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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6153件
2023/04/23

どう向き合えばいいですか?

2年半前に離婚した元夫が、昨年の夏、自死しました。 嫌いでとか、憎み合っての離婚ではありませんでした。 元夫の死後、とにかく何もする気が起きず、仕事以外は家に閉じこもることが多くなりました。もともと苦手な家事もあまりしなくなってしまいました。 何を楽しいと感じていたのかも思い出せず、長い間笑った記憶もありません。 一人娘には、両親が離婚するという辛さだけでなく、父親が自死するという耐え難い痛みを経験させてしまいました。 それでも少しずつ前を向いて歩こうとしている娘の姿に少し安堵しながらも、私自身は全く立ち直れずにいます。 元夫が亡くなる数ヵ月前から、仕事が原因でうつ状態になり、精神科に通院しています。診察やカウンセリングでは、仕事のことだけでなく、元夫のこともいつも聞いてもらっています。 それでも一向に気持ちが回復してきません。 元夫の自死のことを考えない日はありません。離婚を踏みとどまればよかったのか?と言う自責の気持ちや、私と出会って結婚しなければよかったのか?と言う後悔にずっととらわれてしまっています。 元夫の自死とどのように向き合えばいいのでしょうか。 毎日苦しいです。辛いです。いくら悔やんでも、元夫は帰って来られないのは分かっています。それでも考えてしまいます。私に何かできなかったのか?私のせいなのか? このままでも、いつか時間が経てばこの苦しさや痛みが和らぐのでしょうか? これからの半生、元夫の自死とどのように向き合っていけばいいのでしょうか? 楽しいと思える、幸せだと思える人生を望んでもいいのでしょうか?

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夫に離婚したいと言われました

結婚して6年、夫に離婚したいと言われました。知り合いの方の突然の死から自分の人生の事を考えると 私との結婚生活を終わりにしたい、来月には自分はこのアパートを出ていくからと急に言われました。 夫との子供はいません。去年末体外受精で妊娠し流産しました。もともとは夫は子供を欲しがってはいませんでした。 他に女性はいないそうです。  夫には努めている会社のトップの女性80歳に凄く憧れています。お付き合いを始めた当初は そこでは働いてなくて、私との結婚を機会にその女性の努める会社に転職しました。その方とは男女関係はないそうです。その方の生き方、意見や将来の会社のことを話す事に凄く尊敬しています。   会社は小さく上司と営業の先輩1人、会計の人の規模です。上司と先輩は会社の空き部屋に住んでいます。上司はosho和尚をアメリカで何年か崇拝してたそうです。  特殊な会社だなと私も周りの友達達も夫でも感じています。夫は休みの日も上司と会って会社の話をしています。 その会社に努め始めは本当に辛そうでした。上司と先輩とからの教えでメンタルがボロボロになってました。自分を会社に努めれるよう変えていかなくてはと、本当に努力をしていました。 本当に夫は変わっていきました。夫の家族も本人には言えないけど変わったと言っています。夫は自分お意見に自信を持って話します。時には人に押し付けます。友達たちがひいていくのが見てて分かります。 夫は私の事を本当に愛してくれています。今でも愛しているそうです。でもこの先、自分が目指しているところに行くには私がいてはだめだそうです。 私はその上司が夫の事をずっと洗脳して行ってるように思えてしまってます。これも夫の望んできた選択なのですがこんなに愛情深く、まだお互いに愛し合う気持ちがあるのに別れるのは嫌です。 言われて一週間経ちますが今まで通りの会話をしテレビを観たり食事をしてます。そんな中、夫は新しい家を探したりしてます。  どのような心持ちでいればよいですか。洗脳は解けないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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相談出来る人がいない。

過去の歴史を振り返っても世界は常に様々な事がある。 争いや災害などなくなる事など決して無い世界で、その時代時代で、人は悩んで、苦しんで、喜んで、楽しんで、悲しんで、嘆いて、様々な感情を抱えながら、それでも人は今を生きている。生かされている。生きていけない。生きるのをやめる。生かしてくれない。様々な状況がある。 生きる事が怖いです。 死ぬのはもっと怖いです。 大切なものを無くす不安、恐怖、悲しみを味わいたくないです。 自分は死にたい訳でもありません。 大切な人に悲しみを与えたくないから。 だけど、いつも、、、。わからないです。 他人を羨んだり、自分を自慢したりもしません。 何かを望んでいる訳でもなく、いつも自分の心は真ん中にあってほしい。 なぜなら様々な出来事に自分の感情が揺れるのが怖いから日々を精一杯生きてるだけです。 それでも年齢を重ねて感動が薄れていく気がします。 けどいつか必ず来る悲しみを味わうのはもう嫌です。 今の世の中は物が溢れているところもあれば、その日その日を食い凌ぐので精一杯のところもあります。 あればあるほどいいとは思いません。 無ければ無いでこした事はないけれど、全く無いのは虚しいです。 モノや感情も同じ事で、自分にとってちょうどいいを見つけて、探して、見失ってその繰り返しです。 豊かとは何か?頭で考え、心で感じ、身体で実感する。 人生はそれの繰り返しで、過去の思い出をふと振り返り愛され、悩み葛藤し、肩を寄せ合って生きてたあの頃が懐かしく愛おしく思います。 今が不幸せという事ではありません。 十分に幸せだと思っています。 救いの言葉を下さい。 自分はどうやって生きていけばいいでしょうか? よろしくお願いします。

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考えない事は先送り? 受容するには?

以前よりお世話になっております。 私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。 「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。 そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。 しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。 死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。 でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。 これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。 また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。 死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか? 漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 12
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遺伝性疾患との付き合い方

こんにちは。遺伝子診断や尊厳死について、考えたいです。  先日父が神経変性疾患の一種で入院しました。体が不自由になり、精神も壊れ暴言、暴力を振るうようになり、10年くらいで餓死、窒息、肺炎等で亡くなる病気です。  父は病状が進み暴力問題もあり入院となりました。父は車椅子に縛り付けられ(病気の性質上、ずっと付きっきりで見てあげられない病院では仕方のない処置です)罵声をあげていました。  この病気は何割かの確率で遺伝し、遺伝していた場合には100%発症します。この病気について、母は発症するまで伝える気がなかったのですが、1年ほど前に実家に遊びに行った時に父から告げられました。  その時私は結婚したばかりで、混乱しました。金銭的不安、パートナーにかける迷惑、人格がゆっくり変わっていって父のように暴言、罵声を毎日のように言うようになるかもしれない、それが病気との線引きが難しく治療法もないこと、子供を持てるかどうか、遺伝子診断をするかどうか。沢山の悩みが湧いて出てきました。  そして父の入院を目の当たりにして、ますます怖くなりました。  遺伝子診断をしたいのですが、母からは反対され、医療関係者も自殺の恐れなどあるので消極的です。  尊厳死についても考えますが、心配させるのでとても口にはできません。父も意識のはっきりしている時は寿命が長くたってなにもいいことはない、体も辛い、早く死にたいと言っていました。しかし当たり前ですがそんなことを言っても聞き入れられず、病人の危ない考えだと黙殺され、今父は病院で椅子かベッドで縛り付けられて苦しんでいると思います。退院できるかも分かりません。  遺伝子診断はして欲しくない、出生前診断は法的に認められてない、尊厳死もありえない。 病気の人の存在理由とかを考えすぎて、死はいけない、命の選別はいけない、そこから話が進んでいかないように思います。やさしい母ですが病気の話をすると目をそらして見ないフリをして生きろと言われている気がして憎いです。ついつい、この家に来ると落ち込む、とか嫌味な言葉を掛けてしまいます。それに怖くて目を晒せません。治療法がどんどん研究されている病気でもあり、積極的に関わっていくことで恐怖と付き合いたいです。  とりとめのない文章になってしまいすみません。尊厳死や遺伝子診断はなぜいけないのでしょうか。とても苦しいです。

有り難し有り難し 25
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2023/09/22

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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