やっぱり亡くなった人は亡くなればどこにもいなくて、 側で見守っていてくれるというのは、残された人が後追いをしないように、寂しい思いをしないための言葉ですよね。 だって、亡くなった人がこの現実を知るというのは酷だと思うのです。 もし主人がこの現状を見たら、、たぶん怒りと悲しみでもがき苦しむことでしょう。 それとも亡くなればそうした欲はすべてなくなってしまうものということなのでしょうか。 私は、人も植物や虫などと同じで亡くなれば、それで終わりで、魂だって何も残らないと考えてしまいます。 夢の中に出てきてくれても、なぜかいつも亡くなる1日前という設定で私は一人焦るような夢ばかり。 主人がいるのが当たり前で、いないという現実を未だに受け入れられることも出来ずに、それでも日常をこなし、子供たちを育てなくてはならない。 1年たってなんとかやれて来れたと少し自信もついたと思ったのに、最近はどうにもこうにも気持ちが下向きです。今まで自分の悲しみに重い蓋をして過ごしてきてしまったせいか、今になってその蓋が溢れた悲しみで吹き飛ばされそうで、こわいです。 どこかで、主人の今の居場所を肯定したいという気持ちと、ならば自分はこの先どう生きていけばいいのかを知りたいです。 抽象的な文章で、本当に申し訳ありません。 周りの方々には元気でいる姿を見せたくて、こちらでしかお話しできません。私にはありのままの自分が出せるのは、だいぶ努力をして周りに甘えられるようにはなりましたが、今も主人だけなのです。
朝起きた時、よし!今日もがんばるぞ!と充実した気持ちになるような生活がしたいです。 最近は夜寝るときも考えごとばかり、朝目覚めても、起きたくない・・このままじっとしていたい・・とまったくすっきりしない日が続いています。 会社での仕事が本来やりたいことではない、趣味仲間の人間関係がぎくしゃくして楽しめなくなってきた、目指していることがうまくいかない。またあのめんどくさい人に会わなければならない。 旅行に行っても、飲みに行っても、心の中に雲がかかってカラッと快晴な気持ちになれないことが1年以上も続いています。 活き活きと生きている人がとても羨ましいです。
無理心中したら一緒に死んだ相手と一緒にいれますか? 一緒にいれない場合はその相手はどこに行って私はどこにいくのでしょうか。 死後の世界を教えてください。
こんにちは。 さっそくですが、本題です。 わたしは自分に自信がありません。 自信がないからこそ常に周りの人間と自分を比べて、 Aさんには〇〇で私のほうが秀でている Bさんには△△で私のほうが勝っている と無意識のうちに考えてしまっています。 自分が優っている点が無い相手に対しては 近づきたくない、と思ってしまいます。 (本当に何においても優ってないかどうかではなく、自らが自分の方が優っている点を認められるかどうかが問題です。) 自分に自信が無いことで気持ちが沈んでしまったり、 交友関係が狭まってしまっていると感じたり、ということに悩んでいます。 常に自信があるフリ、堂々としていて怖いものなど何もないフリをするのに疲れてしまう時があります。 自分にも弱さがあると認めること、それを他人にさらけ出すことが恐いのです。 「強いわたし」という仮面が剥がれたらみんなが離れていってしまうような、 離れていった何人かは自分の「敵」にさえなってしまうのではないか、 というような強迫観念、自信の無さから 自分は強い、自分は他人より優っている、と強く思わないとやっていけません。 (この辺は小学生の頃にイジメにあい、4~6年生の間に転入先の小学校でクラス替えがない学級の中、たった独りで耐えなければならなかったことの影響かと思います) もっと肩の力を抜いて人を信用し、 自分を認め、本当の意味での自信をつけるにはどうしたらよいのでしょうか?
これまでどれだけお金、時間、手間をかけて、努力してきましたが全て徒労に終わりました。 どれだけ頑張っても相手に選ばれないのです。 もうどうしたら良いか分かりません。 美容師、恋愛テクニックの業者、生成ai数多に相談しても全部だめでした。 一時は死をも考えましたが、今まで振ってきた女どもをいつか見返してやり捨てにしてやるという想いを持って泥水をすすりながら必死に生きながらえております。 でも何をやっても上手くいかないからそろそろ限界なのであります。
苦しむこともなく安らかに息を引き取り、お浄土へ修行に出られた我が父のことで少々ご相談致したく。 確かに父は死を迎え、我が家からは表面上姿を消しました。 然しながら何かにつけて見え隠れする父の存在の大きさに息子として見ると詠嘆するばかりです。 「それに比べて我が身のなんという小ささよ」 とふと、自分が卑下の心にとらわれてしまいます。 無論、こんな心にとらわれるのは馬鹿げていて何も生み出さないのですが時折熱病のように我が身を襲うのです。 超えられなかった父の存在、超えるべきであった父の存在。 両者の間で惑う自分がおります。 「僕は父のようになれただろうか?」 「僕は父のようになれないのだろうか?」 「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実が苦しいのです。 如何ともし難い現状ですが、少しでも抜け出せるお言葉をいただけたら幸いでございます。 合掌。