1月末、コロナウイルス感染症により父が亡くなりました。75歳でした。私の家族は子連れ同士の再婚家庭で、私は長年継母からの虐待に耐え、父からの辛い言葉にも耐えながら「きっといつかは分かり合える、家族なんだから」といつか父とまた家族として関われる事を心の拠り所に生きてきました。 大人になり結婚し、漸く人並みの幸せを得て、父と親子として再出発する為始めは実家にこまめに足を運んでいましたが、継母や義妹との関係は変わらず顔を見せても冷たい言葉をかけられるので精神的に参ってしまい、実家に姿を見せるのは年に一度程度になっていました。 年老いた父が私に会えずに寂しそうにしているのは分かっていましたが、長年の虐待や孤立により「私は必要のない人間」という感覚が無意識下で刻み込まれていた為、猜疑心に苛まれていた為に父の寂しそうな顔も無意識に疑う状態になっていましたが、長年の溝を埋める為にもまず父と2人でゆっくり話せる時間を作ろうと模索している最中でのコロナ感染でした。 父の最後はLINE電話で義妹が看取り、喪主も継母の意向で義妹が務め、最後の最後まで私は蚊帳の外のまま、父に会えないまま私は一般席でひっそりと父を見送りましたが、父の死後に自分の中に刻まれていた「私は必要ない」という考えの癖が邪魔をして、父の想いが届かなくなっていた事に気づき、父にとてつもない寂しい思いをさせたまま、父の為に何ひとつできなかった事に苦しんでいます。 どんなに孤独で辛くても、父と分かり合える未来に希望を持ち強く生きてきましたが、寂しそうにしていた父の顔や「お前と話したい」と最後の電話で言っていた父の言葉が頭をよぎり、ここにきて心が折れかけています。笑う事も、幸せを感じる事も、拒む自分がいます。 寂しがり屋な癖に頑固で、どこか弱くて、支えてあげたいと思える、私にとってかけがえのない大事な父でした。 元はお母さん子だった私が父について行く事を選んだのは、家族と離れ1人ぼっちになる父を守ってあげたいと子供ながらに思ったからでした。 でも、私は父の為に結局何もしてあげられませんでした。寂しそうにしていた父の顔があまりに辛く毎日泣き暮らして、後を追いたいと考えてしまいます。 父に会いたい、会って話がしたいです、こんな気持ちを抱えて生きていく自信がありません。
以前にも相談させて頂いたのですが、彼も私も結局関係修復できず婚約者の母が他界しました。 彼が別件で弟に連絡を取り、大切な話があから、父親に変わると切り出され、今朝方亡くなった、葬儀は家族葬だから〇〇(私)は遠慮して欲しい、との事で、私は彼と同棲はしてますが籍はまだですので寂しい気持ちはありますが仕方ないと思っていました。翌日、彼は葬儀場に安置された母と会えたそうですが、実家に行った時に家に上げてもらえなかったそうです。その後、〇〇子の遺言(彼の母の名前)とのタイトルで彼のケータイにメールが来ました。 内容は、 告別式は一人出来なさい。その後実家周辺に近づくな、線香も法事も参列しなくてよい、以上 との事でした。送信したのは彼の父親でした。彼が父親と話した内容では、彼の母が入院になった時に海外旅行から帰ってこなかった事が許せなかったそうです。その事は本当に間違った判断をして後悔していますが、もぅ取り返しがつかないような気がしてどうしたらいいのかわかりません。帰らなかった件は以前に、謝罪しその場では「帰ってこなかった理由がわかったから、安心した」と彼の母が言っていたので、良かったと思っていたので、本当の所を聞いてびっくりしています。謝罪するにも本人は亡くなってしまってどうしたらいいのかわかりません。私と彼はどうしていったらいいでしょうか?
去年の10月ごろに癌を患い 半年は入院だと言われていたのですが 12月には退院でき一安心していたら2月に脳梗塞で入院となり コロナ禍なので退院後から会えないまま4月に亡くなってしまいました。 73歳でしたが癌になるまではとても元気だったので まだまだ生きていてくれると思っていたので心がついていけません。 私は今28歳で、25歳までは実家で祖母と父と暮らしていました。 祖母というより私にとってはお母さんでした。 まだまだ長生きしてくれると何故か思っていて 生きているうちに一言も感謝の気持ちを伝えることをしなかったことを後悔してもしきれません。 祖母はコロナ禍で1人で寂しかっただろうと考えると 本当に悔やんでも悔やみきれずどう立ち直ればいいのかわかりません。 とても大きい存在なのでこの先もこの気持ちがなくなることはないと思いますが どう考えていけば前向きに生きていけるでしょうか。
2ヶ月前に父が亡くなりました。 10月末に倒れ、このまま生きることができても植物状態だと聞かされました。 こちらからの声かけには反応もなく父から言葉が発せられることもなく一方的に話をするだけで返事はないということなんだなと思いました。 私は結婚を機に実家とは別の県に移り住んだため帰省して会えるのは年に1回2回ほどで、その時の状況によって帰省できない時もありました。 加えて頻繁に連絡を取るわけでもなく母に電話をしたときに父に代わってもらって少し喋る程度でした。 そのせいか父に会えない・姿を見られないことに関しては日常というか、そこまで落ち込むことはないのですがとにかく声が聞けないことがとても寂しいです。 穏やかに優しい声で話す父の声も記憶の中にしかありません。この声の記憶も、時間と共に薄れていつかは消えてしまうのではないかと思います。 父の声を思い出すことさえできなくなるかもしれないと考えると、どうしようもないと分かっているのにどうしたらいいのか・動画のひとつでも撮っておけばよかったと後悔ばかりです。 新型ウイルスが警戒されていたので面会禁止でした。県外に住む私はともかく母や近居に住む弟でさえ入院中の父には会えませんでした。 倒れたと連絡をもらったのは、たまたま仕事が休みの朝だったのでその時にすぐ帰省していれば会えたかもしれません。 実際に母と弟は病院へ運ばれたその時は父の手を握ったりできたようです。 その後、制限はあるものの面会できる体制のある病院へ転院することになり数日後には会えると思っていた矢先、転院日直前で亡くなりました。 私は帰省する予定だったのに結局1度も、まだ血の通っている温かい父には触れることすらできませんでした。 父は、私には会いたくなかったのか。だから会えるチャンスを失ってきたのではないか、そう思ってしまいます。 何を言っているのか理解できなくても返事がなくても、ありがとうとごめんなさいを伝えたかったです。 とにかく、父の声が聞きたいです。 私が小さいころは結婚しないで、ずっとお父さんと暮らす!と言っていました。 本当にそうすれば良かったです。 夢にすら出てこない父。 帰省しても父の姿はなく電話をしても父の声は聞けず。 どのような心持ちで過ごせばいいのでしょうか。 長文・乱文で失礼いたしました。
先日、大好きな愛犬が亡くなりました。16歳1ヶ月でした。実家で飼っており、母が1人で面倒を見ていました。 脳腫瘍であることが昨年わかりました。泡を吹くほどの痙攣を何回も起こし、その度に胸がえぐられる様な気持ちになりました。今年の3月から寝たきりになりました。 母は仕事で日中愛犬がひとりぼっちになるため、亡くなる2ヶ月前から子どもを連れて毎日介護に通いました。私がちょうど育休だったのが幸運でした。 頭の痛さから毎日のたうち回ります。自力で排便できず、その痛みから悲鳴をあげていました。毛も抜け落ち、可哀想で仕方なかった。何とかして助けてあげたくて、獣医さんと薬を相談したり、マッサージをしたり色んなことを試しましたが、悪化していきました。 子どもが8ヶ月で、なかなか目が離せず、子どもが泣いては愛犬が泣く、子どもが昼寝したと思ってよし私も休もうと思うと、愛犬が起きて悲鳴をあげる、目を話した隙に子どもがつかまり立ちから転んでる、そんな毎日でした。 愛犬からたくさんの幸せをもらいました。だから、絶対恩返しするんだ!という強い気持ちで介護をしていました。でも、あまりに悲鳴がすごい時は「もうどうしたらいいの」と一緒に泣いたり、「今日は介護に行かないで子どもと1日遊んでいたいな」と思ったりすることもありました。あまりに眠すぎて、愛犬が苦しんでるのに、ごめんねと言って寝てしまうこともありました。でも、何があっても毎日通いました。1人になんてさせておけませんでした。 亡くなる前日は、愛犬が亡くなることが何となく分かったので、とにかく抱っこして、ありがとう大好きを伝えました。その日の夜中、穏やかに亡くなりました。 愛犬が亡くなってから、なんて薄情者なんだと毎日自分を責めてしまいます。愛犬を疎ましく思ってしまった気持ちが伝わってしまったんじゃないか、寂しくて悲しかったんじゃないか、ずっと考えています。1番苦しかったのは愛犬なのに。苦しくても頑張って生き抜いてくれたのに。 感謝の気持ちと、大好きも伝えていたつもりです。でも、愛犬に対してマイナスの感情を抱いてしまったことに対して罪悪感の気持ちで一杯です。飼い主失格です。 この気持ちと、どう向き合ったら良いのでしょう。未熟な私に、どうがアドバイスをください。
自身の結婚式を控えていましたが、 その2週間前に67歳の父が旅立ちました。(結婚式は延期しました) 病気が分かってから、父の希望通りに自宅で過ごし、前日まで大好きなお酒を飲んでおりました。 いつかは…と覚悟はしておりましたし、亡くなる前日まで父と会っており、伝えたいことは全て伝えていました。 ですから、亡くなったと知らせを受けた時、後悔はありませんでした。 誰にも迷惑をかけず、みんなから惜しまれ、最後を迎えた父を尊敬し、その生き様、とても羨ましいとさえ感じていました。 葬儀までは忙しく過ごし、 そして日常生活に戻ったときに、今までとは違う感情が襲ってくるようになりました。 ふとした瞬間、もう父はいないのだなと寂しくなるのです。 結婚式も、孫が生まれた時も 父には見せられないと思うととても悲しいく胸が苦しくなります。 気分転換にでもと、遊びにも誘われますが 「父がいない」のに「母は実家で寂しがっているのに」自分だけが楽しんでいいのか? と考えてしまい、物事を心から楽しめないのです。 そして、ここ最近は、両親健在な同年代の友達を羨ましい、というか恨めしく思ってしまうのです。 なおさら同年代から誘われた遊びは避けてしまいます。 会社では、50代の人でさえ両親健在な人もおり、あまり落ち込んでいても迷惑かと思い 表面上は明るく振る舞っています。 あまり相談する人もおらず、 楽しむことへの罪悪感と、人への嫉妬の感情 どうしたらいいのか教えてください。
私が12歳の時から16年間連れ添った愛猫を先日亡くしました。 長いですがきいていただけますか。 彼女は腎不全を患い、2年に渡り自宅で皮下点滴や投薬を続けていました。 元々は家族で可愛がった猫でしたが、両親もきょうだいも引っ越し、最後の1年は私が実家でひとり面倒を見ていました。 闘病と言えど穏やかなもので、坂道を下っては緩やかに持ち直す日々でした。が、ある時を堺にたがが外れたような食欲を見せます。欲しがるままに多めに食事を与えれば、翌日一日中下痢や嘔吐に苦しむ。かといって規定量の食事では満足できず、私が在宅勤務をしている横で、一日中大声で鳴き立てました。そんな日々が数ヶ月続き、私は疲れ、苛立ち、およそ生き物と暮らす人間がすべきではないひどい仕打ちを数回、行ってしまいました。 騒がしい日々は、思いのほか呆気なく終わりました。腎不全とは別の持病のために食事に口をつけなくなり、みるみる痩せ細り寝たきりになり、看取りに備え家族も駆けつけました。それまで何度も持ち直した気力もどこへやら、かかりつけ医の余命一週間の見立ての翌朝、家族全員が起きてきて囲むやいなや、ため息をつくように彼女は息を引き取りました。 人生で初めて迎えた猫でした。家に子猫がやってきたワクワクだとか、1人泣いている夜に布団に潜り込んできた温もり、予想外のいたずら(賢い子でした)、嫌な治療にも決して人間を傷つけるような暴れ方をしなかった優しさ、温かな思い出がたくさんあるのに、あのとき自分がしてしまった仕打ちばかりがフラッシュバックします。 保健所から家庭に迎えられ、猫の平均寿命を全うした彼女を不幸な猫と呼ぶ気はありません。ただ自分のことが許せないです。彼女にも許して欲しくない、むしろ罰して欲しいとさえ思います。彼女を思い出すたび悲しくて愛しくて自分が腹立たしくてもう気が狂いそうです。触れたくて見つめたくて呼びたくてたまりません。失って初めてなんてあまりにも莫迦だと思います。 以下ご相談です。 週末には弔ってくださったお寺からお骨を引き取ります。こんな煩悩の塊のようなぐちゃぐちゃな状態では彼女に顔向けできないと思う一方、晴れやかに「今までありがとう」だなんて白々しいと思うのです。 私はどんな心持ちで彼女を迎え、また見送ればいいのでしょう?
身近な人、というカテゴリーですが、愛猫についてご相談させてください。 【概要】 実家で暮らしていた愛猫が早くに亡くなり、思いだけが募り、気持ちの行き先がない状態です。 良い向き合い方や、環境改善のアドバイスなどあれば頂きたいです。 【詳細と経緯】 愛猫がうっ血性心不全を患い、発覚から2ヶ月も経たず、旅立ってしまいました。 突然、お腹と胸でめいっぱい息をしながら、叫びながら息を引き取りました。 動物病院も開いておらず、母はパニックになっていて、自分がしっかりしなければと思いながらも、私も何もできませんでした。 6歳という若さであった事、闘病生活を充分に支え切れず、突然亡くなってしまったという事もあり、悲しみや後悔、大好きだという気持ちが処理しきれずにいます。 亡くなった子に大好きだと伝えたいけど、思い続けたり、悲しみすぎていると成仏できない、別の悪い霊まで引き寄せてしまうなんて話を聞いたことがあり、それだけは絶対に避けたいのです。 【相談内容】 ①亡くなった子を強く思いすぎるのも良くないのでしょうか。 ②せめてお線香をあげて、手を合わせるような時間が持てたらと思いますが、実家には猫があと5匹いて火を使う蝋燭、線香は危ないと考えています。一人暮らしの家に勝手に簡易的な仏壇のようなものを拵えてもよいものなのでしょうか? ③名前入りのアクセサリーや石を身に着ける、愛猫の写真でクッションを作る、写真を飾る、名前を入墨として自身に彫ることを検討しています 上記の中で仏教の観点から避けた方がいいと思われる事はありますか?一個人の意見としてでも構いませんので伺いたいです。 当方の環境としましては、 ・実家にも仏壇等はなく四十九日も迎えておりません ・分骨なども致しておりません、まだお骨は手元(実家)にあります ・ご縁があり般若心経が手元にあり、道具も揃っている為写経でしたらすぐに可能です その他向き合うにあたっての心構えや環境を見てのアドバイスなどありましたら些細な事でも構いません。是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。
私の母は私が19歳の時に難病で亡くなりました。母が亡くなる前日に病院へお見舞いに行くはずだったのですが、当時通っていた学校の授業と電車の延着の為にお見舞いへ行けませんでした。その次の日、母は転院の予定があり実家の近くの病院へ転院したのですが、容体が悪化し転院で着いた先の病院で直ぐに息をひきとりました。私はたまたま、早く病院【転院先の】へ着いた為母が亡くなる寸前に看護師さんと話をする母を見かけ、声を掛けようかと思ったのですが看護師さんも急いでいたのと、母もかなりしんどそうだったので、「どうせ落ち着いたらまた会える」と思い、その時声をかけませんでした。しかし、そのまま母は息をひきとってしまいとても後悔しました。 そして、葬儀が終わり家に帰り寝ていた時母の夢を見ました。母は最期食事もろくに摂れず点滴で過ごしていたためか「肉じゃがが食べたい」と夢で私に話しました。次の日、作ってお供えをしました。 それからほぼ毎月のように母の夢を見ます。【祖父や亡くなった親戚も一緒に出てくる事があります。】母は何かまだ気になる事があり成仏出来ていないのかととても気になっています。母は何が気になるのか、色々考えてはいるのですが思い当たる事がたくさんありどうしていいかわかりません。どうすれば母に心配を掛けないようにできるでしょうか。
約一年前に、主人の母がうつ病で自ら命を絶ってしまいました。 その頃、私自身は妊娠8ヶ月でした。 義理の母は、もともとは社交的で明るく前向きな性格でした。 亡くなる3ヶ月程前から『肩や腰が痛いから外出も出来なくて』と聞いていたので、なかなか実家に遊びに行けない状態でした。 義理の母の性格上、とても世間体を気にする人だったので、うつ病だったと聞いたのは亡くなる2ヶ月前でした。 私自身の父親がうつ病の経験があり、自殺の心配があるというところまでいきながらも、なんとか復活したので、すぐに病院などを紹介すると義理の父に伝えたのですが、『あんまり騒ぐと余計本人が気にするから。通院もしてるし大丈夫』との返答で、定期的に連絡は入れていましたが、それ以上はふれられませんでした。 亡くなる二週間前に『こっちに遊びにくる?』と以前の明るい声で電話があり、会いにいくと、以前のように子供を可愛がってくれ、産まれてくる子を楽しみにしてくれていました。 しかし、二週間後に自宅で夜中に服毒自殺をしてしまいました。後に聞いたところ、義理父に『死にたい』と漏らしていたそうです。 主人の家族はとても仲が良く、義理母を中心に笑いの耐えないごくごく普通の家族でした。 以前に義理母が大病をした際も、義理父と義理兄、兄嫁、主人、私と連携し、支えて乗り越えました。そのぐらい仲の良い家族でした。 義理母の死から一年が経ち、残った家族で支え合いながら、前向きに日々を過ごしているのですが、どうしても拭い去れない気持ちがあります。 一つは、なぜ仲の良い大切な家族がいたのに、残して独りでいってしまったのか。あれだけ孫が産まれることを楽しみにしてくれていたのに、それを待たずいってしまったのかと怒りの気持ちです。思ってはいけないのかもしれませんが、どうしても許せなくなってしまいます。 もう一つは、もう少し何かすべきだったんじゃないか、断られてももっと踏み込んで行ってたら何か違っていたんじゃないかという大きな後悔です。 自分自身の父親の経験があったのに、なぜもっと対応ができなかったのかと、悲しむ主人をみる度に後悔をしています。 どう、気持ちを処理していけばいいのでしょうか?
私は現在、無職で実家住みの再就職活動中の28歳でございます。 経歴を全て明かしますと、高校卒業後、一年浪人し、地方国立大学工学部電気電子工学科に進学。二年休学しつつも卒業し、新卒でプラントの設計職に付きました、そして、人員の関係で半年間現場配属となり、一年で退職しました。 その退職の理由というのも、愚かしくも、幼少期の頃からの夢である漫画家を目指すためです。 実は、浪人のとき休学のときと漫画家を目指したいと進路に迷った時期があり、実際にインターネットに漫画を公表し、少々の反響をうけておりました。一応、現在もその反響の痕跡をネット上に見ることができます。 その反響で勘違いしたのか、心の奥底に「自分は本気で漫画家を目指せばなれるのではないか?」という、執着がのこりつづけ、就業中も意識が片足泥沼に浸かったような感覚で業務に集中できず、現場配属となった際に、漫画家になれるという幻想への逃避、また自身の責任感の無さからくる自責、対人関係の軋轢、不安から 「漫画家を目指し、漫画家になれなかったら死のう」と考え、 実家に無理を言って戻り、二年ほど漫画家を目指しました。退職後の初年度の4月に漫画を出版社に持ち込み、期待賞を受賞し、担当編集者についてもらいました。その後、二作目で佳作を受賞し、デビューを目指し続けましたが、ようやく自分の実力と年齢に限界を感じました。 というのも自身の漫画はエンターテイメント商品というより、世の中に対する自分の負の感情の塊のようなもので、商品になり得ないと思ってしまったからです。 そして、現在、再就職に向け転職活動をし、面接で上記の経歴を、なるべく、良く見えるように、かつ、虚偽なく語るのですが、やはりどこの面接官も顔を渋らせ、採用にはなりません。 今や少々絶望を感じております。 ただ自分は自分の人生の選択の結果こうなったのであり、世の中に対する恨みはありません。そして、大きな視点で見れば好きなように生きて、好きなときに死ぬということはありだと思うのですが、一人の人間の思考にたち戻ると、かけた親への迷惑を考えると自殺はできません。単純に死が怖いだけかもしれませんが… 再就職活動は続けていますが、仮に再就職できたところで、幻想が砕かれた今人生に希望はもてません。どう生きたら良いのかもわかりません。情報の羅列になってしまいましたが助言をお願い致します。
先週、遠く離れた一人暮らし母がお風呂で脳内出血のため亡くなりました。 亡くなる3時間前に電話があり、人を2時間待っていた間、草取りをしながら待っていたら具合が悪くなり寒気がする、頭も痛いんだよねーと言うから、私は風邪かと思い、 『早くうちに帰って、お風呂入って温っためてから寝てね』 と言ったら、 『入るの?入った方がいいかなー』 と母が。今思うと入りたくないぐらい具合悪かったんだなーと思うけど、いつも足が冷えて寝れないと言ってたから、入れるなら入った方がいいんじゃない?と言ってしまった。 そんな私の言葉を信じてお風呂に入った母。そして脳内出血。。。 そんなこと言った私なのに、その夜も電話せず、次の日も用事もなく日曜日だから家にいたのに、母から電話がないなと思いながらも具合悪くて寝てるかなと思い電話をしなかった私。 そして、翌日朝お墓参りのため迎えに行った兄が、カギのチェーンロックがかかった家から返事もないから、救急を呼んで開けてもらったらお風呂に浸かっていた母を発見。1日半お風呂に浸かっていたようです。 私の責任です。お風呂に入ればと言ってしまった。お母さんは風邪じゃなく熱中症だったのでは?熱中症ならお風呂に入ってはいけなかったのでは?と周りの人に言われました。しかも、1日半もお風呂に浸からせてしまったから、遺体も死後硬直して顔も腫れてしまいました。苦しかったんだろうなと。だから、老いても毎日きちんと化粧してた母なのに、死化粧もしてあげれず、みんなにお別れするのにも顔を見てもらえず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 普段から“トンコロリと死にたい”と言っていた母。みんなに迷惑かけるのが嫌だと言っていた母。外傷はなかったと言っていたから一瞬で亡くなったのでは?と 周りの人は言ってくれるけど、 お風呂をすすめたこと、 電話しなかったこと、 後悔で、自責の念に駆られています。 また、私は結婚で家を出ているため仏壇やお墓は兄がみていくことになりますが、兄嫁はお墓参りもあまり行かない人なのでお供え物とかもしてくれるのか、不安でなりません。兄もそれをとがめる人でもないので母もそれをとても心配していました。お願いはしてみましたが、本当にやってくれるかは微妙です。 仕方がないので、私は自分の家で写真の前にお供えをしようと思っていますが、それでも供養になりますか?
先日、姉が亡くなりました。父は自分が生後一ヶ月の時に他界しており、母は老人施設に入所、自分は別世帯で暮らしているので、孤独死でした。 (私の小さい頃は母と姉に酷い事をされていました。今でも体に傷が残っています。そんな事をされていても、私は二人を遠ざける事はできませんでした。成人し私も実家に寄り付かなくなると母も姉もそれを償うように人が変わりました。) 私の家族からは、私に酷い事してきたし好きな事して死んでいったのだからと姉のことも母の事もタッチするなと言われました。母と姉をとるなら出て行ってくれと言われ母と姉との縁を切って欲しいという事に一度頷きました。その為、葬式もしない・母の面倒もみないということになったのですが。(結局葬式はほぼ密葬でしたがすることができました。) 私はなんて酷い人間なんだろうと思う日々です。 遺品整理に家を訪れると私が過去に薦めた物を買い漁っていたり、私の体調が良くなったら(数年ほど体調を崩しておりまして)遊びに実家に行くわというのを待っていた様子でお酒など私が喜ぶものを買い漁っていました。量は半端ではなかったんですが。 寂しかったんだと思います。 いろいろありすぎて文章がわかりづらいのですが、偶然か何かわからないのですが、私は近い人が亡くなるときお線香の匂いがしてきます。姉が亡くなったと知らせを聞く数週間前に早朝にバイクを乗っている最中に匂ってきました。知り合いで亡くなる人はいないはずだし、父や叔父がなくなった時期とかさなるためそれかもと気にも留めてなかったのですが、まさか姉だとは思いませんでした。 おそらく姉が一人で苦しんでいた時だと思います。(死体検案からみた死亡日時を考えると)虫の知らせがあったのに、どうして察知できなかったんだと悔やまれて仕方ありません。 また、酷い事をされていた過去も一緒に笑った過去もどちらも思い出されて苦しいです。私は親兄弟を捨てる酷い人間です。
彼がなくなりました。 仕事のノイローゼからきたうつ病による自死でした。 恐らく衝動的なもので、だから、自殺だとは思ってません。 病死だと思っています。 ですが、亡くなる直前に電話したのは私で、もしかしてそれが彼の自死に最後の一押しをしてしまったのではないか、私と電話しなければ今も生きていてくれたのではないかと後悔ばかりです。 後追い自殺も正直考えましたが、色々な仏教のお話を読んで何とか踏みとどまっている途中です。 また彼が亡くなったのが受け止めきれず、仕事が手につかなくなり辞めて実家に帰ってしまいました。 遠く離れているのですが、彼の為にできることはありますか? 宗派で何か違うのでしょうか? 彼の家は高野山真言宗でした。 彼の供養のために、彼が早く楽になれるように私にできることを知りたいです。
こんにちは。 私の友人が他殺で亡くなりました。 その方とは、ネット上での繋がりしかなく電話もしたことはありませんが。チャットで3年間ほど毎日連絡を取り合う仲でした。 ある時、わたしは卒業論文の執筆が忙しくなってしまい、返信が滞る時期があったのですが、その方は安否確認のためにもメッセージをくれる優しい方でした。 しかし、それにも関わらず再度連絡を1週間ほどまた無視してしまいました。 1週間ほど経った時に、その方の住んでいる地域で殺人事件があり、安否確認のために連絡を入れました。その時には既読が付いたのですが、返信はなく、 生きていることは確認できたのですが、嫌われてしまったんだと思いそこからは忘れて暮らしていました。 しかし、事件から数年経って最近その方が夢に出てきて近況が気になったため検索をかけて見ると私が危惧していた事件に巻き込まれて亡くなっている事がわかりました。 ここまでが経緯です。 わたしは嫌われたと思い、長い間記憶から消して過ごしてしまったこと。 ずっと頼りにしてくれていたのに、最後の最後で自ら連絡を切ってしまい、そのまま亡くなってしまったこと。 この2つの後悔が頭の中をぐるぐると周り続けて忘れられません。 また、友人は苦しい生活を乗り越えてやっと少し楽な生活が出来そうになった所でかなり若くして亡くなったため、苦労だけして亡くなってしまったように感じ、全てが水の泡と化してしまったような気もしていたたまれません。 さらに、犯人は既に亡くなっているため恨みのぶつけ方もなく、気持ちの行き場もありません。 その上、友人とはネット上での関係しかなかったため、お墓参りをして友人の死を目の前にすることで受け入れたいのですが、それも叶いそうにありません。 長々と書いてしまいましたが、すごく親しかった友人なのですが、後悔する点が多く、また、死を受け入れたいのですが脳での処理しかすることができず、モヤモヤした気持ちが続いてしまいます。 友人の死とこれからどのように向き合うべきでしょうか。 友人の死を乗り越えて、これまでの暮らしに戻るためにはどうしたら良いでしょうか。 拙い文章で、分かりにくい部分が多々あるかと思いますが、よろしくお願い致します。
一週間ほど前に父が亡くなりました。 父は約10年前に病気で車イスが必要な身体になりました。その後も数々の病気をし、何回も命の危機になりつつも快復してきました。 私はその間、実家で一緒に暮らしていましたが、やはり。障がい者である父のことを邪険に思ってしまい、助けてあげないといけないのに、父の世話を母に押し付け、父から逃げていました。 子どもの頃から父のことは大好きで、年頃になっても2人で旅行に行くくらい仲良しでした。 はじめて父が倒れてからの約10年。入退院を繰り返していたこともあり、慣れてしまっていたと思います。 入院をすること自体、本来なら心配なことなのに、『父から少し離れて生活できるな~』なんて呑気に考えるようになっていました。 最後の入院時も、コロナ禍で面会すらできませんでしたが、『すぐに良くなって帰ってくる』とあまり心配することも不安になることもありませんでした。 それが、今回は帰ってきませんでした。 面会はできなくても電話することはできました。メールもできました。でも、私はしなかった。治療さえ終えれば帰ってくると思っていたからです。 父が亡くなり、後悔しかありません。私は本当に酷い娘です。 一人になってしまった母のことを支えなくてはいけないと思いつつ、自分がなかなか父の死を受け入れられません。 父への後悔が無くなるときは来るのでしょうか?
はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。
いつも大変参考になるお言葉と励ましのお言葉で、少しずつですが成長できております。 今回大きな変化がありました、それは親父の死についてです。 少し前からガンで厳しいという状況は知っており、ここ数日前に訃報を聞きました。 ただ、私の心境的に涙も悲しさは直接的に感じず、「人は死ぬもの」という基本前提と私もどうせいつか死ぬという達観があるからだとは考えております。 そのためか実家でおこなわれる葬式や告別式の話が出た時に私は行きたくないと答えました。親に感謝していない訳ではないのですが、他人の死と同様に捉えてしまい私が行かなくてもいいと判断しております(手続き等は兄貴がしております) 最後くらいとよく言われておりますが、私の人生として成人式等の一度きりのイベント事にそこまで関心がございません。 ただし、ここで質問をしているということは、心の中にしこりのようなものがあるから、私は間違っていないと肯定されたい気持ちがあるとは考えてはいます。 孤独感というのも悲しいことになれてしまい、家族と連絡しなくても幸せに生きれてしまいます。 上記の考えも分かってはいながら葬式に行くことが大人ということなのか、自分が行きたくなくて後悔もしないと確信があるならいかなくてもいいのか、正解がない問題なのでどうしてもお言葉をいただけますと幸いです。 何卒宜しくお願い致します。
一年程前に保健所から犬を引き取りました。しかし、譲渡条件の中の二点程が私は守れておりません。 完全室内の所を半室内飼いになっている点(家に入りたい時に入り出たい時に出る)と65歳以上のみのご家庭不可と言う点でございます。(結婚し私が家を出て母親が一人になった為に引き取りました) 大変な事をしたと酷く後悔し命に報いるには命しかないと死を覚悟し遺書を書きましたが死ぬ事が出来ませんでした。私の様な罪深い人間がご飯を食べるなんて事許されないと思いご飯もなるべく食べない様に生活しております。また、死ねなかった為にリスカをして犬が苦しんだ分嘘をついた分傷つけています。しかし、全くもって償い切れていません。 犬の事は大好きですし子供がいない為に実家に帰ると子供が出来た気分になります。しかし、私がした事は許される事ではございません。やはり命に報いるには命しかないでしょうか? 命しかないのであれば私は私の人生を断ち切る事を選択出来ます。我が子の様に可愛い子に酷い事をした為に私の穢れた命では間に合わないのは重々理解しております。あまりにも重い嘘をついてしまいました。
昨年末に母が脳卒中で倒れてしまいました。 命は助かったのですが半身麻痺、意識はあるのですがほぼ寝たきりの状態です。 もうこのまま母とは会えなくなってしまうのではないかと心配で忙しく動いていないと落ち着きません。 実家は車で6時間程の距離、乳幼児の小さい子がいて月に一回ないし二回ぐらいしか顔を見に行けません。 それほど心配なら何としてでも実家に頻繁に帰り、顔を見に行くべきではないのか。 自分に言い訳しているのではないのか?と自問自答しています。 そして、心の片隅にとても明るく元気だった母の変わった姿をうけいれられない自分がいるのも事実です。 40代になり世間では立派な大人なのに自分が情けなくなってしまいます。 母は毎日妄想で私と会っているらしい、と聞くと胸がはちきれそうな思いになります。 周りから、いっぱい顔を見せにいってあげないと、、と言われます。 その通りだと思います。 現実に月1、2度しか行けないもどかしさ、頑張ればもっと行けるのではないかという罪悪感に毎日押しつぶされそうです。