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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2630件

死んだ後、地獄へ行かないために。

40代、無職、独身、天涯孤独(両親は母親はがんで病死、父親は借金苦で自殺)彼氏も友達もおりません。 学生時代もいじめられて孤独、会社も仕事もできずくびになって以来 引きこもりです。 どこをどうひっくり返しても、幸せだって思えた瞬間もありませんし 体験も皆無です。 無理に幸せと思おうとして生きてきましたがもう ネタ切れです。幸せは考え方次第、ともいいますが本当に、全く ないんです。もし死んだとしても、(孤独死か餓死でしょう、全く相談できる人も理解者もいませんので、たった独りの自分だけの力でどこまでできるかわからないので)悲しんでくれる人もおりません。 この辺信じてもらえないことが多いですけど、本当です!! 餓死=自殺扱いですよね? このサイトで必ず自殺者は地獄へ行く訳で ないというのを読んで少し心が軽くなりましたが、私でも大丈夫でしょうか、、、。必ず地獄送りでないのなら、精一杯できることやって みようかなという気持ちになってきました。 死ぬこと自体は全く怖くないし、この世に未練もありません。 ただ死んだ後まで、もう苦しみたくないだけなのです。 生まれ変わることにも抵抗ありません。 今の自分が消えてくれるなら万々歳ですから。

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結婚できなかった、これからの人生が見いだせません

来月40歳になる男子です。自らの残りの人生について相談させていただきたく思います。 来月40歳になるのですが、とうとう結婚することができずに40歳を迎えることになりました。国立社会保障人口問題研究所の出生動向基本調査によれば、40歳時点で結婚できる人は全40歳代男性の0.3パーセントであるという結果も出ています。従い、40歳までに結婚できなければ、もう事実上私の人生に結婚はないだろうと思います。 結婚相談所に登録するなど、今まで人並みに活動はしてきました。また、運動や食生活に気をつけ清潔感や身だしなみにも気をつけてきたつもりです。 しかし、自分がいいなと思う人に気持ちが伝わることはありませんでした。正直、40年生きてきて女性ときちんとおつきあいをしないまま30歳代が終わってしまいました。生まれてこの方何をしてきたんだろうと思います。 精神医学や心理学をたくさん勉強しましたが、どうやら私は精神的な成長に失敗したようです。子供時代に両親の愛も希薄な状態で育てられたのも今は認識しています。 この文章を読んでいただければおわかりの通り、女性の気持ちをどう考えているかもおそらく伝わらない、稚拙な文章だと思います。女性を愛する能力は子供の時から鍛えられなければならないと言うことを、恥ずかしながら今知ってしまい、もう間に合わないと落胆しています。 周りの幸せな家族やカップルをみて非常にうらやましく思うとともに、正直なんで自分だけがこんなに孤独なのだとねたましく恨めしく思います。 人間最後は皆平等に死ぬと思うのですが、私は今から自分自身の死だけを目標に生きていくことに落胆しております。結婚だけが人生ではない、ほかにもつらい人たちはたくさんいるといわれても全く耳に入らないのです。 残りの人生、前向きなイベントは終わってしまい、残りの人生は両親の死と自分の死だけが待っています。 私には何が足りなかったのでしょうか?残りの人生何をしていったらいいかわかりません。アドバイスをよろしくお願いいたします。

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心から供養できません

主人が自殺しました。まだまだ手がかかる子供達を残して。これからの成長が楽しみな子供達を残して。 あれから、生活が180度変わりました。残酷な生活へ。 主人の家族からは私の両親含め子供達までも殺人犯扱いを受けております。 他の投稿で仏様に導かれて極楽浄土へ行くとありましたが、その投稿を見ても自分だけ楽になってスッキリしてという思いが強くなりどうしても許す事ができません。 死に追いやったのは私のせいですが、ここまで生活してきて我慢ならない事がたくさんありました。なんなら私の方が全て投げ出して楽になりたかった…とさえ思ってしまいます。 しかし私はそんな事は絶対にしません。周りの人を苦しめるだけだから。 自分で死しか選べず逝ってしまった事はほんとに苦しかったね…ごめんなさいとは思って安らかにと思う反面、人生最大の裏切り方をされたという思いが交互にやってきてパニックになりそうです。 私は第一発見者でした。なので笑っていた顔も怒っていた顔も泣いていた顔も声も全て思い出せず、思い出そうとすると最期のあの姿しか思い出せません。 そして夜になると、暗いところに行くと思い出してしまいとてつもない恐怖が襲ってきてお風呂も寝るのも1人でできません。 なのに何故あなたは1人だけ楽になり、みんなから可哀想、可哀想と言われ、何故残された私たちは形見の狭い思いをしなくてはならないのですか? 夢から覚めて朝が来たら、あなたがいると希望を持ちながら、起きると現実に戻り絶望感からの目覚めになります。 このような事から、あの世では苦しまないで欲しいと思いながらも、心から供養する事ができません。これからの人生明るくなるとは到底思えません。 時が解決してくれると皆は言いますが、ごめんなさい、そうは今の所思えないのです。 自分でも、このような感情でいるのがほんとに白状な事だと思っていますが、やはり心から供養できないままです。

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死後の世界について、助言をお願い致します。

私は、HSP(高感受性)の者で、霊は、見えないのですが、人の細かい感情や動物の気持ちも感じやすかったり、植物や大気のオーラを感じる事もあります。私は、見えないものに興味があり、死後の世界についてもよく考えるのですが、人生とは、魂を成長させる為の修行なのでしょうか? 死後の世界について、いくつかご質問したいと思います。お願い致します。 ①人は、体が死ぬと魂が体から抜け出て、人生を全うした善人であれば、現世への拘りが強く無く、死んだという自覚がある魂であれば、お迎えが来たり、来ない場合でも天国のような霊界に行くことが出来る。 ②現世への拘りが、強い魂や自分の体が死んだ自覚がない魂は、現世に留まり浮遊霊や地縛霊になって拘りがとれて、死を自覚するまで何年でも何千年でも現世を漂い続ける。 ③悪人(人殺しや自殺)をした者は、死後恐ろしいところや暗闇をさ迷い続けて生きていた時よりも苦しむ。 ④霊界で再度人間に生まれ変わる時は、霊界の偉い方と相談をして、どの体に入るか自分で選択する。そして、選択した体に魂を宿し、生まれてくる。体を選択するときには既に、その子どもとして生まれたら、どんな親の元で育てられ、どんな友人、恋人、結婚相手等と出会うのかわかった上で選んでいる。 ⑤霊には、私達と同じでお経の意味がわからないことが多い。 ⑥霊には、私達と同じ記憶と感情があり、精神は生きている者となんら変わらない。 ⑦霊は、生きている人と話せる。瞬間移動を出来る。軽いものを動かせる。電気機器などを動かせる。夢枕に立つ。体を生きている人と同じ見た目の姿に出来る。体に重量をつけれる。霊能力者と頭の中で会話が出来る。霊が見える人だけに憑依出来る。写真や映像に写り込める。 霊感の鋭い人には見えるが、普通は見えない人の方が多い。 ⑧地獄に鬼や閻魔大王はいない。死後の世界では、現世でのどの行いが良かったことで悪かったことか自分で解るようになる。死後の世界は、自分の心の現れでもある。 死後の世界は、精神世界で異次元空間。その空間は、現世と重なりあうように存在している可能性がある。 上記の①~⑧は本当でしょうか? 私が、死の世界について真剣に調べて、直感で感じたことです。長々と失礼いたします。ご意見お願い致します。

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2023/07/16

内側の僕からの反論?

個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません

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私の母はどこに行ったんですか

死ってなんなんでしょう。死んだ人はどこに行ったんでしょう。 私は母親を知らないので愛情も何も、居たという実感もありません。 生きてるのは寂しくて、辛くて、苦しいです。 人は1人です。 父親は母親にはなれないし、気持ちはわかってもらえない。 経済的にはお世話になったし、とても感謝しています。 でも、私は父親の奥さんじゃないから家のご飯は親が作って欲しかったし、自分のことを自分でしてきたから、なんで私は1人で生きてるんだろう、と思ってましたよ。 私はなんのために生きてるのかな。家族がうまくいかなくて、親の同居人に虐待されて、それでも普通に真面目に生きたくて悪いことせず一生懸命生きてきましたが。 結婚して、自分の子供時代が辛くて、子供は欲しくなくて。 母親になるっていうことがわからなくて。家族がわからなくて。 虐待がなくて両親揃って兄弟がいて食事してそんな家庭作っていけるのでしょうか。 母に会えるなら、なんで私を生んだのか、なんで置いて死んでしまったのか、お父さんは好きだったのか、私たち兄弟にどうして欲しかったのか、聞きたいことが沢山あります。 私が死ぬのはまだ先だと思いますが、あの世ってあるんでしょうか。生んでくれた母親に会いたいです。 というか私がこの世に生まれた意味ってなんなんでしょうか。

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罪悪感

最近、とても悩んでることがあります。 それは、自分が今までやってきた悪いことを思い出し、罪悪感でいっぱいになってしまうことです。 私は、部活の後輩を自殺で亡くしました。 原因は複数あるのかもしれませんが、彼女は部活での人間関係に悩んでいました。 私は、上に立つ立場だったし、唯一地元が同じ子だったので、どうにか解決させてあげようと努力したつもりでしたが、 結局何の役にも立っていなかったのかもしれません。 むしろ追い詰めていたのではないかとも思います。 努力したつもりになって、自分は何かしら手を差し伸べたと、 自分のせいではないと、自分の行いを正当化しようとしている気がするのです。 彼女のご家族のことを考えると、どうしていいかわからなくなってしまう時があります。 でも、こんな自分の悩みは、彼女に比べたら、大したことないです。 彼女は自ら死を選びました。 私は臆病者なのでそんなことはできません。 彼女を救えなかった分、この罪悪感は一生背負っていかなければならない思っています。 他にも、誰かを傷つけたり、悪いことをいっぱいしてきました。 でも過去に戻れるわけじゃないし、どうしようもないことだと分かっています。 罪悪感から逃れたい。でも自分がしてきた悪いことへの罰だから、逃れてはいけないのではないか。 どうか回答お願い致します。

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2023/01/27

事故や災害で亡くなった人の遺族について

災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。 私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。 確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。 私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。 当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。 お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。

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死ぬ間際の人間のありかた。

人は、死ぬ間際、どういう心持ちでいたら良いのでしょうか。 死ぬ瞬間。 浄土系の教えでは、弥陀来迎を信じ、弥陀にお任せして、心穏やかに 最後の時を迎える事だと思います。 死の間際、恐怖なく安穏で居る事は並大抵じゃない。 高度な仏教哲学も、「自分が成っていないと」生老病死の苦しみに対する、屁の突っ張りでしかない。 「成った事」すら、無明を前にして、自覚出来ない気がします。 だとしたら、方便でも、心穏やかに最期を迎えられる、浄土系の教えは、在俗の者に有効なのかなと思いました。 学究であり、優れた人格の法然上人の、庶民への優しさかなと思いました。 しかし、究極の真理は、「自浄其意」だと思います。 しかし、禅宗にも一抹の疑問が涌きました。 「六道輪廻は生きる人間の心の有り様。」と、輪廻思想を切り捨てると、 「而今」の真理から言えば正しいですが、施餓鬼等、自身が行っている事も否定してしまう。  正自覚者である釈尊が、見通した世界。インド土着の世界観等々と切り捨ててはいけない気がするんです。 だとすると、死の間際の心の有り様は重要なのではないでしょうか。 人生に一度しか経験しない、最大恐怖の死。 生老病死の最大恐怖。 何かすがるものがなくても、灯明の如く寂滅できるものでしょうか。 お坊様方は、人は死の直前、間際、どのような状態に居るのが理想と思われますか? 何もかも放下して、消え行く中。 どんな気持ちでいるべきなのでしょうか。 最大の疑問です。 どうぞ、ご教示くださいますよう、お願い致します。

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救いとは何か

自分が考える救いとは、無感覚になることです。 迷いを引き受けるとか、しっかり迷うとか、答えは自分のなかにある(道を探求する、道を歩む)とかしんどいのでどうでもいいと思います。 念仏を唱えるのも違和感があるし、修行は無感覚になれるわけではないので無意味です。 悟りの段階が上がると無感情のように見えると聞いたことがあり、憧れますが仏教の悟りは廃人化ではないらしいのでこれも救いとは違うのでしょう。 世間一般的にある努力や苦労をたくさんしろという風潮や、自分の本能的な?遺伝子に組み込まれている?より良くを求める脳の神経の反応(これが仏性的なものか?)もどうかと思います。美しくなければ生きていても仕方がないです。 感覚を断ち切るには死しかないのではないか? と考えますがそこまで思い切れる力もないので、無感覚者として浮遊しているのを夢想します。何か感覚を断ち切れる良い薬があれば欲しいです。ぶらぶらさすらっていてもなんの解決にもなりません。 これまでこれからのいいことよりも、隅々まで行き渡った平穏が楽に簡単に苦行なしで欲しいです。 心境を述べているだけで、一体何を期待しているのか? よくわからないですがよかったらなにかコメントよろしくお願いします。

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祖母のお葬式に出れなかった

私は祖母が亡くなった時にお葬式に行く事が出来ませんでした。正確には行こうと思えば幾らでも行けたのですが学校を優先させてしまったのです。大学入試当日だったとかでも無いです。普通の日です。 私は当時高校生で身内の死は初めての経験でした。亡くなったと知らせを受けても祖母は少し離れた所に住んでいたので、死を実感する事も出来ず、何をすれば良いかもわからずただ両親の言う通りにしていました。 学校を優先させるべきだと思ったのか両親は私にお葬式に出るようにと言われませんでした。 何故自分はお葬式に行かないんだろうと不思議に思いつつも私は言われるがまま、お葬式に行きませんでした。 その時も多少の後悔はしていましたが、更に後悔の気持ちが強くなったのはその約3年後でした。 祖父が亡くなったのです。 この時は私もお葬式に参列しました。これが私の初めての身内のお葬式でした。親戚の方々や近くの家の方などたくさんの方が参列してくれました。 そんな中、孫にあたる私は前の遺族の席に座り棺を移動させる時も花束を持って家族と一緒にすぐ後ろを歩きました。お葬式が一通り終わって、お葬式が故人にとってどれだけ大切な式であるか身をもって実感しました。 それ以降私はあの時学校を休んで祖母のお葬式に行かなかった事を後悔してもしきれません。なぜ両親は私にお葬式に参加するよう誘ってくれなかったのか。そもそも私はもう高校生だったのになぜ行きたいと言えなかったのか…。 どうすれば後悔の気持ちを軽くする事が出来ますか?

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自殺したいと考えるのは罪ですか

はじめまして ネットで何か質問をするのは初めてですので、拙いところ等あるかと思いますが話を聞いて頂けたら幸いです。 私は自分が嫌いで仕方がありません。自分がゴミのような存在に思えます。その理由についての自分なりの分析はできています。 私は幼少期から兄と自分を比べて生きてきました。まわりにそのような空気があったこともありましたし、兄を嫌っていたわけではないのですが、この人に負けるのは嫌だと思って生きていました。 ですが、中学受験の際、兄が合格した学校に私は合格できませんでした。その時に生まれて初めて自殺というものを意識しました。他人にしてみれば取るに足らない挫折の一つかもしれませんが、私にとっては特別な敗北だったのです。 また、受験期に継母の情緒が不安定になり、ちょっとしたことで暴力を振るうようになったことも死を意識するようになった遠因かもしれません。 中学に上がった後も無力感と絶望感に苛まれ、眠れない夜も多かったのですが、同時に前を向きたい、自分を肯定する何かが欲しいと思っていました。 その後高校に上がり進路について考える頃になると、幹部自衛官に興味を持つようになりました。初めて兄を意識せずに自分自身が興味を感じた道だったのですが、小児喘息持ちだったこと、他の進路もあるかもしれないと思ったこともあり、防衛大学校ではなく一般大学に進みました。 ですが、就活の段階になってもその夢は変わらず、結局一般大卒の幹部自衛官採用試験を受けました。結果は一次は通ったのですが、二次で不合格でした。 その後、一旦は民間企業に就職したのですが、諦めきれず会社を辞してもう一度受験しました。今度は必ずと決意したのですが、結局同じ結果に終わりました。 小児喘息だった(完治したかはわかりません)という要素が無意識のうちに自分の選択に迷いを生じさせたのか、あるいは生来の性格故かはわかりませんが、恐らく面接が敗因だと思います。 その試験は年齢制限のためもう受けることはできません。追い求めたものだったのに、ただ時間を無駄に過ごした、自分は自分の期待にさえ応えられなかったのだと思うと死にたくて仕方がありません。 私は異常でしょうか。 長文・乱文失礼致しました。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 10
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死ぬのが怖い、母親を失うのも怖い

こんにちは。 私は現在19歳で、大学に通っています。両親は私が12歳のときに離婚したので、それからずっと母親と2人で住んでいます。 小さいころからこういう考えを持っていますが、先週くらいから死についてずっと考えてしまい、怖くてどうしようもできません。 忙しくしてても、ふと思い出し、本当につらいです。死んだらどうなるのとか、自分が存在してる意味、自分がどこからきたのかとか、本当に怖いです。でも中々他人に相談できることでもありません。 そして、そういうことを考えているとき、1番思い出すのは母親です。2人で住んでいるというのもあり、私を唯一支えてくれている、1番大切な人です。私たちは普通の親子よりも仲良しでお出かけもしますが、今までもっと仲良くしとけばよかったとか、ケンカとかを思い出すとつらくてたまりません。 私には家族以外母親しかありません。 死んでもずっと母親と一緒にいたいです。 こういう考えを持つのって普通じゃないですよね。 自分もなぜこんな考えを持っているのかもわかりません。でもとにかくつらくて、胸痛くなります。これからどうすればいいのかわかりません。いま人生やっと楽しくなったのに、これがすべて終わると思うと居ても立っても居られません。 誰かにこういう話を向き合って話してみたいです。 これからに向けてのアドバイスをいただければ嬉しいです。ありがとうございます。

有り難し有り難し 15
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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

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2024/04/05

自死した両親への思いについて

初めて相談いたします。 自死で亡くなった両親のことについてです。 私の両親は3年前に自死で亡くなりました。 両親は米農家を営んでおり、3きょうだいの末の弟があとを継ぐ予定で一緒に住んでいました。 2021年6月9日、弟からlineで「2日前に出かけた両親と全く連絡がつかない。どこに行ったかもわからない。」と連絡があり、警察に探して頂いたところ、町外れの山中で2人共亡くなっていました。6月7日の朝出かけたあと、昼頃に自死したのではないかとのことでした。 後の警察の事情聴取では、父が地域やJAの役員活動が大変だと話していたこと、母の両親が貯蓄を使い込みお金の援助を求めてきていたこと、ちょうどコロナ禍で私も妹もなかなか帰省できず、友人に会うことも難しく寂しがっていたことなどがわかりましたが、日記や遺書もなく決定的な理由はわからずじまいです。 亡くなる2日前に母と電話したときにもいつもと変わらない様子だったように思えました。 急な別れだったため3年たった今でもなかなか心の整理がつかず、ふとした時に両親が何について自死するほど悩んでいたのか、私に何かできることはなかったのか、と考えてしまいます。 また1年前に私に子供(両親にとっての孫)ができたのですが、他のお母さん達が大変なときに実家を頼れることがとても羨ましく思えます。 やっぱり子育てについてもっと気軽に相談したかったし、助言や手助けしてほしかった。 私の子供が私の両親に会いに行くことはできないんだと、育児に少し疲れたときに涙が出てしまいました。 なんともいえないこの気持ちにも、いつか折り合いをつけられるのでしょうか? ひとりの大人として、親として、がんばっていくしかないとわかってはいますが、もっと両親に頼りたかったと思うのは甘えでしょうか? 長文、乱文を失礼しました。

有り難し有り難し 12
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