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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 」
検索結果: 2622件

死の恐怖

いずれ寿命、病気、事故で死ぬ時がきますが死後の世界は現世の人の想像でしかないので死ねばおわりとしか思えません。死ねばうまれる前と同じでこの世に存在せず無になるだけという人もいました。 何度か火葬場でたちあいしたことありますが遺骨みると本当にさっきまで肉体あった人だったのにと思え何ともいえない気持ちになりました。自分も死ねばいずれ骨になるとはわかっていても火葬は数千度の高温でやくし嫌だなと今も思います。 日本は国土面積狭いので火葬が一般的ですが土葬できる場所もあり探しましたが管理者の話では白骨化するまで土にうまってるから火葬ほど骨もきれいに残らず土の下は苦しいですよといわれ気分が暗くなりました。猫ぐらいの大きさの小動物を土葬した場合の経過画像が掲載されたサイトがありみましたが人間より小さいのできれいに土に帰っていました。人間はそうはいかないのだろうなと思いますが。家族は皆火葬でいいといってますが私だけ土葬希望した場合一人だけの墓になります。死ぬ時は皆一人といいますが死後墓に一人というのは普通ですか。欧米のように土葬が普通ならかぞくの墓ではなく個々の墓になるので当然ですが日本は家族の墓という考えが普通なので。  多分20年後気がわりして自分も火葬でいいとなれば家族と同じ墓ですがやっぱり土葬希望だと自分で場所探し墓地購入しなくてはならないので先の話とはいえ気が滅入ります。土葬より凍結があればそれがいいですがその制度自体今はないので。 なぜ皆、火葬でいいといいきれるんですか。死ねば感覚も神経も死んでるので熱いわけないんですが数千度で焼くというのが私には火あぶりの刑と同じ残酷なことにしか思えず子供の時からずっと嫌だなと思ってます。 子供の時初めて火葬場へいった時、寒気と恐怖を感じたのを今でも覚えてます。

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愛犬の死

1週間前に13歳目前の愛犬を亡くしました。今年に入り衰弱を少しづつしてましたがこんなに早くお別れが来るとは思ってませんでした。 愛犬の輝く瞳や、嬉しそうに飛び跳ねる姿を思い出して涙が滲みます。 別れが避けられない運命だと頭の隅に置いて来たつもりです。仔犬の時から手の掛からなかった愛犬は亡くなるときも家族の手を引き止める事なく息を引き取りました。 多忙な家族もちょうど時間が取れてみんなで愛犬のお見送りをする事が出来ました。 小さな缶に入った遺骨を抱きしめて毎晩泣いてしまいます。 亡くなった愛犬の他に1匹おりますが、元気が無くお医者に通ってます。 この子も何か感じてるのだろうと抱きしめてまた泣いてしまいます。 今まで、実をつけた事のない庭の木が今年初めて花が咲き実を付けました。亡くなった愛犬を飼い出した記念に植えた木なんです。 亡くなる年に初めて実を付けるなんて不思議です。単なる偶然でしょうがまだ小さい実の一つ一つが可愛くて仕方ないです。 時間と共に寂しさは薄れて行くのでしょうが、今、この場所に愛犬が居ないのが悲しくて悲しくて辛いです。 愛犬は我が家の飼い犬として過ごして少しでも幸せだったのかなぁ、どうだったのかなぁって思います。 泣いてばかりじゃ愛犬が心配するだろうなって空元気に振る舞ってます。 仕事から帰ると涙が溢れて止まりません。 時間が解決すると思いますが今はだめですね。 まとまらない読みづらい文章で大変申し訳ありません。ありがとうございました。

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突然の死

9月13日、実家の愛犬を亡くしました。 交通事故でした。 16歳になり、足腰もおぼつかず、目も白内障になってほとんど見えないおじいちゃん犬でした。 両親は旅行中で不在、地元に残る私が世話を任されていました。 夕方、仕事から一時帰宅し、猫に餌をやり、愛犬はトイレに行きたがっていたのでいつもどおりリードをつけずに外に出しました。 よたよたといつも家の周りを歩いているので大丈夫だろうと、私もトイレを我慢出来ずに用を足しに行きましたが、ふと嫌な予感がしたので終わってからすぐに様子を見に行きました 敷地中探しましたが見つかりません。家から30m程の対向車線側にあるバス停のそばに何かの塊があるように思え近づいて見ると、居なくなった愛犬でした。 轢かれた時の衝撃で前足の関節が外れ、歯が折れた影響で顎も砕けたのか、ぐったりと地面に横たわっていました。 何が起こったのか分かりませんでした。 私が目を離さなければ、こんな事にはならなかったのに。家族にもすぐ連絡はしましたが到底顔向けできません。 愛犬にもたくさん謝りましたが、こんなことでは済まされない、大切な命を私が奪ったも同然だと思っています。まだまだ長生きできたかもしれない、とてもいい子だったのに‥‥。近頃老化が著しく、最期の日も近いかもしれないと感じていたので、その時が来たら安らかに眠ってほしいと願っていたのに、最期まで苦しい思いをさせてしまいました。 対向車線側のバス停まで距離があるのに、どれだけ苦しい思いをしたことか、痛かったのだろうか。ご飯をあげる前で、お腹をすかさせたままひとりで死なせてしまった事、本当に何から何まで酷い事をしてしまいました。とても申し訳ない事をした、小さな命を守れなかった自分に対して自責の念でいっぱいです。 家族が帰宅するまでの間火葬せずに遺体を安置させることになりましたが、一人家に帰る度、心が押しつぶされそうになります。 轢かれたのは夢だったのではないか、今も玄関の戸を開けたら出迎えてくれるのではないか、そんな妄想が浮かんでは消え、心の整理が全くつきません。 火葬は17日の予定ですが、残った時間でこの子に出来ることはまだありますか。生き残ってしまった私に何が出来るのでしょうか。よろしければご助言ください。

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認知症による安楽死について

友人の祖母が認知症になりました。 小さい頃、何度もお会いしたことがありますが、とても快活な気持ちの良いお婆ちゃんでした。 なのに、今は友人を財布の金を盗む泥棒と呼び、暴れるのだそうです。 お婆ちゃんっ子だった友人から笑顔が消え、愚痴が増えました。 その愚痴を聞くたびに私は「お婆ちゃんが早く死んだらいいのに」と考えてしまいます。 お婆ちゃんに恨みは全くありません。 しかし、友人の中の大好きなお婆ちゃん像が崩れていくの事にやるせない思いでいっぱいです。 この様な考えが頭をよぎる私は心がねじ曲がっているのでしょうか? 自分は認知症になる前にどんな方法でもいいから死を選びたいと本気で考えています。 家族に迷惑をかけたくないという気持ちと自分の尊厳を守りたいという気持ちからです。 (死ぬ事で家族に迷惑がかかるという意見がありますが、それを承知の上での考えです。) 自分が老人になる頃には安楽死制度が充実していて楽に死ねたら良いのにと考えているのですが、この様に考える事は人の道に反している思想なのかもしれません。 キリスト教においては自殺はとにかくNGですが、生が延びきっている現代においてその理由がどうしても理解ができません。 仏教に従事する皆様は自殺や安楽死についてどの様にお考えなのでしょうか?

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祖母の死

長文になりますがご了承ください。 先月、母方の祖母を亡くしました。 死因は入院先の病院で食事をとっていた際に喉を詰まらせてそのまま心臓が止まってしまったそうです。 入院は今回が初めてではなく過去に何度か熱が出て高齢のため念のため入院という事はありました。 しかし今回は治療も終わっており退院日も決定していて退院日前日の入院先での食事中の出来事だったようです。 100歳を超えていて自分で食事をすることはできなかったので看護師の方に食べさせてもらっていたんだと思います。 自分で食事をしていて喉を詰まらせてしまったのであれば百歩譲ってしょうがなかったのかなって思えるのですが、看護師が食べさせて喉を詰まらせたということが本当に納得できません。 祖母の食事を担当してくれていた方が注意してくれていれば喉に詰まらせる事はなかったのではないかとつい思ってしまいます。 帰省した際に父と2人きりで話す時間があり、父も死因に納得いっていない様子だったのですが、母は病院を責められないと言っていたそうで本人がそう言っている以上、母の気持ちを尊重しようということになりました。 小さいときからとても可愛がってもらっており、一人暮らしのため県外に住んでしまったのと最近だとコロナの影響もありなかなか会いに行けていなかったのですが、必ず祖母の誕生日には親戚一同、施設に集まってお祝いするのが恒例になっていました。 来年の誕生日会をするのをすごく楽しみにしていたので本当に悲しいです。 母は普段から辛い事や悲しい事はあまり表に出さない性格で、私も似ている部分はあるのでそんな私でも悲しみに耐えられず葬儀も涙が止まらなかったのに亡くなった連絡をくれたときも、霊安室に一緒に行ってくれたときも、葬儀中も母の涙を見ることがなく気丈に振る舞っている姿を見て胸が苦しくなり今も思い出すと涙が出てきます。 ずっと泣いてばかりではいけないしいつかは受け入れなくてはいけない事はわかっているのですが、死因に納得いっていないことが余計に引きずってしまいます。 身近な人の死を経験するのは今回が初めてではないですが、立ち直れる気がしません。 夜になると祖母のことを思い出しては泣いての繰り返しです。 どうしたらいいのかもうわかりません。 ご教示いただけますと幸いです。宜しくお願い致します。

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自死について

私は難病に罹患しており毎日その症状と向かいあっております。 『治療法は残念ながらありません』とドクターに言われても痛みに耐えられないので何度も病院に行き、せめて症状を緩和する方法や薬などないかドクターに聞くと。 『だから難病なんですよ』と言われてしまいました。 口腔内の痛み 鼻の痛み 喉の痛み 舌の痛み 気道の痛み 呼吸をするたびにドライヤーの風を吹き付けられているような症状等々。 痛み止めは効かないです。 痛みと苦しみがエンドレスで半永久的な辛さで少しずつ進行しております。 気が遠くなるような長い闘いですが頑張ってきました。 毎日24時間続く痛みを緩和する方法はないか自分なりに試行錯誤して工夫して来ました。 西洋医学だけでなく東洋医学も試しました。 この難病を受け入れて上手く付き合っていこう。と夫と子供達にも励まされ一日一日を頑張って生きてきました。 現代の医学をもっても『この痛みを緩和する方法はない』と言われても、私はあきらめず自分自身で色々な事を試しましたが痛みを緩和する事ができませんでした。 自ら命を経つのは良くない事だとは分かっています。だからこそ家族の為にも今まで病気と向き合いながら生きてきました。 私も本心は家族と別れたくはありません。ずっと一緒に居たいです。 しかし最近はあまりの痛みに、死んだらこの永遠に続く痛みから解放されるのかもしれない。痛みのない所に行きたいのです。 家族と一緒に居たい自分がいるのに、痛みの支配が大きくて痛みには勝てません。 自ら命を経てば阿弥陀如来さまに地獄に落とされますか? 現世では難病でこのような日々を過ごし。 来世もまた地獄に行きますか? どうかお教え下さい。

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家族の癌との向き合い方

こんばんは、初投稿失礼します。 数ヶ月前に、家族がすい臓がんになりました。 見つかった時にはもう末期で、今は断食しながらずっと入院しています。 私は学生で、ここ数日お見舞いに行けてなく、代わりに毎日通ってる母に状態を聞いています。 今日出かけた時に 急に母が「明日は絶対に病院に行こうね」と私に言いました。 もう、会えるのは手で数えるくらいかもしれないほど体調が良くないらしいです。 小学校の時にも 大好きだった愛猫を亡くしました。 それだけでも2年ほど鬱になっていたのに 大事な家族をなくすことを急に突きつけられて 何もできない自分が憎く、それ以上に怖いです。 親戚が家の事とかを話しているのも、 海外から駆けつける親戚を見るのも その度その度に 現実というナイフで刺されています。 こんな事友達になんて言えません もちろん家族にも。 毎晩その人が亡くなったという電話をもらう夢を見ます 正夢になってしまいそうで怖いです。 自分は明日からどうすればいいんでしょう。 笑うことなんてできない。 衰弱した家族なんて見て普通にできる自信などありません。 だからって何もできない私が泣いてなど。 一番辛いのは 美味しいご飯も食べれず 死を待つ恐怖に浸る患者です。 私に適した笑い方を見つけたい。

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死を考えています

もういい加減、生きているのが苦しいです。 あまりこういったところで書くべきではありませんが、簡単な経緯をお話しさせてください。 読み飛ばしていただいてもかまいません。 小学校に上がる前に父を亡くし、母が鬱病になりました。 祖父母の家と行き来しながら母と二人で暮らしていたのですが、あるとき父の知り合いでもあるという男が家を出入りするようになりました。 この男ははじめは優しく、母や私ともよく遊んでくれていました。 二人とも傷心でしたのですっかり信用しきってしまい、母は再婚し私は娘になりました。 これが間違いでした。 男の希望で私たちは引っ越し(ここから少しずつ家族や友人との関係を絶たれていきました)、隔絶された家の中で私たち母子はほとんど奴隷と言っていいような扱いを受けました。 男は毎日ささいなことで激怒し物を壊しては気の済むまで土下座させ、そのあと何度も殴るという有様でした。私を殴るのは母の役目です。 この頃にはもう逃げるなんて発想すらなく、常に死と隣り合わせで、恐怖で震えながら寝る毎日でした。 同時期には学校でいじめも受けていました。 もともと泣き虫でいじめられっこ気質ではありましたが、転校後のそれは教師も含めて大変悪質なものでした。 家にも学校にも休める場所がなく、毎日死のうかと考えていましたが、なんとか生き延びて今に至ります。 これらのことで精神を病んでしまい、様々な後遺症が残りました。 元から持っていたらしい発達障害と合併して生活が非常に困難です。 具体的には高校中退、大学にも行けず就職はおろかアルバイトさえろくにできません。 どうしても納得いきません。 例えば私が重大な罪を犯して、その報いとして今の状況があるなら納得はできます。 なぜ、私は真面目に生きてきたのに、他者から一方的に理不尽に人生を壊されなければならないのか。 世の中に善悪や法則などないのだから、なんでなんでと言っても仕方ありませんが、あまりに遣る瀬無いです。 人に優しく誠実に、と生きてきたつもりですがなにもかも無意味でした。 この先にも希望がありません。 私だってできることなら誰かに愛されたかったし、自分や誰かを愛してみたかった。 勿論自分にそれだけの価値や魅力がないことも理解しています。 生まれてこなかったほうがよかったとすら思います。 なにがいけなかったのでしょうか。

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父の死

3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。 私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。 今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。 自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。 今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。

有り難し有り難し 27
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