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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 地獄」
検索結果: 455件

自分の体に対する嫌悪感、希死念慮

私は23歳の男性です。 心は女性8割くらいですが、恋愛対象が女性なのでXジェンダーです。 高校生くらいから自分の身体に対して違和感、嫌悪感を覚えるようになりました。いつしか思い描く、「こうなりたい」と思う理想像は女性になっていました。 髪を伸ばしてアレンジしたり、メイクやネイル、可愛い服を着たりヒールを履いたりしてみたいと心のどこかでは思っていました。 しかし、その理想とは裏腹に自分の身体は男で、歳を重ねるごとに理想とは真逆になっていきました。体毛や髭が濃くなり、ガタイがよくなり、声も低くなり、最近では薄毛になりはじめているかもしれないという、女性に憧れる自分からすれば最悪の未来まで見えてきました。 こういう話をすれば軽々しく「性転換すれば」という意見もあります。しかし私の体は性転換しても骨格や顔つきからして到底女性にはなれない容姿です。 元から華奢で中性的であれば救われたかもしれません。 ただでさえ男の体が嫌なのに、世間ではやたらと女性専用のもの(例女性専用車両、女性しか入れないカフェ)があったり、見た目が良くない男性は「キモい」「汚い」「これだから男は」というように卑下される始末。男になりたくてなったわけじゃないのに。なにかあると男が批判される社会の風潮。 最近は可愛い服を着てメイクをして楽しそうな女性を見ると、羨ましくて、悔しくて、自然と涙が出るようになってしまいました。 もう生きづらくて仕方ありません。 死なない限りこの体とは別れることは出来ないし、死ぬまで付き纏う悩みなので、近いうち、25歳になるまでには自殺しようと考えています。 産んでくれて育ててくれた母には申し訳ないとは思いますが、もうそんなこと言ってられないんです。 世界の人口は女性の方が多いといいます。なぜ私はその確率の中で男に生まれてしまったのでしょうか? 生き続けるのは地獄でしかありません。死ぬ方がよほど楽です。 正直「死にたい」と言うより「消えたい」、「生まれ変わりたい」と言った方が言葉的には合っていると思います。 自殺は苦しいだろうし、痛いと思うけど、それ以外に救われる方法がないので、やるしかありません。 ここまで決意しているのにこんなことを相談しているのも変ですが、何か言葉を下さい。 長文、乱文失礼しました。

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私の命や苦痛は軽く扱われて当然なんですか

不登校中熱中症や便秘で死にかけた後初の労働も駄目になり過呼吸・ヒステリー球・呑気症のストレス症状やお金が入らない事が怖く苦しみは気のせいだと言われ苦しみました 救いを見出した場は素敵な物で賑わえる場所でなく 現実が辛い方は息抜きを求め余裕がなくそして普通の人生を送り穏やかな方は軽く残酷な印象に絶望しました 例えば怒りは悲しみ無念の蓄積によって起こります それが無いだけで知らないだけで平和に見えます 穏やかな場で必要な事に専念し健全に生きたのかと悲しい 説教でなく一緒に楽しもうとか楽しめますようにと言わないのとなります その後の地獄ではドライマウスの様な症状・ヒステリー球・過呼吸 緊張による喉の締付け・えづき・胃荒れによる膨満感、胃液が喉に詰まり苦 ストレスによって上がる誤飲率(自然に出てくる唾液含)・お腹も苦しい等呼吸するのが奇跡の中救急車行きか窒息死か怖かった 一番厄介なのは苦しいので唾液をティッシュに包もうとするとえづきで呼吸困難 無理やり飲み込もうとすると喉が苦しくお腹も苦しく呼吸ができず死にかけました 多分当てはまる物としては愛着障害・重い鬱状態、パニック障害、セルフネグレクト等 強い時は誰も目にせず病院で記録もつけられず改善されるとなかった事へ 家の解決できない不衛生な環境面も重なり重かったです よく生きてきたと思います。生きる為生活費分の借金だってできました 時間をかけて小銭をかき集めたりもしできる限りの所まで生活を整えた先、光が見えるかと思いきやまた叩き落されました 荒療治応急処置ばかりなのに頑張ってきたんだねと相手の方も涙してくれるような暖かい対応は幻ですか 傷付いた救われない方に必要なのは正論や立ち上がるサポートでなく 「傷つけられていい子じゃない」と言ってくれる存在という言葉が沁みました 親しい関係や暖かい場所が欲しいと呼吸困難になりながら不安しかない中でも一人でやってきました 結果まだ数回でも明るくて健やかな未来や生活を願って頂ける事 〇〇で頑張ってきたのは凄いと言って頂けて嬉しかった 人様の苦しみを軽くみてないのに死にかけ当たり前 私は普通に遊びに行ったり成人式に行ったり恋愛もまともにできず不清潔で家の中で苦しんで当たり前ですか 心配されない私に合わない事も人生に必要と言われて苦です。鬱一つでも対応を間違えると命を落とします 合計10年程です

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夫の妹の自死 友人にどう伝えたらいいか分かりません

私は、なかなか結婚を決意してくれない彼と、今年に入って夫の妹の死をきっかけに結婚しました。 去年、夫の妹が自死しました。 夫は、お通夜、お葬式の前に、 私に『友人には妹の事を言わなくていいかな?』と、聞いてきたので、私は、 『無理に言う必要はないんじゃないかな?』と言いました。 義妹さんが亡くって、一年経つ前くらいに、私達は結婚式を挙げました。 結婚式を挙げる前に、私は何度か夫に、 『友人には、妹のことは伝えたの?』と聞くと、 『まだ…』と言っていたので、 結婚式では、夫の友人は義妹さんのことを知ったら、驚くだろうなという思いと、夫が友人に説明するのが辛いだろうなと思いました。 結婚式では、夫の家族が義妹さんの遺影を持っていたり、新郎父の挨拶で、義妹が去年亡くなったことを話していました。 なので、夫の友人と私の友人は、そこで夫の妹が亡くなったことを初めて知ったので、驚いていました。 私は結婚式を挙げる前から、いつかはお互いの友人に、夫の妹が亡くなったことが知られてしまう!ということが分かっていたので、その時に、 友人にどう話したらいいか悩んでいました。 案の定、結婚式後に、友人に会ったりすると、 『聞きにくいことだし、言いたくないんだったらいいんだけど…義妹さんは、どうして亡くなったの?』と聞かれます。 私は、『亡くなったのが急な事だったし、夫の家族もすごくショックを受けてるので、亡くなった理由は聞けてないんだよね…落ち着いたら聞こうかなとは思ってる』と言っています。 私は、正直、これから先、友人などにどう答えたらいいか分かりません。 あと、初対面の方や、友人から、 『夫は何人兄弟?』と聞かれることがあります。そういう時は、亡くなった妹さんも人数に含めた方がいいのか、含めない方がいいのか悩みます。 人数に含めた場合、『今、何してるの?どこに住んでるの?』など聞かれてしまいます。 夫の妹が亡くなったことを伝えて、相手が困ってしまう場合もあるので、どう言ったらいいか悩みます。 長文になってしまい、申し訳ありませんが、回答の方どうぞよろしくお願い致します。

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2023/07/24

愛猫の死との向合い方、避けた方が良い事は

身近な人、というカテゴリーですが、愛猫についてご相談させてください。 【概要】 実家で暮らしていた愛猫が早くに亡くなり、思いだけが募り、気持ちの行き先がない状態です。 良い向き合い方や、環境改善のアドバイスなどあれば頂きたいです。   【詳細と経緯】 愛猫がうっ血性心不全を患い、発覚から2ヶ月も経たず、旅立ってしまいました。 突然、お腹と胸でめいっぱい息をしながら、叫びながら息を引き取りました。 動物病院も開いておらず、母はパニックになっていて、自分がしっかりしなければと思いながらも、私も何もできませんでした。 6歳という若さであった事、闘病生活を充分に支え切れず、突然亡くなってしまったという事もあり、悲しみや後悔、大好きだという気持ちが処理しきれずにいます。 亡くなった子に大好きだと伝えたいけど、思い続けたり、悲しみすぎていると成仏できない、別の悪い霊まで引き寄せてしまうなんて話を聞いたことがあり、それだけは絶対に避けたいのです。   【相談内容】 ①亡くなった子を強く思いすぎるのも良くないのでしょうか。   ②せめてお線香をあげて、手を合わせるような時間が持てたらと思いますが、実家には猫があと5匹いて火を使う蝋燭、線香は危ないと考えています。一人暮らしの家に勝手に簡易的な仏壇のようなものを拵えてもよいものなのでしょうか?   ③名前入りのアクセサリーや石を身に着ける、愛猫の写真でクッションを作る、写真を飾る、名前を入墨として自身に彫ることを検討しています 上記の中で仏教の観点から避けた方がいいと思われる事はありますか?一個人の意見としてでも構いませんので伺いたいです。   当方の環境としましては、 ・実家にも仏壇等はなく四十九日も迎えておりません ・分骨なども致しておりません、まだお骨は手元(実家)にあります ・ご縁があり般若心経が手元にあり、道具も揃っている為写経でしたらすぐに可能です   その他向き合うにあたっての心構えや環境を見てのアドバイスなどありましたら些細な事でも構いません。是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。

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2023/02/20

死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

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自死者は、本当に成仏するのか?

最近、ネットが普及し、自死者に関することで色々と閲覧することができる。こちらのサイトのお坊さんは、自死遺族の気持ちを察して頂き自死者も必ず成仏するとご回答を頂きます。 しかし、他のサイトで真言宗の修行僧と称する者が、自死者は永遠に苦しむと書き込んでいます。同じ仏教徒でこんなに違うのでしょうか?本当に可笑しく思います。あるスピリチュアルでは、自死者は反省の部屋に入り、自分で納得すればガイドに従って成仏できると言っています。テレビで出ていた江原は違いますが  私は、なんとなくこのスピチュアルが主張する自死者の死後のあり様が自然に受け入れることができます。 要は、誰もが死んだ経験がありません。死後の世界なんかわかる訳がないと思います。昔は自死者は、地獄で永遠に苦しむと言われていましたが、ここ最近は自死遺族の苦悩を和らげるためか、成仏できるとお答えを頂きます。僧侶によっては、地縛霊のことは教えられていないと言っている者もいます。 キリスト教なんかは最悪です。よくもここまで豹変できるのかと思います。  こちらの僧侶の方は、本当に心の優しい方だと思います。カルトの様な馬鹿な話は信じません。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?自死した者の霊は、安らかに成仏できるのか?  本当は、人間世界で何十年、何百年と苦しむのか?噓を言われて心を和ませたくありません。本当は、自死者が、一人で永遠に苦しむのであれば私が自死をして、妻を救いに行きます。私の魂は、あくまでも妻を救出のため。自身の我儘で自死するのとは違います。  イスラム教で言えば聖戦です。自死者の魂の行先は、僧侶や所謂霊能者と言われる人によっては行き先が二分されていると思います。地獄か極楽浄土へ行くか・・・  言われていることがおかしいです?お釈迦様は、自死について良いとも悪いとも言っていないと今は言われているというか無理にその様に解釈をしているのでしょうが、本当はどうなんですか?  慰めで極楽浄土へ行くと言われると心が少し和みますが、自死遺族のために止むを得ず真実と違うことを言われるのは、返って罪なことだと思います。実際に真言宗の僧侶が永遠の地獄に行くとネットに平然と書いている。本当のことが私は知りたいのです。永遠の地獄に行くというのであれば私は、自死(救出のため)して地獄から妻を救い出す覚悟です。お答えをお願い致します。

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三途の川の深さ

質問します。 前にも質問したのですが、内容がマニアック過ぎたのが、誰にも答えてもらえませんでした( ; ; ) このままでは悲しいので、プロフを再編集して再度質問させて頂きます。 どなたか答えて下さいますように(^人^) 私は以前、心臓の病気で倒れて意識不明になった事が有ります。 その時の夢?の話です。 私は川の中にいました。 浅くて歩いて渡れる感じではなく、深くて大きな川の中に、足の着かない状態で首までたっぷりと浸かっていました。 空は青くて水は綺麗でした。 川の向こう側にはピンクや白の綺麗なお花と、大きなドーム型のお寺がキラキラ輝いていて、私はとにかく泳いで渡らなくては、と思ってお寺に向けて泳ぎました。 しかし、一所懸命泳げば泳ぐ程に川の流れは強くなり、右手方向に流されてお寺との距離がだんだんと遠くなって行きました。 そして、滝のような所に流されて落ちる時に、「お前はまだ早い」的な意識が頭に入りました。 耳で聞こえるのでは無くて、頭に直接入る感じです。 そして滝に落ちたと同時に現実の私も目が覚めました。そこは病院でした。 医師の話しでは、一時的に心臓が止まっていたそうです。 これが臨死体験と言うものかと思って、後からネットで調べると、罪深い人は三途の川が深くなるとか、三途の川の滝に落ちたら地獄に落ちるとか物騒な事ばかり書いてました。 私は地獄行き決定なのでしょうか(T_T) 今のままでは地獄に行くから、良い事をする猶予を与えられたのでしょうか? 余談ですが、その出来事の後、元々有った霊感が強くなりました。

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命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 30
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死ぬのが怖いです

高校生です 私は中学生の頃からずっと死ぬのが怖いです 私はこれまでの短い人生の中でも色々と悪いことをしてきました。嘘もつきましたし、人を傷つけたこともあります また、幼い頃(幼稚園生頃)にお店で量り売りとして売っていたチョコレートを一粒こっそり食べてしまったことがあります。あの事をずっと後悔しています 沢山悪いことをしてきたと思います 私はきっと、死んだら地獄に落ちてしまうことでしょう。祖母は「絶対天国に行けるからね」と言ってくれますが、それでも確証がありません いえ、地獄に落ちるかもしれない、それ以上に怖いことがあります それは、死んだら“私”が無くなってしまうのではないかということです 私は、私がこれまで積み上げてきた物を失うことが、自我が無くなってしまうことが怖いです 今、こうして悩み、悲しみ、笑い、怒り。そんな感情を抱いている私が消滅するかもしれないということが、本当に怖くてたまりません この恐怖は一年に五回程度湧き上がってきては私を悩ませます。怖くて怖くて、死後のことを思うと私は涙が止まらなくなります ですが、周りの大人は私のこの悩みを「くだらない」「大人になればそんな悩み薄れる」と言ってまともに取り合ってくれません。私は“今”の対策が知りたいのです。大人になってから、なんて待てません 死ぬのが怖いと言いながら、不老不死になりたいかと聞かれると困ります。永遠の命なんて寂しいですから この悩みの解決策がわからないままです 今も苦しみを堪えながらこの文をうっています 誰か、私を助けてください カテゴリー等、間違えていたら申し訳ありません

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比喩表現なのか...謎

お世話になっています。僕はこれまで、「お念仏は1日10回程度でいいだろう」と思っていました。何なら、1回でもいいと思っていました。ところが、あるお坊さんから聞いたのですが、「お念仏というのは、瞑想みたいなものだ」と言っていました。ただ手段が違うだけだと。瞑想では、呼吸や身体の感覚に集中することで、「今」に心を置きます。お念仏も瞑想と同じで、お念仏を唱えている時だけ「今」を生きることができると言っていました。自力の計らいというのも、瞑想でいうところの雑念なのでしょう。また、阿弥陀様や如来というのは、この世の大いなる働き(空、因果律)のことだと言っていました。浄土真宗はとにかく比喩表現が多いんだと。これらのことは本当なのでしょうか?もし、本当だとしたら煩悩を自覚する意味が分かりません。また、煩悩即菩提の概念もよく分からなくなってしまいます。僕は今まで本当に浄土(死後の世界)があり、阿弥陀様も実在する「人」だと思っていました。 しかし、内心では疑いを持っていました。南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生でき、それが出来なければ地獄行きというのは疑問に思っていましたし、大宇宙の法則がなぜ「この人は浄土、この人は地獄」と判断するのかもおかしいと思っていました。もし、このお坊さんのいう通りなら、色々と納得できる部分がありますが、実際のところはどうなのか気になります。回答お願いします。

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