とても1人で抱えきれず、お話をいただきたく質問いたしました。 10月に入って警察から、父が自宅で亡くなっていたとの連絡がありました。 両親は私が小学生の頃、15年ほど前に離婚しており、私は母と一緒にこれまで暮らしてきました。 長らく音信不通でしたが7年ほど前に、私から強制的に突入する形でコンタクトを取り、そこからはご飯に行ったり家族の思い出の地を巡ったり、連絡を取ったりと交流をすることができたのが唯一の救いです。 心臓の難病を患っていたようで、「(会いに来てくれて)救われた」と当時の父も言ってくれていたことを覚えています。 ただ、父は生前より、突然機嫌が悪くなってこちらのコンタクトを無視し続ける態度があり、その性格には母や私含め、周りの人全員が困っていました。 コロナ禍に入り、父の職業もフリーランスで安定したものではなかったので、頭のどこかで心配をしながら、連絡がこないこともいつものことだ、と思ってしまっていました。 遺体はかなり腐敗が進んでおり、自宅に残された周りの品から、死後2〜3年が経過していると判断されたことを警察から伺いました。 来週に父の弟さんと2人だけの火葬に立ち会う予定です。 離婚して、養育費を逆に使い込んでしまうような身勝手な父で、母がたくさん苦労して私のことを育ててきてくれたのも知っています。 厳しいことを言うと、父の自業自得だとも思っています。 周りの人たちも助けたかったけれど、その救いの手を上手く掴めなかった父の生き方の結果、父の選択であり、生き様かなとも思っています。 一方で、娘としてはかなりのショックを受けています。まだまだたくさん話したかったし、甘えたかったし、ごめんねと言ってほしかったです。私も気付けなかったことを謝りたいです。 父との思い出を思い返したいのですが、自分が壊れてしまいそうで怖いです。 この死をどのように受け止めていけばよいのでしょうか。 父は今、自分の死をどのように感じているのでしょうか。
もうすぐ70歳になる父が近居しています。 父は小さな会社をしておりますが自分と会社のことしか考えない人で、私の弟は25歳頃に愛想を尽かし出ていきました。 私も父のことは許せないことが沢山あります。 一昨年母ががんで亡くなりましたが、その個人名義の預金が出て来た時、私と弟の相続分を無視してほぼ全額を「会社経営に当充てたい」と要求してきました。弁護士に仲裁してもらい父の要求は拒絶しましたが、今度は会っても無視したり、法事に呼ばないなどの嫌がらせを繰り返しています。 (母も生前父にかなり酷い扱いを受けており、父の会社に尽くしてもお給料をろくに貰えないと嘆いていました。それを知っていたので、母の預金が見つかった時には父に全額渡すことはできないと思いました) 母のお墓もなんの相談もなく勝手に建て、母の預金を当てにするほどお金に困っているのに500万以上もお墓に使ったそうです。 父は経営には全く疎く、事務を私が引き受けていましたが、先日、コロナ禍で会社が回らないのにお前みたいな親不孝者の馬鹿に払う金なんかない、お前なんかにもう用はないから二度と来るなと言われました。 私には夫と子供が二人いますが父は良い関係を築こうとはせず蔑ろにしてきたので、夫からも呆れられています。 父の最期にどう関わればいいのか悩んでいます。 お坊様に質問したいのは以下の3点です。 ・私はこのような家庭環境のせいか、双極性障害を患い、今は精神障害者として生活しています。こんな酷い扱いを受けても、親だから最後まで面倒を見るべきでしょうか? ・具体的な話になってしまいますが、私たちきょうだいは葬儀も出したくありません。他の親戚に任せられますか? ・お墓の問題もあります。現実問題として実家のお墓の檀家料や世話までする余裕はありません。父の死後は墓を捨てるようになってしまいますか? 父以外の家族はみな故人になりましたが、いい人ばかりだったので、心が痛みます。
数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。 ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。 そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。 般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。 生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。 「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。 即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。 従って仏教の救いは死後にあることになります。 しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。 それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。 そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑) 前略 その時、世尊はかように仰せられた。 比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。 まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。 後略
はっきり言葉にならないストレスと緊張感で常に胃が痛くて、その痛みと、働いていないので長くじりじりと過ぎて何も起こらない虚しい毎日に終止符を打ちたいです。 死ぬ気になれば何でもできるなどと言いますが、これからどうするか考えようとしても、自由にモノを考えることが制限されているかのように緊張が強くなって何も浮かばないんです。そんな状態が5年近く続いていて、鬱病で入院しても、負担のない仕事で敷居を低くしても、このものを思おうとしたり何かを決めようとすると緊張して思考停止してしまう状態は頑固に変わらなくて、自分で自由に考えて決めて動けない虚しい毎日をこれ以上だましだまし続けたくないです。 もうすぐ26歳でそろそろ年齢も立派な大人になり、治ったとしても治った頃にはできる範囲が狭まっているのだろうと思います。 回らない頭で長い一日が終わるのをじっと一人でやり過ごすのは辛いですが、同居の両親は私が数日部屋に籠もっていても何も反応しません。求職の悩みも支援機関の人と週に一回話すだけで、ものが思えないで過ぎていく長い時間の重さに一人で耐えているのが一番苦しいです。 でも、「私のことを気にしてほしい」と両親に求めるのはもう何回もしていて、それでも変わらないのにいつまでも言い続けるのも悲しいです。それで望むように振る舞われたとしても、無理やりさせているだけで心からの行動ではないので。 眠っている時は胃も痛くなく、眠りだけが安らぎで、もう何も感じたくなくて死んでしまおうと思っています。 自殺をすると死後の世界で苦しむという話はよく聞きますが、それでは正直ストッパーにならないです。死んだら無で、もう何も思えなくても焦る必要もないのが救いなくらいです。 ただ、死ぬ瞬間の痛み(首にコードを巻いてみましたが、少し締めただけで苦しくて中断してしまいました)や死んだ姿の惨めさ(私自身の矜恃+第一発見者のトラウマの心配)、残された家族の将来に傷を残すこと、微かな未練(もしかしたらこの先リラックスして生きられる未来があるのかもしれない)で踏み出せません。 でも、主体的に物を思えず、実家の小さな部屋で、何をしたらいいのかもわからず、何を見聞きしても頭に入ってこなくて感想も浮かばず、何もせずに老いていくのは苦しいです。 どうしたらいいのかわかりません。何か言葉をかけていただけないでしょうか。
親しい仲だった友人弟を亡くして暫く経ちました。 以前質問をさせていただいた時からは、少しだけ気持ちが落ち着き、日常も取り戻しています。 そこで様々な疑問や思いが出てきました為、また聞いて教えていただけたらと思います。 まず、故人とはまたいつか再会出来ると言っていただけましたが、その再会とはどの様なものなのでしょうか。 魂同士で見た目は持たないのか、それとも最後に会った時の肉体の見た目(お互い20代、今の姿)なのか… 私が彼の訃報を受け、お参りに行かせていただいた時には既にお骨の状態でした。その事からか、未だに全く信じられなかったり、肉体への執着心が消えません。堪らなく会いたくなります。 また、無知なので何を言っているのかと思われるかもしれませんが、死後の動きは宗派によって異なるのでしょうか?宗派の把握はしておりませんが、私と彼の家の宗派が違う場合、いつかの再会は叶わない、という事はあるのでしょうか…? そして、彼に聞きたい事が沢山ありますが、特に聞きたい事として、私の事をどう思ってくれていたのか、私とどうなりたかったのか。 現在恋人がいる為、あまり聞くことでは無いと思いますが…私を想ってくれている様な発言を何度か受けており、けれどハッキリした言葉ではなかった為、いつか再会した時に教えて欲しいと思っています。会話は、出来るのでしょうか。 彼に会いたくなってLINEのやり取りやSNSのアカウント、前に一緒に遊んだ時の写真や動画を見ては、彼が居ないことが理解できない気持ちと、もう会えないのか…と強烈な寂しさで苦しんでいます。 記憶力がよくなく、昔遊んだ時の記憶はおろか、数年ぶりに再開した今年の春、初めて一緒にお酒を飲んでとても楽しい時間を過ごしましたが、その記憶さえも薄れています。 彼とのわずかな思い出を忘れる事が、今は1番の恐怖で辛いことです。介護職をしているので、何もかも分からなくなる認知症には絶対になりたくない、記憶があるうちに絶対死にたいと思っています。自死は選びませんが、どうか早くに、とにかく早く人生の幕が閉じないかと願っています。若いうちに彼に会いに行きたいとも。 めちゃくちゃな文章で分かりにくく申し訳ありませんが、また回答をお願いいたします。
物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです
20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです
私、自分が生まれてしばらくしてから父が婿養子に入ったので姓が子供の頃に変わっています。で、母方の家の祭祀継承者としてお墓も仏壇もあって、そこに問題はないのですが、父方の家が近く叔父の死で途絶える予定です。そうなると、父の実家のお墓とお位牌はどうなるの?と気づきました。叔父は離婚しており、これまた名字の違う子供は居るのですが、叔父個人はともかく叔父の実家のことなんか知らん、というまあ今どきの人です。どうも位牌なんかはポイして、墓は放置しそうです。お墓は寺内墓地なので強制撤去されると私達がお参りで困るからちゃんと永代供養墓に移しましょうよと話すつもりですが、問題はお位牌です。 姓は変わってても自分にとって祖父母やもっと前のご先祖のものです。適当に捨てるぐらいならうちで祀るからくれ、と言いたいのは山々なんですが、「じゃああげるよ」と言われたとして、母方の家の仏壇に一緒に置いていいものなんでしょうか?実は自分自身も結婚の予定がないため、死後に叔父と同じ問題を抱えそうです。嫁に行った姉妹に自分の家の位牌を頼んでいいんでしょうか? というか、世のみなさんは家が自分で末代になりそうな場合、どうしてるんでしょうか?私の場合、父方も母方も、姉妹の嫁ぎ先も偶然全部同じ曹洞宗です。だから、宗旨が矛盾する的な理由で駄目ってことは多分ないと思うんですが、「家」を単位とする仏壇や祭祀で、複数の「家」をまたいでよいものかどうなのか、教えてください。うちの話は独立した位牌の場合ですが、繰り出し位牌や過去帳の場合についても、家を混ぜていいものなのか解説願えますでしょうか?
自分はなぜ生きてしまっているのか、飼い猫を事故死させてからなんの為に生きているのかわからなくなりました 自分は独身で怠惰、なんの取り柄もない人間ですが、せめて自分の両親と飼っている兄妹猫2匹の最後を看取る、寿命がくるまで家族楽しく生きていければそれでいいと思っていました 昨日、いつものように早朝だけ猫を外に出すといつものように朝方には戻ってくると思っていましたが、その日オスの猫だけは帰ってきませんでした 母親はその日休みなので自分は母親に猫の捜索を託して仕事にいきましたが、見つからないと聞き、午前中で仕事を切り上げ、早退して家に戻り徒歩で捜索を開始しました 創作開始して20分程度経って家から約50メートル先の道路に遠目で横たわる猫を見つけました、それは紛れもなく自分の飼っていたオス猫でした すでに死後硬直し外傷がほとんど見られないので、そのまま手で抱えて家に向かいました、申し訳ない気持ち、悲しい気持ちでいっぱいになり、ごめんねごめんねとつぶやきながら家に戻りました オス猫の生前お腹を撫でると、猫が両手で自分の手を抱えようとしながらゴロゴロする光景が目に焼き付いています、そのときに自分は「俺が君たちを守るからねー」と言っていたのですが、それがこのようなことになり、口だけでしかなかった自分の言葉が悲しくて仕方がありません 元々室内飼いだったのですが、オス猫だけある時粗相したり餌を食べなくなってやせ細って病院にいっても何も異常はなかったことから、ストレスが原因であり外に出せばストレスがある程度解消できると思い、放し飼いをするようになりました、実際それからは元の食欲に戻り、粗相もなくなりました それでも危険なことには変わりないことはわかっていたつもりでした、なのに軽率にも放し飼いを続け、結果として最低限守りたかった家族を失いました、自分の浅はかさ、見通しのなさが悔しく、いつものオス猫との日々がもう戻らないことの悲しみに何度も涙を流しながら過ごしています せめて生前のオス猫の過ごしやすい家の雰囲気を守っていこうと家族と仲良く、雌猫は室内飼い徹底しようと決意し、明るく振る舞おうとするのですが、ふいに悲しくて仕方なくなり、泣いてしまいます 自分は本当に家族を守るだけの資格があるのでしょうか、家族すら守れない自分は生きていても仕方なく、オス猫の後を追ってやるべきなのでしょうか
今、家庭で問題を起こし精神科に入院中です。看護師さんには、ハスノハ様に相談する許可を取りました。 自分の知能に全く自信が持てず大学を中退し、就労支援施設と連絡を取っていました。 入院中は就活をする気がありませんでしたが、長年お世話になっている主治医の先生に「これからどうする気だ?」と言われ、再び就労支援施設と連絡を取っています。 主治医の先生は、私に「一般雇用も出来る。職場でもいじめられる事は無い。ミスで会社を潰す事も無い。働き出せば、良い家に住める。」と仰ってくださいます。 また、グループホームや知能にハンデを抱えた者が行く寮といった場所には絶対に行きたくないという事を、色んな方に伝えています。 主治医の先生は、「一人暮らしの費用は自分で稼ぐ事。」と仰り、両親も金銭的支援はしてくれそうにありません。 なので私は敷金・礼金や家賃、ライフライン料金、食費、またアニメやゲームといった二次元オタク文化をどうしても諦められないのでそうした趣味代も、全て自分で稼がねばなりません。 今まで生活の全てを両親におんぶに抱っこで生きてきた、何の社会経験も無い高卒ニートの私にとって、これから私が行わなければならない事はハードルが高すぎると感じます。 主治医の先生は、「最初は趣味と一人暮らしの両立は出来ない」と仰りました。私も、働き始めたは良いものの、コミケ (同人誌即売会です)の日に休みが取れなかったらどうしよう、などと考えています。 そもそも働ける気がしません。ましてや一般雇用など…私に出来るのでしょうか?しかし、私は今までに主治医の先生をはじめ家族など大切な人の期待を裏切り、大事な事から逃げ続けてきました。 だから、いい加減に主治医の先生の仰る事を信じ、覚悟を決めて就職し、一人で生きていかなければならないのでしょうか。 私は正直に言えば安楽死がしたいと考えています。しかし、それで本当に良いのかと迷っています。 主治医の先生は安楽死に反対しており、「安楽死したら地獄に落ちるぞ」と仰ります。しかし私は死後の世界があるとは思いません。 プロフィールにも書きましたが、私は今まで他人に散々迷惑をかけ続けて、ひどい人生を送ってきました。 こんな私でも、変われるのでしょうか?自信を持って、やり直して良いのでしょうか? 精神的に限界で、相談させていただきました。
なぜ生まれて(産まれて)しまったのか、幸せ・喜びもいらないから、しんどさも味わいたくなかった、と、呪わしく思う気持ちに支配されてしまっています。 親との関係は良好で、いざというときに頼れる友人もいる。お金も仕事も今も不安はなく、健康で、ひとりの時間も持てて、「恵まれている」と思います(人生で三回くらいいじめに遭い不登校にもなりましたが今は人にも恵まれています)。 こんな身で「苦しい」なんて、どう思われるのかと怖く誰にも言えません。親への恨みでもなく、呪っても詮無いのもわかっています。 それでも、私にとっては本当に絶望的で苦しく、相談させてください。 たぶん、しんどい一番の要因は、「自分の思考回路の癖・受け取り方が苦しい」かつ「どう努めても一向にそれ(自分)を変えることができない」という点です。 すぐに不安になる癖(見捨てられ不安)、物事をネガティブに取る反射などが、自分で自分を生きづらくしている要素だと気付き、いろんなことに取り組んできました。 「三週間続けると効果が見えてくる」というような取組を三年以上積み上げて、「しんどいことも学び・成長の糧」「このしんどさにも何か意味がある」「こんな自分だからできることもある」と見方も変えて、何とか日々を凌いできました。 けれど、日々の中にはプラスもあれど、眺めてみればどんどん悪化する現実に加えて、積み上げてきたものの成果が見えず、極めつけは数か月前に「あなたの努力が他者を追い詰めている」とカウンセラーに指摘されたこともあり、気力が底をついたように、「もう、とにかくしんどい。存在しているのが嫌だ」というところに行きついてしまいました。 学んで成長しなくたっていい。存在しなければ苦しまなかったのに。 かといって死ぬのは怖い。一度生まれてしまった「この考える私」は、死後が楽であることの保証がないことも気づいてしまった。 そう思うともう生まれたこと自体が苦しく、考えても詮無いことに囚われていることにも嫌気がさします。 趣味らしいものがなく、そのくせ自分のことばかり悲嘆して手いっぱいであることも恥じ入っていて、それなのに頑張ることもできず、いっそ、体の使える部品をすべてほしい方に差し上げて、人の助けになれれば許されないだろうか、と夢想してしまっています。 お忙しいところ申し訳ありません。どうか、凌ぎ方のお知恵をお貸しください。
幼いころから長い期間ストレスにさらされたため体を壊し、バイタリティがほとんどありません。 やりたくないことはもちろんですが、楽しいことも、本当はできません。 あまりにも辛いので自殺は何度か図りましたが、体はやっぱり生き物なので大人しく死のうとしてくれず、完遂できていません。「自殺する」ということを解決法としてすがりつくのは諦めました。 とりあえず寿命までは波風立てずまともに生きているふりをしようと思い、まず生活・収入は絶対途切れさせないように、仕事と生活上必須の作業(食事やお風呂や睡眠)を優先しました。 それだけで限界だと分かったので、体力と収入を削る楽しみ(料理・絵を描く・何か作るなどのクリエイティブ系・読書・SNS)は仕方なくやめました。 人間関係が嫌いになったので頼れるパートナーを作ろうとは思いません。関わると生活がうまくいかないので親族とは縁を切りました。 金銭面は公的機関からすでに援助を受けているので、これ以上誰かを頼りたくありません。 精神科に8年かかっていますが、効果は頭打ちのようです。 今更生きている意味とか、楽しみが欲しいとか、苦労したんだから報われたいとかは全く思いません。無理に求めればそれなりの代償を払うことになります。 まあまあ満足な人生を送るには、今回あまりにも運が悪かったとだけ理解しています。寿命が尽きれば何でもいいです。(死後どうなるとかは置いておいて、この世に参加しなくてよくなる時を待っています) こんなに理性的に働いてやり、食べたくないと思っても無理に食事を食べさせて生かしてやり、苦しむのが目に見えているから趣味や人間関係の危険から守ってやっているのに、常に自分が不機嫌で、ぐずっているのがはっきり分かります。それが「自分の本当の気持ち」だとしてもいちいち構いたくありません。何がしたいのか分からないし、生活の足を引っ張るだけなら黙ってほしいです。 この不機嫌さを完全に消滅させて、何も感じずに毎日同じことを淡々と繰り返す、「外から見たら普通の人」になるためにはどうしたらいいでしょうか。 「疲れているので休みましょう」といった意見は求めていません。仕事を休んで解決する問題ではないと思っています。
悩みとは違うのですが質問させていただきます よろしくお願いいたします 確か6才頃の時でした 公園でとある事故により肉体と幽体とが離れたことがあります 気付いた時、仰向けで空を見ていました 足元を見ると離れた場所におんぶされ運ばれる自分がいるんです その際感情などは一切なく、ただ『見ている、傍観している』状態です 移動する感覚はなくドラマのカットの様にパッと切り替わり次はタオルを額にあてがわれベッドで寝かされている自分、それを取り囲む人達の頭を上から見てました そこもまた『ただ見ている』状態 そして次のシーンで取り囲む人達を肉体の視点から見上げてました、気が付いた(肉体に戻った)状態でしょうか アレ?っといった感覚で自分を俯瞰で見ていたついさっきの記憶と肉体に戻った感覚がごっちゃになっていたのを覚えてます ここで質問させてください この体験は所謂『死』と同等だったのでしょうか?結果戻れたから死ななかったということでしたらあのまま戻れなかったら感情もなくそこらを浮遊しいつか何かしらの変化により成仏したのでしょうか? 今だから思うことがあります 色々な力が働いていたんだと思います 子供故に助かったのかと思います だけどあれが死者の魂の感覚だとするなら肉体ってなんなんだろうなと、死後って悲しみも辛さもないんじゃないかなと、そう考えさせられるんです 死とは相当状況に左右されるのは分かりました 恨みも嫉みも未練もなければ人の魂はすんなり浄化できてしまうような気もしました 30年以上前の出来事が今でも不思議と全て鮮明に記憶されているんです、魂の経験とでもいうのですかね^^; あまりに鮮明なんです 夢のような感覚です あと最後に 肉体を離れたあと、音がありませんでした 声だけが聴こえてた記憶です 本当に貴重な体験をしたなと思います 変な質問ですが御回答よろしくお願いいたします
待望の2人目を授かりましたが、妊婦健診で赤ちゃんの異常を指摘されました。 居ても立っても居られず、専門病院を受診したところ、ダウン症の確率が高く、状態から見てもほぼ確定でした。 確定診断の結果が近々出ます。出生前診断については私も迷いましたが、ハッキリとした心疾患があるため、医師に原因の特定のためにと勧められ、受けました。 しかし、結果として、やはり私にとって確定診断は「命の選別」になりました。結果によっては中期中絶を考えています。 悩みの原因は、まだ幼い娘が1人いることにあります。 もしも程度の重いダウン症の赤ちゃんが産まれたら、重い内臓疾患の赤ちゃんが産まれたら…娘はどうなるのか。娘が傷つき、苦しむのではないか。幼いうちはよくても、大きくなるにつれて、嫌な思いをすることも増えるのではないか。私たち親の死後はどうなるのか。全て娘に背負わせてしまうのではないか…。 また、私自身、娘の世話をしながらダウン症の子を育てられる自信がありません。 しかし授かった命。見殺しにして良いのか。生きているのに。今は元気に、たくさん動いているのに。 葛藤しています。赤ちゃんへの愛しさは募るばかりです。でも、将来のこと、娘のことを思えば「愛しい」という感情だけで決めることはできないと思い、毎日泣くことしかできません。 しかし、命の選別をしようとしている私に泣く権利はあるのか。お腹の子を愛しいと感じる権利はあるのか。 中期中絶を考え始めてから、お腹を撫でることも怖くなってしまいました。 勝手な都合で中期中絶された赤ちゃんは、どこへ行くのでしょうか。恨みや憎しみにとらわれることなく、温かくて優しいところへいけるために、私たち夫婦にできることはあるのでしょうか。 中期中絶を決断することになれば、どう償えばいいのでしょうか。どうすれば赤ちゃんに詫びることができるのでしょうか。 自分の親から命を奪われる赤ちゃんに、どう向き合えばいいのでしょうか。
愛猫が亡くなり、もうすぐ4カ月が経とうとしています。 私が離れがたいのと、納骨について迷っていたために、四十九日も百カ日も納骨せぬまま今に至ります。 まず、以前何かで「いつまでも死んだ猫の骨を手元に置いたり、寂しいとか思っていると成仏できずに化け猫になってしまう」という文章を見たことがあるのですが、本当でしょうか。 今でもつい「もっとこうしていれば、今も生きてくれていたかも」と後悔したり、「●●ちゃんがいなくなって寂しいね。天国から会いに来てくれるかな」と息子と話したりしてしまいます。 離れがたくて納骨していないと言っておきながら、死後しばらく経ってからはお参りもお供えも毎日はしておらず、たまにお線香をあげて手を合わせたり、食べ物や花をお供えしたりするだけです。 供養という面では、人間が仏壇にご飯やお茶をお供えするのと同じようにするほうがよいのでしょうか。 缶詰をお皿に盛って置くこともありますが「仏さんに肉や魚というのもどうなんだろう」と考えたり、もう死んでしまったのにあげても仕方ないなと虚しく感じたりしてしまいます。 私の願いは、愛猫が次生まれ変わる時まで天国でのびのびと幸せに過ごしてほしいということ。そしてもし望んでくれるならば、生まれ変わったらまた私たちとともに、今度はもっと長く幸せに暮らしてほしいということです。 ペット供養をなさっているお寺は、近くに3軒ほどあります。合同のお墓に毎日お経をあげてくださったりはしないのかもしれませんが、それでも民間業者の霊園よりはよい気がしています。 ただ、最初から合祀のみだったり、数年間個別で納骨した後に合祀だったりで、結局合祀されることに抵抗があります。 最近は人間も樹木葬などがあり、自分自身が選択するのは全然よいと思うのですが、いざ愛猫のこととなると、他の動物たちの骨とごちゃ混ぜにされるというのが受け入れがたいのです。 また、うちには幼な子がいるのですが、合祀の場合、家族でお墓参りに行った時に、元の飼い主さんにお参りしてもらえず寂しい思いをしている動物の霊たちが、子どもたちについてこないか心配です。 どのように供養するのが、愛猫にとってベストなのでしょうか。 個別でも合祀でも死んだ側には関係ないのでしょうか。 ちなみに我が家はマンションですので、埋められません。実家は庭がありますがとても離れています。
こんにちは。 近々結婚を控えた婚約者を亡くしました。 自殺の仕方、自死者遺族への賠償金など調べました。 ですがどれだけ調べても自死者が愛する人の元へいく手段がありません。寿命を全うすれば愛する人が迎えに来てくれると…。 死後の世界を私は信じ切ってる訳ではありませんが、もし本当にあるなら寿命を全うするしかないのかと思い始めてる所です。ですが私は今年で30歳。この先の人生が長過ぎて絶望しかありません。『新しい人と幸せに…』なんて言われる事もありますが無理です。でも寂しくて、誰かに『大丈夫だよ』って抱きしめてほしいなんて考えてしまう事もあります。 死にたい、けど自殺じゃ彼に会えない、彼しか愛せない、けどこの先何十年独りと思うと怖い。 その堂々巡りです。 彼は高血圧が原因の脳幹出血でした。それまで笑ってご飯を食べてたのに突然頭が痛いと言って倒れ、9日間闘病の末亡くなりました。 彼には夢があり、5月末には自分の食事処をオープンさせる予定でした。 その為4月で会社を退社しており、私はその退職金で晩ご飯は彼と外食を繰り返しました。帰りが遅いので、ご飯を作るよりその方が楽だったからです。彼の血圧が高いのは知ってました。ですがそれを軽視し、私は楽な道を選び続けたのです。 一度でも病院へ連れてってたら、結ばれたのが私でなければ彼は夢を叶えていたかもしれません。 外食を繰り返し彼の高血圧を急激に悪化させ、彼の夢も未来も奪った私が何故まだ生きてるのか分かりません。 こんな私を見て彼は悲しいかもしれませんが、もう立ち上がれません。 こんなにも早く突然にお別れがやってくるなんて思いもしませんでした。 平均寿命を考えればこの先60年、生き方がわかりません。 長文で失礼致しました。
こんにちは。宜しく御教授お願いします。 父の死後、九州で一人暮らしを続けていた80歳の母が身体的にも介助が必要になり、認知症らしい言動も出てきている為独居は限界と判断。私も兄も関東に住んでいる為、関東の施設入所して貰う事になりました。 離れている為、近くにいてもらった方がいいと思ったからです。 受診、入所先探し、転居の手続き、親戚への挨拶、荷物の送付、入居準備全て私が行いました。 後は、住んでいた九州の実家の片付けがあるのですが、かなり家財道具がある為大変です。 兄に相談しましたが、手伝ってくれる気は無さそうで、当然私がやるものと思っています。 その事で、喧嘩もしました。私は充分やったし、これ以上の負担は身体的、精神的に無理です。 母の認知症は、まだまだ軽い方ですが、以前と違う母といることがとてもつらく、ストレスを感じます。 冷たい娘とお思いになるかもしれませんが。 母は本当はずっと、生まれ育った町で暮らしたいようです。私達の為に、入所してくれるんだと思います。 そんな母を見ていると、本当にこれで良かったんだろうか?と思ってしまいます。兄弟で揉める姿も、見せたくはないです。 私はケアマネの仕事をしていますが、自分の親の介護については考えていませんでした。敢えて、考える事から逃げていたとも言えるかも知れません。利用者さんの御家族が、介護の負担分担で揉める姿を散々見て、悲しい気持ちになっていました。まさか、自分がこんなことになるとは。お恥ずかしい限りです。 私は 子供が出来ない身体ですが、たとえ子供がいても老後は決して安泰ではないのですね。 人は生まれて、それぞれ一生懸命その人の人生を生きて、老いていく。 やっと、ゆっくりと人生の最期の時のためにのんびりと穏やかに暮らせる時間が来たのに、子供たちは世話のなすり付け合い、生まれ故郷から離れての生活。 老いることは悲しい事でしょうか。 私達は、人生の最期の時期をお手伝いする仕事ですが、どんな人にも最後は幸せでいて欲しいと願って仕事をしています。御坊様は、本当の最期のお見送りをするお仕事だとおもわれますが、人の老いについてどのような考えをお持ちでしょうか。 私事の相談のはずが、話が大きくなってしまい申し訳ありません。
お世話になります。 私は一人っ子で幼少期に母親が目の前で自殺しました。 父の浮気が原因でノイローゼになってしまっての事でした。 それから40年以上、今でも年に数回は父との交流(父からの電話で安否確認程度)はありますが、私の方では知り合い程度の認識で父とは思っていませんし「お父さん」と呼んだこともありません。 そんな父も齢を重ねてあと10年生きるかどうか、ぐらいの年齢になってきました。現在、当時の浮気相手であり母の死後わずか2年で再婚し私の継母となった女の実家がある遠方で暮らしているようです。 一応私が長男なので最近その父が死んだ時のことをよく考えてしまうのですが、このまま継母の実家で亡くなった場合葬儀もそこで執り行う事になるかと思います。継母は幼少の私をそれは凄惨な方法で何年も苛め抜いた存在であり、私は継母の実家には行きたくありませんし継母の顔を見る事もしたくないのです。 つまり父が彼の地で亡くなった場合は実子であり長男である私抜きで葬儀なり好きにしてくれればよいと考えていますし、父がどこの誰の墓に入ろうがどうでもいいとも思っています。要は父の葬儀を執り行うだとか参列はしたくありません。父の仏前で手を合わせる事もないでしょうし、そもそも故人を偲ぶ値打ちもないと思っています。 これは罰当たりな事でしょうか?周りから非難されるような事でしょうか?死ねば地獄に落とされるような事でしょうか? 私の母を自身の下の欲で死に至らしめた人間の屑とも言える父だったとしても、実子である私が葬儀やら墓やら供養やらをしなければならないのでしょうか?
私は3年前に母を亡くし、父も去年末に亡くなりました。 父の死後、実家の片付けをしていたら、父の故郷の東北地方に住んでいる父の妹も、片付けなどの父の物の整理をしに行こうと思ったのですが、コロナ禍、東北地方の地震の影響で交通機関の乱れの理由に来れなくなりました。なので、◯◯(私の名前)に任せっきりでごめんと言われます。 先週電話で、父の妹が、4月に新幹線開通した時、父の洋服を仕分けして他の人に譲ったり、とっておきたいと言っていたのですが、わざわざ東北から来るのも大変なので、私の方から父の妹の方に洋服を送ると提案しました。 夫は着払いで送りますと一言伝え、父の洋服は事前に私の実家の近く住む従兄の奥さんにダンボールにまとめてもらいました。夫にも協力してもらい、先週の土曜日に従兄の奥さんがまとめてくれた父の洋服を全て送りました。 次の日、父の妹から電話が来て、「着払いなら事前に言って!しかも雑に入れて!これじゃあパパ(私の父)がかわいそうでしょ!」と怒ってました。 確か夫がこの間着払いって言ったはず…と言いましたが、父の妹は怒りが止まらず、そのまま電話を切られました。 どこかでコミュニケーションがすれ違ってこうなったのかな…事前に再度着払いって言えば良かったと後悔し、1日空けて私の口からちゃんと謝ろうと父の妹に電話して、荷物の事を謝りましたが、 「予告なしに着払いだし、雑に詰めて、これじゃあパパがかわいそうでしょ!私(父の妹)のものを着払いなら構わないけど、自分の親のものだよ?それに△△くん(私の夫)も、◯◯(私)は××(結婚後の名字)の子ですからって…」 と、夫に対しても愚痴り、しまいには常識外れと言われました。事は一応その場で済みましたが、まさかここまで言われると思わなかったので、 「私はいい歳で子供もいるのに、常識をわきまえてないんだな…情けない」 「本当に天国の両親は悲しんでいるのかな…」 など、一日中考えてしまい、自分を責めたり、無気力状態が続いて、趣味にも没頭できないくらいです。この先親戚と気まずい関係にならないか心配でたまりません。 長々と失礼しました。
先日、鑑定士に人生を見てもらいました。この方は能力があり死期が近づいていると死臭がして寿命がわかるそうです。実際に当たると言うより見えていること前提で話しています。娘は右足が短く足の長さが違うのですがそれも言われました。主人の母方の家系は高血圧で、それも言われました。性格に関しては当たったり外れたりでしたが、私だけ現在の腸内環境のことだけ言われて先の健康のことは言われず、さらに肩の上をチラチラ見ていたのが今になって気になります。でもその方は、霊がいますとかそんな商売はせず、霊がいる証明をできないから不安を煽ることは言わないと母から聞きました。鑑定料はお気持ちで壺とか石とか売られるわけではありません。人の人生を豊かにしようとされています。ここでも何度も相談させていただいた私の恩師はそんなものを一切信じませんでした。目に見えた物しか信じない。そして鑑定士もまた、目に見えた物しか信じないし、四柱推命の力も少し使っているけど9割は頭であなたを見ている。信じなくてもいいけどね。と言っていました。私個人としては、鑑定士は四柱推命と心理テクニック、鋭い勘と観察眼の他色んなことを勉強し努力しているから"見える"と言って通用しているんだと思います。でも、娘の足などの他にも見える以外で説明がつかないことが多いのです。私は極端な性格で寿命や死後の世界、カルマなど白黒つけて答えが出ないものが怖いです。それに鑑定士よりも恩師の方が私のことを理解してくれています。亡くなった今でもです。鑑定士が見えても私は見えないから信じない。仮に1年後に死ぬと言われてもやることは変わらないし自殺しない。これでいいのです。仮に寿命を言われたとしても、余命半年と言われた恩師の方が余程怖かったと思います。恩師のような何事にも惑わされず、何でもかんでも答えを出そうとせず、曖昧なことはそのままに、在るがままに生きたいのです。頭では分かっています。あとは自分の思う生き方を実行するだけ。それなのに短命なのか死ぬのか鑑定士という掴みようない人、力に振り回されています。恩師と鑑定士どちらにも同じアドバイスをされ2人の信念や似ている所があるのに決定的な所が真逆です。もっとインチキ臭ければ一蹴するのに対極にながらも生き方が似ているので戸惑ってしまい2人に共感しています。恩師の教えを胸に私らしく生きたいのです。鑑定士のことは忘れて。