以前 こちらで 二度 質問、相談させていただきました。 その節は 大変 お世話になり ありがとうございました。 今 悩んでる事は、 お寺での法要の後や、YouTubeで有り難い法話を聞かせてもらったり お寺で開催される 仏教についての勉強会に参加したり 仏教についての本やHPを読んだりして、 少しは 仏教についてわかるようになってきました。 でも、いくら仏教について学んでも 有り難いお話を聞いても 日常生活で実践出来ない。 自分を変える事が出来ない。 そんな愚か者の自分 が、つくづく嫌になってしまいます。 私が一番好きな観音様のように、慈悲の心で人に接する事が出来ない。 知識ばかりが増えて内面を変えられないジレンマ それが苦しい。 中途半端な信心なら しない方がいいのかな。。。 なんて最近思ってしまいます。 ちなみに、真言宗のお寺が好きで、法話や勉強も 真言宗のお坊さんから 聞かせてもらってます。 大変失礼ながら、できれば真言宗の僧侶の方から 愚かな私に、厳しいお言葉を頂けたら嬉しいです。
数日前くらいの職場での出来事です。 私は弁当作りと弁当箱と食器の洗浄の仕事をやってます。 仕事中に弁当のおかずが足りず弁当箱に何を入れればいいのか分からなかったため従業員に聞いた上で次の指示を待とうとしたところその時に従業員から黙ってないで食材が足りませんとかいわないやちゃんと言わないと分からないよなどといけないと注意されました。 ただ、それは言われなくても分かってましたし私は口下手なのでどう言えばいいのか考えてる所でそう注意されるのは少し納得いかなかったです。 自分でもなぜだか分からないのですが私はその後泣くくらいでも無いはずなのに職場で泣いてしまいました。 それからしばらくの間止めたくてもなかなか涙が止まらなかったです。 自分はかなり情けないと思いました。 昔からきついことを言われるとよく泣くタイプでしたが大人になってからは自分は大人だからと相当きついことを言われない限りは基本的に泣かなかったのですがあの時は泣くくらいきつく注意されたわけでも無く泣きたくもないのに泣いてしまいました。 ただ一度泣くとなかなか泣き止まなくなるのでそんな自分がずっと嫌でした。 人前で泣くのはとても嫌で可能な限り涙を隠したりもしてます。
最近毎日死ぬ事を考えてしまいます。 鬱で通院経験がありますが、ここ数年は自分で仕事を始め、それなりに楽しく生きてきました。ただ最近は何もやる気が起きず、自然と涙が溢れてきます。 現在精神科への通院はしてませんが、内科で睡眠薬を処方してもらっています。仕事でやらなければいけない事があっても、気分の落ち込み、不安に耐えられず、逃げだと分かっていても睡眠薬を飲んで寝てしまいます(大量に薬を飲むとかではありません)やらなければいけない事がどんどん溜まっていきます。 おかしいかもしれませんが、中学生の頃なんとなく、あーきっと自分は将来自殺するんだろうな〜と思った事を覚えています。両親の様に生きたくなかった。けどどう生きていいか分からないまま、ただ年齢だけを重ねてしまいました。 社会に出てからは楽しい事もたくさんありました。でも最近はいよいよその時(死)がきたのかと思ってしまいます。僕には自分で人生を作っていくことができません。コツコツと前向きな積み重ねが出来ません。 もう終わりにしてもいいかなと思ってしまいます。すぐに実行する気はありませんが、今後思い立った時にすぐに実行出来るように七輪を買っておく事を考えてしまいます。 人生は自己責任だと思います。何も積み重ねて来なかった私の人生もそうです。私は結局楽がしたかっただけなんだと思います。 本当は生きたいです。死ぬのはいやだけど今後良くなるとも思えない人生、それと良くなる為の小さな努力も出来ない自分に疲れてしまいました。
今、自分の性別に悩んで居ます。 今、結婚していて旦那もいます。 自分の性別に悩む時あります! 男性として生きたいって思う時もあります。 女性としても生きたいって思う時もあります。 今、中性と言う言葉もあります。 どうすればはっきりできます?
死について質問です。 今の私にとって死とは、必ず行き着く先であるからこそ、明日すら計り知れない今を頑張る源となっているように思います。 小学生の頃はずっと死にたくないと思っていたのに対し、大学時代は死にたいけれど自分から死ぬ勇気はない、そんなことで周りに迷惑もかけたくないと思っていました。 また一度だけどうしようもない気持ちがいっぱいで手で首を締めた時、少しの吐血で非常に驚き、やっぱり自分から積極的に死を選ぶことはできないと実感しました。 そうして死の捉え方が変わっていきながらも、今は明日死んでも、五十年以上後に死ぬことになっても、いつでも悔いなく安らかに眠れるような気がしています。 一方で医療職に就き人の命を救う立場でありながら、このような死の捉え方をしていることには、どこか自分や他人に嘘をついている気がしてしまうこともあります。 お坊さんがたは、お葬式などで死者を弔う役目を果たされながら、死をどのように捉えておられますでしょうか? どうぞお聞かせ頂ければと思います。 宜しくお願い致します。
大変な事件がありました。 銃撃事件なんてことがあって、今も私の心はグチャグチャです。 直接関わりがあったのか、自分の生活自体に変化があるのか、と言われるとそんなことはないです。生きようと思えば普通に生きることができてしまうと思います。ただそれが凄まじい罪悪感になって襲ってきます。 自分は明日を生きたくても生きられなかった人の明日を横から掠め取って生きているのだ、と思うととても辛いです。最初から私が生まれてこないことが誰にとっても一番良かったように思います。 自業自得で撃たれたのだ、と言う人もいましたが、それなら私は何回撃たれても足りないです。 悪口などを誰にでも見えるところに書いたことはありませんが、それでも軽い気持ちでメディアの言う悪印象につられて都合良くサンドバッグのような扱いをして、その上死なせてしまったのだ、という気持ちです。良い悪いは関係なく、人の命を奪うようなことはあってはいけないのに、こんなことを招いてしまいました。 何回謝って祈っても足りないです。 お友達に「辛くなるならニュースとか見ない方がいいよ」と気遣ってもらいましたが、私が情報を見なかったからといって起こったことはもう戻らないし変わらないです(私が落ち込んでも変わりませんけど)。 恨まれているかもしれないのに、私はこのまま平穏な暮らしをしていていいのでしょうか? 私はどうすれば故人の救いになれるでしょうか?
43歳男性独身でアルバイト生活しています。 23歳の時にうつ病を発症して30歳手前まで療養して、今は元気ですがずっとアルバイト生活を継続しています。 病気を経験して人生観も変わり、もうあまり頑張りたくないのが本音です。 一度の人生そんなに生き急がなくてもゆっくりで良いではないのかという思いが強くなっています。 極端に言えば世の中の事が色々見えてしまって、冷めて見ている自分もいます。 勿論、生き方にこうでなければならないという決まりはないと思いますが、日々悶々としている自分がいます。 今の目標はこれだ!というものがなく日々過ごしています。 何とか健康体を取り戻せたということでいっぱいで充分だという考えもありますが このような考えで過ごすのはあまり良くないものでしょうか?
いつもありがとうございます。 独身時代、不倫を繰り返していた友人についてです。私は不倫肯定派ではありません。 1人は歳の離れた上司と不倫をして仕事で重要な役職になり若くして出世しました。勿論彼女は賢く仕事の能力も高いです。「不倫の何がいけないの、そんな男と結婚した嫁が悪い」と言う強気な女性です。 もう1人は寂しさから複数人との不倫をし、そのうちの1人に独身の男性を紹介され、結婚しました。旦那様は紹介者との不倫関係は知りません。結婚してからも会ってる男性はいるようです。 二人共、大手企業の真面目な男性と適齢期に結婚しました。不倫をしてなければ得ることの出来なかった幸せを掴んでいます。友人の幸せは喜ばしい事ですが、旦那様を不憫に思う気持ちと真面目に恋愛しても実らない自分と比較したり、複雑な心境です。 性格は違いますが、私の目から見て彼女達は家柄も美貌も人柄も優れています。悪い行(不倫)以上に人徳があるからの結果なのでしょうか? 人は平等ではない事は理解しています。不倫は悪い行いと信じ、彼女達の行く末を心配しておりましたが、それを経て幸せになった女性を身近で見て事業自得や因果応報との言葉にも疑問を感じています。ハスノハでも不倫に悩み苦しんでる質問を多く見受けますが、彼女達と何が違うのでしょうか。もし今後違う形で不運に合っても、それをプラスに変える力があるようにも思います。 因果応報に対してお坊さんのご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。
お釈迦様の時代のインドでも宇宙については盛んに語られていたと聞きます。 お坊さんの皆様にとっての宇宙とは何でしょうか? 自由気ままにお話をお聞かせ頂けると嬉しいです。
お坊さんには趣味などがあるのでしょうか。 例えばもし趣味を持っていたら修行の邪魔(精神的な意味で)になったりしないのですか?
傲慢な性格とは何がキッカケで形成されるものでしょうか? 家庭環境だとしたらどういう状況だとそうなるのでしょうか? 職場にそういう人がいるのですが、対応の仕方が難しいです。
齢30を前を区切りとして、生来の性格と言動を見直した時、己の心の弱さ・下賤さ・欲深さを認知しました。特に、承認欲と嫉妬心が強いことに、ほとほと嫌気がさします。 色々な苦悩と対峙した人生を、今後も歩み続けるのだと、考えたとき、仏教の思想を身に着けることが、良き処方箋になるのではないかと思いました。2000年も前に同じような悩みを、哲学された御仁がおられるのですから。 どこかの宗派に属して、少しずつでも仏教の学びを深めてゆきたいのですが、はて、どの宗派を選択すればよいのか?どのような観点をもって選択すればよいのか、全くわからず困惑しています。 宗派の思想に共感した所を選べばよいのでしょうが、仏教やその歴に浅学な私が、適当に選ぶことも憚られます。また、(思想・精神的な面も含めた)戒律の制約なども関わるとすると、一層、選択が複雑となります。だからといって、自宅から近い、近所のお寺に伺うことも、どこか礼を失している気がします。 そこで質問なのですが、どのような着想をもって、宗派を選択すればよいのでしょうか?また、参考までにお坊様は、何を根拠に現在の宗派を選択されたのでしょうか?ご教示いただけますと幸いです。
嫉妬心をデイ・ケアのみんな(職員も含め)に見られるのが恥ずかしいので、いつも笑顔(ニコニコ笑顔)で隠してしまいます。。素直に嫉妬心だしたがいいですか?以前、スマイルコミュニケーションで一緒だったデイ・ケアの森さんに、スマイルコミュケーションで嫉妬の質問ばかりしてしまったせいで、デイ・ケアで森さんから距離とられてしまいました、私は、人の不幸探しが好きなので、(しかし、嫉妬心を森さんや職員全員に知られたくないので)嫉妬の質問ばかり森さんに質問してしまいました、私が嫉妬深い性格と言うことは職員全員や森さんにも知られていると思います。。森さんが仲のいい人に言った可能性もあります、、職員さんは森さんにもしかしたら、白川さん嫉妬心強い人だと思うから近寄らないがいいよと言った可能性もあります、私があまりにも、嫉妬心を必死に隠すので職員さんは、私に、嫉妬するのは分かるけど、嫉妬深いのは、とか、嫉妬の質問しないでくださいとは私には言わなかったです。。たぶんこれが原因かなと。。でも嫉妬深い性格を認めることになるので正直言って謝りたくないです。。(森さんに)長くなってすみません、。
4年ぶりに故郷へ日帰りでしが久しぶりに両親と会い、お墓参りに行ってきました。 両親も高齢になりましたが数年前より電話で毎日「何を食べたの?」と親子の話をしているので久しぶり感がないよう感じましたが、二人とも元気そうで良かったと思います。 お墓参りに行き父方、母方のご先祖さまの墓石は隣同士、枯れ葉や草が生い茂り熊手や箒もなく手で雑草を抜き取るだけ、祖父母に近況と御礼をしましたが、祖父母は久しぶりに墓参りに来てくれたが草を抜き取って枯れ葉も掃除しないで帰ったと思ってるのかな、、 子供の頃に遊んだ通りや街、眺めながら両親と一緒にラーメンを食べ買い物に行ったり笑ったり、帰る時に両親が段々と小さくなっていってることを感じましたが誰にでも年齢を重ねると通る道、これはご先祖さまが脈々と繰り返して来て今の僕がいること、感謝の気持ちです。それが生きる意味の一つなのかも知れませんね。 ふと、感じています。
私の職場は女性が多いのですが、オープニングスタッフということもあり年齢関係なく、皆仲良くていい人たちばかりだと思っていました。 しかし最近になって、やはり「結局女の世界だなぁ」というか、一見仲よさそうに笑顔で話しているのに、他ではその人の悪口を言っているのを聞いてしまったり、というような事が増えてきて、私は揉め事やトラブルに巻き込まれたくないと思っているのですが「私もきっと何か言われてるんだろうな…」と思い始めてしまい、前より仕事へ行くのが嫌になってきています。家に帰ってきてからも色々思い出しては、勝手に不安になったりもします。 どんな職場でもそういう事はあるとは思いますが、人からどう思われてるか気にしないでいられるにはどうしたらいいでしょうか?
どうぞ宜しくお願い致します。 浄土宗のお経?の中の言葉で 「心転倒せず、心失念せず、心錯乱せず」 (順番間違えてたり、漢字間違えてたりしたら すみませんm(__)m) が、好きです。 何か問題があった時など 心がフラつかないように、失わないように、乱れないようにしようと思っています。 中々出来てないですが。。。 実際、この言葉の私の解釈があってるかわかりませんので、本当のところの意味を どうぞ教えて下さいませm(__)m 宜しくお願い致します。
実家の居心地が悪く、転職を機に実家を出てから10年ほどになります。今では結婚して子どもも生まれて、私は私で家庭を築いています。 思春期の頃から4人家族(父母私と弟)の中で私だけ馴染めていないような、私の本当の居場所はここではないような気持ちを抱いていました。 両親にはもちろん世話になっているし、優しく良いところもたくさんある親です。 毒親というわけでは全くないのですが、幼いころより「お前の考えてることは理解できない」と言われることも多く、私とは相性が悪いのかなとずっと思っていました。 先日、父母とちょっとしたトラブルになり、それをきっかけに実家に対する違和感が再燃しました。 家も出たのにこの年齢になってまだ幼い頃のことを思い出して苦しむなんて!という悔しさ、 今まで育ててもらった恩・今でも心配してくれて援助してくれることに対する恩、その重さと私の感謝の気持ちが全く釣り合っていないように感じる苦しみ、 こんなことを考えるなんて親不孝だという自責の気持ち、 いろんな感情が混ざって爆発しそうです。 どのような心持ちで実家と接すればよいでしょうか? また、このような気持ちを静めるために参考になるような仏教の教えをいろいろ知りたいです。 よろしくお願いいたします。
私は家族が信仰してる宗教があり 私も、その宗教は嫌いではないのですが それが全てだと思いたくないです。 あまりにそれを中心にすると 私は苦しくなります。 嫌だと思ったらしなくてもいいと 自分は思うし自分の考えも 大切にしたいです。 ですがその宗教で出会った人から あなたは 神様の話がホントの意味で 分かってないし 落とし込めてなかった。 真剣じゃないし だから大変な道に行くだろうと思ってた。 みたいなことを言われました。 その人はスピリチュアルな人で神様と 話をしたりできるみたいです。 そういう人から何かを言われると しばらく、気にしてしまいます。 囚われている自分がいます。 そう言われて気にしないでおこうと 思っても、どこかで、 私は真剣にかみさまのことをやるべきなのか? と思ってしまい苦しくなります。 アドバイスあれば、宜しくお願い致します。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
私はドラマ・アニメ系の業界で働いていて、大学の頃の友人も同じ業界で働いています。私は働き始めて5年目なのですが、最近、先輩、同期や友人が出世し(番組の重要な肩書を得る、インタビューを受ける、界隈でちょっとした有名人になる、等)、それが嫌で嫌で仕方ありません。 この嫉妬心が、30代に差し掛り、どんどん大きくなっています。「嫉妬をバネに」という言葉もありますが、この嫉妬心は自分の心を腐らせるだけになっている気がします。 私自身、自分の仕事に誇りを持っています。日々、目の前の仕事をこなすことで会社、取引先やお客様の役に立っているはずです。 それでも嫉妬心が抑えられません。死ぬまでに有名になりたい、肩書を得たい、他人から非凡だと思われたいという欲。はっきり言って邪魔です。こんな気持ちは捨てて、まっすぐ穏やかに日々を過ごしたい。真摯に仕事に向き合いたい。同門の仲間たちの出世は、手放しで喜びたい。 この嫉妬心を無くす、あるいは、無くせなくても、薄めるヒントが欲しいです。お坊さんやこの相談をご覧になっている皆様も、嫉妬心で苦しんだ経験はおありでしょうか。お言葉をいただけますと幸いです。