初めまして。 生きがいというものを求めています。 大学に入ってから考えつづけていたのは、自分の人生に意味などなく、どうせ死ぬのになぜ勉強し、働くのかという問いです。 ほとんどの宗教では、生きること自体を肯定しているように見えますが、 それは人間が脳内で作った勝手な理屈で、何だかよくわからないけど怖いからそれらしい理屈をつけて、人生に納得しようとしているようにしか見えません。(宗教をバカにして言っているわけではありません、一連の『物語』を信じ、神や仏に帰依することができないんです) 「生きがい」で検索しても出てくるのは、怪しい宗教のサイトや高齢者福祉施設ばかりです。 どうしたらいいんでしょうか?
こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
母が亡くなり、4年が経ちました。 私の娘が10ヶ月の時でした。 最近、娘が言います。『○○のおばあちゃんは死んじゃったんだよね?でも、病院行けば居るよね』って… まだ”死“について分かってない娘ですが、毎日病院に行ってたのは覚えてるのかな?ってなんだか不思議な力を感じます。 本当は母のこと自分の娘にたくさん話してあげたいけど、まだ私が母の死を受け入れきれてなくて…あまり話せずにいます。 それでも娘は時々、『○○のおばあちゃんはね』って話を急にします。娘の中でおばあちゃんはちゃんと生きてるんだなって… たった4歳の娘に記憶を残していける母は偉大だなって。 ますます尊敬しちゃいます。 去年二人目が産まれ、母が上の子の時に考えてくれていた名前をつけました。 まだ出産前に上の子に『赤ちゃんのお名前○○がいいかな?おばあちゃんが○○(上の子)に付けたかったお名前なんだけど…』って話たらもうその日からお腹にいる赤ちゃんを呼ぶ時はその名前になっていました。 出産した日、上の子は看護師さんたちに『○○に会いに来ました』って元気良く話していて看護師さんたちも『もう名前決まってるの?』とびっくりしていました。 なんだか母が側にいるような… 下の子は母には会えなかったけど、母から”名前“という素敵なプレゼントを貰えたように思います。 母が娘たちと話したり、遊んだり、これから料理したり…一緒にやってる姿見たかったな…って思ったりしてまた悲しくなって泣いちゃうけど… いつも背中を押してきてくれた母がいるから今の私が居て…娘たちにとっても母みたいな母親になりたいなって思います。 きっと今はおばあちゃん(父の母で母からみたら義母)からの嫌がらせから逃れられて、病気で痛かったのもなくなって、楽になれたのかな? 母にはずっと幸せであってほしいなって願います。
お世話になります。 先日、職場で健康診断があり その結果を受け取りました。 驚くほど健康でした(笑) 昨年の健康診断では、悪い所が多く私は、 この分だと以外と早く娘の元へいけそうだと、ちょっと安心していました。 なので、まだまだ長生きしてしまいそうな、自分の身体に驚いています。 暴食も相変わらずなんですけどね…。 この世で生きるのは辛い。 だからといって、自死を推奨するなど、絶対にできない。 お坊様は、極楽浄土を信じておられますよね。 うちの娘も穏やかに過ごせていると。 お坊様は、早く極楽浄土に行きたいですか? それとも、どれだけ生きにくい世の中であっても、この世で長く生きたいと思われますか? 長く生きたい理由、ありますか? 私もどうやら長生きしそうです。 せっかくなので、生きてるうちに 何かしておくことがないか 長生き希望の理由をお聞きしたいです。
同僚が自ら命を絶ちました。苦しみを抱えながらも精一杯明るく過ごしていたため、私達は呆然としています。 自ら死を選んだ人は、その後も苦しみ続ける、ということをhasunohaで拝見しました。 でも、現世で苦しみ、あの世でも苦しむのなら、同僚は永遠に救われないことになります。 私達にできることは、ありませんか。同僚があの世で笑って安らかに過ごして欲しいです。
今年の春頃から更年期のためか体調があまり良くなく、また異動により仕事もつらくなりました。 長い間飼っていたペットも死に、それで張り合いがなくなったこともあってか、年齢のわりに元気だった母の認知症が進んで、さらに持病も悪くなり入院しています。 私は未婚で子どももおらず、そう遠くなくこの先ひとり取り残されてしまうことがまざまざと目の前に突きつけられて、息苦しく恐ろしくてひとりの家でただただつらく、眠るのも怖く食欲もありません。 衰えていく母の介護も死も、いずれ来る自分自身の死も何もかもが重くて恐ろしくて背負える気も耐えられる気も全くせず、仕事中でも涙ぐんでしまう始末です。 未来がなく思えてつらいです。いずれくる家族の死と自分の死をどうしたら飲み込むことができるのでしょうか。
私は両親をすでに亡くしています。 父は病死でしたが、母は認知症になり自死を遂げてしまいました。 父は私が26、母は36の時に亡くなりました。 最近になり、夢に母が出てくるようになりました。 夢の中での母は私に意地悪をしたり困らせるような態度をとっています。 私は母によく迷惑をかけて親不孝ばかりしてきました。 母はそのストレスからか小規模な脳梗塞が重なり認知症になり、ついには自死してしまいました。 自死は仏教では成仏出来ないと言われてますから、母は私の周りをさまよっているのではないかと思ってしまいます。 母が亡くなって6年ほど経ちましたが、私をまだ恨んでいるのではと... 今でも私が母を死に追いやったという罪悪感を持ち続けています。 どうかアドバイスお願いします、乱文失礼致しました。
母が悪性リンパ腫胃がんで現在入院中です。 ただコロナの関係で1度もお見舞いも行けず、治療方針等全く情報が入ってこずモヤモヤが募ってます。何もしてあげられないのがとてもしんどくて。母も辛いのに。ずっと涙が止まりません。死が怖いんです。
神様、仏様に「死なせてほしい、殺してほしい」とお願いするのは失礼でしょうか? 私は現在20代前半ですが、身体のコンプレックスや、何をやっても思い通りにいかない人生に疲れてしまいもう死にたいと考えています。 ですが知恵袋などで似たような質問を調べてみたところ、「神様は死を忌み嫌うのでいけない」や「逆効果で長く苦しんで生きることになる」 などの回答がありました。 やはり殺してほしいなどと身勝手な願いは神様や仏様は叶えてくださらないのでしょうか?今の私にはもう死しか救いがなく他の方法は考えられません。 私は京都在住で、最近はお願いを叶えてくれる神社やお寺をずっと探しています。 また、自殺をしたら地獄に行くのでしょうか?神様や仏様が叶えてくださらないのなら、自分で命を絶とうと考えているのですが、 これもまた許されないことで、地獄に堕ちてしまうのでしょうか? 神仏に委ねることも、自分の手で終わらせることも許されないのならば、もうどうすればいいのかわかりません。 ご回答いただけると嬉しいです。どうかお願いします。
初めて質問します。 僕はかなり気にしすぎたり、怖がりな正確なので心霊の話を聞いたりふと思い出したりするとずっと不安になってしまいます。 他にも死(死にたいとは思わないです)や将来について不安になったりします。 これらのことは全て夜に起こります。 昼間は普通に元気に学校行ったり、遊んだりしていますが、 夜になると自分の部屋で一人になっている時にそのような不安に襲われます。 他の人に相談すると気にしすぎと言われ流されてしまいます。 どうしたらこのような不安が無くなるのでしょうか。 御回答宜しくお願いいたします。
今年の春に姉が亡くなりました。幼いころから本当に仲良しでした。3年前に母親をガンで亡くしその時も2人で辛さを共に乗り越えてきました。姉は突然の病気であっと言う間に亡くなってしまいました。最後まで笑顔を絶やさずに一生懸命生きた姉でした。亡くなってから7ヶ月が過ぎ頭ではもういないとわかってはいるのですが写真を見ては涙が止まりません。私がもっと早くに病気に気づいてあげればもっと生きれていたのかもと後悔ばかりです。悲しんでいると姉もつらいと頑張って明るく生きて行こうと思うのですが寂しさで涙が止まりません。仲のよかった最愛の姉だったので本当に辛くてたまりません。どうしたら姉の死を乗り越えて明るく生きて行けますか?本当に辛いです。アドバイスよろしくお願いいたします。
学生の頃から希死念慮があり、今まで延命治療のように生きてきましたが、いよいよどうしようもなくなってきました。 辛い思いして生きてまでやり遂げたいことはありません。生きていれば金がかかり、部屋は汚れ、食器や洗濯物はたまります。 自分の考えは親に否定されてきて、親に信じてもらえていない辛さは結構こたえます。もう大人なので自分で勝手にやっていけばいいとは思うものの、生きていく気力がありません。 誰かから感謝や祝福をされると、嬉しいことなんだろうと思うものも全く実感がありません。嬉しいことも結局生きづらさに消されて残りません。 今実家暮らしで働いていますが、親の影響下にいるのはもう限界です。かといってこれから生きていける気もしません。 詰みそうです。
元々体調の些細な変化が気になる性格ですが、産後、病気を機に一層ひどくなりました。 数年はそれでも波があり、元気なときもありましたが、最近は毎日何かしら気にしています。一年前に脳動脈瘤が発覚し、落ち着かない毎日です。 幼児二人がおりフルタイムで働いていますが、健康的な食生活、運動もしていて、健康に対する意識や行動は他人から見たら恐らくやりすぎなくらいだと思います。 不健康になる要素はありません。 でも気になって仕方ありません。 実際症状はありますが、病院に行くと経過観察になったり何でもなかったりです。 みんないつかは死ぬ。周りにはそう言われましたが、明らかに死につながる原因がすでに自分に存在していることがわかっているので、自分にとっては死があまりにも近すぎます。 1日1日を大切に過ごしたいのに、頭から離れず、穏やかに生活できません。 どのような心構えでいればよいでしょうか。よろしくお願いいたします。
高校生です自分が死ぬ事と親が死ぬことが怖いです。 親が死んでしまったあとの孤独感に耐えれない 親が死んだ後一人で生きていけるのか 死後の世界はあるのか 死後の世界があるなら親と一緒に今までみたいに暮らせるのか 死ぬ時って苦しいのかなど朝起きてから夜寝るまでずっと考えてしまいます、自分は学校もまともに行っておらず親に迷惑を掛けていて死んだあと親と一緒の場所にいけて、幸せになれるのか怖くて仕方がありません。死ぬことが怖くなってから今まで楽しかったことが何も楽しくなくなりました 昼ごはんも休憩時間に帰ってくるお母さんのために作っていましたがまともな料理が作れなくなってしまって親の前で泣いてしまいそうになってしまいます 朝と昼両親が仕事に行きますがまだ一緒にいたいと思ってしまい一人にしないでと思ってしまいます。 死の恐怖を親に相談していいのか分かりません。
今、一緒に過ごしてきた猫の具合が悪く、死んでしまう可能性があります。 猫ちゃんが長生きできるとしても具合の悪い今、できるだけ一緒にいてあげたいです。 しかし、猫ちゃんを前にすると強烈な不安に襲われて、動悸が激しくなって苦しくなります。猫ちゃんに触れるだけで涙が出てきます。 他の家族が猫ちゃんに寄り添っているので私は猫ちゃんが少し元気な時や猫ちゃんが一人になってしまう時にしか寄り添ってやることができません。 猫ちゃん自体ではなく、猫ちゃんが死んでいくことにしか目が向けられていないのだと思います。「死」というより「命が消えゆくこと」に恐怖を感じています。多頭飼いなのですが、他の元気な猫ちゃんにも少しだけ恐怖を感じます。 自分が死んでしまうことは怖くないのですが、大切な人や猫ちゃんが死んでいく様子に怖いと思ってしまいます。きっと猫ちゃんの方が辛いのに恐怖に打ち勝てない自分に腹が立ちます。
今年に入り親族の死や病気がたて続いて起きました。実姉の逝去、義弟の義父の逝去、同居の義母の大病の宣告、息子が突然倒れて入院と、若い人、元気な人達の突然のことに、こちらまでショックでまいってしまいそうです。 起きたことは仕方のないことだし、自分でどうにもできるものでもないことだとはわかっています。 何が苦しいのかというと、こういうことが起きたことで、少しおとなしくしていなくちゃならないということが、本来の自分の生き方ではないことが苦しいのだと思います。 私は今どういう気持ちでこの辛い時期を乗り越えていったらいいのでしょうか。
詳しくは書けないですけど、当時の父の心情や諸々の理由から自死だと私は確信しましたが、でも母と弟は頑なに認めず周囲に不慮の事故死だと説明してました。 生前の父は普段は寡黙でしたが、毎晩家で大量の飲酒をして酩酊状態でコンビニや行きつけの呑み屋まで行こうとしたり(さすがに車には乗りませんでしたが、自転車で蛇行運転して警察のお世話になった事が何度かありその度に私と母が迎えに行って謝りました)、友人や親戚に片っ端から電話を掛け朝方まで長話に付き合わせたりしてました。 それでも、私達に暴力を振るったり仕事を辞めたりしなかったのは不幸中の幸いだと思ってます。ただ、父は最期まで精神科を受診せず、代わりに(?)母と私が通院し、私は通院してた病院が最近閉院してしまって以来、どこにも通えてないですし薬も服用していません。 弟は父がまだ生きてた頃には既に自立してましたし、今は家庭を持ってますけど義妹(弟の妻)とは結婚どころか交際を始めたのは父が死んだ後です。なので彼女は父の事は一切知りませんし、母の介護にも非協力的です。 実は父は自分が亡くなる50年前に大学の同級生が命を落とす現場に居合わせていて、その方とは死因や状況がほぼ同じだったため、葬儀に参列した一部の友人が『あいつは◯◯(前述の若くして命を落とした友人)にこの50年間恨まれ続けてたに違いない。だから◯◯があの世に連れて行ったんだ‥。』とヒソヒソ言い合ってたり、中には母がその事実を知らずに父と結婚したんだと思い同情した人もおりました(何を思ったか、葬儀終了後に母に直接伝えに来たので)けど、母は『そんなのとっくの昔に知ってた。でもその上で私は一緒夫の側にいようと、むしろ自分の愛の力で死にたい気持ちを払拭させてみせよう!と決意したんだから後悔してない。』と、泣きながら話していました。 ですが、それが母の本心だったならあまりにも軽率というか、正直浅はかだなと思いました。 母は加齢と共に希死念慮が年々強くなり、同居する私の手に負えなくなりつつあります。私は独身なので、可哀想ですが近い将来施設に入れる事も考えてます。 浴びる様に酒を呑んで大勢の人に迷惑を掛けて身体も壊して、最終的に親友と同じ死に方をした父は、今度は私や母を道連れにする気でしょうか? 私は別にいつ死んでも構わないんですけど、死んでからもこれ以上母を苦しめるのは許せません。
“いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。” 太宰治の人間失格の行です。 太宰治と言えば、ネガティブなイメージで捉えられるケースが多く、この行も自死を決断した際の言葉だとも言われています。 でも、僕にはこれが『悟りの境地』なのではないかと思えてしまいます。 最近、『死』を意識するようになりました。 決して自死願望などではなく、自分の人生が良かったか悪かったかを判断するのは、死の瞬間に走馬灯のように自分を振り返る時に、自分自身で判断するものだと思うようになったのです。 だから、今を精一杯生きようと... ただ、それが空回りしたのか、ベクトルを間違えたのか、自分の理想ばかりが鮮明になってしまい、現実が非常につまらないもの・美しくないものに見えてしまい、虚無感に苛まれておりました。 先般の質問に対してご回答を賜り、理想と現実のギャップについて学びを得させていただきました。 ありのままにすべてを受け入れることは、簡単なことではありませんし、それを理想にしてしまえば、また堂々巡りのように自分中心の思考に嵌まってしまう... ここで、改めて質問をさせて下さい。 輪廻転生がないものだと仮定すれば、人は生まれてきて死ぬまでに、どんな意味を持つのでしょうか? 煩悩を捨て、ニュートラルな思考で生きることが最善であるならば、そこには何の喜びがあるのでしょうか? 輪廻転生があるのだとすれば話は別だと思いますが、それを記憶出来ない以上は、敢えて現世の人生の中での部分に絞ってお伺い致します。
先月主人が亡くなりました。 病院から連絡を受けた事は覚えているのですが その後2日間の記憶がありません。 最近になって主人が横たわっている側で自分自信の立ってる後ろ姿が見えます。 主人がどうな亡くなり方をしたのかがわかりません。 長い闘病生活でした。覚悟はしていましたが こんなに辛く悲しいとは思っていませんでした。 時間が止まってしまったようです。 先日、携帯にメールが来ました。 「、、、いたのに!亡くなったよ。あれから◯◯亡くなった。」と。 主人からなのでしょうか? 死を受け入れてって事なのでしょうか? どうか教えて下さい。
以前ここで罪の償い方を教えていただき、次に繋げようと自分なりに頑張ってきたのですが、最近は過ちに対する自責が強くなり希死念慮が激しいです。 ありがたいことに色んな方が相談に乗ってくださったのですが、過ちは酷いもので乗り越えることができず、毎日押し潰されそうな気持ちで過ごしています。 ただの自業自得なのですが自殺するわけにはいかないのは重々承知しております。ただそれも考えられないぐらいに憔悴している気がします。 ネガティブで自己肯定感が低いから重く受け止めている、反省しているのは伝わる、そこまでのことではない、色んな方に言われたもの酷いことに信じることもできず騙しているようで消えてなくなりたいです。 おおやけになることを恐れてばかりで人との縁もすぐに切れてしまいます。弁護士さんに相談してから今日まで何も事態は変わっていません。 当時は悪いことだとわかって続けてしまいました。本当に酷いことだと気づいてからは繰り返したことはありません。 犯罪者としてこれからどう生きていけばいいのかもう一度ご教授願いたいです。