40代半ばの者です。 長期間派遣社員をやって来ましたが、給料や雇用が不安定な為、約4年前に正社員になりました。 実家暮らしではないので、派遣社員から正社員になった事で金銭的に少しだけゆとりが出て嬉しかったのですが、増え続ける仕事量・不透明かつ不平等な評価・歪な人員構成などから社長に対する不信感などが募っていきました。(上司も次々に辞めていきました) 特に給料に関しては、自分の経験やスキルから考えると相場以下で、改善提案なども受け入れられず会社を変えていく事を諦め転職活動を開始しました。 コロナ禍に始めた転職活動という事もあり、紹介された仕事が無くなったり大変な思いもしましたが、そこから資格取得などで休みつつも約1年くらい活動を続けて複数の内定を頂きました。 全ての内定先が給料が上がりましたが、全ての内定先に少し引っ掛かる点はありました。 ただ、休みつつとはいえ約1年も活動して貰えた内定だった事と、勤務し続ける事が精神科に通うくらい本当に限界だった事があり一番給料がいい会社に決めました。 そこから間を空けずに新しい仕事に就いたのですが、新しい仕事は1人でやっていた業務がキャパオーバーになってしまったので分業する為の採用でした。 その方から業務を引き継いでいくのですが、基本的に前の物を見ながら同じように作業していくスタイルで、質問はしているのですが細かいマイルールなどは解らず、自分が作業したものをチェックして貰う際に二度と間違えると伝えられ、自分自慢やこちらを卑下する言葉を投げ掛けられた上に、入社数日でスピードと正確性を求められて頭が真っ白かつパニックになってしまい体調を崩し入社数日で欠勤してしまいました。 そこから出勤と欠勤を繰り返してしまい最終的に全く会社に行けなくなり1ヶ月も経たずに退社する事になりました。 アルバイトや派遣社員を長く続けていたので安定したい気持ちが強いですが、今回続ける方向で頑張りましたがダメで自分の人生に嫌気が差しています。(前職を辞めた事は後悔していません。) 思春期から自殺願望もあるので死にたい気持ちにもなりますが、20年近く家族みたいに暮らして来た同居人との生活も続けたいので踏ん張らなければいけない気持ちもあり揺らいでいます。 長文になりましたが、何がお言葉を頂けると幸いです。
法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。
長文で申し訳ありません。どうぞよろしくお願いいたします。 私は小さな頃から「天才だね」「何でもできるんだね」と言われて育ちました。実際にかなりの才能に恵まれているようですが、自己肯定感が強いので、どうしても傲慢な気持ちが捨て切れません。 私は長い間、業務能力が芳しくない人と一緒に働くことで生じてしまう様々な非効率に悩まされてきたので、正直「賢くないことを自覚していない人」がとても苦手です。 正直「賢くない人と働きたくない」という思いもあり、学生の頃に個人事業を起こして順調に経営していましたが、25歳の頃に孤独なお金儲けが虚しくなり、大きな仕事を純粋に楽しむことを目標に一流企業に入社しました。 日本でも指折りの入社難易度を誇る会社でしたので、入社後は優秀な人に囲まれて本当に楽しく働いていました。「やっぱり、優秀な人に囲まれて過ごせば悩みは解決するんだ。賢くない人に関わりさえしなければ、健全な気持ちで働くことができるんだな」と感じたのです。 しかし心の底では、「優秀ではない人を見下してしまう自分」がすごく嫌いです。その人の人として尊敬できる部分を探して尊敬しようとしても、「あ、この人頭が悪いんだな・・」と感じるとどうしても上から目線になってしまうんです。 これではいけない、傲慢だ・・・と思い何度も謙虚になろうとするのですが、「頭の悪い人に対する嫌悪感」が強く、うまくいきません。 「頭の良さ=人徳」ではないことはわかっているのですが、経験上「頭が悪い人からは迷惑をかけられたり失礼な目にあう」という認識が拭えないのです。 しかし、私が人より器用に生まれたのは、自分ではなく誰かを助けるためなのだろうな、とも感じています。 どうすれば、賢いとはいえない人に対して尊敬の念を持つことができますか?