」とお願いされ、母と叔母は火葬が終わるまで残ることにしました。 火葬が終わるまでの待ち時間をロビーで過ごしていると、親戚の1人がカメラを持ってきていたらしく「集合写真を撮りたい」と言ってきたらしいです。 親戚の人たちは皆んなそそくさと準備を始め、撮影に乗り気だったようですが、母と叔母は「ここは写真を撮るような場ではないし、写りたくないので遠慮します」と断ったみたいです。 するとカメラマンの親戚から「お前たちが写らないとシャッターを押せないから早くしろ」と半ば強引に集合写真に参加させられたみたいです。 母は帰ってきてから「嫌だった…」と話しており、正直私も話を聞いて何と非常識な人たちなんだろうかと思いました。 どうしても写真を撮りたければ、せめて他の場所で撮ればいいものを、わざわざ火葬場で。礼服の集合写真なんて、正直あまり気分が良くないです。 実は2年ほど前に叔父が急死しているのですが、母曰く叔父が亡くなる前に火葬場で集合写真を撮っていて、その時真ん中に写っていたのよね と話していました。 だから今回は真ん中だけには写らないようには気をつけたけど…と母は話していたのですが、 「迷信」「考えすぎ」と言われたら、その一言で片付けられてしまうことなのかもしれません。 けど私も叔父の話しを母から聞いて、やっぱり色々な考えが重なって母の身に何か災いが起きないかと不安です。 そして親戚には、神聖な場所でなんてことをしてくれたんだと怒りの気持ちすらあります。 集合写真を撮る暇があるなら、その時間を故人の思い出話に花を咲かせる方が、よっぽど有意義で穏やかだったのではないかと。 火葬場での集合写真、罰が当たらないか不安です。 もしよろしければ、この不安に対する心構え、後は供養などするべきなのか教えて頂きたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 33
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悲しみから抜け出せない

20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです

有り難し有り難し 37
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人と動物の違いを教えてください。

よろしくお願いいたします。 少しタイトルとは異なりますが。 お坊さんに聞いてみたい事があります。当たり前に心では理解していますが、理論的には解らないことがあります。 人は他の動物の命をいただいて生きています。動物でも植物でも人は他の命を自分に取り込んで生かされていただけている。と理解しています。 では、人が人を殺してしまう行為はなぜ悪だと言えるのでしょうか。憎悪のままに人の命をを手にかける事は当然いけない事だと解ります。では、それが人が生きていくこと。つまりは人が人を食すためだとしたらそれは魚や牛の命をいただくことと同等の正統的行為になるのでしょうか。 戦時中や遭難時など、緊急避難的な状況なら解りますが、それが今私たちの周りにある日常での出来事だとしたらどうお考えになられますか。 改めて申し上げますが、感覚的にそれは大罪であり、禁忌である事は解っております。 世の中には生まれながらに、なぜ人を傷つける事がいけないことであると理解できない脳を持って生れてしまう人間、学術的にいわゆる「サイコパス」という人間がおり、時に恐怖な事件を起こしますが、そのような方が上記のような質問をされた場合、どう説明されますか。 私も人の命の尊さを知る上で、言葉としても理解しておきたいと思います。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 73
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今後は何をすればいいか

先月、副住職をしていた彼が自ら命をたちました。父親がお坊さんを志して住職になったものの、彼はその道を嫌がり後を継がなければ、勘当される。海外にバックパッカーをして自由に生きるか、寺に戻るかの選択を迫られて昨年に副住職についたようです。彼の性格は自己肯定感が低く、今までは鬱が入るとパーティーと呼ばれるクラブの様な場所で大麻を吸って気持ちを盛り上げる事もしていました。私と付き合ってからはそれに関わる人間関係さえも禁止にしました。亡くなる前は鬱がはいり耐えられないから安定剤をのんでいました。遠距離恋愛なので長電話でつらい、幸せにできない、薬のんだ、が始まったので私は電話に出ない拒否をしました。今までにも何度かこのような事はありましたが励まし、ぶつかり、会って回復するの繰り返しでした。話を聞いてくれ、薬も誤解なんだ、と30分前にも着信がありましたが5時半だったこともあり寝てしまいました。最後に追い詰めたのは私です。彼は本当にいい人なのでいつも感謝の気持ちを話し、LINEで届いた遺書も感謝、ずっと好きです。でした。彼のいないお盆は大変とのことで寺の手伝いにいきます、養女としてお父さんの寺を守りたい。とも思います。何かしたいけども相手の気持ちも考えず、今後も家に行くこと、連絡をとることはどうなのかと思います。そして私自身、9月の納骨までは目標を持っていますがそのあとは生きていく希望がありません。あちらの家と縁を切ることも辛いのです。心の中で南無阿弥陀物を唱え続ければ楽になるのか、苦しいことが苦しいと思わない智恵が沢山しりたいです。言葉とか

有り難し有り難し 12
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散歩

こんばんは。 秋めいてきて段々日も短くなり、日中も大分過ごしやすくなってきました。 日曜日はまだ日の高い時間帯に、暑苦しくない天気だったので近くの公園にですが散歩に出掛けました。 いろんな風景を見ていると、気持ちが切り替わってリフレッシュしますね。 最近は自分って必要な人間だろうかって思うと27年ほど付き合ってきた死にたい気持ちに襲われます。 ひどいと好きなゲームをしていても気持ちが切り替わりません。 でも、お天気がよければ散歩をしてみると気持ちがいいので、死にたい気持ちは少し離れてくれます。 私はここのお坊様方にはずいぶんと迷惑をかけたと思いますが、すごく助けられてきました。 ありがとうございます。 前は夕方まで起き上がれないほどひどくて、外出するのにどれだけ大変だったか。 そういうことも何度も泣きを入れて愚痴って聞いてもらい癒してもらってきました。 今もまだ死にたい気持ちが離れてくれませんが、これだけ見てくださったお坊様たちに死んでは申し訳がたたないと、娘たちを守れるのは私しかいないと思いつつ、生きる修行をやっています。 私の一方的な想いかもしれませんが他の投稿者さんたちとも一緒に頑張っているつもりで拝見しています。 中々恩返しが出来ませんが、私がまた働けるようになったらお返ししたいというのが目標のひとつです。 それらがきっと今の私の生きる意味だろうと思っています。

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2023/02/05

亡くなった母を思い出して悲しい

私が28歳の頃、母が半年ほど自宅で闘病した後、ガンで亡くなり、私は自分が自立していなかったこともあり、悲しいのと同時に、とても不安でした。 当時は、人間的にも他にはいないような、やさしい母、私のせいで、私がもっと何かできたのではないかということばかり考えていました。 ここ何年か、さも私や家族が悪いように言いながら、わがままを言ったり、私のためを思っているようで、ただ感情をぶつけていたのではないかと思えるような、母のみっともない面、いやな面を思い出すようになりました。 なにか遅れてきた反抗期のようでもありますし、母親を悪く言う、ひどいことを言うほど私は堕したのかなとも思えます。 母が死んだ年は、うつ状態になり、その後人生で起こることも悪いことが多く、今も引きずっているようなところもあります。 私の現状はいいとは言えず、そういったことも母を思い出すことと関係があるのかなとも思えます。ただ、直接には存じ上げませんが、幸運に恵まれなくても、不幸続きでも、良く生きている人はいるのだろうから、そういうことは理由にはならないのかなとも思います。 母が亡くなって10年以上経ちますが、今も悲しく、さびしいです。つらいです。人並み以上に母がみじめな思いをしたように思えたり、私自身もひどくみじめに思え、母と、なんというか、心のつながりがないように思えます。一方で、以前よりも痛切にさびしさを感じるようになりました。私の人間関係が母しかなかったこともあると思います。母の死が過去のことになっていきません。苦しいです。 なにかの本で読んだように、母のことを思い出し、自分は大丈夫と思えるようになりたいと思うのは、欲でしょうか。 どうして母のいやなことばかり思い出してしまうのでしょうか。 なにかお言葉をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 25
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2021/07/09

やはりもう無理です

以前も相談させてもらいました。 過去、高校生の頃にかかった精神病院では、今の気持ちを言ってと診察で言われ、死にたい気持ちになることがありますと正直に答えたらいきなり筋肉注射を打たれて意識が朦朧としている状態にされ両脇を看護師に抑えられ任意入院の同意書にサインさせられました。その時、私は字もかすんで見えないほどフラフラで右手にペンを握らされ看護師か誰かが私の右手を掴み無理矢理書かされたことがあります。寝かせてほしいと懇願しましたが任意入院の同意書にサインするまで横にはさせないからと言われ、右手を動かされるままにサインさせられました。ようやくベッドに横になったあと目が覚めたら白い部屋で、窓が一つあるだけで時計も何もないただベッドだけがある部屋に両腕・両足・腰を五点拘束されていて身動きが取れず夜だったようでオレンジの灯りが一つついていてなにがなんだかわからず、誰かいませんかと大きな声で叫んだら看護師がきてうるさいと言われまた注射され意識がなくなり、次の日なのかわからないけれど外が明るい時間に目が覚めました。また何か言ったら注射されて意識がなくなるのかなと思って怖くてただ天井を見ていました、けれど誰も来ないので誰かいますか?と大きめの声で言い続けていたら看護師がきて、起きたの?何?と言ってきてここは何処ですか?今日は何日ですかと聞きました。「病院だよ2日目か3日目じゃない?」とだけ言われ、拘束器具を外してくれませんかと頼んだら、無理だよ死にたいんでしょと言われたのでトイレとかはと聞きかけたら「管入ってるから、オムツ履かせてるからうんちはそのままして」と、こんな感じが4〜5日か1週間か続き、大部屋に移ったあとは口の中に薬を入れられ、意識が朦朧とする注射を毎日打たれました。 このことがとても怖く、病院に行くことが今でも苦手で、病院の中に入れるのは3〜4ヶ月に一度くらいです。今の精神科は先生も看護師さんもいい人ばかりです。 今の精神科の先生は、それもトラウマになってるから、来れるときに来れたらそれでいいよいつでも待ってるからと言ってくれています。 精神科に通院することが自分にとって大変で、なかなかPTSDの治療が進みません。 私にとって死は救いにつながると思うんです。 この世とさよならしようと思います。 少し寂しいな。あと1時間くらい生きてみようかな。

有り難し有り難し 8
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生きる気力

何度も申し訳ございません。御回答頂ければで結構です。 甘えた発言ですが、もう人生に疲れてしまいました。 自分の成した悪があまりに多すぎて、また期間も長すぎて今後、善をどれだけ成しても、もう追いつかない程、今まで悪を成してしまいました。 「仏の顔も三度まで」と言うので、当たり前の事なのですが、一体何故このような人生になってしまったのか、どこから歯車が狂ってしまったのか、なぜ抜け出すことができずにこの様な、情けない人生を送ることになってしっているのだろうか。 仏様にもさすがにもうしらん!と見放されている感覚で、もう手遅れ…という言葉が頭から離れず気がつけば、何をしているのだろうか…と泣くことしかでかません。 働くこともせず、30歳を前にし派遣で2年程しか働いたこともなく、転職を繰り返し、一体今まで何をしていたのだろうか、人生が一体どうなっているのだろうかと…と悔やみ、責めるばかりで出口が見えません。 甘えてばかりいてはいけない!甘ったれていてはいけない!!と思うのですが、もう手遅れ…という言葉が頭から離れず、その気力ももたず、だんだんと死を連想してしまうようになりました。 もういつの頃からか、自分の人生をしっかりと歩んでいるという感覚もなく、頭と心とからだが常にバラバラで、自分の人生なのに、自分でもどうすればよいのかわからなく、受け入れることも出来ません。 ただただ今までの人生を振り替えって、吐き気がするだけで、これから頑張らないと!と思ってももう遅い、手遅れだ…と気力が持ちません。どうすれば頑張り続けることが出来るのでしょうか。 仏様からも見放されているし、本当に生きていけないのではないか…死にたくはなかったけど、死ぬしかないのではないか…行き止まりではないか…と頭から離れず自分でもうどうしていいかわからないので、情けないのですが投稿させて頂きました。 お忙しい中申し訳ございませんが、御回答出来ましたらどうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 71
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非合理的に感じる労働環境とその心構え

こんにちは。初めて質問させて頂きます。 私はこの国の多くの労働環境が正常じゃないと感じています。 顧客からどんなに理不尽なクレームを受けてもまず組織を代表して謝罪を強要させられ(例え自分の非じゃないにしても)、上司や顧客の言うことにはどんなに間違っているように感じても、絶対服従を強いられ反対や意見を許されない。毎年過労死やパワハラによる自殺者が出ても経営責任者に課されるのは交通事故以下の比較的軽い刑罰のみ(個人的には間接的な殺人だと思っていますし、もっと刑罰を重くして重大な人権侵害だという認識が広げない限りは大幅な改善は期待できないと思っています)。 無論、全ての職場がこうでないことは知ってますし、労働者の権利をきちんと守っている職場があることも知ってますが、余りにもこうしたブラックな環境が多すぎるように感じるのです。 経済誌を見ますと他国と日本を比較した記事がいっぱいありますが、特に欧州の先進国では終業時間をきちんと守り、労働法が厳しく定められているので日本ほどブラックな労働環境は少ないというような記事も見ます(実際に目で見て体験しているわけではないので、鵜呑みにしてはいけないと思いますが、コロナ禍前にフランスへ旅行し、現地のスーパーがどこも19:00や20:00に完全閉店しているのを見たことがあるので、ある程度は真実だと思っています)。また議論して当たり前の環境なので(あくまで欧州や北米などですが)、日本と異なり自分の意見を言うことを歓迎されるとも聞いています。 ここで質問なのですが、どこの国もある程度はそういうもんだと割り切ってしまうべきなのか、コロナが収束したら海外に出てこの目で事実を確かめて海外での就業など他の道を模索すべきなのか(海外といっても欧州、北米、アジアなど多くの違う地域と国がある中で決して一括りに考えてはいけないと思いますが。また海外での就業は語学や労働ビザなど国内での就職よりはるかに敷居が高いことも承知しています。)、どう思いますか?ご意見を聞かせて頂きたいのです。

有り難し有り難し 21
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お寺まで嫌いになりたくない

幼少期から両親が離婚し父元で暮らしており 父のDVなどで精神的にやられてしまい 高校中退をし、母元で暮らすようになりました。 (母は再婚しています) 高校中退でも何とかコネで 事務員として3年間働いていたのですが 祖父母に高校卒業という資格は必要と 義父と母の願いもあり私自身視野も広げたいなど 祖母が学費を払ってくれるなど色々言われ通うことにしました。 通うのに色々条件を出され、一つ目は 今の仕事をやめること(辞めた後もアルバイト禁止) これは学業1本で頑張ってほしいという思いでした 2つ目は祖父母宅から通うこと(祖父母宅はお寺です) 3つ目はお小遣い月1万 携帯代込み この条件などで少々息苦しさを感じていたのですが 散々10代好き勝手やったのだから我慢しなきゃ いけないと我慢をしておりました。 長くなりましたが私は祖父が大嫌いです。 やはり住職とはいえ同じ人間ですので怒ったりなど あってもおかしくないと思ってますが モラハラに近いものがありました。 平気でお前は社会に出ても役に立たないなど。 それは私だけではなく祖母、若院にも 結構あり、祖母と若院は辛抱強く我慢が出来るタイプだったのですが 私は言われてしまうと言い返して反抗してしまうので 何かと祖父と衝突していました。 学校が休日な日はなるべくゆっくりしたいのですが お寺は年中無休、誰が来るか分かりません 自分ひとりの時間が全く作れず、学校ではやはり歳が離れた友人が多く 気を使うことも多く、家では祖父が気分屋で いきなり怒り出すなど休まることもなくでした 話が長くなりましたが、私は祖父を通してお寺が嫌いになりました。 高校卒業を取るために来ていますが 何故か私が卒業したらお寺に嫁げなど。 わざわざ蛇を殺して私の寝床に置くなど 散々嫌がらせを受けました。 住職って皆こうだと思いたくないけど 正直死だったり宗派の教え?など 散々偉そうに話しているのにやることが 汚すぎてお寺関係の人は嫌いになりました。 ですが私自身毎朝のお勤めで 仏様の前で手を合わせることは苦ではなく このまま行けばお寺まで嫌いになってしまうんではないかと 悩んでおります。 祖父とは卒業までの辛抱だと思ってます。

有り難し有り難し 37
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今まで何をしていたのか…これからどう生きていけば良いですか

今朝、目覚めてすぐに、 「私は今まで何をして生きてきたのだろう」 と頭を過り焦燥感に襲われました。 こちらに最初に相談させて頂いた時に、今年心折れる事が続きどうすればいいのかとネット内を彷徨う内に、斉藤一人さんや小林正観さん、ホ・オポノポノ等々を知り、そこから派生して、心理カウンセリングやスピリチュアル系の記事を読むようになった事をお伝えしました。 それらに何度も頼りたくなったのですが、完全には信用出来ず、入り込まずに無料メルマガを読むに留まっています。 それらは総じて、「潜在意識が自分の世界を創っている」というもので、その潜在意識を書き換えれば、自分の望む人生を創っていくことが出来るというのです。 ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という著書が一番の大元なのでしょうか、分かりませんが… 今の自分について言うと、家があり主人が居てお互いに仕事を持ちお金も多少はあり、生きていくには充分に足りている生活をしています。 ただ子供が居ないことについては、長い間、寂しさを消す事が出来ませんでしたが、やっとここ数年で諦めが付いた処です。 子供が居ない分、両親に対して時間やお金を使って喜んでもらえる事が自分の喜びでした。 特に、仲の良かった父とは一緒に居られるだけで楽しく幸せでした。 その父は他界し、母だけとなった今、それまでと同様、母に喜んでもらえる事を考えたり行動したりすることに幸せを感じています。 しかし、そのような幸せとは別に、物質的環境的には事足りているのに、何故か心が満たされません。 特に、スピリチュアル系ジプシーになってからは強く感じるようになってしまい、本末転倒です。 2回ほど、こちらで相談させて頂いた事により、苦悩からは解放されつつあります。 お蔭様で、姑の件は心を落ち着かせることが出来、感謝に堪えません。 以前から薄々感じてはいたのですが、人生を振り返ったとき、自分自身何を残してきたのか何をしてきたのか、という事が見えず愕然となります。 仏教では、「相対の幸福」に対する「絶対の幸福」が「真の幸福」である、というのだそうですが、「絶対の幸福」とは何か、またそれをを得るにはどうすればいいのかご指南頂けますでしょうか。 心の持ちようであり、自分は感謝と幸福に包まれている、というのは頭では理解出来るのですが、正体のない何かが拭えず困惑しています。

有り難し有り難し 29
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