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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2605件
2023/09/04

老い・死が本当に怖い

老いること、死ぬことが本当に怖いです。 言葉にしにくいことが多く、複雑かもしれませんごめんなさい。 老いについて ふと寝る前や、勉強中に、自分の将来を考えてしまい、年老いたことを考えると辛い気持ちになります。言葉では表現しにくいのですが、先行き見えない不安感などが強くて、将来どうしているか、社会がどうなっているかなどを考えるのが怖く、特に両親や祖父母のことを考えると余計に辛くなります。今まで過ごして来た時間、これから過ごすわからない時間を考えると言いようのない恐怖と無力感に苛まれ、どうしようもなくなります。対処法を教えていただきたいです。 死について 死ぬのが怖いです。自分が死ぬ時、周りにいる人のことを考えたり、死んだ後の自分の体、意識のことを考えた時、どうしても怖くなります。自分のこの世界が「無くなる」ことを考えると、本当に恐ろしく眠れません。自分がこうやって質問しているように、なんでもない1日がなくなり、目が覚めないとはどういうことなのか、2度とこの世界に帰れないとはどういうことなのかものすごく怖いです。漫画の世界のように、脳みそだけが夢を見続けるような、そんな世界ならまだいいと思ってしまい、今の世界が無くなり、自分が認知できなくなることが怖いです。 自分が歳をとって行くこと、弱って行くこと、そして死んでいくこと。何もわからないからこそすごく恐ろしく、辛いです。自分の将来を考えることも、今日したことを振り返るのも辛く、もうどうすればいいかわからないです。曖昧な質問で悪いのですが答えていただきたいです。それから、10代でこの疑問に苦しめられてるから、今後の将来、もっと苦しむのではないか、と思ってしまいます。その対処法も教えていただきたいです。

有り難し有り難し 3
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2025/03/08

家族の死

3年前弟が23歳で不慮の事故で急死しました。 母親、父親、私、弟、弟の仲の良い家族でした。特に私は周りからブラコンと言われるほど弟2人が大好きで自慢でした。 でも亡くなった真ん中の弟とはお互いに一人暮らしを始めてからは連絡もあまり取り合っていませんでした。小さい頃は仲が良かったのですが、昔から性格や考え方が真逆で大人になるにつれて合わなくなっていきました。でも大好きな気持ちは変わらないしまさかこんなに早くにこんな形で会えなくなってしまうなんて微塵も思っていなかったので、もっと大人になってお互いに子どもなどができたらまた分かり合えるしまたいつでも会えると思っていました。もっと話したかった。もっと会いたかった。たくさん後悔があります。 今は私も日常生活に戻って仕事もしているし実家に行ったり友人や彼と旅行に行ったりしていますが、ふとした時に色んな後悔や喪失感が込み上げて寂しくて悲しくてどうしようもなくなります。急にスイッチが入ったように涙が止まらなくなります。まだ受け入れられず本当はまだ生きてるんじゃないか、悪い夢を見ているだけなんじゃないかと思えて仕方ないです。 でもやっぱり1番辛いのは母でそれを側で見ていると悲しくなります。 私は一緒に悲しんで1番下の弟は一緒に笑って、なんとかこの3年2人で母を支えて生きてきたつもりです。 弟には勝手な事をして勝手に親より早くに死んで親不孝だと言って喧嘩したくなります。でもそれももうできません。 気持ちを整理するために本も書きました。 それでもやっぱりなんで弟だったんだろう、なんで私がこんな思いをしているんだろうと現実にしんどくなります。 死にたいわけじゃないし母がいる限り絶対に死ねないですが、早く私もあの世に逝きたいなあなんて思ったりもしてしまいます。 あとひとつ、たまたま死ぬ前に弟は1番直近に3人兄弟で撮った写真を見ていたみたいです。 なぜ見ていたのかはわかりませんが、私はどんな気持ちでみていたんだろうと今だに疑問に思います。 ①お母さんを頼む ②私と1番下の弟を目に焼き付けたかった どう思いますか? 大切な方を亡くされた方はどうやってこの辛さを乗り越えましたか? 家族の死を乗り越えるためにはどうしたら良いですか?

有り難し有り難し 25
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「死」を考えると気持ちが落ち着きます。

母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。

有り難し有り難し 42
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死に関する夢について

死に関する夢についてです。  先日、母親が亡くなった夢を見ました。直接母親が死ぬところや遺骸を見たわけではなく、どこかの建物(病院?)の廊下で、ふと「あ、死んだんだ」と夢の中の私が悟る、という夢でした。また、夢の中で「これからどうしよう」と考えたり、母親に代わり姉が家事をする光景や、父親が悲しそうな顔をしている場面が印象に残っています。(場面は飛び飛びです)  夢占いによれば、死は吉夢であり、特に親の死は自立に関係するようで、確かに私は就職したばかりです。また、死の予知夢である場合は稀らしく、仮にその場合は、橋や川、白い花や蝶が出てくるそうですが、そういった類のものはなかったように思います。  しかし、私は、10年ほど前にも似たような夢を見たことがありました。その時は、祖母宅の庭を眺めながら、ふと「ああ、祖母は死んだんだ」と夢の中の私が悟る、という内容で、先日見た夢と似ていました。  そしてこの夢を見た数年後に祖母は亡くなったのですが、祖母宅から霊柩車を見送るために庭に出た際の光景が、その時の夢とよく似ていました。(天気など)  その夢を見た時点ですでに祖母は高齢であり、また亡くなる半年ほど前から体調を崩していたことから、言い方は悪いですが自然と言えば自然です。逆に現在、母親はとても健康です。  ただ、私は所謂「正夢」というものを度々見ることがあります。ハッキリこれは正夢だ、と認識しているものが3つ、またそれ以外にも、おや?と思ったものが無数にあります。そのため、先日見た母親の死を悟る夢が、数日後か数年後かに本当になるのではないか、と不安になっています。  人はいずれ死ぬ、という事は理解しており、いずれ両親が亡くなることもまた確実です。ですが、祖母の死が個人的にトラウマになっており、あんな思いをするのは向こう30年はごめん被りたいというのが本音です。  また、つい最近、近所でコロナウイルスに感染した方が出た、というニュースを聞いたこともあり、より不安な気持ちになっています。 バカみたいな話だ、と言えばそうなのかもしれませんが、、、  実際、私が見た夢は将来起こりうるものなのでしょうか。また、私はどうすれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

どうすればいいのかわかりません

しばらく連絡の取れなかった友人が自殺したと知りました。19歳でした。 彼女はネット上で知り合い1年弱程度の付き合いでしたが私は彼女が大好きでした。実際に1度会ったことがあります。彼女は私といる時終始楽しそうで別れ際には「寂しい」「また会おうね」と何度も言ってくれました。いつも明るく私に元気をくれる人でした。最初は何が起こったか分からず混乱していましたが、彼女が遺したという私に宛てた誕生日メッセージを見た時にもう彼女には会えない、言葉を交わすこともできないんだという実感が湧き上がり悲しくなり涙が止まらなくなりました。それから幾日か経ちましたが未だに日常の中で不意に彼女を思い出しては泣いてしまい、胸が酷く痛んで苦しくなります。 私にとって人の死で深く悲しむというのは初めての経験です。この悲しみをどうすればいいのかわかりません。私と彼女の共通の知り合いはいないので悲しみを分け合うこともできない。彼女を知らない親や友人に話すのも少し躊躇われます。周囲の人に心配はかけたくないし、彼女もあまり悲しんで欲しくはないかなと思い、いつも通り振舞ってはいますが、一人でこの悲しみを抱えるにはそろそろ辛くなってしまいました。 私はこの悲しみとどう向き合っていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 41
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父の死について

私の父は3年半程前に自死しました。 長年病気をしながらもお酒、タバコがやめられず、アルコール依存や病気に苦しんだ結果、死を選んでしまったのだと思います。 まさか自分の父親をこんな形で亡くすとは思っておらず… 最後に病気で入院してた頃私は妊娠中。自宅安静だったこともあり一度もお見舞いにも行きませんでした。 退院した父親から報告の電話が来た際、「お父さんはもう頑張れないからな、お前は頑張れよ」と弱気になる父に「そんなこと言わず、孫の顔くらい見てってよ」とポンと言い返してしまいました。 そしたら、私の言葉通り孫の顔だけ見て半年、突然死んでしまいました。私の言葉が父を死なせたんだと言う思いが強く、眠る父を見る親族が「やっと楽そうな顔になった」と言う中、私にはどうしても苦しそうに見えて、父は何を思い、どんな気持ちで死んでいったんだろうと言う後悔のような気持ちでいっぱいです。 私はお酒を飲む父が嫌いで、酔っている父に娘を触らせたくなかった。だから父が娘を抱く写真は一枚しかありません。 こんな親不孝の娘、父はどんな想いで自ら死を選んでいったのでしょうか。 あの時の私の言葉の後悔、どうすれば楽になるのでしょうか。夜中に突然、なんで父は死んだのかな、私のせいかな…と考え、眠れなくなります。 そして、娘である自分もいつか同じ死に方をしてしまうんじゃないか、また母や兄弟たちが同じようにならないか、と恐怖でもあります。 自死した父は死後どうなるのでしょうか。

有り難し有り難し 24
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2024/01/26

死しか考えられない

最近、私は死を考えてばかりいます。伯母が亡くなったのも一因かもれませんが。 心療内科に通院していても症状は薬で抑えていますがキレる事が多いです。些細な事も許せずに大きな声で叱責をしています。職場では我慢している分、家に帰ってくると我慢の塊が爆発してしまいます。親に対しても聞かれたことに返事をしなかった事も多々あります。逆なことをされると「聞いてんのかよ」と逆切れしています。こんな自分は生きている価値なんてないです。どうしたらこの世から消えることが出来るのか考えています。欲しい物も買ってもらえる、私の思うように動いてくれる母親たちにとって私がいなくなれば節約も出来るし医療費も年々、値上がりするのでその支払いもなくなる。無駄遣いばかりをさせてしまっている自分が許せません。死を持って謝りたいです。 心疾患を抱えてまで生きている意味はあるのでしょうか。今の病気は落ち着いているので主治医にとってどうでも良い患者と思えるのです。命を助けてくれた医師に向かって言える言葉じゃないとお叱りを受けそうですが。手術も望んでしたわけではないのです。気づいたら日程も決まっていたり迷っているうちに手術とどんどん話しが進んでいました。今回の地震でお亡くなりになった方の中に志の途中でと言う方もいたと思います。そんな中で私のような思い通りにならないと癇癪を起し周りを不愉快にさせてしまう。消えるしかないと思います。 何を言いたいのか分からなくなってしまいましたがどうしたら死を迎えることが出来るのでしょうか?飛び降り・飛び込みなど考えますが多数の人を困らせるので出来ません。薬を飲もうとしますがどれだけ飲めば死ねるのか‥結局は実行出来ず今も生きています。生きたくても余命を宣告された人がいます。代わりたいです。夢も希望も何もない。嘘ばかりをついて自分を守ろうとする時もある そんな自分が本当に嫌です。現実から仕事から全ての私の行動から消えたい。 どうして私は生きなきゃならないのですか?消えたい、それが切なる願いです

有り難し有り難し 2
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2023/02/05

死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 14
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死が怖いと感じてしまいます

長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 106
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祖母の死

先日祖母が亡くなりました。両親共働きだった私は幼少時から同居の祖母に面倒を見てもらっていて、筋金入りのおばあちゃん子でした。 せっかくおばあちゃんが99才まで長生きしてくれたにもかかわらず、生涯を通じて十分な恩返し、特に結婚して実家を離れてから10年ほどの晩年期は何一つおばあちゃん孝行しないまま、老衰で亡くなってしまいました。 孝行できなかったのではなく、孝行しようと思えば時間もお金もあったのに、なぜか、しなかったのです。実際におばあちゃんを亡くしてみてようやくことの重大さに気づき、底なしの恐怖と後悔を感じ涙が止まりません。 出来たことといえば、私が20代~30台前半のころに合計3回ほどおばあちゃんを短い旅行に連れて行ったこと、また嫁さんを紹介できたこと、ひ孫を見せられたこと、たまに顔を見せにだけ実家に行っていたことぐらいです。本当にそれだけです。生涯を通じて、おばあちゃんに感謝を伝えることはおろか、語り合うようなレベルの会話は一度もしませんでした。 40才前後にもなって、また実際に祖母を亡くしてみて初めて、このような重大なことに気が付くような大馬鹿愚か者の自分に嫌悪の極みです。 子供のころはおばあちゃんを大切にしなければと強く意識していて、おばあちゃんが死んだりしたらどうしよう大変だと子供心に恐怖していて、その気持ち自体は持ち続けていたつもりなのに、今思えばどうでもよい仕事や付き合い、自分の楽しみなどを優先し続けてしまったこと、また老いが深まっていくおばあちゃんを見ても、死を間近にしたおばあちゃんを見てさえも、本当に死ぬこととなぜか結び付けられていなかった自分の馬鹿さ間抜けさ加減に、本当に自己嫌悪しかありません。 後悔したところで文字通り取り返しがつかないこと、他の質問を参照して、おばあちゃんにできなかった恩返しを両親や身近な人にしていくしかないことも理解しているつもりですが、心が散り散りすぎて思わずこちらに記載させていただいている状況です。 質問になっておらず申し訳ありません。

有り難し有り難し 47
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親の死について

久しぶりに質問をさせていただきます。 転職と実家を売り引っ越してから約2年は過ぎました。 経済的自立と精神的自立を目指して1度は一人暮らしをと計画し親に打ち明け、まずは不動産屋にというところまで決まったのですが、ワクワクしていた筈なのに、寂しくて不安で仕方がありません。 少し距離を取りたいとまで思っていたのに、甘えて家族に依存し今が続けば良いと望んでいたのだと実感しました。 ですが不安はそれだけではなく、普段から考えない様にしていた親の死が急に身近に迫ってきました。祖母が死に、側にいたのが当たり前ではないと実感してから親の死について考え、気落ちし考えない様にと繰り返しながら先延ばしにしていた事が、家を出る為に動いた事で私の心を支配してしまいました。 一人暮らし計画を辞めてずっと家にいたい。でもそれは自身のためにはならない。親が存命のうちに試してみたい。でも離れる事が擬似的な死別に思えて怖くて仕方がありません。 未知の恐怖がそうさせるのでしょう。時間が解決すると思っていても胃の腑が冷えて体が震えて仕方がありません。布団から一歩も出れません。 心の調子を崩し不安感が常に付き纏う様になってから、前向きになる事が難しくなりました。考えも極端なものになってきました。 心をどのように保てば良いのでしょうか。ご教授頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 6
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