愚痴を止めたことで見えた本音
私はある時から愚痴を言うのを止めました。
強い決意や立派な理由があってそうしたわけではありません。
ただ「どうでもいい」と思うようになった。
時間が惜しいと思うようになった。
それだけです。
そのお蔭で、一人で自分と向き合う時間が増えました。
そんなある日、些細なことがきっかけで怒りの感情が爆発し、誰にともなく怒りの言葉が噴き出してきたのです。
私は何に、誰に怒っているのだろう?
そして、気が付きました。
それは自分への怒り、自分を罵る言葉だったのです。
日頃から抱えていた周囲への不満は、実は自分自身への苛立ちだったのです。
私が自分に許していないことを人が平然とやっていると、腹が立って仕方がなかったのです。どうして改めようとしないのか、どうしてそんな自分を許せるのかと。
「どうしてお前なんかが生きているんだ」
気が付いたら、そんな言葉を自分自身に突き付けていました。
あの時、逃げた自分。
あの時、ひどいことをした自分。
あの時、卑怯な態度をとった自分。
あの時、本心を貫けなかった自分。
あの時、何もしなかった自分。
そして、いつも自分に負け続けた自分。
私は自分が大嫌いで、でもそんな自分と生きていくしかなくて、
自分の思うようにならない自分を足蹴にしながら生きてきのだと思います。
昨日より今日、今日より明日、マシな自分でありたい。
でも、本当は許されたい、楽になりたい、救われたい。
それが私の本音なのだと思うのです。
どうすれば自分を許すことができるでしょうか。
有り難し 41
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