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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2603件

罪悪感

最近、とても悩んでることがあります。 それは、自分が今までやってきた悪いことを思い出し、罪悪感でいっぱいになってしまうことです。 私は、部活の後輩を自殺で亡くしました。 原因は複数あるのかもしれませんが、彼女は部活での人間関係に悩んでいました。 私は、上に立つ立場だったし、唯一地元が同じ子だったので、どうにか解決させてあげようと努力したつもりでしたが、 結局何の役にも立っていなかったのかもしれません。 むしろ追い詰めていたのではないかとも思います。 努力したつもりになって、自分は何かしら手を差し伸べたと、 自分のせいではないと、自分の行いを正当化しようとしている気がするのです。 彼女のご家族のことを考えると、どうしていいかわからなくなってしまう時があります。 でも、こんな自分の悩みは、彼女に比べたら、大したことないです。 彼女は自ら死を選びました。 私は臆病者なのでそんなことはできません。 彼女を救えなかった分、この罪悪感は一生背負っていかなければならない思っています。 他にも、誰かを傷つけたり、悪いことをいっぱいしてきました。 でも過去に戻れるわけじゃないし、どうしようもないことだと分かっています。 罪悪感から逃れたい。でも自分がしてきた悪いことへの罰だから、逃れてはいけないのではないか。 どうか回答お願い致します。

有り難し有り難し 44
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2023/01/27

事故や災害で亡くなった人の遺族について

災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。 私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。 確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。 私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。 当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。 お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。

有り難し有り難し 35
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死ぬ間際の人間のありかた。

人は、死ぬ間際、どういう心持ちでいたら良いのでしょうか。 死ぬ瞬間。 浄土系の教えでは、弥陀来迎を信じ、弥陀にお任せして、心穏やかに 最後の時を迎える事だと思います。 死の間際、恐怖なく安穏で居る事は並大抵じゃない。 高度な仏教哲学も、「自分が成っていないと」生老病死の苦しみに対する、屁の突っ張りでしかない。 「成った事」すら、無明を前にして、自覚出来ない気がします。 だとしたら、方便でも、心穏やかに最期を迎えられる、浄土系の教えは、在俗の者に有効なのかなと思いました。 学究であり、優れた人格の法然上人の、庶民への優しさかなと思いました。 しかし、究極の真理は、「自浄其意」だと思います。 しかし、禅宗にも一抹の疑問が涌きました。 「六道輪廻は生きる人間の心の有り様。」と、輪廻思想を切り捨てると、 「而今」の真理から言えば正しいですが、施餓鬼等、自身が行っている事も否定してしまう。  正自覚者である釈尊が、見通した世界。インド土着の世界観等々と切り捨ててはいけない気がするんです。 だとすると、死の間際の心の有り様は重要なのではないでしょうか。 人生に一度しか経験しない、最大恐怖の死。 生老病死の最大恐怖。 何かすがるものがなくても、灯明の如く寂滅できるものでしょうか。 お坊様方は、人は死の直前、間際、どのような状態に居るのが理想と思われますか? 何もかも放下して、消え行く中。 どんな気持ちでいるべきなのでしょうか。 最大の疑問です。 どうぞ、ご教示くださいますよう、お願い致します。

有り難し有り難し 10
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祖母のお葬式に出れなかった

私は祖母が亡くなった時にお葬式に行く事が出来ませんでした。正確には行こうと思えば幾らでも行けたのですが学校を優先させてしまったのです。大学入試当日だったとかでも無いです。普通の日です。 私は当時高校生で身内の死は初めての経験でした。亡くなったと知らせを受けても祖母は少し離れた所に住んでいたので、死を実感する事も出来ず、何をすれば良いかもわからずただ両親の言う通りにしていました。 学校を優先させるべきだと思ったのか両親は私にお葬式に出るようにと言われませんでした。 何故自分はお葬式に行かないんだろうと不思議に思いつつも私は言われるがまま、お葬式に行きませんでした。 その時も多少の後悔はしていましたが、更に後悔の気持ちが強くなったのはその約3年後でした。 祖父が亡くなったのです。 この時は私もお葬式に参列しました。これが私の初めての身内のお葬式でした。親戚の方々や近くの家の方などたくさんの方が参列してくれました。 そんな中、孫にあたる私は前の遺族の席に座り棺を移動させる時も花束を持って家族と一緒にすぐ後ろを歩きました。お葬式が一通り終わって、お葬式が故人にとってどれだけ大切な式であるか身をもって実感しました。 それ以降私はあの時学校を休んで祖母のお葬式に行かなかった事を後悔してもしきれません。なぜ両親は私にお葬式に参加するよう誘ってくれなかったのか。そもそも私はもう高校生だったのになぜ行きたいと言えなかったのか…。 どうすれば後悔の気持ちを軽くする事が出来ますか?

有り難し有り難し 9
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救いとは何か

自分が考える救いとは、無感覚になることです。 迷いを引き受けるとか、しっかり迷うとか、答えは自分のなかにある(道を探求する、道を歩む)とかしんどいのでどうでもいいと思います。 念仏を唱えるのも違和感があるし、修行は無感覚になれるわけではないので無意味です。 悟りの段階が上がると無感情のように見えると聞いたことがあり、憧れますが仏教の悟りは廃人化ではないらしいのでこれも救いとは違うのでしょう。 世間一般的にある努力や苦労をたくさんしろという風潮や、自分の本能的な?遺伝子に組み込まれている?より良くを求める脳の神経の反応(これが仏性的なものか?)もどうかと思います。美しくなければ生きていても仕方がないです。 感覚を断ち切るには死しかないのではないか? と考えますがそこまで思い切れる力もないので、無感覚者として浮遊しているのを夢想します。何か感覚を断ち切れる良い薬があれば欲しいです。ぶらぶらさすらっていてもなんの解決にもなりません。 これまでこれからのいいことよりも、隅々まで行き渡った平穏が楽に簡単に苦行なしで欲しいです。 心境を述べているだけで、一体何を期待しているのか? よくわからないですがよかったらなにかコメントよろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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自殺したいと考えるのは罪ですか

はじめまして ネットで何か質問をするのは初めてですので、拙いところ等あるかと思いますが話を聞いて頂けたら幸いです。 私は自分が嫌いで仕方がありません。自分がゴミのような存在に思えます。その理由についての自分なりの分析はできています。 私は幼少期から兄と自分を比べて生きてきました。まわりにそのような空気があったこともありましたし、兄を嫌っていたわけではないのですが、この人に負けるのは嫌だと思って生きていました。 ですが、中学受験の際、兄が合格した学校に私は合格できませんでした。その時に生まれて初めて自殺というものを意識しました。他人にしてみれば取るに足らない挫折の一つかもしれませんが、私にとっては特別な敗北だったのです。 また、受験期に継母の情緒が不安定になり、ちょっとしたことで暴力を振るうようになったことも死を意識するようになった遠因かもしれません。 中学に上がった後も無力感と絶望感に苛まれ、眠れない夜も多かったのですが、同時に前を向きたい、自分を肯定する何かが欲しいと思っていました。 その後高校に上がり進路について考える頃になると、幹部自衛官に興味を持つようになりました。初めて兄を意識せずに自分自身が興味を感じた道だったのですが、小児喘息持ちだったこと、他の進路もあるかもしれないと思ったこともあり、防衛大学校ではなく一般大学に進みました。 ですが、就活の段階になってもその夢は変わらず、結局一般大卒の幹部自衛官採用試験を受けました。結果は一次は通ったのですが、二次で不合格でした。 その後、一旦は民間企業に就職したのですが、諦めきれず会社を辞してもう一度受験しました。今度は必ずと決意したのですが、結局同じ結果に終わりました。 小児喘息だった(完治したかはわかりません)という要素が無意識のうちに自分の選択に迷いを生じさせたのか、あるいは生来の性格故かはわかりませんが、恐らく面接が敗因だと思います。 その試験は年齢制限のためもう受けることはできません。追い求めたものだったのに、ただ時間を無駄に過ごした、自分は自分の期待にさえ応えられなかったのだと思うと死にたくて仕方がありません。 私は異常でしょうか。 長文・乱文失礼致しました。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 10
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死ぬのが怖い、母親を失うのも怖い

こんにちは。 私は現在19歳で、大学に通っています。両親は私が12歳のときに離婚したので、それからずっと母親と2人で住んでいます。 小さいころからこういう考えを持っていますが、先週くらいから死についてずっと考えてしまい、怖くてどうしようもできません。 忙しくしてても、ふと思い出し、本当につらいです。死んだらどうなるのとか、自分が存在してる意味、自分がどこからきたのかとか、本当に怖いです。でも中々他人に相談できることでもありません。 そして、そういうことを考えているとき、1番思い出すのは母親です。2人で住んでいるというのもあり、私を唯一支えてくれている、1番大切な人です。私たちは普通の親子よりも仲良しでお出かけもしますが、今までもっと仲良くしとけばよかったとか、ケンカとかを思い出すとつらくてたまりません。 私には家族以外母親しかありません。 死んでもずっと母親と一緒にいたいです。 こういう考えを持つのって普通じゃないですよね。 自分もなぜこんな考えを持っているのかもわかりません。でもとにかくつらくて、胸痛くなります。これからどうすればいいのかわかりません。いま人生やっと楽しくなったのに、これがすべて終わると思うと居ても立っても居られません。 誰かにこういう話を向き合って話してみたいです。 これからに向けてのアドバイスをいただければ嬉しいです。ありがとうございます。

有り難し有り難し 15
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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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2024/04/05

自死した両親への思いについて

初めて相談いたします。 自死で亡くなった両親のことについてです。 私の両親は3年前に自死で亡くなりました。 両親は米農家を営んでおり、3きょうだいの末の弟があとを継ぐ予定で一緒に住んでいました。 2021年6月9日、弟からlineで「2日前に出かけた両親と全く連絡がつかない。どこに行ったかもわからない。」と連絡があり、警察に探して頂いたところ、町外れの山中で2人共亡くなっていました。6月7日の朝出かけたあと、昼頃に自死したのではないかとのことでした。 後の警察の事情聴取では、父が地域やJAの役員活動が大変だと話していたこと、母の両親が貯蓄を使い込みお金の援助を求めてきていたこと、ちょうどコロナ禍で私も妹もなかなか帰省できず、友人に会うことも難しく寂しがっていたことなどがわかりましたが、日記や遺書もなく決定的な理由はわからずじまいです。 亡くなる2日前に母と電話したときにもいつもと変わらない様子だったように思えました。 急な別れだったため3年たった今でもなかなか心の整理がつかず、ふとした時に両親が何について自死するほど悩んでいたのか、私に何かできることはなかったのか、と考えてしまいます。 また1年前に私に子供(両親にとっての孫)ができたのですが、他のお母さん達が大変なときに実家を頼れることがとても羨ましく思えます。 やっぱり子育てについてもっと気軽に相談したかったし、助言や手助けしてほしかった。 私の子供が私の両親に会いに行くことはできないんだと、育児に少し疲れたときに涙が出てしまいました。 なんともいえないこの気持ちにも、いつか折り合いをつけられるのでしょうか? ひとりの大人として、親として、がんばっていくしかないとわかってはいますが、もっと両親に頼りたかったと思うのは甘えでしょうか? 長文、乱文を失礼しました。

有り難し有り難し 12
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将来に対する漠然とした不安との向き合い方

初めまして。 私は現在独身で実家に暮らしている非正規雇用の者です。 私には定期的に悩んでしまうことがあります。 それが「自分が正社員ではない」ということについてです。 私は非正規雇用であることを良かったと思う時と、悪かったと思ってしまう時があります。 良かったと思うのは、非正規雇用で時間の融通が利くからこそ、親類のそばに長くいることができている。ということです。 その一方、悪かったと思うのが、ニュースなどで「貧困女子」「孤独死」「正社員でなければだめだ」などという単語が目につくたびに、ギクリとしてしまうことです。 そういう時に頭をもたげ、今の自分を否定し始めるのが「正社員になれれば、もう少し生きやすくなるのでは」という想像です。 そこで慌てて転職情報を見てみたりもするのですが、色々なことを考え始めると、正社員になればすべてがうまくいく保証などどこにも無いことに気付きます。 知り合いには正社員として働いた挙句鬱になり、解雇され、引きこもりになり……という暮らしをしている方もいるので、そういった可能性も脳裏をよぎります。 また、正社員として入ったのはよかったけれど、倒産してしまった。という話もありふれたものです。 それであれば、今の仕事を続ける方が良いのでは。と、思いもするのです。 そういったことを堂々巡りで考えていると、もう生きる上でなにが正しくてなにが間違いで、どうあるのが一番なのか。とわからなくなってしまいます。 今は家族がいることで安心感もあり、非正規雇用である利点として時間の融通をきかせた生活をし、親類といることに喜びを覚えていますが、いずれは独りになる身です。 恋人はいますが共に暮らせる確約はありません。 仮に暮らせたとしても、死ぬまで別れないとも限りません。 餓死、孤独死、病死、事故死、自分の命がどう終わるかすら、そもそもわからないことなんだということを考えると、今抱いている不安は考えても仕方のないものにも思えてきます。 こういった取り留めの無い悩みや不安に向き合い、受け入れ、肯定的に目の前の道をしっかりと歩むにはどういう見方を心がければ良いのでしょうか。

有り難し有り難し 7
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死ぬことが怖くて夜も寝れません

閲覧有難う御座います、カテゴリ違いでしたら申し訳ないです。 私は、死ぬことが怖いです。「死」は全く未知の世界なので恐怖心でいっぱいになります。自分という存在が無くなる事、死に方によっては痛みを伴うこと。考えれば考える程、頭が混乱して嫌になります。 夜、寝る時も布団に入ると不意に「死ぬこと」を考えてしまい、寝れません。死ぬ事が怖くて、死にたくなくて、泣いて夜中まで起きている事が頻繁にあります。 死に繋がることも苦手です。地震が起きると身体の震えが止まらず震度3くらいの地震が起きたときは、それから暫くは地震が頭から離れすま身体が揺れてる感覚に襲われます。両親にも「お前の地震に対するビビり方は尋常じゃない」と言われます。 テレビ番組で特集を組まれる、戦争特集。地震特集、殺人事件。なども見ていて不安な気持ちに駆られ、その日の夜は眠れません。 死は、いつか来るもので受け入れなければならない事ですが、私は受け入れる事が出来ない状態です。 精神科で、気持ちを明るくする薬を出してもらうことも可能(?)だと思います。ですが、そうすると薬に頼らないと生きれなくなってしまいそうです。この状態を変えたいです。どうすれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 187
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